26・噂に泣く者、踊る者
簒奪という言葉に冷や汗が流れる。今まさに自分が考えていたからだ。すべてにおいてエリザベルは王家に相応しい人材だ。
そして夫のシームレスは平凡で王としても夫としても相応しくない。
婚約者時代に育ててやったから幾分かマシにはなったが皆に嘲られるくらいには愚鈍だった。だから揶揄される対象になったのも仕方ないと思っていた。
だがここで思い出す。許容されていたのは自分ではないかと。子爵令嬢などいつでも潰せるように、公爵令嬢の自分も王家なら本当は簡単に潰せてしまうのではないかと。
わかった瞬間全身から血の気が引いた。
「自分はしていないと、無実だと騒ぐ者は誰かな。今は審議をしているところだ。黙っていたまえ」
はっと気づけばラヴィエルが王を交え父以外の側近達や第二王子派の者達と話をしている。それを邪魔するかのように同期だった者達が騒いだが誰も取り合わなかった。
そこでまたしても気づいた。
ここにいるスコラッティ公爵家傘下の者達はほとんどが年の近い者か同期だったが、発言権の強い親世代は中立や第二王子派で占められていたのだ。
これでは此方に有利な統制などとれるわけがない。
入ってきた時に感じた違和感はこれだった。
なんでもっと早く気づかなかったのだろう。
そう思ったが逃げようにももう手遅れだった。
審議を終えた大人達は王家に甚大な被害を与えようとした加害者をすべて挙げ、前に出させた。男女爵位関係なく並べられ、皆血の気の引いた顔で震えていた。
子爵令嬢を苛めただけで両手を使い物にならなくさせたラヴィエルがいるのだ。どんな仕打ちをされるのかと誰もが恐れた。
そして雰囲気がガラリと変わってしまった王子もうすら寒い気持ちで見やる。エリザベルは無言のまま固唾を呑んだ。
「ああ、待ってください。ここはまだ宰相であるスコラッティ公爵に判定をくだしていただこう」
「は?」
「後々遺恨を残さないためにもなるべく上位の方に決めてもらった方がいい。国王ほどではないが宰相であるスコラッティ公爵の言葉なら誰もが快く受け入れるだろう」
まだ、という言葉にカチンときたがそれよりも盲目で怪我人の父に裁定をさせると聞き戦慄した。
今並べられている者達はすべてスコラッティ公爵家傘下の者達だ。下手なことをすれば縁がこれきりになってしまう。
個々はたいしたことがなくともスコラッティ公爵と長らく付き合っていた者達だ。情もあれば今離れてしまうのは惜しい家もある。
この裁定で失うような浅い信頼関係ではないがラヴィエルに支えてもらわないと立つこともできない父を見て不安になった。
「お、お父様!ラヴィエル様、お父様はわたくしが支えますわ!」
「大丈夫ですよ。大の大人を、しかも男性を支えるなどその細腕では無理がある。そこで見ていてください」
にこりとさっきまでの冷たさなど嘘のように普通に返してくるラヴィエルに一瞬錯覚したが、にべもなく申し出を断られた。
そして彼が父に囁き、発した言葉で目を瞪った。
「学生の身分とはいえ、王家に仕えるべき臣下の子息子嬢が王族である第一王子を貶めるようなことがあってはならない。
他の臣下に知らしめ自戒するためにも、また今回加担した者には自省を促すためにも以下の処罰を下す。
シームレス殿下の人柄を著しく貶め噂を広げた者、殿下に虚偽の発言をした者は罰金刑、及び数ヵ月の蟄居を申し渡す」
危惧したが思っていたよりも軽い刑に誰もがほっと胸を撫で下ろす。それくらいなら痛手も少ないだろう。
醜聞になったとしても数が数だ。すぐに消せるはずだ。誰もがそう思った。
父も思っていたよりもまともに話せていた。落ち着けばまた敏腕をふるえるもしれない。
早く医者に診せて見た目だけでも整えてやりたい、そう考えていたらラヴィエルが肩を震わせ笑った。
「嘘はいけないな公爵。目の見えないあなたでは言われたことも満足に言えなくなったのかな?おや、失ったのは舌だったかな?」
「な、にを、私はただ言われた通りに」
「この決断はあなた方の国王が決められたものだ。それを宰相ごときが変えてなどならない。………もしや、宰相は国の転覆をお望みなのかな?
あなたほどの方なら王家簒奪も一度は夢に見たはず」
「な、な、な、何をいうか!!無礼だぞ!そんなこと考えるわけ」
「なら正しく述べよ。スコラッティ公爵」
図星を刺されたような態度で慌てふためいた父を苦々しく思い、ラヴィエルを睨みつけたが肩を竦められただけだった。
「………噂を知りつつ傍観していた者、王子妃エリザベルを惑わす噂を与えた者には罰金刑、及び十年の蟄居を。
シームレス殿下及びエリザベル王子妃の仲を引き裂こうと目論んだ噂を流した者には離縁、または廃嫡を。
シームレス殿下の人柄を著しく貶めた噂を広げた者、殿下に虚偽の発言をした者には廃嫡と降爵を。
中でも過度な発言をした者には貴族籍の剥奪、嫁いだ者は即離縁し修道院へ。再婚は認めない。
すでに家督を継いでいて継げる親族がいない場合は爵位の返……待ってください!陛下!これでは貴族が軒並みいなくなってしまいます!!陛下は国を潰すおつもりか?!」
謁見の間に悲鳴と嘆きが木霊する。自分がどの罰を受けるかは下されていないが、ここにいるほとんどの者が王子を貶める噂を広げたのだろう。
エリザベルはかいつまんで聞いたくらいしか知らないが、諌めることはしなかったので羽目を外した者が面白おかしく広めたのだろう。
父は王を責める言葉を叫んだが見えないせいで的はずれな場所に顔を向けている。それを見た誰かが失笑した。
「だがこれは国にとって一大事な話ですぞ。今のうちに膿を出しておかなければ後々になって悲惨な結果になるやもしれぬ。
私達とて心が痛むが、宰相にとっては大切な愛娘が傷つけられ嘲笑されたのだ。さぞやお怒りだろう?むしろこんな軽い罰で良いのか?」
「そ、それは……」
「私の孫がそんな目に遭ったなら真っ先に相手を剣の錆にしてやったが……なるほど。娘よりも臣下を大事になされるか。貴族の鑑ですな」
第二王子派である公爵が朗らかに笑い、父は戸惑った。その表情には嘲りが含んでいるが見えない父は気づかない。
確かに娘を駒だと思っているが父なりに考えてくれているのも知っている。だからこそ悔しい。
割って入るか?と考えたところで誰かに引き留められた。
「エリザベル様!なんとかしてください!!わたくし達はあなた様のいうことを聞いただけなのになんでこんなことに?!」
「そうです!!ただ噂を撒けばいいと仰ってたじゃないですか!そうしたらいい仕事を回してやると!こんなのはあんまりだ!」
ただ噂を広めただけでこの仕打ちはないと嘆き叫ぶ者達にエリザベルは煩そうに顔をしかめた。
そんなことはわかっている。だが盲目の父ではもう、いや少なくとも今はなんの役にも立たない。意を決したエリザベルは王に向き直った。
「陛下。陛下の裁決に異議は唱えませんが流された噂はすべて子供の戯れですわ。これを乗り越えてこそ社交界で生きていけるというもの。
陛下や王妃様も若かりし頃に少なからず煩わしい噂に心を苛まれたこともありましょう。
その噂をこんな風に一方的に断罪したことはありますか?
これではわたくし達を支えてきた、これからも支えてくれる臣下がいなくなってしまいます。民のためにもどうか恩赦をいただけませんか?」
「なら、彼らの罪を王子妃殿下、あなたが引き受けてくれるのかな?」
国王の代わりにラヴィエルが口を出しムッとしたが代わりに貴族籍の剥奪や修道院に入れるのかと問われ、言い淀んだ。
「そう、ですわね。さすがに王子妃であるわたくしが貴族をやめて修道院に入ることはできませんが、噂程度でしたら罪には問いませんわ。許しましょう」
「ではあなたがシームレス殿下をたらしこみ、薬を使って酩酊させ既成事実を作ったという噂話も許してくださるということですね?」
「…………え、ええ」
ギクリと顔が引きつった。
「セバージュ卿。残念だがそれは噂ではない。事実だ」
「なんと!それはそれは、」
「恥ずかしい話だが、なぜエリザベルと致してしまったか記憶がないのだ。スコラッティ公爵家のパーティーに行き、彼女に果実水を貰って一杯だけ飲んだんだ。そしたら急な眠気に襲われ慌てて部屋を借りた。
毒には少し耐性を持っていたからそれとは違うとわかったが、起きてみると半裸のエリザベルが寝ていた………正直絶望したよ」
待って!待ちなさい!!なぜ己の醜聞を簡単にひけらかせるの?醜聞よ?自分が笑い者になる汚点じゃない!それが怖くて社交界に出たがらなかったというのになぜ堂々と話せるの?!
それだけじゃないわ。この話は色々と操作して噂を広げたもの。本人が喋ってしまったら嘘がバレてしまうわ!
「あ、あの!でん」
「ふは、絶望ですか」
「ああ。卒業パーティーで、決まりは悪いがエリザベルの気持ちを知れた私は誠実に愛そうと思っていたんだ。もう傷つけまいと思っていた矢先のことだったよ。
だが気を失う前はエリザベルはそこにいなかったし、夢遊病と診断されたこともない。
飲んだのは果実水で酒ではなかったのに父上達には酒の飲みすぎだと叱られ、果ては『気高く美しいエリザベル公爵令嬢を手に入れた王子は、嬉しさの余りたがが外れた飲み方をして、酔った勢いで清純で魅惑的な未来の妻を襲った』という噂まで出回った。
これでは私は自制が利かない獣だ。そんな自分では上に立ったとしても誰もついてこないと思い、父上に留学を申し出たんだ」
まるで仲のいい友人のように気軽に話す二人に不安が大きくなる。王子が此方を見て笑ってない目で微笑んだ。
わたくしはちゃんと淑女の笑みを浮かべられているだろうか。
「エリザベル。その事実である噂をバラ撒いた者を、あなたの父上であるスコラッティ公爵が捕らえているらしいんだ。あなたが許してくれるならその者もどうか解放してほしい」
「……え、」
心臓が嫌な音を立てる。
噂を聞いたのは結婚前に傷をつけられたとして、終わりかけだったがしばらく王妃教育はしなくていい、療養するようにと一時の自由を手に入れ自領で楽しく暮らしていた頃だった。
王子に非があるならまだしもこちらに非がある噂は許されない。父に報告して噂を流した者を捕まえてもらった。その者は男爵で最近爵位を買い上げた新興貴族だった。
商売がどうのと喚いていたがそんな下位貴族の売るものになど興味はなかった。
高位貴族に逆らえばどうなるかわからせた後、父に身柄を渡したが、その後男爵がどうなったかは知らないままだった。
男爵ごとき如何様にでもできると、父が何とかしてくれるだろうと思っていたが彼をどうしたのだろう。
支えがなくなった父はその場でしゃがみこんでいたが、話しかけられるとわかりやすいほど肩を揺らし驚いていた。聴覚だけでは情報をうまく処理できないのだろう。
何か余計なことを口走るのでは?と危惧したが父は知らないとつき通した。
「困ったな。あの噂は私が流したものなのに」
「え、」
「エリザベルに比べれば、私は吹けば飛ぶ程度の存在だ。だから戯れに噂を流しても問題ないと思っていたんだ。
だが私に辿り着く前に無関係な男爵が捕まってしまった。私も深く反省している。だから彼のことも許してほしい」
「か、構いません、が……」
心底困った顔をする王子に空気を噛んだ。平時なら戯言で済んだがなぜこのタイミングで言い出したのかと、なんていうことをしてくれたのだと怒りが湧いた。
まるで、こうなることがわかっていてわざと噂を流したようではないか。
そう考えたら血がのぼり怒りが湧いた。
ただの傀儡だったくせに。わたくしがいなければ愚物でしかないくせに!!ここに誰もいなければ地団駄を踏みたいくらいだ。
「それならば代わりに私がお答えしましょう」
「セバージュ卿が?是非。彼は今どこにいるのですか?」
憎たらしい王子を睨むとラヴィエルが不穏なことを言い出した。
その勘は間違っていないようで父がいきなり叫びだした。
言葉になっていない雄叫びをあげラヴィエルと王子がいる方向へと突進してきた。しかし辿り着く前にラヴィエルの従者と騎士団隊長に捕らえられた。
いきなりの奇行に戦いたが国王の指示で手枷がつけられ、喋らぬように布を噛まされた。
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