3.触発されたアマル
週末、屋敷の玄関ホールは騒がしく、アマルは吹き抜けの玄関を囲む二階廊下から階下を眺めた。
使用人達が慌ただしくスーツケースの山を運んでおり、中央にはいつもの白いパンタロン姿のジェインが客人を迎えていた。
彼女と対面するのは、すみれの花のように可憐で小柄な女性と、シルバーブロンドの緩いくせ毛に甘い顔立ちの青年。
「ああ、そうか。脅威の従妹が来ると言っていたな」
アマルはさりげなくジェインを見守るように階下の様子を見つめる。
一足先にすみれの女性が部屋に向かって歩き出したあと、そのまま彼女についていくと思っていたシルバーブロンドの青年が、ジェインの前で立ち止まる。
ジェインが挨拶をしようと膝を曲げかけた時、青年は彼女を思い切り抱きしめた。
思わずアマルは目を見開き、身を乗り出して凝視してしまう。
「こっちが脅威だったか……」
耳を澄ませば、ジェインが気まずそうにやんわりと離れようとしている声がする。
「ジョージ……離れて欲しい。さすがに挨拶の度を越えてる」
「ああ、ごめん、そんなつもりじゃ……」
ジョージはパッと両手を上げて一歩下がった。
「家族としての行為だったんだ。僕たちはほら……家族だろ? 家族が再会で抱き合うのは普通だし」
「大丈夫、わかってる。ジョージは当たり前の事をしたまでで、私の方が少し神経質なんだ」
「あの……じゃあ、握手なら良いかな?」
「え……ああ、握手なら」
迷うようにジェインは手を出すと、ジョージはしっかりと握りしめ、なかなか離す様子がない。
アマルはジェインが心配になり、彼女の表情を伺う。だがアマルの心配もよそに、ジェインは戸惑いつつもほんのりと頬を染めているようにも見える。
「おいおい、その表情はいただけないな……」
若干モヤモヤし始めて、アマルは二人から目が離せなくなってきた。
やっとジョージがジェインから手を離すと、アマルには理解の出来ない指話法を始めた。それに対してジェインがクスクス笑い、やはり同じ様に指話法で返す。
アマルは見ていられなくなり、くるりと踵を返し、足早に自室に戻る。
向かう先はワードローブ。屋敷で生活する上での衣類はジェインが使用人に指示を出し、屋敷にあった男性物の衣類をアマルのサイズに手直しさせてワードローブに入れてくれていたのだが、アマルの故郷は元々騎馬民族で、その名残を残す服は動きやすく出来ている。なのでごてごてしたこの国の服に着替える気が起きず、動きやすさ重視でズボンと素肌にローブだけ羽織って生活していた。
そんなアマルが迷いなくローブとズボンを床に脱ぎ捨てると、ワードローブに収納されていた衣類に初めて手を伸ばす。
手慣れた様子でこの国の堅苦しい白シャツやタイツやブリーチズを手際よく身に着けたら、何着も掛けられたウエストコートをしばし眺めた。
そして一着のウエストコートに視線を定めるとパチンと指を鳴らし、中から黒地に銀糸模様が織り込まれたブロケード生地のウエストコートを選び身に着ける。
「少しキツイな」
胸元に少々息苦しさはあったが、着れない事はなかった。クラバットを首元に巻き、最後にコートを羽織ろうとした時、コートだけはサイズが小さくて羽織れなかった。
「まあ、屋敷内ならなくても十分だろう」
大鏡の前でクラバットや襟元を微調整し、正面や横向きやらと向きを変えながら全体を確認する。そして最後にアレキサンドライトの指輪を指にはめれば、鏡の中のアマルはニヤリと片側の口角を上げた。
窓の外から鈴が鳴るような可愛らしい女性の声が聞こえてきた。
外を確認すると、声の主は先ほど玄関ホールにいたすみれの女性。夫の腕に抱きつき、しなだれながら、あれやこれやと矢継早に話し掛けている様子。
二人について行くように歩くジェインは、屋敷に向かって背を向けているので、アマルには表情が見えなかった。
アマルは急いで部屋を出て行った。
*
中庭では、従妹のカルミアが楽しそうにジョージに話し掛ける。
「やっぱり庭師は一人も解雇出来ないわね。年に数回くらいはここでお客様を迎える事もあるでしょうし」
「カルミア……ジェインがいる。もう少しわきまえないと」
「なぜ?」
カルミアは不思議そうな顔でジョージの顔を見てから、「ああ」と彼が言いたいことを理解し、軽く笑った。
「やだジョージ、ジェインは先日九十九回目の縁談を断られたのよ。しかもその相手はあの成金ホレイショ。貴族の一員になりたくて、舞踏会では目をギラつかせて貴族の娘達に声をかけまくってるあの人。あの人にすら断られたのよ? ジェインに結婚相手なんて現れないわ。まあ、せめて女性らしさをもう少し出せば可能性も……」
カルミアはジェインの足元から頭の方へと、値踏みをするようにじっとりと視線を這わせる。その視線がジェインの頭のてっぺんで止まると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「どうにもならないことってあるわよね」
ジェインはカルミアの嫌味に気が滅入りながらも、言い返すのも面倒くさいので黙って耐えた。
「でもそうね、いつかはジェインよりも大きな男性が現れるかもしれないけど、継承保留期間が終わるまでになんて無理だわ」
「カルミア、ジェインより背の高い男なら普通にいくらでもいるだろ。僕だって僅かに高い。それに、別に身長が高くても低くても、そんなこと関係なく相手の人柄に魅力を感じる人は沢山いる」
「ジョージ、その発言は余計ジェインを惨めにするわ。だってそれって、ジェインにいまだに相手がいないのは、大柄な体格が問題じゃなく根本的に魅力を感じる人がいないからっていってるようなものじゃない」
「いい加減にしろっ。俺はジェインを美しいと心から思っている。内面も、外見も、全てだ」
突然のジョージの告白に、ジェインは驚きすぎて固まった。
必死で保つ理性の上に、じわじわと未練がましい黒ずんだ想いが覆って行く。
もしも、ジョージとカルミアが婚約をする前に我が家からジョージへ縁談を申し込んでいれば、自分は初恋を実らせることが出来たのだろうか?
病気の父を安心させ、花嫁姿を見せてから天国に送れたのか?
継承問題で頭を悩ませることもなかったのか?
誰かに愛される喜びを知ることが出来たのだろうか……?
頭の中では真逆の世界にいる自分がすべてを叶えていく。
だがどれも所詮はたらればの話。
結局アマルの言うような男性はすでにカルミアの夫で、もう手に入らない。
そもそもこの国は恋愛結婚は主流ではないし。
カルミアは表情を曇らせ、不満そうに眉間に皺を寄せていた。
「なにそれ。妻を前にして言うことじゃないでしょ」
カルミアの鈴の声は錆びつき、ジョージの腕から手を離してしまった。
「そうだ。いくらジェインが美しくとも、妻の前で他の女性を口説くのは感心しない」
急にこの場の空気に溶け込んで来た甘く低い声に、三人は戸惑い、声の主を見上げた。
声の主は背が高く体格もいいので、ジェインと並ぶとバランスがとても良い。そしてその容姿はエキゾチックで、ため息が出るほど端正な顔立ち。服の上からでもわかる引き締まった身体でこの国の貴族服を着こなし、見事に上流階級に溶け込んでいた。
彼はジェインの腰にそっと腕を回して、自分の方へと引き寄せた。
「初めまして、ジェインの恋人です。私のことは気軽にアマルと」
ジョージの顔は赤くなり、カルミアは頬を桃色に染めながらも面白くなさそうだ。
カルミアは刺々しくアマルに問いただす。
「恋人と言うなら、婚約も結婚もされていないのよね? 証書の有無を確認させていただければすぐわかることですから、嘘はやめてくださいね」
「そうです。まだ婚約はしていません。私の国の結婚ではあれこれ契約するよりも、まず心を確認しますので」
アマルは二人に見せつけるようにジェインのあごを掴み、誘うような目でジェインを見つめた。
「大丈夫。俺達はすぐに恋に落ちる」
「アマル……これは恥ずかしいからやめて欲しい」
耳まで真っ赤になったジェインを見てアマルは穏やかにクスっと笑うと、優しく手を離してくれる。
「すまないが、ジェインを連れて行く。晩餐までにはお戻ししよう」
「え、アマル???」
アマルは顔を真っ赤に染めたカルミアとジョージに微笑むと、たじろぐジェインの手を掴んでグイグイと屋敷まで引っ張って行く。
「ま、待ってアマル。どういうこと?」
「とにかく部屋に戻るぞ」