6・本物と偽物
着替えるためにサロンを出たサルベラは元侍女長に連れられ夫人用の部屋に向かった。
そこにあるのかサルベラは知らないが、ウェディングドレスは処分したとカインから聞いている。
本来のサルベラの部屋に向かわなかったのは、後をついて来ているラヴィや義両親の目を気にしてだろう。
女主人であるはずのサルベラが日当たりの悪い使用人のような部屋を使っていると知ったらクビは間違いないのだから。
執事なんかずっと虚ろな目で歩いている。こちらもクビカウントダウンかもしれない。他の使用人達も死刑宣告前の罪人のような顔で後をついてきていた。
◇◇◇
「は?な、なにも、ない?」
夫人部屋に初めて足を踏み入れたが予想通りサルベラが使っている部屋の倍以上の広さだった。
だが調度品は質が良くなっているが内装と共に私の好みからも伯爵夫人らしさからも大分離れていた。恐らくナリアの趣味だろう。
ロマンチックな色合いの大きなクローゼットを開ければドレスは一着もなくて義父が驚いていた。
義母は部屋に入った時点で何か感づいたようでキョロキョロと視線を張り巡らせている。
「おかしいな。私が昔サルベラ宛に送った更紗のドレスもあるはずなんだが。
ああ、他意はないよ。伯爵夫人が着てもおかしくない普段着用に用意したものだ。
彼女の家は子爵だからね。家柄に合わせたドレスは何着あってもいいと思ったんだ」
「その節はお気遣いいただきありがとうございました」
「そのドレスはまだあるのかい?」
「ええ。…………ここではありませんが」
「ん?まさか実家に置いてきたというのかい?」
「いえ、ここはわたくしの部屋ではありませんので」
誘導尋問のように答えざるを得ない流れに渋々、といった体で目を伏せ答えると焦った義父が執事に怒鳴りつけた。
「どういうことだ?!」
「………」
「口止めでもされてるのかな?そんなことができるのはベグリンデール卿か当主になったご子息、てことになるけど……」
「どういうことだっトーマス!!」
次に元侍女長にも聞いたがどちらも答えなかった。それを忠誠心というなら見事なものだがそもそも仕える相手が間違っているのでどうしようもない。
「ああ!なんて可哀想なんだサリー!!
こんな針の筵みたいな家に嫁がされた上に卑劣な扱いを受けていたなんて!こんなことなら私が攫ってしまえばよかった!」
ぐいっと肩を抱き寄せられ見上げれば今にも泣きそうな顔でラヴィがサルベラを見つめている。
親身に感情移入してくるラヴィに自分が追いつけない。悶々というかモヤモヤというか、落ち着かない。
攫う?仕事仲間として?妻として?確かに商人の妻も悪くはないと思っていたけど、ラヴィが夫になったら爵位関係なく気後れするわ。
こんな綺麗な……と言葉にすると陳腐になるけど、ラヴィに見つめられるのはとても気力体力が必要な気がするもの。
「君に何があったのか話してごらん?」
と優しく促してくるラヴィに自分の計画と違うことを遅れて回った思考で気がつき、戸惑い空気を噛んだ。
元々、逃げるつもりだった。私が消えたところでこの家では日常は変わらない。
バミヤンは何も思わないし、使用人達と結託して消えたサルベラをひた隠しにするだろうと思って。
実家に対して不義理かもしれないが、両親は娘よりも上位貴族が絶対で、我々は従順であるべきだと信じて疑わないから。
たとえ気づいてもベグリンデール家に逆らうような度胸はないだろうから。
貴族失格かもしれないが、女の価値もない、必要ともされていない、ベグリンデール家に思い入れもないと気づいてしまった今、ここに残る理由などなかった。
だが、ここでされてきたことをすべて詳らかにするのは私がここに残りたいと、改善してほしいと嘆願しているみたいに聞こえないだろうか。弱音にならないだろうか。
名ばかりでも、伯爵夫人だというのに使用人達を纏めあげることもできず、バミヤンの心を掴むこともできない、名ばかりの妻の話など嘲笑の的にならないだろうか。
滲んだ瞳で恨めしそうにラヴィを見上げたが、美しい貴人は笑みを浮かべたまま無言の圧力をかけてけてくる。
困っている私を楽しんでいる顔だ。けれど嫌がらせで言い出した訳じゃないということもわかっていて。
息を吐くとサルベラはぽつりぽつりとこの家に来てからのことを話した。
危険を察知し口を挟もうとする侍女達には義父が睨みつけて黙らせ、時折カインに付け加えてもらいながら話した。
話し終える頃には頭を押さえた義母が近くの豪華なソファに沈むように座り込み、義父も頭を抱えソファに座り込んだ。
「なんということだ。バミヤンはサルベラと偽装結婚した、ということか?バミヤンも、ナリアも、サルベラを家族として受け入れていたと思っていたが……」
「挨拶にも、ナリアの誕生日パーティーにも、家族での食事にも現れなかったのは……、ナリア達を困らせたかったわけでも、傲慢に振る舞っていたわけでもなくて……家の者達全員から嫌がらせを受け、部屋に閉じ込められていた、だなんて」
「そんな!!奥様!それは違います!!」
「どこが違うんだ!!!」
元から緩かったのか、それとも新しい伯爵家で増長したのか使用人達は許可もしていないのに次々と声をあげる。その見苦しい言い訳を義父が一喝した。
「サルベラはバミヤンの妻、ベグリンデール家の伯爵夫人だぞ!!
お前達のもう一人の主人であるサルベラをここではない、客間でもない、狭く日当たりの悪い部屋に閉じ込めた時点でお前達は十分罪を犯しているんだ!!」
「ですが私達は旦那様の、バミヤン様の命令に従ったまでで!!」
「間違ったことをしたらそれを諌め、正すのが長年勤めてきたお前達の役目だろうが!!私の父や私の後ろで何を見てきたんだ!!」
ビクッと執事や元侍女長が肩を揺らした。顔を強張らせ、固まる上司達に残りの者達が動揺して足を前へ踏み出した。
「でも、ナリア様が!!」
「そうです!ナリア様がベグリンデール家の女主人になるからこっちの奥様はいらないといっていました!!」
「何をバカなことを……ナリアは伯爵家の娘ですがいずれ嫁ぐ身。
それでもあなた達からすれば、まだ仕えるべき相手ですが、伯爵夫人であるサルベラさんよりも優先する理由などどこにもないのですよ」
「そ、そんな………っ」
若いナリア付の侍女の叫びを煩わしそうに眉をひそめ、睨みつけながらも丁寧に義母が答えると侍女達は涙と一緒に床に崩れ落ちた。
「お前達がしなくてはならなかったのは主人やその妹への媚売りや隠蔽などではなく、正しくベグリンデール家を守ること、それだけだろう?」
嗚咽を漏らし落ち込む使用人達にラヴィが冷たくいい放つ。
その言葉にショックを受けたような反応で顔を歪める彼らを興味なさげに外したラヴィは義父を見やった。
「以上を踏まえた上でベグリンデール卿、あなたはこの家の者達にどんな罰を与える?」
聞かれることがわかっていたのか、義父は驚くこともなく神妙な顔で目を閉じ、そしてラヴィを見上げた。
「使用人は全て解雇します。紹介状はつけません」
「斡旋所にもちゃんと情報を共有してほしいな。
嫁いできた外部の者を蔑ろにして序列を壊した。長年仕えてきた者ですらそんなことをしでかしたんだ。
伯爵家の名に傷がつくだろうが、他家で同じことを繰り返させるよりはマシだろう?」
「仰る通りです」
「そんなぁ!!」
「いやあぁ!!」
「旦那様ぁ!!」
「お慈悲を!お慈悲をぉ!!」
ギリギリ保っていた使用人達も泣き崩れた。彼らにとっては守るべき主人達を守っただけだが、サルベラに対してやり過ぎた。
下位からの輿入れで逆らえないことを逆手にとり、誰もおかしいと異議を唱えず、伯爵家の者全員でサルベラを迫害した。
期間はそこまで長くないが、ラヴィが来なければ扱いはこのまま続き、もしくは更に悪化していたことだろう。
自分達の悲劇を嘆く使用人達をカインは冷めた顔で見ている。
カインが来てくれなければ、私はあの日の夜に死んでいたかもしれない。
きっと発見も手の施しようもないほどに遅れ、死んだことも隠され、葬式もなくどこかわからない土の中に埋められていたかもしれない。
そして私のことなどすぐに忘れていつも通りに過ごしていたことだろう。
だってこの家には本物の女主人、伯爵夫人がいるのだから。
「バ、バーバラ様!奥様!!お助けください!!私達は命令に従っただけなのです!
私達は皆バー……奥様が!ベグリンデール家の伯爵夫人だと認めております!
ですが、旦那様であるバミヤン様の前では逆らえなかったのです!」
「そうです!サバラン様はこの家の主人なのです!私達を助けてください!!」
現状に恐怖した使用人達はどうやったら自分達が助かるか考えた。そして視界に入ったサルベラに縋った。
そうだ。こいつは伯爵家の人間ではないか。夫人だから権限もある。
助かるためにはこいつに頼るしかない。そんな目だった。
「なぜ?」
「え?」
「わたくしは確かにベグリンデール家に入りましたが名ばかりの、名前すらまともに覚えてもらえない者です。
あなた方も本物の伯爵夫人は、女主人はナリア様だと口を揃えて仰っていたではありませんか。
だからあんな部屋に閉じ込めて、ストレス解消に悪口や嫌がらせをしに来ていたんですよね?
そんな人間があなた方を助けられる力などあるでしょうか?」
仕える相手を間違えていれば助けを求める相手も間違えている。
「それにわたくし、カイン以外あなた方の、誰の名前も知らないの。知らない人を、雇ってもいない人間をどうして助けるのかしら?」
舌の根も乾かない、数十分前のことをもう忘れてしまったの?とサロンに行く前、ナリア付の侍女達に言われたことを思い出しながらにっこり微笑むと、群がっていた彼女達が顔色を青から白に変えた。
「心底呆れ果てた痴れ者達だな。虐げていたサリーに助けを求めるなど。腐った性根が見える。先にいうべきは謝罪じゃないのか?」
「……あ、」
「ベグリンデール卿。私はあなた方夫婦は話してみて信頼できそうだと感じたがご子息らは違うようだ。
こんな、人を人とは思っていない場所にサリーを置いておくことはできない。早急にこの家から出ていかせてもらおう。
後日離縁手続きの書類を送るので速やかに処理してくれ。もし拒否するなら裁判所へ告訴させてもらう」
茫然自失になった使用人達を尻目にラヴィはサルベラの肩を抱きながら部屋を出ようとする。
あまりにも早い結論に慌てた義父はソファから転げ落ちるようにラヴィの足下に駆け寄った。
「ま、待ってください!性急ではありませんか?!もう少し時間を!ことがことです!我々にも時間をください!」
「そうです!それに何より、こちらの瑕疵で離縁できたとしても噂は、社交界ではどうしても女性に不利なものが流れてしまいます。
そんなことになればサルベラさんの居場所もなくなってしまいますわ!」
義父に続き義母も心配を露に申し出たが、サルベラは義両親を見て寂しそうに微笑んだ。
「心配はいりませんお義母様。わたくし、社交界での居場所はすでにありませんの。わたくしの代わりにずっとバミヤン様のパートナーを務めてくださっていたナリア様から、わたくしの名を出すと皆が嫌な顔をすると、だから社交界には出なくていい。出られるとかえってこちらが迷惑すると伺いましたわ。
婚約中もバミヤン様からパーティーに出なくていいといわれておりましたが、そういうことだったのだと納得いたしました。
醜聞まみれのわたくしが社交界に出れるはずもありませんし、そんなわたくしを娶ってくださったバミヤン様には感謝しかありません」
「なん、ですって……っ」
「婚約中も……?」
社交界にもサルベラの醜聞が広まっているかと思ったがそうでもないらしい。
もしくは知っても義両親はサルベラをちゃんと見て認めてくれたということだろうか。
もしそうなら嬉しいけど、この家に居場所がないことには代わりない。噂を広めていたのは別の人達だろうが、賛同し一緒になって噂を広め楽しんでいたナリアには意趣返しに少し誇張して義両親に教えてあげた。
「この家に残ってもわたくしは自分の価値を見出だせないまま無意味に過ごすことしかできないでしょう。
ならば、外に出てわたくしに見合う世界で役に立ちたいと思うのです」
「サルベラさん……!」
「お義父様、お義母様。わたくしを娘と認めてくださったのにお役に立てず、申し訳ございませんでした」
義両親に向かって恭しく頭を下げる。
そして姿勢を正し、背筋を伸ばしたサルベラを見た義両親は心を打たれた顔で目を潤ませた。娘といわれて余計に罪悪感を抱いたようだ。
そして使用人達も、虐げられても屈しない凛とした姿のサルベラを見て、どちらが貴族らしく主人として相応しいか知ってしまった。
自分はなんという過ちをしたのだと使用人達は後悔し再び涙した。
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