わたしはこの戦いが終わったら、えらい聖騎士になるの
「ちっ……!」
赤髪の女はイリスを傷つけることなく素早く飛び退くと、川の下流の方角へ走り出した。
速い。凶戦士と化したメリアも速いが、赤髪の女はその比ではない。
メリアもそれを悟ったのか、手に持った剣を逆手に持ち替え、振りかぶった。
「行かせるかよ! これでも食らいやがれ!」
そのまま剣を勢いよく投げつけた。剣は驚くような猛スピードで飛んでいき、女との間合いをぐんぐん狭めていく。
しかし赤髪の女は背中にも目が付いているかのようにひらりと身を躱すと速度を落とさずに街の中に入ろうとしている。
「デルフィ!」
「は、はいなの……!」
あの危機の間もイリスの側を決して離れなかったデルフィニウムに指示を出すと巻髪の魔法使いは精神を集中させる。
デルフィニウムは一日一回だけ、威力の調整のきかない魔法が使えるだけだが、その他に長所が二つある。
ひとつは、ほとんどの魔法を使えること。
そしてもうひとつは魔法発動までの時間が異常に短いことだ。
デルフィニウムは集中し、指示されたとおりの結果を想像する。手に持った杖を前方――街の方へとかざし、発動の言葉を叫ぶ。
「洗い流すの!」
瞬間、デルフィニウムの想像が具現化した。
杖の先に透明の球体が発生したかと思うと、そこから水の奔流が溢れ出す。
水の奔流は勢いを増し、ほとんど水のなかった大河カールトンを水で満たしていく。
それはすぐに濁流と言っていい規模になり、川の下流にあったすべてを洗い流していく。
「みゃっ……!」
水が苦手なミャーリーが慌ててイリスの後ろに逃げ込んだ。
その先ではずいぶん小さくなった赤髪の濁流が水に流されていく様子がはっきりと見えた。
これで女が万一無事に逃げおおせたとしても、街に火を放つことは困難になるだろう。その困難を押して破壊活動を強行するような愚を犯すようには思えなかった。
街の危機はひとまず去ったのだ。
まるで大雨の後のように増水した大河を見ながらようやく勝利の実感が湧いてきた。いつの間にか日は傾きつつあった。
「やりましたね。お疲れさまです、勇者さま」
気がつくと、いつもの穏やかな姫に戻っていたメリアがイリスのところへ戻ってきていた。ミャーリーもイリスに肩を借りて足を引きずりながらも笑顔だ。
「いろいろずさんな計画だったよ。もっとうまくできたはずなんだ」
イリスは正直な感想を述べた。
「うまく行ったなら喜べばいいにゃ!」
「ああ……そうだな」
ミャーリーの脳天気な答えにイリスは幾分救われた気分になった。
「あの、ところで勇者さま……」
イリスがメリアの方を見る。
「どうした?」
「私の剣はどこに行ったのでしょうか……?」
「あっ!?」
イリスが慌てて川の方を見ると、止めどなく流れ出す魔法の水はあれだけ広かった河川敷をすべて満たしていた。
「おい、デルフィ。もういい。水を止めろ!」
イリスがデルフィニウムの方を見ると、彼女はすでに魔力を使い果たして倒れていた。デルフィニウムの数メートル先の空中に浮かんだ水の球からは今もなお轟音とともに水の奔流が流れ出していた。
「デルフィ、起きろ! 起きるんだ!」
イリスがデルフィニウムのローブを掴んで眠る魔法使いの身体を揺らすが、
「むにゃむにゃ……。ここはわたしに任せて、みんなは先に行くの。わたしはこの戦いが終わったら、えらい聖騎士になるの……
「不吉なフラグ立てるんじゃねー! お・き・ろー!」
結局、魔法の水はその後二時間にわたって大河を満たし続け、その水は堤防を越えて少なくない範囲でカールトンの街を水で浸したのであった。
控えめに言って大洪水である。




