11.社交シーズン
皆が踊る中で急に立ち止まれば注目を浴びずにはいられない。会場がざわつき始めてしまう。
「目眩だなんて大変だ。すぐに休まないと」
アンセルムはこれ見よがしに声を張り上げて言った。そしてジェインの肩を抱き、足早に会場からジェインを連れ去ろうとする。
「アンセルム様」
「しっ。黙って。これなら怪しまれずに二人きりでここを出て話せるから」
「え?」
アンセルムがジェインを介抱するような素振りを見せながら会場を出ると、二人の後ろをいつの間にか彼の従者が静かについて来ていた。
休憩用のドローイングルームにジェインを連れて行くと、従者は扉の外で待機して見張りに付いた。
ジェインは肩に添えられた手を振り払い、鋭い視線をアンセルムに向けた。
「話とは?」
「噂通り勇ましいね。猫を被られるより話しやすくてその方がいい」
「結婚しようだなんて、何のつもりだ」
「何をそんなに疑ってるの? ここは結婚相手を見つける場でもあるよね?」
「公爵家に条件の良い令嬢を選ばず、わざわざ私を選ぶ理由が見当たらない」
「公爵家にもっとも良い条件なのが君だからだよ」
「そんなわけあるかっ」
否定するジェインに向かってアンセルムは薄ら笑った。
「王の盾が邪魔なんだ」
ジェインは凍りついて言葉が出なかった。
アンセルムは部屋のサイドボードに向かうと、置かれていたブランデーを手に取り、グラスに注ぐ。
そしてブランデーを口にしながらジェインの元に戻って来た。
「君も飲む?」
差し出されたのは今まさにアンセルムが飲んでいたグラス。
「結構」
「そう」
アンセルムはまた一口ブランデーを口に含むとグラスをテーブルに置き、ジェインを力強く抱き寄せて口移しで飲ませる。
余りにも予想外の展開に、ジェインも抵抗する時間がなかった。
ゴクリと喉が鳴り、ブランデーが口の中からなくなったのを確認すると、アンセルムは満足そうに唇を離した。
ジェインはアンセルムを睨みつけて、口元に垂れて来たブランデーを手の甲で拭う。
「責任を取るよ。結婚しよう」
「なぜ今なんだ? 私が相手を必死に探していたことは社交界で笑い話になるほど有名だった。結婚を申し込むならもっと前に出来たはずだ。何より、結婚しても私は王の盾だぞ?」
「以前までは君に価値がなかったから。王の盾も使いようだと思ったから」
「使いよう?」
「先日我が家で舞踏会を開いたんだ。君の従妹の信者達が熱心に父や私に君の従妹をおすんだよ。おかしいだろ? あの女は既婚者だぞ? しかも王の盾の一族だ。穢らわしい」
「カルミアは王太子妃まで狙ってたのか? 全部手に入れないと気が済まないのか?」
爵位を手にしたらジョージと離婚して、未来の王太子妃の座を狙って公爵子息に狙いを定めたのだろう。彼女はアマルが何者か知らないし、王の盾の意味も知らないから。
「惰性で話を聞いていたら、彼女は来年には辺境伯になるからと、そのメリットを語るんだよ。夫が未婚のスクードベリー伯爵令嬢と不倫関係で、伯爵令嬢が継承する事は消滅してるし、カルミア嬢は爵位継承後に夫の不貞を問題にして離婚が出来るって。
なら回りくどい既婚者なんかじゃなく、今すぐ結婚出来る継承権第一位の未婚女性がいるんだから、そちらを選ぶだろ?」
「王族が王の盾と結婚するメリットなんかないだろ」
「あるさ。結婚の誓いは生涯支え合うこと。神に誓うんだ。離婚しない限り手は出せない。なんで、今までの王族はこれに気づかなかったんだろうな」
まるで自分がいかに賢いかを誇示するようにアンセルムは笑っている。
「子供が出来れば、いずれ王の盾だ。その子は結婚の誓いを立てていない」
「親を殺す子がいるか?」
アンセルムはジェインの顎を掴み、顔を近づけた。
「別に愛人を作ってもらって構わないよ。暮らしたい屋敷で暮らしてもらって構わない。あーでもさすがに子供だけは王位継承権が絡むから、そうだなぁ……私との間に三人くらい産まれるまでは男性との接触はしないでもらいたい。だから愛人はそれからかな」
ジェインはアンセルムの手を振り払おうとはせず、至近距離で睨み合いながら言葉を吐き捨てる。
「……ロマンスのかけらもないな」
だがアンセルムに対して言ったわけではない。以前自分がアマルに言ったセリフを、立場を変えて自分に向けられた時、政略結婚の虚しさと、あの時のアマルの気持ちをようやく真に理解したからだ。
「君は意外とロマンチストだったんだね。じゃないと不貞なんて働かないか」
「不貞は働いてない。ジョージとは何も無い」
「なら、君が私との結婚を断る理由はないんじゃない?」
「王の盾をどうにかしようとする王族なんかと結婚出来るか」
「しなくてもいいさ。そしたらカルミアという女にすぐに離婚してもらって僕と結婚してもらう」
「継承保留期間を迎えるまで国王がご健在だと良いな」
「バカだな。君が消えればカルミアが即継承だろ」
「お前……」
ジェインは左手で思い切りアンセルムの手を叩くように払った。
アンセルムの手は、指輪が当たった場所が赤くなっていた。痛む手を庇いながら、自分を叩いたジェインの左手に視線を向けた。
「ずっと気になってたんだけど、その指輪。君は他の令嬢と違って流行やブランド物には興味なさそうだけど、シュヴァルザコレクション?」
「亡き父が外国土産で買って来てくれたんだ」
「へえ……少し見せて貰える?」
「え?」
「何か隠してるんだね」
「何もない」
「じゃあ、見せれるだろ」
ジェインはアンセルムに向かって左手を差し出した。
アンセルムはその手を掴み、指輪を外そうとしてきたのでジェインは指を曲げる。
「何を?」
「見せてくれるって言っただろ?」
「外す必要があるのか?」
「そりゃ、国内では簡単には手に入らない宝石だし、手に取ってじっくり見てみたいよね」
「貴重な宝石だから嫌だ」
「私は王族だぞ? 盗みを疑ってるのか?」
「ちっ……」
ジェインは指を緩めてアンセルムに指輪を渡した。
アンセルムはまじまじと指輪を観察している。
そして、台座のみぞに爪をひっかけて引っ張ると、台座の半分がはずれた。
「おい、何をするんだっ」
指輪を壊されたジェインは激しく怒り、アンセルムから指輪を取り返そうと手を伸ばす。
だがアンセルムは指輪を握りしめて隠した。
「この指輪をどこで?」
「だから父の土産だと言っただろ! 形見だ! 両方返せ!」
ジェインはアンセルムを睨めば、目の前の金色の瞳は獰猛に輝き始めた。
王族は臨戦態勢に入るとこの目になるのかと、ジェインはアマルとの出会いを思い出す。
「アマルだろ」
ジェインが心に浮かべていた人物の名を出され、ごくわずかに目が反応したのをアンセルムは逃さなかった。
「やっぱりな」
「何のことだ」
「生きていた」
ジェインの表情は一瞬で青ざめた。
「まさか……襲撃犯は、お前だったのか」
アンセルムはにんまりと目を細め、三日月のような笑顔を見せる。
「やっぱり、形見じゃない」
「なぜ、今になって殺そうとするんだ」
「今になって父から知らされたからだよ」
ジェインはアンセルムに体当たりし、その拍子でアンセルムの手から離れた指輪が床に転がったのでジェインは急いでそれを掴むと、今度はアンセルムがジェインを押し倒して馬乗りになった。
激しい格闘の末、宝石部分はアンセルムが、台座のみになった指輪をジェインが握る。
アンセルムは息を上げてジェインにまたがり、見下ろしていた。
「ふざけたマネをしてくれるじゃないか」
ジェインも息を上げながらアンセルムを睨む。
「今すぐどかないと後悔するぞ」
「アマルはどこだ! 国に帰したのか」
「知るかっ!」
ジェインは力の限り身体を捻じ曲げて、自分の上に乗るアンセルムを振り降ろした。
「くそっ、バケモノみたいな女だな」
「誉め言葉として取っておく」
「知らないだろうから教えてやる。その指輪はアマルを証明するシグネットリングだよ」
「シグネットリング……?」
ジェインは改めて手の中の指輪を見ると、台座には読めない文字が羅列していた。
「王家にだけ使用が許された文字で記されたアマルの名前だ。その指輪は、王家の人間である事と、アマル・アレックス・シュヴァルザであるという事を証明できる、上物の石ころなんかよりもよっぽど価値のある代物だよ」
アンセルムは何かに気がついた顔をした。
「そうか、自分で口にして今更気づいたよ。そんな指輪をアマルに渡されたなら、君はあいつによっぽどの忠誠を誓い信頼されているか、もしくは愛されているかだな……」
ジェインは急に眩暈がしてきて、アンセルムが二重に見えてくる。世界が揺らぎ、何かがおかしい。
「やっと効いてきたか。身体が大きな分、薬が回るのが遅いのかな」
ジェインはよろよろと床に両手をつき、必死で指輪を握りしめ、意識を保つ。その姿を見たアンセルムは鼻で笑う。
「なるほど、愛されてるんだな。やっぱり君を選んで正解だった。使い道が増えて尚更都合がいい」
「いつ……薬を」
「最初に飲ませてあげただろ」
「くっ……お前も飲んでいたはず」
「飲む前に中和薬を飲んでたから」
アンセルムの声は既に遠く朧げで、ジェインはとうとう意識がなくなり、その場で倒れてしまった。