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2.相応しい相手

 男が意識を失ってから数日経過した頃、無事に熱は下がった。だが、まだ眠りから覚めない。


 普段着である男性ものの白シャツと白いパンタロン姿のジェインは、男の眠るベッドサイドに椅子を置いて座る。

 テーブルに置かれた男の宝石は今は鮮やかな赤い輝きを放っていた。

 その宝石を横目に一瞥してから、長い足を組んで封蝋の押された手紙を開いて読み始めた。

 俯きながら読めば、垂れ下がってくる淡いハニーレモン色の髪が鬱陶しくて、何度も耳にかけ直す。


 手紙を読み終えると、深い溜息を吐き、痛む頭を抱えた。


「悩み事か?」


 ジェインが顔を上げて声の主を見れば、ベッドに横たわる金色の瞳がこちらを見つめている。


「目覚めたか」


「ああ、面倒をかけたようですまない」


「気にするな。気分はどうだ?」


「男の格好をしている女が目の前にいて、不思議な気分だ」


「毎日軍の訓練に参加するから、この格好の方が動き易いんだ」


「訓練? この国は女も戦うのか?」


「あまり一般的ではないが、まったくいないわけでもない。それと、他国と戦争をするために訓練しているわけでは決してないから、変な心配はしないで欲しい」


「そうか。この領地を抜けてスクーディア山脈を越えれば、すぐに私の国イディオスがある。だからお前の言葉を信じたいものだ」


「やはりお前はイディオスの者だったんだな。褐色の肌と着ていた服でそうだとは思ったが」


「そうだ。ところで、戦争目的ではないならなぜ軍の訓練をする」


「逆なんだ。戦争を起こさないために軍事力を維持している。皮肉だが、効果はある」


「そうか……」


「ずっと聞きたかったんだが、名は?」


「アマルだ」


「イディオスの民に会えて光栄だよ、アマル」


 ジェインは右手を胸元にあてて男前な会釈をした。


「私はジェイン・バーヴェイト。ここウェルランド王国の辺境地スクードベリー領を統治する、伯爵家の第一後継者だ」


「領主様ってやつだな」


「残念ながら私はまだ領主ではない」


「第一後継者ならいずれ領主だ」


「はは、そんな簡単な話でもない」


 ジェインは笑いながらも、手に持つ手紙をギュッと握りしめた。


「ところで、あの宝石はアレキサンドライトだろ? 青緑色だったのに、今は鮮やかな赤色に変わっている。あんな高価な石を身に着けているんだから、アマルはそれなりに地位のある人物なのだよな?」


「さあ、どうだろうか。イディオスには爵位や貴族といった仕組みがないから、名乗れる称号はないが、あれを所持できるくらいの財産はあるな」


「そうか。なら……当然、妻や婚約者もいるのだろうな」


 表情から下心を読み取られないよう、あくまで自然な会話を心掛け、ジェインは必死で顔の筋肉を動かさないよう尽くした。


「いない」


 ジェインは口角が上がるのを堪えた。

 湧きあがる期待感に対して、喜ぶにはまだ早いと必死で抑えつける。


 アマルの言葉を鵜呑みにするわけではないが、この国でもアレキサンドライトなんて持てる者は僅か。しかもアマルの宝石はその中でも特級品だろう。

 そんな物をいくつも身に着けているのだから、やはりそれなりの人物に違いない。

 言葉遣いこそ俗っぽいが、彼からはそこはかとなく気品が漂っている。


 今は貴族と平民の結婚も珍しくなく、それなりの財力や影響力がある相手なら結婚する。大商人や銀行家、その娘など典型的な例だ。


 国を越えての結婚は考えてもみなかったが、その方がかえって都合がいい。もしアマルが予想と違ってこの国の労働者階級に値するような人物でも、国が違う人間ならどうにでも取り繕い誤魔化せる。


 いやむしろ、なぜこの方法を考えなかったのだろう。


 別にジェイン自身は結婚相手に身分や資産の額は求めていない。法的に貴賤結婚が許されないわけでもない。許してくれないのは社交界。社会的圧力が強いだけ。

 周りさえ納得させられれば結婚は出来るんだから、アマルをアッパーやミドルクラス風を装わせて結婚しても良いじゃないか。


 だがまだアマルには念を押して確認したい。


 なんと言っても彼のこの蠱惑的な姿。

 金色の瞳に、整った容姿。長い黒髪は触れたくなるほどさらさらと美しく、服の上からでもわかる鍛えられた身体には思わず視線を向けずにはいられない。

 会話をすれば耳心地の良い低音で落ち着いて語る彼に、地位や財産などなくとも魔法にかけられたように夢中になる年頃の女性は多いだろう。

 そしてイディオスは恋愛結婚が主流と聞く。アプローチする者は確実に多いはず。年齢的にもいないとは考えづらい。


「アマルを見れば女性に縁がないとは俄かに信じがたいな」


「いないものはいない」


 アマルはまっすぐジェインを見て言い切った。どうやら嘘ではなさそうだ。


「疑ってすまなかった。もちろんいない方がありがたい。ではアマル、私との結婚を考えて貰えないだろうか?」


 アマルは切れ長の目をこれでもかと大きく開いて呆気に取られる。


「ウェルランドの男装の麗人に求婚される日が来るとは思わなかった」


「ドレスを着る時だってある。アマル、どうか私の正式な夫になって欲しい。そして子を授かった時に二人の子供と認めてくれさえすれば、よそに愛人を作ってもらっても、故郷に戻ってもらっても構わない。その際遊興費が必要なら十分な額を渡そう」


「プロポーズのくせにロマンスのかけらもないな」


「アマルはロマンチストに見えないが」


「プライドがある」


「では、言い方を変えよう。私を助けてくれないか?」


「助ける?」


「ああ。爵位を継ぐには結婚しなければならないんだ。だけど御覧の通り男みたいな私。縁談は九十九回も破談になったよ。この国の爵位継承は、爵位を得た始祖の血縁で嫡出子であることが前提だ。血が流れていても非嫡出子にはその権利は与えられない。だから、爵位を受け継ぐ際は、爵位継承の継続が可能な正式な妻や夫がいるものに限るんだ」


「結婚しているからといって、子供が授かるかはわからないだろう」


「子に関しては、正直本当に正式な夫婦の子だったのかなんて怪しい話は山ほどある。そこはどうにでも誤魔化せるからな」


「なんだ、始祖の血なんて体裁なだけか。酷い決まりだな。それで誤魔化せない結婚だけは絶対にしないといけないと」


「そうだ」


「断る」


「……百回か」


「百回?」


「破談の回数だよ」


「そんなに破談になるほど問題があるように見えないが?」


「私をよく見ろ。問題だらけさ」


 ジェインはそう言いつつも然程気にした様子は無く、クスクスと笑いだす。だが緩んだ指先から手紙がはらりと床に落ちてしまった。


「それは?」


 ジェインは長い腕を伸ばし、落ちた手紙を椅子に座ったまま拾った。またも顔回りを煩わせる髪を片耳に掛けながら視線をふとアマルの方へ向けると、彼の金色の瞳に囚われた。

 アマルはずっとジェインの動作を眺めていたようだ。


 慌てて視線を外して、持っていた手紙を振って見せる。


「来週、従妹夫婦が訪ねて来るといった内容だ」


「いい知らせか?」


 ジェインは苦笑いしながら首を横に振った。


「彼女は継承権第二位で、私と違って結婚も既にしている。最近、伯爵だった私の父が亡くなり、実は今は切羽詰まった継承問題真っ只中だ」


「大変だったんだな。お父上にご冥福を祈る。お母上もさぞ憔悴されているだろう」


「お気遣いありがとう。母はと言えば……父との思い出が詰まったこの屋敷で暮らせなくなり、今は王都のタウンハウスで暮らしているんだ」


「そうか。深く愛し合っていたんだな」


「ああ、娘の私から見て両親の愛は深かった。政略結婚だったけど、大恋愛だったんだよ」


「それは……羨ましい」


 両親がいかに愛し合っていたかを語るジェインを、アマルは穏やかに、目を細めて見つめていた。


「さて、話を戻そう。継承権保留期間は一年。それまでに私は結婚しないと、このままいけば従妹のカルミアが次期伯爵だ。だからきっと、今回の来訪は継承に備えた領地視察だよ」


「良くない知らせの方か。ジェインの脅威だな」


 従妹のカルミアは脅威というよりもうざったく煙たい。その夫のジョージは、気持ちの整理はついたと言えど、目の前にすると今でも時折気持ちが揺さぶられてしまう。どちらにも会いたくはないのは事実。


「求婚の申し出は光栄だし、心から礼を言う。だが、イディオスの結婚は心で結ばれるもの。子は神からの恵みであり、血ではなく愛を繋げていく存在なんだ。そして、俺にも色々としがらみがある。だから、ジェインの申し出は受けられない」


「いいんだ。イディオスの民でなくとも当たり前の返事だ。

 さて、医師からアマルが目覚めても抜糸までは屋敷に留めるように頼まれている。だから、故郷に帰りたくともしばらくはこの屋敷で休んでいってくれ。またその大きな身体で道端に倒れられたら通行の妨げになる。ちゃんと治ったら馬をやるから、しっかり休め」


「そういえば俺の馬はどこに? 白色で、鬣が銀に近い灰色だ」


「アマルの馬? 道には倒れたアマルしかいなかったが」


「馬で移動していた時に襲われたんだ。おそらく気を失った俺を乗せたまま馬が逃げて、あの道で俺が落馬したのかもな。家族もいたんだ。皆無事だといいが……」


「それは災難だったな。イディオスの民らしき者や、鬣が灰色の白馬を見つけたら屋敷に連れてくるよう皆にも伝えておこう」


「ああ、恩に着る」


「じゃあ、私は失礼するよ」


 椅子から立ち上がろうとした時、アマルが制止するように声を出す。


「なあジェイン」


「ん?」


 ジェインはこの金色の瞳に見つめられるのが得意ではなかった。だが、今は視線を外すことも出来ない。


「お前は美しい」


「何を急に」


「よく見ろというから良く観察した。お前は美しい。そんなお前に求婚されて本当に光栄だ。自分を過小評価せず、ジェインの美しさがわかる男で、お前を大切にしてくれる相手を選べ」


「じゃあ、やはりアマルしかいないだろうな」


 ジェインは自嘲気味に笑いながら重い腰を上げた。

 自分のことを美しいだなんて言うのは女ばかり。男でそう言ったのは父のほかにアマルしか記憶にない。この先にそんな男が現れるとも思えない。

 単純にそう思ったから、そう言い返したまで。


 ジェインはアマルに手を振り、そのまま部屋を後にした。


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