束の間の
三題噺もどき―さんびゃくはちじゅう。
「お疲れ様です」
返ってきたおんなじ言葉を背後に聞きつつ、ロッカーへと向かう。
仕事と仕事の合間。しばしの休憩時間。
勤務時間的に休憩は不要なシフトなので、ちょっとした水分補給のための休憩だ。
「……」
ロッカーのカギを開け、固い扉を開く。
古いロッカーというのは、ちょっとした衝撃で壊れそうで少し怖い。
引っかかりがあるせいもあってか、開閉時にそれなりの音がするので、更に慎重になる。
「……」
下段にある自分のロッカーの前にかがむ。
ロッカーの中には、鞄と上着。
最近、ようやく肌寒くなってきたのでお気に入りの上着が切れるようになった。
心待ちにしていたわけではないが、お気に入りというのは、それだけで少しうれしくもなれる。
「……」
鞄の中へと手を突っ込み、タオルに包まれた水筒を取り出す。
水分補給のための休憩は、この一回だけなので、中身は半分ほどしかない。
透明な、百円ショップで買った小さめの水筒だ。
中身がわかりやすくて、調整がしやすいので気に入っている。
暖かい飲み物をいれることは出来ないが、猫舌なので問題ない。
「……」
中身を一気に飲み干そうと、蓋に手をかけ、ひねる。
二回ほど回し、開いた水筒のふちを口につけようと。
唇に持っていこうとしたところで―
「大丈夫?」
と、声がかかった。
後ろを振り返ると、先程返事をしてくれた人だ。
つい数分前に合ったことの顛末を知っている人なので、心配してくれたんだろう。
ありがたいが、ようやく気を紛らわせるのに成功していたところに、釘を刺された気分だ。
また思い出して、身が震える。
「―大丈夫です」
「…無理しないでね、戻るの落ち着いてからでいいから」
それだけ言い残し、業務へと戻る。
ここの人たちはほんとにいい人ばかりだ。
助けてなんて言えやしない私にとっては、気づいて気にかけてくれること自体はありがたいことでしかない。
助けてと、声を上げることをよくないと思ったままに、ここまで来てしまったから、助けの求め方を知らないのだ。
「―ありがとうございます」
そそくさと戻るその人に、射を告げ、ロッカーに向きなおる。
「……」
1人になったと気づいた瞬間。
思考は一気に偏る。
昔からのよくない癖だが、直しようがない癖。
「……」
思いださないよう、気にしないよう。
意識的に、水と共に流し込もうと、水筒を傾ける。
ごくりと喉が鳴る。
―それでも、一度沸き上がると、飲み込むのに時間がかかってしまう。
「……」
数分前。
ある人に言われた言葉。
その人の声色。
その人間の態度。
言葉。声色。態度。
「…―」
恐怖。
嫌悪。
緊張。
「――」
ぞわりと、肌があわだつ。
どくりと、心臓がはねる。
ジワリと、汗がふきだす。
ずきりと、頭がいたむ。
「――」
気にしないでと言われても。
思考は沈んでいく一方。
記憶を繰り返す。
皆一度は通る道だと言われても。
抱え込むことができずに、倒れそうになる。
「――」
繰り返す記憶。
あの人の言葉。声色。態度。
感じた恐怖。嫌悪。震え。
「――」
手が震える。喉が絞まる。目頭が熱くなる。
「――」
忘れようとしたところで、それができないのは身に染みて分かっている。
今だって、数分前の記憶に引きずられて、過去の記憶が渦巻きだしている。
「――」
沈む。
沈む。
沈む。
「――」
抱えきれない恐怖と、押さえきれない嫌悪が、全身に広がっていく。
立つことがままならなくなり、倒れそうになる。
なんとか手で支えて、息を整えることに集中する。
「――っふぅ…」
呼吸へと意識をずらすことに集中する。
無理やりにでも記憶を抑え込む。見ないようにする。
気にしないようにする。気を紛らわせるようにする。
いつ戻ってもいいとは言われていたが、あまり長居はしていられない。
それはそれで、気にしてしまうから。
「――っふぅ……」
深く呼吸をする。
震え出した手を抑える。
そこで、水筒をまだ手に持っていることに気づいた。
中身が入っていなかったことに安堵してみる。
蓋を閉め、鞄の中へとしまう。
「――……」
戻ればまた、ぶり返しそうだが。
これ以上は、ここに居られない。
平気な振りは出来るはずだから。
戻って、仕事に集中しよう。
未だに手が震えているが、きっと気のせいだ。
「――よし……」
小さく声に出し。
気分を入れ替えるよう努力する。
ロッカーを閉じ、鍵を閉める。
嫌な記憶をその中に閉じ込める。
気になっておく。
「……」
つかの間の休息は終わり。
仕事に戻る。
「……」
きっとこれからずっと。
仕事に来るたびにこうなるんだろうけど。
それでも、生きていくためにはやらなくてはいけないし。
生きづらいと思っていても、生きていかないといけないし。
―早く死にたいなんて、想うぐらいはいいだろうか。
お題:沈む・抱え込む・助けて