1.九十九回目の破談
「はぁ……都合良くどこかに婿が落ちていないものか……」
揺れる馬車の中でジェインがため息混じりに窓の外に視線を移せば、太陽は西へと傾き始めており、暮れゆく地平線がまるで惨めな自分の姿のようで、また嫌気がさした。
九十九回目の縁談破談を迎えた帰り道、馬車はどんよりと倦んでいた。
ジェインは流行のベビーフェイスではないが、それなりに整った顔立ちである。殿方に人気の愛くるしい大きな瞳は持ち合わせてはいないが、相手を一瞬で怯ませることが出来る鋭い瞳は持っている。
ベッドの上で美しく咲き乱れ、殿方を甘く誘う長い髪は携えてはいないが、相手をぶん殴るに煩わしくないフェイスラインの長さで整えられた、淡く美しいハニーレモン色の髪はある。
着痩せするタイプなので、今着用しているボリュームたっぷりの豪華絢爛なドレス姿では分かりづらいが、脱いだ姿はどの令嬢よりもスタイル抜群だ。
鍛え上げた上腕二頭筋、豊満な大胸筋、彫刻のようなシックスパック、引き締まった大臀筋。そして立ち上がれば見上げる殿方もまあまあいるほど背も高かった。
「本当にまいった。早く結婚しないと、爵位も領地も全てカルミアに取られてしまう……」
ジェイン・バーヴェイト、二十四歳。
ウェルランド王国の南の辺境地スクードベリー領を賜る、スクードベリー伯爵の継承権第一位の人物。代々伯爵は王の盾と呼ばれている。
大陸の中でウェルランド王国は北半分を占める大国。戦乱の時代は圧倒的強者だった。
ウェルランド王国を陸から出入りするには、南の辺境地であるスクードベリーを通過する必要があり、ここは古くから交通と軍事の要衝となっていた。
ジェインの父であり、前伯爵が長い闘病生活の末この世を去ったのはほんの数か月前。現在爵位継承は保留状態である。
この国は貴族の爵位継承問題で性別の縛りはないが、爵位を得た始祖の血を引く嫡出子が継承するに限ると決まりがある為、正式な妻ないし夫がいる者しか継承出来ない。
つまり、継承時に結婚をしている事が大前提であった。貴族の結婚は早く、二十四歳まで婚約者すらいないジェインは常に社交界の笑い者だ。
そして相手を見つけられぬまま、とうとう先代が亡くなってしまった。実の父の死を悲しむ時間など与えては貰えず、早く継承のために相手を見つける必要があった。
継承保留期間は当主が亡くなった日より一年間。すでに父の死から数か月過ぎ、もはや一年も残っていない。
継承権第二位はジェインの叔母の娘であるカルミア・ウィルフォート。ジェインと違って、小柄でクリクリとした大きな瞳を持ち、薄紫色の柔らかな長い髪が自慢の可憐な女性である。
そんなカルミアの母でありジェインの叔母も数年前に亡くなり、叔母の長子であるカルミアの継承順位が二位に上がった。カルミアはもちろん既に既婚者で、彼女の夫はジェインの幼馴染で初恋相手の、今は王都で医師として働いているジョージである。
上っ面だけの笑顔を見せるカルミアと違って、本物の慈悲に溢れた微笑みを見せるジョージは、若い女性だけでなく年配女性達からも絶大な支持を得る癒し系医師であった。白に近いシルバーブロンドの緩いくせ毛を短く切り揃え、笑うと優しい目尻が更に下がり、温かな陽だまりのような雰囲気に満ちた、清潔感溢れる好青年だ。
ジェインの恋心はジョージとカルミアの婚約が決まった際消滅した。
それ以降、自身は別に結婚に憧れはなく、しないでいいのならしなくていいと本音では思っていた。
だから何度もカルミアに継承させたらいいのではないかと考えもしたが、派手好きな彼女を考えれば、恐らく煌びやかな王都から離れることは出来ないだろうし、スクードベリー伯爵の存在意義も深く考えずに、彼女の生活を潤すための領地改革が行われるだろう。そもそも彼女は王の盾を理解していない。親も継承権がありながら、教えるつもりがなかったようだ。
幼い頃から伯爵であった父の背中を間近で見てきた自分には、簡単には捨てられない責任感がすでに芽生えている。となれば、やはり自分が爵位を継承しないといけない。
だが縁談を持つのは容易ではなく、やっと席を設けたとしても、皆ジェインを見るなり眉を顰める者ばかり。
『俺より大きい女は嫌だなあ』
『君は今度から縁談は令嬢と進めるべきだよ。すぐに相手が見つかるさ』
『高級男娼のようだな』
『近寄るな、穢らわしい』
自分を見て嘲笑う男やら、苦笑いする男、下衆な笑みを浮かべた男達の顔がありありと目に浮かぶ。
虚しいやら腹立たしいやら、一発殴ってから帰るべきだったかと、穏やかでない独り言を並べていた頃、ガタンと大きく馬車が揺れて止まった。
「ジェイン様、すいませんが死体が道を塞いでまして、移動させますので少々お待ちください」
「死体?」
「ええ、背中側から血が流れていますので斬られたのかと」
従者の言葉に外が気になり、ジェインは馬車の扉を開けて降りてしまった。
「ジェ、ジェイン様、まだどこかに犯人がいるかもしれませんし、馬車の中でお待ちください」
「何を言ってる。私がお前より遥かに強いのはわかってるだろ」
「でも今はそのような格好ですし……」
ジェインは従者が制するのも軽く受け流し、重いドレスの裾をこれでもかとたくし上げて、道の真ん中に横たわる死体へと近づいて行く。
倒れているのは褐色肌の男。
深みのある黒色の長い髪に、着衣は隣国のイディオスの民族衣装だろうか。大きなVネックの黒の民族コートはひざ下まであり、Vネックからのぞくインナーは首元まで隠すスタンドカラーの白シャツ、服の上からでもわかる鍛えられたがっちりとした体形。青みがかった緑色の宝石が輝くアクセサリーを耳や腕や指につけており、仰向けで横たわるその背後の土には血が混じっている。
「背中を斬られたようです。しかし、こんな高価そうなアクセサリーは身に着けたままとなると、相手は物取りではないのでしょうか……」
従者の説明を聞きながら、男の顔をまじまじと見る。意志の強そうなしっかりとした眉に、閉じられた瞼には長いまつ毛。
目を覚ませば凛々しさが更に際立つであろう端正な顔立ちだった。
目を覚ましたらどんな瞳の色をしているのだろう……。
そう思った次の瞬間、男の目がパッと開き、目の前にいたジェインを睨みつけた。
その瞳の色は濁りのない金色の瞳。
目を覚ました彼は、まるで牙を剥き出した見事な黒豹のようだった。
「動くな、今助けるから」
ジェインは今にも襲い掛かってきそうな男に向かって強く物を言った。
男は怯んだわけではないが、放っていた殺気が次第に薄れていき、ジェインを受け入れた。
ジェインが男に手を差し出して上半身を起き上がらせる。
「良かった。気を失っていただけで、背中の傷は深くなさそうだな。肩を貸すから、馬車に乗れ。間も無く日も暮れるから私の屋敷で休んでいったらいい」
ジェインが男の背中に手を回して支え、男の片腕を自身の肩に乗せて立ち上がらせた。
だが男を立ち上がらせると、ジェインは生まれて初めて自分の隣に立った人間から圧迫感を感じた。
ジェインは自分が支える男をゆっくりと見上げる。横たわる姿から大きいとは思ったが、自分が見上げるほど大きな男は初めて出会った。今まで出会ったほとんどの男達は、自分と同じくらいの目線か、見下ろすかだった。
「なにか?」
切れ長の目で自分を見下ろした男の声は、胸の奥に響くような温かみのある落ち着いた低音の声だった。
「私より遥かに大きい男に初めて出会ったから驚いてしまっただけだ」
そう答えたジェインに、男はフッと表情を和らげた。
「俺もお前みたいな女は初めてだ」
「私がデカかったおかげでお前をこうして支えられる。命拾いしたんだから私の体格に感謝しろ」
「ああ、深く感謝する」
ジェインの肩に乗せていた男の指に力が入ると、彼の感謝の気持ちが伝わった。思わずジェインは微笑んでしまった。
男はジェインの笑みを見て目を細める。
「美人だが、笑顔は愛らしいな」
「誰が?」
「お前が」
「まさか」
顔を赤くしたジェインに、男はしんどそうにしながらも満足げに笑った。
ジェインの屋敷に隣接した場所に軍の施設があり、そこから軍医に屋敷まで来てもらって男の傷を診て貰った。
傷は致命傷になるほど深くはないが、縫合が必要な状態ではあった。軍医は暖色のランプの灯りが照らす中、すぐに縫合手術をしてくれた。
だが術後に男の体調は悪化し、熱が上がりはじめてそのまま意識を失ってしまった。