全く付け入る隙がないな
望遠鏡の中では広大な平原で軍勢と軍勢が今まさに激突しようというところだった。わかっていたことではあったが、イリス達は完全に出遅れていたのだ。
「すぐに私たちも参戦しましょう。味方は少しでも多い方がいいに決まっています!」
メリアの問いかけにイリスは少し考えて、
「いや、少し様子を見よう。状況もわからず慌てて戦いに参加してもいいことなんてないさ」
その言葉にメリアは「そうですね」と首肯したが、彼女の左手は腰の剣に添えられており、すぐにでも飛び出したいであろうことが察せられた。
そんなメリアを気にすることもなく、勇者は持ってきた壺に手を入れた。
そこから安楽椅子と机を取り出すと、丘の上の木陰に置き、安楽椅子の上で横になる。季節は初夏にさしかかっているとはいえ、寒冷な気候のカールトンは日陰ではひんやりとして心地良い。
そうしている間に両軍が激突したようだ。怒号と金属がぶつかり合う音がここまで聞こえてくる。
「ミャーリー、詳しい戦況を知りたい。報告を頼む」
イリスが指示を出すとミャーリーは「みゃっ」と返事をして傍らの木にするすると登っていった。
「ミャーリー、どうだ?」
イリスが聞くと、木の上のミャーリーは目の上に手を当てて戦場を見た。
「今のところ五分五分といったところにゃ」
鉱山調査で足止めをされている時からカールトンに到着するまでの約二週間の間、イリスはミャーリーに斥候の仕事のなんたるかをレクチャーしていた。
その中で、イリスはミャーリー本人すら気づいていなかった斥候としての素質を見いだしていた。
「敵の数は二万といったところかにゃ? 敵の奥の方に陣が見えるにゃ。赤地に金色の狼が描かれてるのが見えるにゃ」
ミャーリーの目は正確に戦況を見渡していた。目の良さは本人が自覚しているとおりだったが、それに加えてミャーリーの目は敵の数を正確に報告していた。鉱山調査で多くの石の数を正確に当てたことから見いだされた能力である。
「敵は二万。味方は勇者が九百九十八人にその仲間が三人ずつだから、約四千か。戦力差五対一。絶望的だな」
などと言ってはいるが、イリスに焦燥感は感じられない。ミャーリーも言っていたように、戦況は五分五分なのだ。それだけ勇者の力が傑出している。……十歳児並みの能力しかない一名をのぞいてだが。
しかしその一名――イリスは全く気にしない。もともと自ら身体を動かして働くタイプではないと自認しているからだ。
「赤地に金色の狼ってのは敵の指揮官の紋章か」
「赤地に金の狼は皇子アガリアレプト……なの」
デルフィニウムがミャーリーの情報を補足した。帝国の支配階級であるデモン族出身の彼女は帝国の情報に詳しい。今もどこかに情報源があるようだ。
「出し惜しみなしの圧倒的な物量差に加え、敵将自らが前線に出て志気を支える、か。全く付け入る隙がないな」
しかし、とイリスは考え込む。何かが腑に落ちない。
何が、と言われても説明はできない。強いて言うならばプロゲーマーとしての“勘”だろうか。
この状況で、もし敵の司令官が数にまかせた正面突破以外の戦略を採っているとしたら……。
イリスは敵司令官の立場で思考実験を繰り返す。思いついた何パターンかの可能性のうち、もっとも敵軍――この場合の敵とは勇者達のことだ――に打撃を与えられる方法を考える。
「そうか……」




