恩は返さないとダメなんにゃ
「今日は本当にありがとうございました。聖都にお越しの際は、また当店にいらしてください。心ばかりのおもてなしをさせていただきます」
気持ち悪い猫なで声の店主からのもてなしと見送りの言葉を受けて一行は魚屋を後にした。
「勇者さまもお魚、おいしそうに食べておられましたね」
「だから言っただろ、嫌いじゃないって……」
「そうですね。ちょっとだけ、骨を取るのが苦手なだけでしたね」
「うぐ……」
ますます子供扱いされることにイリスは不機嫌だったが、本当のことなので何も言い返せない。
「ミャーは骨ごと食べられるにゃ! 骨と一緒なのがおいしいのにゃ!」
二人の後ろをメイド服のねこ娘がついてきていた。
「お前、いつまで付いてくるんだよ。何か用があったんじゃねーのか?」
その指摘にねこ娘の毛が逆立った。
「みゃっ! 忘れてたにゃ! 早く教皇宮に帰らないと叱られるにゃ!」
ねこ娘は「お魚、おいしかったにゃ!」と言い残して去って行った。人通りの多い通りを避けてするすると柱を登り、家々の屋根の上を走っていったのは猫らしかった。
「何だよあいつ、何も考えずについてきただけだったのか」
やれやれ、とため息をついたところで突然背後から声をかけられ、口から心臓が飛び出すほど驚いた。
「忘れてたにゃ!」
「うわっ! お前、言ったんじゃないのかよ!」
尻餅をつきそうになった所をメリアがやんわり抱きとめてくれた。
「恩に報いるのが教会の教えにゃ! お魚のお礼をするにゃ!」
「いや、礼なんていらねーし、そもそも恩があるとしたら魚じゃなくて事件のことだろ」
イリスのツッコミなど全く聞いていないようにねこ娘は突然地面に腰を下ろした。右足に手を伸ばして靴を脱ごうとしているが、メイド服のスカートが短いので、そこから白い下着が丸見えだ。
「お、おい! 何してるんだ! こんな往来で!」
「オウライって何にゃ? ミャーの肉球を触らせてあげるにゃ。ミャーの肉球は柔らかくて、触れるものを天に誘うって評判なのにゃ!」
「いや、教会関係者でその表現はマズいだろ……」
イリスのツッコミなどねこ娘に通るはずもなく、パンツ丸出しで靴を脱いだねこ娘はやはりパンツ丸出しでほらほらとイリスに肉球も露わになった脚を伸ばしてくる。
「だーかーらー!」
人が集まってきたこともあり、イリスはメリアに命じて強制的にチラリズムショーを中断させた。奇しくもこの猫と初めて出会ったときのように首根っこを掴まれている。
一方のねこ娘は恩を返せなくなったからか、しゅんとしている。
「礼なんていいから、早く帰れ」
「でも、恩は返さないとダメなんにゃ……。ミャーには他にお礼の方法が思いつかないにゃ」
借りてきた猫のようにおとなしくしているが、恩を返すから肉球を触れという主張は一向に曲げようとしない。
「勇者さま、ここまで言っているのです。すこしくらい触ってあげても……」
「いや、そういう問題じゃないんだよ……」
メリアにも頼まれて困り果てたイリスは頭をかきむしり。
「あーもう、わかった。礼についてはオレが考えておくから、とりあえず今は帰れ」
「ホントかにゃ? でも、今別れたらいつ会えるかわからないにゃ」
妙なところで鋭いなこいつ。
「大丈夫ですよ。私たちも教皇宮に行く予定だったのです。きっとまた会えます」
メリアが助け船を出してくれたので、ねこ娘もその案を飲むことにしたようだ。
「わかったにゃ! じゃあ、今度会ったときに肉球を触るにゃ!」
「そうじゃなくてだな……」
イリスがそう言ったとき、ねこ娘は商店街の天井を駆けていた。
「はぁ……。やっといなくなった。騒々しい猫だ」
「ふふっ、賑やかでしたね」
物は言い様だなと思いつつ、さて、と話題を変えた。
「教皇宮に急ごう。メシ食ってたからすっかり時間をくっちまった」
「そうですね」
「こりゃすごいな」
時刻は昼過ぎ。大通りに戻ったイリスはその人通りの多さに圧倒されていた。例えるなら、ラッシュアワーのターミナル駅くらい人であふれていた。朝の比ではない。
「ほら、言ったとおりでしょう? さあ、はぐれないように手を繋いでまいりましょう」
そういってメリアはイリスの手を握ろうとしたが、イリスはその手をはねのける。
「だから、子供扱いするなって。手なんか繋がなくても迷子になったりしないって」
「でも私心配です。こんなに人通りが多くて、ちょっと目を離した隙に勇者さまとはぐれたりしたら……。勇者さまはおかわいいので、誘拐でもされたら大変です。あら……?」
まさに今、メリアがちょっと目を離したその瞬間に勇者イリスはその姿を消していた。
「勇者さま……? 勇者さま!」




