表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜の明けぬ内に

作者: 多雨書乃 式

 彼女に呼び出された。ゆっくりと目の前の引き戸を開ける。

 窓の外では、太陽が顔を隠そうとしていた。彼女の横顔が金色に輝く。僕の顔には影が落ちる。戸を後ろ手で締めると、現とは隔たれてしまったかの様な、奇妙な閉塞感を僕らに与えた。


「人はなぜ死ぬのだと思う?」


 彼女が尋ねる。


「生きているからだ」

「では、なぜ人は生きるのだと思う?」

「死にたくないからだ」


 その答えを聞くと、彼女は微笑んだ。


「なら、人生は惰性だと?」

「あぁ、そうだ」


 僕は言う。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

「そうかもな。君らしい」


 彼女は外を見る。何を考えているのかは分からない。


「でも、少し寂しいな。私からすれば、川じゃなくて、森であって欲しい、と思うんだよ」

「森?」

「泡は消えるだけかもしれない。だけど、木は朽ちれば、新たな木への養分になる。そうして、バトンを繋いでいく」

「人は何かを成す為に生まれてくる、と?」

「別にそんな大層なことは望んじゃいないさ。だけど、せめて生きた爪痕を、いいや、傷跡を世界に残していきたいだけ」


 太陽が沈みゆく。陽は翳り、蛍光灯の光が目立ち始める。作り物の光がこの部屋を満たしていく。


「もうじき、夜だな」

「あぁ」


 僕は呟く。


「夜は怖い」


 その言葉に彼女は驚いた様な顔を見せた。


「それは君らしくないな。どうして?」

「夜という物の本質は闇だ。如何に、電球で明るく取り繕っても、その根源には闇がある。闇とは、死だ。夜からは死の匂いがする」


 彼女は、笑わなかった。神妙な面持ちで、僕の言葉の続きを待つ。


「人は、夜になれば寝る。それは、夜から逃げたいからだ。闇を耐え忍ぶ為に、瞼を閉ざし、光を待つ。そうして、人は、騙し騙し、今日を生きている」

「死ぬのは怖いか?」

「当たり前だ。誰だって死にたくなんてない」


 僕の言葉に彼女は俯く。


「そうだな」


 そして、再び、外を眺める。


「私は、夜に無限の奥行きを感じるよ。眠りさえしなければずっとこの一瞬が続いてくれる、そんな気がする」

「確かに、闇は宇宙とも言い換えられる。だが、夜には、限りがある」

「分かっているよ、そんなこと。全く、君にはロマンがないな」


 彼女は僕の瞳を見つめる。僕は堪らず目を逸らす。

 暫くそうしていると、彼女は徐に呟いた。


「天国はあると思う?」

「ない、と僕は思うことにしている」

「どうして?」

「死んだ先があると認めてしまえば、生きている今を蔑ろにしてしまう気がするから」

「なるほど。ロマンはない。だが、良い答えだ」


 彼女は口角を上げる。そして、続きを述べる。


「私は天国という概念以前に、生者と死者の違いなど些末なものとしか思っていない。人の心に残り続けるのなら生きていると言えるし、孤独に過ごすのは死んでいるのと変わらん」

「そうかもな。人との関わりで自分の存在を証明する。それも答えの一つだろう」

「だから私は生き続けようと思う。例え、望むものが手に入らなかったとしても、私以外が手に取らないように滅茶苦茶に壊してから」


 そこで、彼女の纏う雰囲気が変わった。そんな彼女は、薄闇の中、儚げであった。指を触れればそこから崩れ去ってしまうかのような危うさは、しかし同時に可憐さを呼び起こす。そんな彼女に見惚れていると、彼女の薄紅の唇から言葉が紡がれた。


「月が綺麗ですね」


 彼女は言った。その言の葉は、風に運ばれて、鼓膜の奥で弾ける。

 彼女の顔は良く見えない。眩いからだ。月か、それとも、あるいは。


 それは、とても魅力的な相談だった。だが、下賤な僕なんかが彼女の隣にいて良いはずがない。完璧な彼女という存在に傷をつけることを、他ならぬ僕が許すことが出来ない。スッポンは月に手を伸ばしてはいけない。


「まだ、僕は、死にたくないな」


 僕はそう答えた。その答えに彼女は静かに、ゆっくりと、瞼を閉じた。俯いた。月光は髪を艶やかに照らすが、顔には影を作った。彼女が何を考えているのか分からない。否、何かが少しだけ分かる様な気がした。

 彼女は、目を瞑ったまま、その場を後にした。


 夜の明けぬ内に。


 翌朝、首を吊った彼女が発見された。提灯の様にぶら下がっているそれを見て、僕は少しだけ安堵してしまった。彼女は何にも毒されることなく、傷つけられることなく、その完璧な存在のままで去っていった。

 なるほど。確かに、これは、傷跡だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ