27・思い上がる王子妃
人によって不快に思う痛々しい表現があります。
「……して、その男爵はどうなったのだ?」
「死にました」
恐る恐る聞く王にさらりとラヴィエルが答えた。その答えにギクリと肩が跳ねる。急いで父を見るが唸るだけで他には何もわからなかった。
「し、死んだ、とは?」
「彼の商会は私の商会と繋がりがあるのですが、ある日突然スコラッティ公爵家の者がやってきて男爵を連れ去ったそうです。
家の者達は何で連れて行かれたのか知りませんでした。なので何度も仔細を求める嘆願と、男爵を帰してほしいと送り続けたが無視された。ピイエリド子爵らと同じですね。
何の説明もなく、男爵からの手紙もないまましばらく経った頃、突然粗末な棺桶が届けられた。
男爵は疫病にかかりそれで死んだのだと、棺桶を持ってきた御者がいっていたそうです。
だが釘打ちをされた棺桶を、中も見られないまま見送ることはできない。
そもそもこれは本当に主人の男爵なのか?そう思った者達は、病にかかるかもしれないと引き止める者達を無視して棺桶の蓋を開けたそうです。
中にいたのは男爵でした。だが、疫病で亡くなった訳ではなかった。
男爵は殴り殺されていたそうです。顔はギリギリ判別が出来るほどまで腫れ上がり、体の至るところには青痣があったとか。
背中から臀部にかけては何度も鞭で打たれた痕が残っていたといいます。どの傷も皮が捲れ肉が見えていたそうです。
膝から下は鬱血が見られ、長時間四つん這いに拷問されていたことを示唆しています。そして首には縄の痕が残っていました。
想像したくない話ですが男爵はペットのように繋がれ、全裸の格好で折檻されていた、ということでしょう」
「ま、まさかそんな!」
「……どこかの国の貴族にそういう嗜好の者達がいたと聞いたことはあるが……しかしそれは奴隷相手であって同じ肌の色をした、しかも同じ貴族をそんな風に扱うなど、あり得るわけがない!」
「しかし現にあったことです。棺桶に入っていた彼も申し訳程度に粗末な布をかけられていただけで衣服は何も着ていなかったそうですから。
だがここで問題なのは彼を殺した犯人が誰か、ということよりも、噂を流していない第三者が誤認で捕まり裁かれた処罰についてです。
彼に罪らしい罪はなく、仮に噂に触れていたとしてもシームレス殿下が許していることでここで裁かれた者の誰よりも軽いものに収めるべきだった。
しかし彼が正式な裁判にかけられた形跡はなく、家族にも説明がないまま帰らぬ人となった。これでは今ここで処罰を受けた者達と帳尻が合わない。そう思いませんか?
それとも新興貴族で男爵だから仕方ないと切り捨てますか?」
「……っ」
内容の陰惨さに誰もが口を閉じた。エリザベルも言えるはずがなかった。
逆らえなくなるまで痛めつけ、くだらない男のプライドをへし折り、嗜好を知る仲間を呼んでは首に縄をつけ全裸で犬のように歩き回らせ笑い者にし辱しめた。
泣いても叫んでも折檻し血を流せば汚れた床を舐めさせた。
飽きて父に渡したがその時はまだ生きていた。だから殺してはいない。わたくしは殺していないのだ。ぶるりと震えれば、カツン、と靴を鳴らした王子がそこにいた者の視線を集めた。
「そういうわけにはいかないでしょう。男爵もこの国の臣下だ。国に仇を為してもいない者に、むしろ下位貴族を中心に貢献していた彼の矜持を守る義務がある。そうですよね、父上」
「う、うむ……じゃが」
「これが母上や弟だったらどうするのですか?国のために命に捨てるならまだしも冤罪で殺されたのですよ?」
「……………………わかった。だが、死に至らしめることは許さん」
まさに苦渋の決断だった。
罪に問われた令息達は例外なくすべてに二桁以上の杖打ちの刑が言い渡され、令嬢達には年の数分の鞭打ちか、拒否する者には平民の晒し者になる恥辱刑が言い渡された。
その上で先に出た罰も受けるとあり、その場にいた者達の嘆きは大きくなった。
こんなことあってはならない。こんな一方的な蹂躙をまかり通してはならない。
だがここで選択を間違えば自分にも火の粉が飛んでくる。何せ彼らの罪を重くしたのはエリザベルと父スコラッティ公爵だ。
本当ならスコラッティ公爵家を恨んでもおかしくない状況なのに、彼らは口を閉じている。
公爵家の方が恐ろしいと思っているかもしれないがエリザベル達にとっては救いでもあった。
何も出来ない自分にエリザベルは唇を噛みしめた。以前までなら誰もがエリザベルに追随し逆らう者などいなかった。
それもこれも目の前の男達のせいだ。特に王子は今まで育ててやった恩も忘れての所業だ。そしてエリザベルと国を売った愚か者でもある。
このくだらない話が終わったら即刻引っ捕らえ、民衆の前で大々的に処刑してやらなければ気が済まない。
わたくしに逆らうということがどういうことか見せつけなくては。何度も反芻して叫びだしたい気持ちを抑えた。
「ふぅ……っ……」
内面の怒りなど少しも出さず、ふらりと眩暈を起こしたように床に手をつき、悲しげに目尻を拭った。
怒りは収まらず、彼らをひとつふたつ殴ってやりたいところだが深呼吸でなんとか抑え込んだ。
思考はすでに怒りで擦り切れ、いつパンクしてもおかしくないくらい腹立たしさが続いている。ここまで怒りが増幅したのは初めてではないだろうか。許せない。許せない。
わたくしは国に貢献し、これからも国母として敬われるべき存在なのに。そんなわたくしがなぜこんな拙い演出で痛めつけられなくてはならないの?なんでわたくしを労ってくれないの?わたくしに逆らえばどうなるか知らないの?
ああ、いつまでこんな無駄な時間をやりすごせばいいのかしら。手を差しのべ助けるべき生きている人間が目の前にいるのに。ねぇ、いい加減にして、とラヴィエルを睨んだ。
「どうかしましたか?エリザベル王子妃」
「……少し気分が。わたくしには刺激が強すぎたようです。陛下。申し訳ありませんがしばし席を外させていただきたく存じます」
「王子妃殿下、それは愚策だ。ここで嘆き苦しんでいる者達は皆あなたのために働き、あなたのせいでこんな目に遭っている。
だというのに助けもせずに逃亡ですか?それともご自分以外はどうでも良いのかな?」
「い、いってる意味がわかりませんわ。ラヴィエル様……!」
ラヴィエルではなく側近の者に声をかけられ顔が歪んだがすぐに気弱な表情に戻した。
そして有無をいわさないように言葉尻を強くしてふらりとわざとらしく立ち上がれば、またラヴィエルに妨害された。
「そういえば、先程噂はエリザベル王子妃殿下にいわれて広めたといった者がおりましたな」
「その噂はピイエリド子爵婦人のものか?それともまた別の者か?」
「まさかと思うがこれ以上まだ余罪があるとはいわんよな?このままではエリザベル王子妃殿下もろとも同世代がすべていなくなるのではないか?」
「それも致し方なし、ということではないか?父であるスコラッティ公爵は王家に仕える侍女に冤罪をかけ、王子妃殿下は子爵令嬢を使ってシームレス殿下を辱しめた。陛下の臣下の命を奪う行為は身勝手であり越権行為では?」
「子爵令嬢に関しては偽の王命のせいで命を落としたのではないか?これは王家の沽券に関わる事態ではないのか?まさか親子共々王家簒奪を目論んでいたのでは……」
ギロリと向けられた疑心の目に体が凍ったように固まった。
周りを見れば、王子の側近達から傘下以外の貴族達までがこぞってエリザベルを睨んでいた。その目は侮蔑を含んでいて無意識に身構えた。
スコラッティ公爵家傘下の者達は睨んではいなかったが悲しそうな顔でこちらを見ていたり逸らしたりしている。
どう助けたらいいのか、このまま信用していていいのか迷っている顔だった。
まるで味方などいないようなそんな孤独感を感じたが、それはパンと手を叩く音で我に返った。
「さて、大分話が逸れてしまったがそろそろ戻すとしよう。
ピイエリド家は子爵位で付き合いがない者も多いだろう。同じ臣下とはいえ感情移入はしにくいと思うが聞いてほしい。
サルベラはどこにでもいる普通の令嬢だった。第一王子殿下と話せる機会があったがそれだけのことで、劇的な何かに変わることもない、ただの特別な日だった。
それを変えたのは王子妃殿下、あなただ。
シームレス殿下が浮気をしているなどといいふらし、王子の心を信用せず、サルベラを無闇に虐げた。
自分は手を下していないから言い逃れできると思っているのなら、考えを改めた方がいい。
ここには傍観していただけで処罰を受けた者達がいる。あなたのつまらない自尊心を満たすためだけに始めた、くだらないイジメをしなければ巻き込まれなかった者達だ。
彼らが痛い思いをしたというのにあなただけ何もないなんて不公平だろう?臣下の痛みを上に立つ者が知らなくては示しがつかないと思わないか?」
「お可哀想に」
はらりと涙が零れ落ちた。同情の眼差しで見つめればラヴィエルの目が見開かれた。
「お可哀想に。ラヴィエル様は深く傷ついているのですね。ピイエリドさんや男爵を失ったから。だから誰かに、わたくしに八つ当たりをしたいのでしょう?
それで気が済むなら構いませんわ。ですが一時の感情で国を巻き込むような大事を軽々と口にしてはいけませんわ。
ましてや開戦などと、そんな恐ろしいことを聡明なラヴィエル様が、本気で考えてはおりませんわよね?
戦争にかけるのもまた命。もう此の世にいないとはいえ、ピイエリドさんもラヴィエル様が無謀にもわたくしの国に挑み血を流すよりも喪に服し死を悼んでさしあげた方がきっとお喜びになりますわ」
「……」
代用品がいる子爵令嬢を悼んだところで時間の無駄にしか思えないが、今はラヴィエルの機嫌をとるのが先決だろう。
バカの一つ覚えみたいに戦争をする構えを解かない。戦争をすれば困るのはラヴィエルの方だというのに。
こちらとて公爵家傘下の者達の士気をここまで下げられた今のままでは、たとえ小国のユーザニイアでも戦ったら苦戦を強いられる可能性がある。
王家はどうなっても構わないが王子妃であるわたくしがいるのに、わたくしのものであるこの国を他者に掠め取られるのは我慢ならない。
それがラヴィエルだとしてもだ。
本当に欲しいのは公爵家傘下のような忠誠心だ。わたくしを敬い、尊び、かしずく者であってこそ存在価値がある。
それを踏まえるとラヴィエルは危険だ。今だって不安の方が大きい。
けれど、それを差し置いてでもラヴィエルを自分の物にしたいという欲求に逆らえないのだ。
「ああそうだわ!わたくし、心を癒すのに相応しい素敵な場所を知っておりますの。公爵領にある別荘なのですが景色が素晴らしいのですよ。
そこでいくらかお休みになられてはいかがかしら?ああ、期間は気にしないでください。わたくしとラヴィエル様の仲ですもの。好きなだけ休んでお心を労ってくださいまし」
公爵領の別宅はいくつかあるが、ラヴィエルに紹介した場所は本当に景色がいい所でエリザベルも毎年行っていた。
自分専用の邸にしているのでほとんどのものが揃っている。街は少し遠いが引きこもっても数ヵ月はなにもしなくても過ごせるので、ラヴィエルとしっぽり過ごすのにもってこいだろう。
きっとラヴィエルはサルベラに魅了だかの呪いをかけられたのだ。
子爵は怪しげな商会をもっているらしいのでその伝手で魔女にでも頼んだのだろう。その呪いのせいでラヴィエルは支離滅裂なことをいっているんだと思った。
武器をとり命を奪う戦争なんて無意味なものだ。そもそも戦争が野蛮だというのに。わからず口にすること自体センスがない。
戦争をして矜持を守るのは時代遅れだといわれ、代わりに下位の者達が競って商売をすることが『血を流さない理性的な戦争』になったはずだ。
王家とスコラッティ公爵家が持つ莫大な資金は最上級の顧客だ。こんな得意先を敵に回して何の得がある?
しかも今はいろんな家が崩壊しかかっている。そんな家々と取引ができず赤字になるのはラヴィエルの商会だ。
先見の目も曇ってしまったラヴィエルを不憫そうな目で見上げた。
こんなラヴィエルを見たらマカオン商会の者達は失望し、離れていくだろう。戦争が始まれば更に非難も強まる。経済制裁だってそうだ。
きっとこの話はラヴィエルが一人で暴走し押し進めたものだろう。まともな人間が聞いたら絶対に止めるはずだ。
ならばわたくしはラヴィエルを慰め癒し、ついでに戦争を回避してマカオン商会に恩を売ればいい。そして心身ともに疲れたラヴィエルを献身的に支え、愛を勝ち取るのだ。
そうなればもう呪いもあの女も関係ない。ラヴィエルはわたくしだけを愛し続けるだろう。
わたくししか頼る術がなくなったラヴィエルはどんな時にも手放さず、愛を囁き、ベッドの中でも頑なに離さずわたくしを満たし続けるのだ。
閨の彼を想像し、フフフ、笑いが止まらないわ、と思ったところで自分ではない笑い声があがり驚いた。
見れば王子が一人で腹を抱え声をあげて笑っている。とうとう、気が触れたようだ。
「確かにこの女は女狐ですね。それも下品で淫乱で仕方のない女だ」
「っ!!!殿下?!言葉が過ぎますわよ!!!わたくしのどこが」
「さっき奴隷との下劣な行為を隊長らに見られ激昂していたでしょう?だというのにもう忘れている。
その上反省もなく、今度はセバージュ卿に色目を使ってたらしこもうと躍起になるとは……あー腹が痛い。こんな女が未来の王妃だなんて笑えてしょうがないな」
「んなっ?!」
「ああ、この方は私に会うといつもこうですよ。隙を狙ってはすぐ隣に座ろうとしたり触ろうとしたりしてくる。股間に触れられそうになった時はさすがに走って逃げました」
「それは恐ろしいな」
はははっとまったく可笑しそうに見えない顔で男達が嗤う。バカにした態度に顔を真っ赤にしたエリザベルは父を放置して足を踏み出した。
「まったく、何も学ばない娘だ。意思が強いのは結構だが私は最初からいっているはずだぞ。
取引相手と寝たりしないし、そもそも女性に恋愛感情は持たない。ああ、妻であるサルベラは別だがね。
これは私の妻であるサルベラ・セバージュの汚名をそそぐための場だ。お前の浮気を肯定したり、おべっかを使ってご機嫌とりをする場ではない」
「なん……」
「では続きだ。
学生時代にサルベラを散々コケにして名誉に傷をつけたお前は、卒業したらしたでバミヤン・ベグリンデールとかいう屑な男を使って王命で無理矢理結婚させた。
あの男は屑らしく初夜に白い結婚を宣言し本妻が別にいるからとサルベラを物置小屋に監禁してくれたぞ。
この結婚をシームレス殿下に推し進めた時、お前はこういったそうだな。『バミヤンと結婚すれば彼女もきっと幸せになれるわ』と。これのどこに幸せがある?
あの屑男とふしだらな関係を続けながら、マカオン商会から買った商品をいくつもプレゼントされていたお前の方がよっぽど報われていないか?」
勢いづいて睨み付けたはずがラヴィエルの見下した冷たい視線に一気に冷えた。
なぜそんなことまで知っているの?!と驚いたが自分が持っている扇子がそのバミヤンからプレゼントされた物だと思い出し、そしてマカオン商会を通じて買ったものだと思い至り冷や汗が流れた。
読んでいただきありがとうございます。




