勇者さまは勇者であって人間ではないですよね?
メリアはテーブルの上に置いた自分の手をじっと見ている。
「強さこそが価値のすべてである帝国にとって、戦闘能力もない、魔法も使えない人間は最底辺の存在でした。当然、その扱いは酷いものでした」
イリスはメリアの目をのぞき見た。その瞳は怒りに燃えているようにも、悲しみに揺れているようにも見えた。
「しかし、人間はただ虐げられるだけの存在ではなかったのです。一人の若者を中心とした人間達は収容所を脱走、その当時“世界の果て”と呼ばれるギガディウス山脈に逃げ込んだのです」
「世界の果て?」
「はい。当時の人々はギガディウス山脈の向こうに大陸があるなんて知らなかったんです。おかわり、いります?」
「あ、じゃあもらおうかな」
メリアは空になったイリスのグラスにジュースのおかわりを注ぎ、話を続ける。
「人間達の行程は凄絶を極めるものでした。今もそうですが、ギガディウス山脈は踏破困難と言われる命がけの難所です。当時は今のようにルートが知られているわけでもなく、魔法が使えるものは誰もいない。そして何より、山脈の向こうには何もないと信じられている中での逃避行でした。でも進まねばならなかったのです」
そこまでして逃げなければならないほど彼らの暮らしは苛烈だったのだろうということは平和な日本に暮らしていたイリスにもわかった。
「途中、何人もの仲間が命を落としました。しかし、神は彼らをお見捨てにはならなかったのです」
神か……。広い宿の部屋と比べてずっと狭いあの部屋で出会った神を名乗る禿頭の老人を思い出してイリスは嫌な顔をする。
しかし、メリアはそんなイリスに気づいた様子もなく話を続ける。
「一行を率いる青年に神託が下されたのです。神に示された道を進んでいくと、やがて山々の間に広大な平野が広がって行くのが見えたのです」
「それが、西大陸か……」
イリスの言葉にメリアは頷いた。
「はい、人間達はそこに王国を作りました。やがて他の種族達も人間のあとを追うように西大陸にやってきました。人間達は彼らを快く受け入れました」
「それが恩だってのか?」
「神は受けた恩を返すこと、それが無理な場合は祈りを捧げるよう求めています」
あの飄々とした老人がそんなことを求めるだろうかと思ったが、口には出さなかった。メリアの信じる神とイリスがあった神を名乗る老人が同じ存在とは限らないからだ。
「だから亜人は聖都に参拝にくる、と」
「そうです。それが今から二百五十年前の話なのです」
どうにも気に入らない。確かに帝国のくびきから逃れ、西大陸を見つけ国を興した人々は確かに偉人と言われてもおかしくない人々だろうが、二百五十年も前のことだ。今を生きる人々に恩もクソもないと思った。
「あ、そうか」
「どうしました?」
「いや……お前にやられたお前の元・仲間たちも全員亜人だったからさ、そういうことなのかなって」
「それは違うと思いますよ。人間は魔法も使えないし、身体能力も優れているわけではないので、普通に能力的に勇者の仲間として人間は選ばれにくいだけなんじゃないかと思います」
メリアはくすりと笑った。そんなに面白いこと言ったかと思ったが、少し沈んだ様子だったこの美しい姫騎士に笑顔が戻ったことにイリスは安堵した。
「だったら何で肝心の勇者が人間なんだよ。オレは肉体労働は苦手だっつーの」
「え? 勇者さまは勇者であって人間ではないですよね?」
「え? オレは人間だけど?」
「え?」
「え?」




