ユバルイン・セバージュの悪夢・2
引き続き不快なキャラがいます。
僕の困惑を余所にセイラは上機嫌に指を組み、興奮気味に父をまじまじと見つめた。
「はぁ~夢みたい!ラヴィエル様にもサリーって呼んでもらえるなんて!しかも妻だなんて。ウフフ!」
「………セイラ。きみは僕と結婚したいんだよね?」
「え?!何を当たり前なことをいうの?……あ、もしかしてラヴィエル様に嫉妬してる?……フフ!やだユバったら!勿論わたしの旦那様はユバよ!………でもぉ、」
チラリと父を見たセイラは目が合ったのか赤くなった頬を手で隠し「きゃっ!」と黄色い声をあげ顔を逸らした。
それはまるで恋をしている乙女みたいに見えてしまった。
そのことに気づきゾワリと肌が粟立つ。確かに造形は父似だがこんな一緒くた、もしくはおまけみたいに扱われたのは初めてだった。
しかしセイラは嫌悪感を滲ませているユバルインなどお構いなしに、うっとりとした恍惚な顔を父に向けている。
「ラヴィエル様がこんなに若くて魅力的な方だと思わなかったの!しかも妻の名前がわたしの愛称のサリーだなんて!これはもう運命なんだわ!
でなければこんな素敵な出会いなんてしないもの!
しかもぉ、二人がわたしの旦那様になるなんて!きゃ!!どうしよう!愛され過ぎて体力持つかしら?フフっウフフ!
あ、それにほら、わたしには聖女の力があるでしょう?勇者様を癒せるのはわたしだけだから、ぴったりしっかりと支えなきゃって思ったの!ウフフ!ウフフ!
ユバ!お義兄様!三人で幸せになりましょうね!」
バカン、という音が聞こえたと思ったら床にシャンデリアが落ちた。その物々しい音に驚き振り返れば今度は窓ガラスが割れた。
近くにいた者達を見れば、間にドーム型の空気の膜が張ってあって怪我人はいないみたいだ。どうやら父やマカオン商会の者が守ってくれたらしい。
そのことにホッとしたが阿鼻叫喚なのは変わりない。
慌てて出て行く者達を尻目に父を見ればやはり冷たい目でこっちを見ていた。
多分セイラを説得しろ、と言いたいんだろう。確かに今のセイラはちょっとテンションが上がり過ぎている。
父は母が大好きで他に誰かを迎えるつもりはない。僕だって父と共有するのもされるのもゴメンだ。
この顔なら中身が老人でも他人でもいいのか、と内心ガッカリしながらもユバルインはセイラに向き合った。
「ユバ!ここは危険だわ!早く逃げないと」
「大丈夫だ。今は父達が守ってくれている。それにちょっとなら僕もできるから」
「本当?!凄いわ!勿論ラヴィエル様も!あ、いけない!!お義兄様も、素晴らしいですわ!」
周りが見えたのかセイラは僕に縋りつき胸を押し付けながら潤んだ瞳で見上げてきた。
その感触と視覚効果に絆されそうになったが、凍てつく父の空気を感じて必死に押し込めた。
「セイラ。セイラ聞いて。セイラは僕と結婚したらラヴィエルは義父になるんだ。義兄ではないし、許しもなく名前を呼んでもいけない。
それにサリーの名はセバージュ家では母上のものだ。僕と結婚するなら女主人である母上の名を勝手に使ってはいけないんだ」
壁が崩れだし、逃げ惑う人達を見て狼狽するセイラの肩を掴み目を合わせて諭した。できうる限り噛み砕いたつもりだが通じただろうか?
そんな心配をしながらじっと見つめていると血の気が引いていたセイラの頬に朱が戻った。
「そ、そうよね。わたしはユバの奥様になるんだもの」
「わかってくれた?」
「ええ、勿論よ」
にっこり微笑む美しいセイラにホッとしてそれから自分達も逃げようと辺りを見回した。
ユバルインに呼応するように王子や側近達、セイラを好いている者達がこぞって寄ってきた。これだけいればセイラを安全に外に出せる。
自分と魔法を使える者達が壁になり、尚も崩れていく瓦礫の隙間を縫って外に出ようとした、そんな時だった。
「セイラ?!」
振り返り手を繋ごうと思ったらセイラがいない。焦って見回すと彼女はなぜか父の腕を掴んでいた。
「ラヴィエル様!行きましょう!!ここは危険ですわ!」
「何をやってるんだセイラ!父上達は大丈夫だ!だからこっちに早く」
「置いていけるわけないでしょう?!こんなところにいたらラヴィエル様も怪我を、いえ大怪我をするかもしれないじゃない!!」
「だけど、」
だけど、父はずっと母を抱きしめているのだ。それに父がいればたとえ生き埋めになっても生還できる。
そうでなくとも母の様子がさっきからおかしいのだ。少し見えた母の顔からは表情が抜け落ち、いつも優しく見守ってくれていたあのあたたかな眼差しが暗く沈んでいる。
まるで生気がない瞳にゾクリと、父以上に恐怖と寒気を感じた。
多分父は抱き締めることで母を正気に戻そうとしているのだろう。
本当なら自分も抱き締めに行きたいが、友人達やセイラの前でするのは気恥ずかしくて、そして今いる母が母ではない気がして怖じ気づいていた。
そんな状態の二人にセイラは躊躇なく近づき、父の腕を引っ張っている。それはまるで二人の絆を引き裂こうとしているように見えた。
「セイラ!セイラ止めるんだ!父上と母上は放っておいて大丈夫だから」
「そんなわけないじゃない!天井が降ってきてるのよ?!建物が倒壊したら生き埋めになるわ!
………ちょっと!固まってないで動きなさいよ!あんたのせいでラヴィエル様が怪我したらどうするのよ?!心中でもする気?!」
「せ、セイラ?!」
いくら緊急時だからといって母をあんた呼ばわりするなんて!しかも本気で父から引き剥がそうとしてるのか母を力いっぱい押している。
「…ラヴィ?」
「大丈夫だよ。俺はここにいる。どこにも行かないから」
ユバルインも戻り、セイラの腕を掴んで両親から引き離そうとしたが、彼女は尚も二人の間に割って入ろうとしている。
しかも両親の会話を聞いたセイラはなぜか激昂し、スカートを捲し上げドレス越しに母を蹴った。
セイラのヒールは鋭く長い。柔らかなレースが引っ掛かり、母のドレスのスカート部分を軽く引き裂いた。
「セイラ!」
「あんたいい加減にしなさいよ!!死にたいなら一人で死になさいよ!!わたしのラヴィエル様を巻き込まないで!」
「……っ」
「セイラ!やめないか!」
「ユバは黙ってて!こんな邪魔な奴助ける必要なんてないわ!バグで動かないなら置いて行くべきよ!!
ていうか、ラヴィエル様に守られて何様のつもり?あんたなんか使い古されたしわくちゃなババアじゃない!あんたの役目はもう終わったの!死ぬなら一人で死んで!」
「………」
「ラヴィエル様を引き立てる努力をしない、女を磨く努力もしてない、女捨ててるババアに生きる価値はないの!!子供ももう産めない干上がったババアがラヴィエル様に縋るなんて醜いのよ!どいて!!
そこは私の場所なの!サリーの名前もラヴィエル様もわたしの物なの!
あんたが生きてるとみんなが迷惑するのよ!死ね!さっさと死ねよ!!ババア!!!」
両親から引き剥がそうとしたが、なぜか引き剥がせなくて混乱した。そこまで力があったのもそうだが、セイラがこんなにも口汚く母に罵詈雑言をぶつける人間だと思わなかった。
あまりにもショックで手に力が入れられないでいると、自分ごとセイラと一緒に転ばされた。見れば父が振り払った手が見える。
更に視線を上げれば父を見ていた母がユバルインを見たのでドキリとした。
「ラヴィエル様!早くここから」
「触れるな、下種が」
「ひぅ!」
また手を伸ばし父を掴もうとしたがそれを撥ね除けられ、セイラは自分の首に手をあてた。
見れば苦しそうにもがいている。呼吸ができていないらしい。温度が下がったことでセイラの体内を凍らせたのだとわかった。
「ち、父上!!やめてください!セイラが死んでしまいます!!」
「ほう。母よりもそんな小娘を選ぶのか」
「あぐっ!」
体の芯が冷えて石のように固まった。呼吸がままならない。肺が凍ったみたいに機能が動かないのだ。このままでいればものの数分で気絶、そして死に至るかもしれない。
まさか子供に甘い父が、ユバルインを殺そうとするとは思わず、脂汗がどっと出た。
違うと思いたい。でも父は母をこよなく愛している。母は僕達を命に代えても守るだろうが父はそうではないのかもしれない。
だってセイラはありえない、言ってはいけない言葉を母に散々ぶつけた。本当ならすぐにでも不敬罪で捕まり罰を与えられてもおかしくない。
セイラは聖女と言われているが偉いわけではない。敬われるがそれでも侯爵には敵わないのだ。
それだけじゃない。セイラは母をいないものとして扱った。見た目で判断し侮った。その侮りも度を越していて、父から妻の座を奪おうとしたのだ。
その思考回路は理解できない。だって自分と結婚するのになぜ父の妻になる必要がある?
それともユバルインが身代わりかなにかなのだろうか?そう考えたらとても不快で苛立った。
見上げれば暗い瞳だが心配そうに母がこちらを見ている。そんな表情になっても息子のことがわかるのか。そう考え、泣きそうになった。
壁の崩れが酷くなり父が王子達に出て行くよう指示した。僕達のことも守ってくれるらしい。
天井から落ちてくる瓦礫が自分達を覆う膜にガンガンぶつかっていった。あまりの大きさに肩が跳ね、その度に体の中が引きつって痛かった。
耳をつんざくような音がやっと治まり、恐る恐る顔をあげると先程まで華やかだった空間が嘘のように荒廃した姿に変わっていた。
眩いほどの白い壁と豪奢に彩飾された壁は瓦礫と化し光輝いていたシャンデリアは無惨な姿に変わっていた。
美しく磨かれた床もすべて瓦礫で埋まり、全部ではないものの半分近くが倒壊した。
さっきまで楽しく踊っていた場所は夢だったのかと思うほどそこにはもう何も残っていなかった。
「……あんたのせいよ、」
「セィ、ラ?」
呆然と広間だったものを眺めていれば、近くで同じく蹲っていたセイラがおもむろに立ち上がった。どうやら聖なる力で父にかけられた魔法を治したらしい。
動けるようになったセイラは突然母に向かって走り出した。手には大きめの石が握られている。何をするかわかったユバルインも遅れて走り出した。
「今日は大切な卒業パーティーだったのに!わたしとユバの思い出を壊したあんたを許さない!!許さないんだから!!」
「やめろ……っセイラ!!かはっ」
叫んだが間に合わない。自分の口からは血が出た。凍りついた部分が溶けきってないまま叫んだからだ。
母の頭上に石を振り上げるセイラにたまらず手を伸ばした。
「あ……」
石は母に当たらなかった。当たらなかったが目の前の光景にユバルインは目を瞪った。
ゴトン、とセイラが持っていた石が床に落ちる。
そのセイラの体はあるものに巻きつかれ宙に浮いていた。
セイラの前には母……だった何か。母の名残はあるが、人というには異形の形をしていた。
「ば、化物!化物だわ!!ユバ、こいつ化物よ!ユバとラヴィエル様はこの化物に操られていたんだわ!!」
「は、母上……」
「何をしてるの?!こんな奴がお義母様なわけないわ!この化物を倒して!わたしを助けて!早く……っぅああ!」
「セイラ!」
甲高い声が癇に触ったのか、母はセイラを握り潰そうとした。おっかなびっくりに近づいたが掴んでいる手を外そうにも力が強くてビクともしない。
セイラの体からミシミシと嫌な音が聞こえ、セイラも呻き声と一緒に開いた口から涎を垂らし、気絶はしていないが目は上を向いている。早く助けなきゃいけないのに何もできなくて唇を噛んだ。
魔法も剣もできるが異形の姿をしていても母だ。その母を傷つけていいのかわからなくなった。
たまらず父に助けを求めたが腕を組んだままこちらを静かに見つめていた。だがその視線は強く、今にも自分やセイラを殺しかねない圧を含んでいる。
初めて感じるプレッシャーに汗がどっと吹き出し膝が笑った。
しかし同時に気づいたこともある。
本当ならもうとっくにセイラを糾弾し母を救い出していいはずだ。
父は母が傷つくことを極端に嫌う。それなのにこんな姿になっても手を出してこない。
母だってそうだ。いってはなんだが息子より年下の娘に黙ったまま言われるがままでいるなんておかしい。
引き合わせてからずっと様子はおかしかったが、それでも貴族としての対応を忘れるような人ではなかった。
おかしい、おかしい。そう考えてひとつの答えに辿り着く。
これが合ってるかはわからない。だが外れてるとも思えない。
セイラは両親にとってダメな相手だった。話を切り上げたかったが出来ずに留まるしかなかった。それがマナーだったし僕が婚約者にしたいと紹介したからだ。
衆目がある中で冷たくあしらえば角が立ち中傷の的にされかねない。それにセイラは聖女であり男爵家だ。
噂にされやすく傷つく可能性もある。母は元は子爵家だったというから余計に気を遣ったのだろう。
だからなるべく穏便にしようと話を最低限にしていたがセイラが間違った選択をした。
酷い中傷と勘違いをこれでもかと並べ立てた。今まで彼女と話した中でも最悪の内容だった。
あんなことを言われて傷つかないわけがない。怒らないわけがない。僕が諌めなくてはならなかったのに怠ったからこんなことになったのだ。
僕とセイラの関係が学園では有名なほど知られていて、みんなが嬉々として両親に紹介しているところを見ていたから。
強張った顔なんて見たことなかったのに、僕が婚約者に迎えたいなんて言ったから母は逃げることができなかった。僕が母に我慢を強いてしまったのだ。
足を進めたユバルインは二人の間に立った。
「ユバ!早く、早く助けて!!わたし死んじゃう!わたしを愛してるならそいつを殺して!化物を殺して!!」
「母上、」
「……は?そんなやつ母上でもなんでもないって!化物よ化物!!騙されないで!っあがぁ!」
母に向き直ると、不思議そうにこちらを見て首を傾げた。
「もういいのです。ごめんなさい母上。僕が間違ってました」
「モウ、いいノ……?」
「はい。もういいのです」
「ユバ?!ユバル……っ……ラヴィ!ラヴィエルざまぁ!たす、だすげでぇ!!」
「……見苦しいな。煩いからもう黙れ」
辛うじて聞こえる母の声に鼻が痛くなり視界が滲んだ。僕のせいで母がこんな姿になってしまったのだ。
そのことにやっと気がついて心が串刺しにされたかのように痛かった。
そして締め付けられて苦しんだセイラは、溜め息を吐いた父に首の後ろを強く叩かれそのまま意識を失った。
◇◇◇
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