今日も私は針を刺す
今日もチクチクと針を刺す。
綺麗な模様になるように、いつもよりも少しだけ良いことがあるようにと願いを込めて、針山にまち針を刺す――。
「分かる。分かるよムール。まち針の頭に色がついてて綺麗だもんね」
流石はタニア。親友だけあって分かってらっしゃる。こくんと頷く。
「でもね、すっごく不毛。その山は不毛の地。生産性の欠片も無いんだなあ。まち針だから」
「だって裁縫なんて出来ないもん」
斜め前に座るタニアの膝の上には、刺繍枠にピンと張られたハンカチ。今日は家庭教師に出された課題の裁縫を一緒に我が家でしている。サクッとスカーフを仕上げた彼女は、手慰みにと刺繍を始めた。レースに縁取られたハンカチには、金と黒の糸を中心にした立派な登り竜が刺されている。とっても強そう。誰にあげるのかな。まさか私じゃないよね。
「だからってまち針で遊ぶのもどうなの」
説教なのか苦情なのか、それとも唯の感想なのか。微妙な意見を拝聴する間もチクチクチクチク。針の頭の色は四色。白・赤・黄・緑。バランス良く配置して。
「ほら、それよりも詩の――あら。それ可愛いじゃない」
針山の上にはカエルが完成していた。
赤い花を咥えている。良い。
「……やだ、いつの間に私のまち針まで使ってたのよ」
「足りなかったから」
「だろうね、だろうね」
「同じ緑でも、微妙に違ってて良い」
「だろうね、だろうね」
怒られなかった。太っ腹の良い友だ。
「これあげる」
出来上がった針山を差し出す。
「あらありがと。この赤い部分は、虫を咀嚼してるの? いいじゃない強そうよ」
針山による表現の限界を見た。
「うん。次はもっと大きいのに刺す」
「何に刺したっていいけど、これ使うから崩すわよ」
わざわざ言っちゃうところが良いと思う。金髪儚げ美少女なのに豪気な所が好きだ。
近日中にまた会う約束をしてタニアと別れたあと、課題用の布はぐるぐるに丸めて針山となった。
縫い合わせるのは難しいので、まち針アートの薔薇で止めて提出したら、何故か怒られなかった。――そう何故か怒られなかった。そりゃ見捨てないでと泣いて縋りはしたけど。私だったらこんな不真面目な生徒は嫌だ。なんでかな。
すごーく複雑そうな顔で頭を撫でられた。嬉しい。
続けて教えてくれるみたいなので良かった。何度も入れ替わり、もうこの先生しか残っていない。これからはもう少し努力しようと思う。
「で、努力の結果がこのクッションと」
早速遊びに来たタニアに、私の渾身の作を見せた。
「へえ、凄いの出来たねえ」
縫い目から綿がはみ出まくったドデカいクッションには、カエル(の成れの果て)が刺繍で描かれている――はずだ。
「大きければ形になるんじゃないかと思って」
「うん、うん。ちゃんと内臓ぶちまけた竜に見えるよ。やるじゃない」
「あー、うん。竜とカエルは似てる。私、進歩してる」
そしてハラワタじゃなくて私の血のついたただの綿だ。
タニアが驚愕の表情でこっちを見てる。
「あんたカエル好き過ぎない?!」
「あ、そこだったか」
カエルは縁起物なんだよ〜とかいいながら、クッションの裏に事前に用意していたまち針を刺す。チクチクチクチク。
「ほうほう。あら、今度は竜ね。素敵。私も乗せて」
タニアは竜が好き過ぎると思う。
竜の頭にちんまりと女性らしき人物を象る。ムズイ。
黄色で金髪、白でドレスっぽくして、何とかそれらしくした。
「おおー! スゴイスゴイ!! 私! 私! 竜、竜!!」
タニアの語彙よ、帰ってこい。
テンション上がったタニアに肩をバシバシ叩かれた。痛かったけど喜んでもらえて嬉しい。でも提出用なので返してもらう。
不満を隠さないタニア。今度もっといいの作るからね。
どうやったらもっと細かい表現が出来るかな。針の頭に直接色を塗って刺したら……危ないか。
先生に提出して、これからのまち針アート(?)について考えていると、先生が肝心のカエル刺繍の裏側、竜のまち針アートをじっと見ている。
「ねえムールさん。これ少し預かっても良いかしら」
気に入っていただけましたか。嬉しいですが、一応表のカエルがメインなんですよ。
「針、外します」
「いいの! いいのよ、このままで」
危ないと思うんだけど、そうおっしゃるので、泥の付いた野菜を入れる大きめのカゴを渡したら、ご自分でサクッと布を縫い合わせて袋を作られた。
やっぱりカエルに服は着せない方がいいよね。先週先生が課題を出さずに帰ってしまったので、まち針アートの新作に挑戦。態々特注して小さめの頭の物を色も本数も沢山作ってもらった。代用品を探すよりも簡単だった。
一応お父様にお伺いを立ててみたら「お前に出す刺繍糸代ほど無駄ではないからいいよ」と言われた。ありがとう(?)お父様。
タニアが大好きな黒竜が、なんか強そうな人と闘っている場面。どこに彼女を入れようか。また頭に乗せるんじゃ変化が無い。そうだ。竜の吐く焔をタニアの顔の形にしよう。
チクチクチクチクチクチク。
「わお。思い切ったわね。座れないソファーとは!」
ソファーに針を刺してたらタニアが入ってきた。ノックはしよう。
「丁度良いのが無かったから」
「うん、うん。大作の為なら少しの犠牲は仕方ない、訳あるか!」
ダメか。
「あ、でもこれカッコいいね……てヤダ、この火、私? ねぇ私!? 勇者に一撃喰らわせちゃうって!? ヤッダ〜!! マジで!?」
頬を染め笑いながら片手でバシバシ叩かれる。痛い。あなたなら勇者に連撃喰らわせられるよ。
落ち着いたタニアと、どこにカエルを潜ませようかとアレコレ話していると、先生の来訪が告げられた。
今日は授業はないはずだけど。
「ムールさん! あなた王宮に上がる事になりましたよ!」
小躍りしながら入ってきた先生は私の手を掴みながらそう言った。
「名誉な事ですよ〜! 私も誇らしいですわ!」
先生に引っ張られて可笑しなダンスを踊らされる。話にはついていけないが、ダンスには何とかついていく。おお、今度は右に進むのか。
「なんでムールが王宮に行くんです?」
タニアが突っ込んでくれた。
「よくぞ聞いてくれました!」
いや、最初から言おうよ。
「ムールさんの刺したまち針の薔薇と竜に、聖なる力が込められているのが分かったんですよ〜〜〜!!」
今度はタニアと踊り出す。タニアも何とかついていっている。頑張れ。
浮かれた先生とタニアの息もピッタリ合うようになり、同時に手拍子とポーズを決めた所で先生の体力がとうとう尽きた。メイドと一緒に拍手を送る。
ようやく落ち着いて話が聞けるようになった。
「――ムールのまち針に癒しの力が?」
「そうなのです。正確にはまち針では無く、彼女の刺した作品にその効果が認められました」
針を抜いた状態では効果が無く、作った物を持っていると体の不調がほんのり良くなるらしい。持っていた先生の体調が良くなって気付いたそうだけど、どこが悪かったのかは教えてくれなかった。
女性は秘密を抱えている方が魅力的なんだって。
「針付きは危なくないですか」
思いっきり顔を顰めているタニア。私もそう思う。
『ほんのり』の効果を求めて針がささったら危ないよね。
「まあ、そこは要検討ね。でもまだ検証は始まったばかり。刺した図案やサイズや材質。症状や或いは運といったものにも作用するのかどうか。検証したい事は沢山あるわ。効果によっては聖女の認定もあり得るのよ!!」
仕事で刺すのはなんか嫌だ。
と思っても、権力者に睨まれる方が面倒なので、二つ返事で了承した。実際には「はい、はい」ではなく「はあ、そうですか」だったけど。とにかく了承した。
頭を下げたまま王様の顔も見ずに謁見を済ませたあと、王宮に一室をもらう事になった。
一日中チクチクチクチク。好きでもない図案を刺したり、刺しにくい生地に刺したり、アレをやれソコはそれソレはこれコレはアレ、こんな気持ちでとかもっと早くとか。アートに興味の無さそうなおじさん達から次々と指示が出る。
検討に検討を重ねる全てに私が関わる。
夜中に思いついたからって起こすのはやめて!
トイレに呼びに来ないで!
それぞれに来るのはやめて! 私は一人なの!
とてもとても面倒になった。
たまにやるから息抜きになったのだ。今は楽しくない。一日中それだけやるのは嫌だ。私は奴隷ではない。
まち針が刺さった薄い布をおじさん達に投げつけた。騒ぎになった隙をついて逃亡。
人気のない図書館に隠れた。
しまった。沢山人のいる所の方が目立たなかったかも。
しかし今更だ。
コソコソと見つかりにくそうな場所を求めて館内を移動する。ゆっくり眠りたい。でも見つかったらいやだ。取り敢えずその辺の本を一冊抜き取り、座った膝に置いて読む。
奇妙な図解が載っている。ペラペラと捲るとその絵が目に入った――――。
そして私は『はり聖女』として、特注の長いまち針を持ち、人体に直接針の花を咲かせることとなったのだ。
異国の本にあった針による人体への直接的な施術。それにおじさん達に投げつけた布に刺したまち針という単なる凶器がもたらした、痛みを与えつつ癒すという現象。
この二つの事柄から、研究しか頭にないおじさん達の体で直接試す事に。これまでの恨みを込めてブスブスと遠慮なく刺す。「ぐおぅっ!」あ、やり過ぎはダメだよね。
図案はラフレシアとハエ。でも願いもちゃんと込める。
――この人達が一般の人に迷惑を掛けませんように――
直に刺した方が圧倒的に効果が高い事が分かった。
これにより実験装置になったような先の見えない苦行から解放されて、より実践的な内容へと変化した。
「我慢してたんだね。よしよし」
時間が出来てようやく会えたタニアに甘やかしてもらう。そして彼女と先生の合作、カエルの縫いぐるみを手にして私の心は完全に癒された。
結局勉強することも増えて忙しいまま。だが人が相手なので急かされずペースはゆっくり。成果が目に見えて分かるので前よりやり甲斐がある。
あとはどうやってそこに趣味を混ぜ込むか……。
既におじさん達の頭にその日の気分で向日葵やダリヤなどを咲かせて遊んでいる。頭が冴えると好評だ。
まさかおじさん達とウィンウィンの関係になれるとは思わなかった。
タニアからも背中に竜のリクエストが来ているが、そこにカエルを混ぜても良いだろうか。いや、日を改めてお願いしてみようか。試してみたい図案があるのだ。『ヨミガエル』。
でも先ずは竜から。
針の一瞬の美学に震える。
複雑な図柄になる。大事な親友だ。失敗して跡が残らないように気を付けねば。
残ったらごめんね。
※癒しの効果があるので残らない予定です