帝国から来た厄災・3
執事やメリッサ達もそれぞれ隠し武器を手にするといつでも戦える体勢をとった。
つい先程までただの使用人かと思っていたら、プレッシャーをかけるような刺す空気と熟練者のような構えに騎士達がたじろいだ。
そして視界が暗くなるような黒い感情に身を任せ王女を睨み付けると、彼女は真っ白に塗りたくった顔を真っ青にしてたたらを踏んだ。
転ばずに済んだのは騎士が支えてくれたお陰だろう。
だからサルベラも容易に王女に近づくことができた。
「よくも、散々、大切な息子達のことを言ってくれたわね?同じことをされてもあなたのご両親は笑って許してくださるのかしら?」
「は、あ?」
呼吸が浅く返す言葉も途切れ途切れの王女の扇子を閉じたサルベラは、それを握りしめながらにっこり微笑んだ。
「あの子達はわたくしがお腹を痛めて産んだ可愛い子供達なの。それを邪魔だの消えろだの、果ては奴隷に落とす?何様なのかしら?……ああ、王女様だったかしら?
だったらこれはわかるかしら。子をバカにされた母親が怒ったらどうなるか、わかる?
あなたのお母様も怒ったら……きっと帝王様よりも怖いわよ?」
「あっ……っ!」
何かを察したような声をあげたが、ボキリという音と振動に気がつき、持っていた物にゆっくりと視線を落とした。そして手の中の物を見て目を最大限まで見開いた。
先程まで贅沢に作られた優美な扇子が握られていたが、その扇子が真っ二つに折れている。
豪華にするために装飾品や骨組みをなるべく細く強固にしたため華奢な見た目でも固いのだ。
それが、真っ二つに折れている。
その犯人は勿論サルベラで、片手でそれをやってのけたということにサリュリーンは震えあがり、持っていた扇子をまた落とした。
「サリュリーン第三王女様。子供達に言った言葉を撤回なさらなければ、わたくしはあなたを地の果てまで追い続け、その幸せとやらを粉々に砕き、一生平穏に暮らせないように全力を尽くしますわ」
最初見た時は地味でとるに足らない女だと思っていた。少し脅せば簡単に頷く、弱そうな、どこにでもいる一般的な貴族に見えた。
だけど今は全く異質なものを見ている気分になる。まっすぐ見つめてくる目は闇に飲み込まれそうな、そんな恐怖を感じる瞳で直視できない。
たまらず逸らしてしまった自分にサリュリーンは羞恥に駆られたが、浅い呼吸とただならない心拍数に命の危険を感じ敗北を認めざるを得なかった。
「ご、ごめんなさい。悪かったわ……」
目を泳がせたままだが、謝罪したので後ろの子供達に確認すると長男だけがなんとか頷いていた。後の二人は殺気だった空間に泣き出してしまっている。
そろそろ退場してもらおう。そう思って執事を見たら外が急に騒がしくなった。
出ればラヴィと王女の後ろについていた騎士達と同じ甲冑と紋章を持つ小隊が此方に走って来ているところだった。
「ラヴィ!!」
すかさず走って行ったのは第三王女で、走り寄ろうと動きかけた子供達が凍ったように固まっていた。
それを見て眉をひそめ、前を向くとズルズルと王女を引き摺りながらラヴィがサルベラの元へと近づいてきた。
「私の持ってたリングが赤く染まったから急いで戻って来たんだ。何があった?」
「そうなのラヴィ!わたくし、とても怖い想いをして!!……ふぇ……っああ、ラヴィ!ラヴィ!!」
見れば確かに王女の腕輪が真っ赤に染まっている。そして私のは銀色のままだ。あら、旦那様は他の方にも渡していたのね。へー。ほー。ふーん。
いい大人が、しかも私よりも年上の淑女が恥ずかしげもなく人前で号泣している。
しかもラヴィに抱きついたまま離れようとしない。というか、しがみついている。まあ、夫婦ならダメではないけどね?
「聞いてラヴィ!わたくしこの家の方々に、あの方に苛められましたの!
まともな出迎えもされず、大国である帝国をバカにしましたのよ!!挙げ句の果てには帝国の王女がどれほど偉いのかって!
マカオン商会とかいうものよりも偉いのか?ってそう聞くの!」
泣きながら声高に叫ぶ王女に後ろの小隊の顔が強張った。そんなつもりはなかったがどちらに信があるかいえば王女なのでサルベラはきゅっと唇を噛んだ。
ああ、嫌な感覚だ。
あの卒業パーティーを思い出す。脳裏にラヴィもシームレス王子のように私を見捨てるだろうか、と不安が過った。
「偉いよ。私の商会だからね」
「え?」
「当たり前だろう?」
というか、放してくれないか?と蛸のように貼り付いていた王女いとも簡単に引き剥がしたラヴィは固まる彼女を放ってサルベラの横を通りすぎ、子供達の前で膝をつき三人を抱き締めた。
「もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
「ち、父上……っ」
弟達の前では格好つけたがりの長男が涙ぐんでいる。頑張っていたがやはり怖かったのだろう。
久しぶりの再会だからか、いつも父親の前ではツンツンしていたのもなくなっている。それを見てホッとしていれば今度は此方に来たラヴィに抱き締められた。
「何があった?」
頬に添えられた指が顎にかかり流れでキスされそうだったがそれを避け、王女を見やった。正気に戻ったらしい王女は憎々しげにサルベラを睨んでいる。
「旦那様。陛下から離縁の許可はいただきましたの?」
「は?」
「帝国で随分お楽しみになられたとか。そこにいる帝国の第三王女であられるサリュリーン様とご結婚されたのでしょう?」
「なっち、ちが!!」
ラヴィの腕に抱かれながらニッコリ微笑み見上げると、彼は石のように固まった。代わりにあたふたと慌て出したのは王女だ。
「あら、何が違うのでしょう。来た早々にここから出ていけと家の物を壊し、旦那様と結婚したからお前はもう用済みだと、離縁しろと仰っていたではありませんか。
わたくしを追い出した後はこの家を潰し、コールレード公爵領を乗っ取ってそこに新居を建てられるとか。
いち臣下の妻が他国の、それも軍事力を誇る帝国に逆らうことはできませんので申し出はお受けしましたが、公爵領はさすがに問題になるかと」
「……え、待って。申し出を受けたって、まさか離縁?まさか、まさかと思うけど、俺と離縁するってこと?」
「はい。重婚となっては旦那様の醜聞になりますでしょう?ですから爵位の低いわたくしが離縁するのは当然ではありませんか。
できるならばそうなる前に一言仰ってほしかったのですが……この半年の間、一度もご連絡をくださらなかったでしょう?
わたくし共のことなど忘れてしまうくらい、そちらでサリュリーン王女様と楽しく過ごされていたのかと思っておりましたわ」
「え、……と、ゴメン。サリー。ちょっと確認させてくれる?手紙、届いてない?」
「ええ。一度も。わたくしと子供達からの手紙は届きましたか?」
「うん。それは勿論……え、本当に?本当に、ただの一度も?」
「はい。ただの一度も、一通も、来ておりませんわ」
どうやら誰かに止められていたらしい。道理でおかしいと思っていたのだ。
どんなに忙しくてもマメなラヴィが、しかも子供達からの手紙まで無視するなんて。
カイン達に相談したら『あっちで止められてるのに気づかない旦那様が悪い』ということで放置された。心配だったけど、連絡がない方が無事だからといわれたら返しようもなかった。
その犯人らしき人物を見ればあからさまに動揺した顔で肩を揺らした。
「……公爵、辺境伯」
魂が抜けた顔で呆然としていたラヴィが小隊の先頭にいる隊長格を呼び、油が切れた道具のようにギギギ、とそちらに顔を向けた。ちょっと泣きそうにも見える。
「そっちで話してた帝国との取引の話、全部白紙だから」
「「えっ?!」」
「後処理とか残党の討伐とか、契約外だったけど、大変だって泣きついてきたから残ってたけど、もうどうでもいい!俺は今後一切手助けしないから」
「「えええっ?!?!」」
「俺は、俺の家族がいればそれでいいの。サリーを怒らせてまでそっちに残る理由なんてないし。
サリーの許しが出るまでそっちと一切仕事しないからこれも返すよ」
そういって何かの装置を彼らに投げた。
受け取った公爵は辺境伯と顔を見合わせ、どうにかならないかと取り繕ったがラヴィは頑として首を縦に振らなかった。
縋るような目でこっちを見てきたがニッコリ微笑みだけ返した。ダメ押しに子供達が守るようにラヴィにしがみついたので二人は諦めるしかなかった。
「一番面倒な相手は俺が片付けたしそっちも強いんだから大丈夫、大丈夫!掃討くらいちゃちゃっと終わるよ」
「ちゃちゃっと……」
「それに苦情を言いたいならそっちの王女様?に言ってくれる?その人のせいで俺抜けることになったんだから」
適当に言ったラヴィだったが、視線を王女に向けると目はひんやりと空気を冷やした。
倣うように小隊の彼らも王女に目を向ける。切られた盛り髪をどうにか元に戻そうと撫で付けていたところだったので慌てて髪を鳥の羽根で押さえつけた。
「そ、そんな!知らないフリだなんて酷いわ!わたくし達はずっと前から愛を誓い合っていた仲じゃない!
手紙でもあんなにわたくしを愛してるって伝えてくれたのに!だからわたくしはラヴィのためを想ってここまで来たのに」
「知らないな。というか、お前誰だ?知り合いでもないのに手紙なんか出すわけないだろう?」
「ひ、酷い……!」
「帝国の第三王女、サリュリーン様よ。学園時代留学でユーザニイアに通われていたんですって」
わっと泣き出す(化粧が崩れてとんでもないことになってる)王女のフォローを入れてみたがラヴィの反応は鈍かった。
「学園……?」
「そ、そうよ!覚えてる?あなたが手紙で『あの頃の君に会えたなら、すかさず奪いに行くのに』って言ってくれたのよ?!
だから流行りじゃなくて恥ずかしかったけど、あの頃の格好をしてあなたを待っていたの!!」
「いや覚えてない。そんな恥ずかしい格好をした令嬢なんて学園で見たことないぞ。それにその内容の手紙はサリーのことを想って綴ったものだ」
「だからわたくしがそのサリーなのよ!!わたくしをずっとそう呼んでくれていたじゃない!!」
「あなたを愛称でなど呼んでないし、そもそもあなたの名前自体呼ぶ機会なかったぞ。公式でも非公式でもだ」
それはさすがに驚きラヴィを見上げた。本当?と聞けば「化粧が酷すぎて笑いたくてしょうがないんだけど。カインが羨ましい」と関係ないことをぼやいた。
気づけばカインがいなかった。今頃影で抱腹絶倒してるわね。
「そ、それは、手紙のやり取りで……」
「それは『呼ぶ』に値するのか?まあそちらも愛称呼びで書いたことは一切ないが。
私が学園時代に見た第三王女殿下はもっと控えめな方だった。間違ってもそんなわけのわからない格好をした方ではない」
「っ酷い……でも、わたくしのこと、覚えていたのね!」
ぱぁっとすかさず目を輝かせた王女に、ラヴィは冷たい視線を向けたまま口を開いた。
「覚えていても親しい仲でもなければ愛の告白も、ましてや結婚も約束すらもしていない!
サリーと離縁?ふざけるな!!これ以上私や家族を侮辱するならただではすまさないぞ!!」
「ちがっ違うの!結婚はしたいなぁって、そう言っただけで、ぐすん、その人が勝手なことを言っただけなのよぉ!!」
顔を手で覆い被害者のフリをする王女に呆れたが、騎士達も似たような顔つきになっていた。この一人芝居いつまで続くかしら。
そろそろ子供達を解放してゆっくりさせてあげたい。娘なんて泣きながら寝てしまったし。
これ以上続くならラヴィだけ置いて撤収しよう、と決めたところでそのラヴィが動いた。
先程よりも機嫌が悪い顔で空気がヒリつく。彼は指輪をつけているが、四つ中三つが赤く染まっていた。
「……おい。お前だな?俺の子供を危険に晒したのは」
空気が凍った。物理的に視界が変わる。空は青いのに強い風に乗って雪が舞いだした。足下では土やレンガが凍り氷柱が生え、靴にも霜が張った。
「……ヒィ!な、何を言っているの?わたくしは」
「このリングは対になっていて、片割れをサリーと子供達に身につけさせているんだ。もしもの時にすぐ駆けつけられるようにな。
そして、命の危険を感じると赤く染まる。さっき落ち着いたがお前が喋りだしてまた子供のが赤く染まりだした。
……お前、俺がいないところで俺の子供達に何をした?」
「……っな、ななななななにも!何もしてないわ!!ほら、見て!私の腕輪も赤いわ!!命の危険を感じているの!あの女のせいよ!!」
「その腕輪は娘に送ったものだ!それを盗んだお前が命の危険に晒されようと、それが帝国の王女だろうと知ったことか!!」
ラヴィの声に反応して王女の周りだけ温度が急激に下がった。靴を凍らせた霜はドレスに移り、縦ロールにまで至った。
体も一気に冷えたのか唇が紫になりカタカタと震えている。流した涙も凍った。
「ゆ、許して……ラヴィのことを愛しているの……」
「許しを乞うべき相手は俺じゃない。俺を本当に愛しているというなら、俺が誰を大切にして、誰に手を出してはいけないか、わかったはずだ」
「……っ」
「それを間違えたお前を愛するなんて、ありえない」
聞き心地の良い声が冷たさを纏って体に入り、言葉が心を切り刻んでいく。
冷たく辛辣な言葉を浴びせられたサリュリーンは泣いたまま表情をなくし、絶望と一緒に頭を垂れたのだった。
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