自由を望むバミヤン・1
番外編ひとつめ。
誰も待っていない人の話から。
一部不快なシーンがあるかもしれません。
自分より弱く下位の者は、強い者に搾取されるものだ。
それは動物社会でも当たり前のことで貴族社会にも適用されている。
サルベラ・ピイエリド。
ピイエリド子爵の一人娘だ。見た目はそこそこで貴族としても及第点をやっていいくらいの令嬢ではあった。
あの女と意図的に知り合ったのは卒業パーティーの時だ。
その頃の私はナリアとどうしたら結ばれるかそればかり考えていた。
両親はナリアを溺愛していたので、積まれた釣書も妹の一言で全部灰にできたが、伯爵家より格上の奴から申し込まれたら断ることもできなくなる。
早く早く私のものにしなければ、そういう焦りがいつもつきまとっていた。
そんな悩みを抱えていた時、お互い火遊び相手として付き合っていた女、エリザベル・スコラッティが『サルベラ・ピイエリドはどう?』と言ってきたのだ。
聞けば子爵で他貴族から苛められ居場所のない可哀想な女だと言う。
『少し優しくしてあげればすぐに落ちるわ。男の肌も知らない初心な田舎女ですもの。
じっと見つめ、手を握ってあげれば顔を真っ赤にしてすぐあなたを信用するわよ』
半信半疑だったが、言われた通りにしたらあっさりと落ちて拍子抜けした。田舎女は言葉の駆け引きも知らなかったらしい。
それほど精神がすり減っていたのかもしれないがこちらにとっては都合が良かった。
婚約中、あの女はプレゼントをせびったり高価なものをねだらないので手間はかからなかったが、定期のお茶会は苦痛だった。
なにせ話がつまらない。話題が噛み合わなくてとてもイライラした。あの女なりに合わせようと努力していたようだが、私が知っているレベルには到底及ばず教えを乞う始末だ。
愚鈍でバカな奴と話を合わせるのは苦痛極まりない。教えてもどうせ無駄になると思い此方から話題を振ることを止めた。
愚かな奴と話すのは苦痛だが、ナリアとの結婚生活を成立させるためにも、カモフラージュであるサルベラとの婚約を破棄することはできない。
面倒だが適当に話をあわせてご機嫌をとってやるかと気軽に考えた。
そこで名案が浮かんだ。
サルベラの茶会の時間をナリアと過ごすようにしたのだ。あの女が来て挨拶をしてやったら一旦何かしらの用事を作って席を外す。
そしてあの女が帰る時間になるまでナリアと楽しく過ごすのだ。ナリアなら苦痛はないし、話も楽だ。なにより私のことをわかっている。ナリアは素晴らしい女性だ。
茶会をナリアと過ごす時間に費やしていくと、だんだんあの女がどうでもよくなり煩わしくなっていった。
だからわざと遅刻したり、庭で一人ぽつんと東屋で待っているあの女を眺めながらナリアと愛を貪った。
ナリアと結婚するというのに嬉しそうにするバカな女。
ナリアが採寸したというのにウェディングドレスを見て喜ぶバカな女。
ナリアが女主人になるというのにベグリンデール家のことを学ぼうとするバカな女。
全部無駄だというのに一生懸命尽くそうとしているバカな女にせせら笑った。
興味のないあの女との結婚式が終わった夜も傑作だった。
妻と呼ぶのはナリアだと、―――あの女には名前は伏せたが―――そう告げた時のあの顔!今思い出しても笑いがこみ上げる!
あれだけわかりやすくしてやっていたのに、まだ期待していたのかと、吹き出さないようにするのが大変だった。
伯爵夫人になどなれやしないのに期待して、私の愛を得られるなどと勘違いしてるあの女に現実を突きつけたら、目が死んだようにショックを受け床に崩れ落ちた。
それをニヤついた顔で横を通りすぎ、声をかけることも手を差しのべることもなく出て行った。
当たり前だ。部屋の外にはナリアが待っていたのだから。
昨日の疲れがまだあるだろうにナリアの笑顔は慈愛に満ちていて、どこもかしこも魅力的だった。
これでようやく本物の夫婦になれた私達は、やっと自分のものになった当主が寝る主寝室に入ると、愛の睦言と共に初夜の続きに没頭した。
その日以降は執事にあの女の監視を任せ一番遠い物置部屋に押し込めた。
ナリアとの愛の巣は完成した。ナリアとの新婚生活は最高だった。ナリアは私のために生まれてきたのではないかと思うくらい完璧で愛しい存在だ。この生活を絶対壊したくない。
だというのに、社交シーズンに入ったある日、突然父上からナリアに『独身限定パーティーに出席するように』と命令が下った。
タウンハウスに残し、私と二人きりで住んでもいいと言ったのは父上なのになぜナリアに愛人なんか作らせなくてはならないんだ!!
ナリアへの想いは本物だと認めてくれたから、隠れて新婚生活を楽しめという意味でナリアを残したのではなかったのか?!と、憤った。
「お兄様。わたくし、お兄様以外の男と添い遂げるなんて絶対に嫌です!たとえ、お兄様とあのなんとかが婚姻書にサインしていても、わたくしの身も心も既にお兄様のものですもの。
お兄様以外の粗暴で顔も性格も不細工な男達に触れられるなんて死んでも嫌!耐えられない!お願いですお兄様!わたくしを一生お兄様と共にいさせてくださいませ!」
泣きつくナリアに私は、絶対に妹を守ると決心した。ナリアには私しかいない。か弱いナリアを守らなくては。
両親の前では従順であることを見せるためにナリアと一緒にパーティーへと向かった。
不安がるナリアのために新調したドレスには互いの色を使い、アクセサリーにも私の色を身につけさせた。当たり前だがサルベラには一切与えなかったものだ。
パーティーでは一曲私と踊ったが、ナリアは声をかけてくる男達に不快な顔を隠しもせず断り、さっさと会場を後にした。
本来なら許されないし、主宰者に対して泥を塗る行為だったが、
「お兄様以外の男なんて皆不格好な石ころみたいでしたわ。わたくしにはやっぱり、バミヤンしかいないんだわ」
と色気を含んだ視線をくれるのですっかり有頂天になりナリアの唇を貪った。
馬車の中でいちゃいちゃと楽しんだ後、父親が隠していた酒を嗜んだバミヤンは軽快な足取りで自室に戻った。
両親は芝居を観に行ったので深夜か明日まで帰って来ない。酒の力で気が大きくなっていたバミヤンは甘えてくるナリアと共にベッドでいつものように戯れた。
この楽しい時間は一生続いていくと思っていた。
父上にドアを開けられるまでは。
◇◇◇
「あっはっはっはっ!それは災難だったな!!」
豪快に笑う姿は爽快で、顔も威厳があり、姿は熊みたいに大柄で屈強な戦士だった。彼はバミヤンに男女の遊びを教えてくれた年上の侯爵だった。
ラヴィエルにハメられ―――本当は自業自得だが―――鉱山送りになったバミヤンは、追い出されてから今日までの話を涙ながらに語った。
勿論自分に都合がよく誇張脚色は織り込み済みだ。
王命で結婚したのにサルベラから不当な扱いを受けたバミヤンは、マカオン商会のラヴィエルにも騙されナリアを奪われた後、鉱山へと送られた。
子供を産んで待つナリアのためにも生き続け、ラヴィエルにひと泡吹かせるために恨みを募らせていた、そんな感じだ。
きつい鉱山生活ではバミヤンの見た目が随分と変わった。艶やかだった髪はごわごわになり、髪の毛の量が減り、頬はこけ、この年齢にしては苦労皺が増えていた。
もしここにエリザベルがいたら興味すら持たれないだろう、という顔と雰囲気だ。
そのバミヤンは侯爵と共に裏通りにある隠れ家的な飲み屋で、顔をつきあわせ酒を飲んでいた。
「だが知った時は本当に驚いたぞ。ナリア嬢と結婚するんだと言ってなかったか?なぜ別の女と結婚を?」
「それは、その、エリザ様にカモフラージュに使ったらどうだと薦められて……」
「あーまあ確かにそれも有りだがお前には無理だろう。ナリア嬢のためとはいえ本命がいるというのに他の女と子作りのためだけに結婚するなど」
「そう!そうなんです!!」
さすが阿吽の呼吸レベルに私を理解している侯爵は違う!いや師匠と呼ぼう!!
「私はナリア以外愛せないというのに、父上も母上もサルベラを愛せない私が悪いというのです!!
しかもあのマカオン商会のセバージュとかいう奴なんか他家の話に首を突っ込んで掻き回すだけ掻き回して私とナリアを引き裂いたのです!!」
しかもカモフラージュ要員のサルベラまでついて行きやがった。
私がどれだけあの女にストレスと時間と労力と金を割いたと思ってるんだ!!全部金にして返せ!そうグチグチ文句を連ねると「マカオン商会……セバージュ……」と師匠が呟いた。
「知っているのですか?」
「ああ。その男は私の商売敵でな。出会った頃からいけ好かない奴だったよ。
私が商会の仕事が成功し始めるとあいつは嫉妬し、先回りして私が目を付けていた物を奪い、それがバレると私にあらぬ疑いをかけ社交界から追い出したんだ!
それだけではなく、他の商会にも圧力をかけて取引できないようにしたんだぞ!」
「なんですって?!なんて卑劣な!!」
なんたる奴!!私だけではなく師匠にまで手をかけるなんて!これは許してはいけない、と怒りを露にすればニヤリと師匠が笑い耳を貸せというので差し出した。
「二人であのセバージュにひと泡吹かせてやらないか?うまくいけばマカオン商会からがっぽり金が手に入るぞ?」
「ほ、本当ですか?!や、やります!やります!!」
師匠の手引きで手下に麻布袋に入れられて鉱山から脱出したがそこから師匠の別邸までろくに食べることもできなかった。
それに金が入れば修道院に入っているナリアも助けられるかもしれない。
自分の子供がどこにいるのかバミヤンにはわからないがナリアなら知っているだろう。もし見つかれば今度こそ三人で暮らしたい、そう思った。
「だけどどうするのですか?どうやってセバージュを落ちぶれさせるんですか?」
「まあ待て。ひとつずつからだ」
何事にも順番があるのだと師匠はいった。尤もな話だ。
最終的に師匠が保釈金を出してバミヤンを救ってくれる手筈になっているが、今はまだ罪人であり脱走者だ。
ちゃんと手続きが終わるまでは名前も偽名を使う方が危なくなく隠れられるのだという。
そこで自分は平民だということに気がついたが、気がつかない素振りをした。私は伯爵。私は伯爵。
エリザベルの口添えあってだが第一王子の側近にもなったのだ。この私が貴族以外などありえない。
「ということでお前の名前を変えるぞ」
「あ、あの家名は……?!」
「ホールインだ。ちなみに子爵だ」
「え?!な、なぜですか?!?」
さすがに公爵は欲張りかと思い、侯爵かと思っていたのに!師匠の弟か親戚でいいじゃないか!!伯爵でもなく子爵?!この私が、子爵だと?!
「ビクス・ホールイン子爵だ。子爵だからと文句をいうなよ。私がお前のために前ホールイン子爵に好意で譲ってもらったんだからな。
気になるようなら功績をあげて陞爵すればいいんだから、問題はないだろう?」
「そ、それは、そう、ですが……」
今は戦争もないし、国の功績になるようなことは限りなく少なくバミヤンの手には余る。要は子爵でも文句を言うな、ということだろう。
少しイラっとしたがバミヤンがベグリンデール伯爵邸に帰っても既に縁も所縁もない家だ。師匠に与えてもらえなければ貴族にもなれない。
バミヤンは仕方なく今まで散々バカにしていた子爵位を賜ることとなった。
その陰で笑っている者がいるとも知らずに……。
読んでいただきありがとうございます。
バミヤン編は全5話の予定です。
本日はもう1話更新予定です。




