25・嘘と噂
「話の腰を折ってしまうがよろしいか?」
「オニール侯爵か。私は構わないが国王はどうかな?………許可はおりたからどうぞ」
「感謝いたします陛下。……今更ではありますがピイエリド子爵令嬢の身に起こった数々のこと、深くお詫び申し上げる。
本人に伝えられないのは心苦しいが謝罪の印としてパメラの貴族籍を抜くことをお約束しましょう」
「お父様っ?!」
「抜いたからといってサルベラは帰ってこないし、現状も変わらないよ?」
「構いません。これは私の自己満足です。ですがあやつの夫となったホライズン伯爵の許可はとれています」
「う、嘘よ!!嘘よね?!」
オニール侯爵の突然の話に娘のパメラは取り乱し、自分の夫を見たが彼は前を見たまま彼女に目もくれなかった。
「私も同じ時期に学院に通っていましたが学年が違ったため、妻と噂の方を信じてしまいました。
今となっては浅はかな自分が恥ずかしく、取り返すことも叶いませんが誠意の表明として離縁し、シームレス殿下と両親に伺ってからですが今の職務も辞そうと思います」
「待って!なんであなたがそんなことをするの?!必要ないじゃない!
わたくしに一生尽くすってあなたがいったのよ?!忘れたの?!沢山の愛といつまでも美しくいられるようになんでも与えるって、そういったじゃない!!
わたくしの名誉はどうでもいいの?!社交界に出るドレスは誰が用意するのよ!!」
仕事を辞めることも離縁することも全部ばかげてる、と叫んだが彼には通じていないようだった。
ついっと向けられた目にパメラは金切り声を呑み込むと顔を青くし寒そうに体をぎゅっと縮み込ませた。
恐らく彼が怒る姿も、軽蔑した目で睨まれるのも初めてなのだろう。蛇に睨まれた蛙のようにパメラはカタカタと震えて泣きそうな顔をしていた。
「ドレス?やはり気にするのは私の愛でも家でもないんだね。愛がなくともやっていけると思っていたが我慢の限界だよ。
そんな情けない私が、君の悪業に気づけなかった私が、シームレス殿下を支える立場にいていいはずがないんだ。
辞める必要がない?ああ。既婚者の身で、子もまだいない身で、平気で股を開く君なんかと結婚しなければもっとまともな道もあっただろうさ!
わかってないなら私からもいってやるよ!!
君達のせいでこうなったんだ!!君達の愚かな所業のせいでこの国が滅ぶかもしれないんだぞ!!」
悲痛の叫びに友人達が固まった。そこでやっと自分達がサルベラを苛めたことで、回り回ってこんな事態に見舞われたことに気がついた。
そして他の夫婦も離縁の煽りを受け、友人達はあっという間に元既婚者になってしまった。
茫然自失になった友人達はさっきよりも強い悲しみに暮れ、合唱のように声を上げて咽び泣いている。それを見て悔しげに唇を噛んだ。
止められなかったのは相手が皆スコラッティ公爵家傘下ではなかったせいだ。勢力拡大を狙ったのが仇になったのだ。
「サルベラに対しての言葉は受けとるが、あなた方の現状は変わらないのであしからず。では次に卒業パーティーのことだが」
「お止めくださいラヴィエル様。もう十分理解しましたわ」
嘆き苦しんでいる友人達に同情することなく、無視した形で話し出したラヴィエルに今度はエリザベルが話を遮った。
溜め息混じりに頭を押さえ、心痛な面持ちを出してラヴィエルを見上げると無表情な顔が此方を見ていて、少し胸が騒いだ。
「過去の戯れを今更悪事だとよってたかって責め立てるなんて紳士としてあるまじき行動ではなくて?名のある淑女を衆目の中で虐げるなんて悪趣味でしてよ?
わたくしは詳しく知りませんがあれはただの戯れだと聞いておりますわ。女同士の通過儀礼。よくある話ですの。
男の方にはわからないかと思いますが、そういう方々をいちいち救っていたらキリがありませんわ。
それに本当に気にくわなければお父様に一言いって子爵家へ圧力をかければ済むこと。戯れはピイエリド子爵令嬢が社交界でやっていくための、いわば激励だとお思いください」
「……」
「そんな激励を追及するなど無意味。いくら進言したところで現状が変わらないというならこの場も無意味。
ならばわたくしはそろそろお父様の治療をするべく退出させていただきますわ」
戦争にしろ、経済制裁にしろ、この国はもうダメだろう。
元々帰るつもりだったが様子見をするにも領地に帰るのも今が最善だ。
領地にいれば被害も少なくすむ。そしてほとぼりがさめた頃に簒奪なり、ラヴィエルを落とすなりすればいいことだ。
あなたの演説はつまらないしもういいわ、もう少しマシな男かと思ったけどガッカリよ。と立ち上がろうとすれば両肩を掴まれ力任せに座らされた。
あまりの痛さに顔を歪めた。もしかしたら柔肌に痕がついたかもしれない。恐る恐る振り返れば、王子が闇色に染まった目でにっこり微笑んでいる。
「勝手に帰ろうなんて虫がよすぎないか?君の話をしているのに」
「そう、でしたか?……脱線ばかりでなんの話だったかもうわかりませんわ」
「そうか。だからピイエリド子爵令嬢が社交界に出ていなくても、国を出ても気づかず延々と不快な噂話を撒き散らしていたんだね」
「……さ、さあ?なんのことかしら」
王子の目に呑み込まれそうな錯覚に陥りながら、なんとか誤魔化すようにとぼけた。
社交界にほとんど参加していなかったくせによく知っているなと思った。増えた手足のお陰だろうか。
不気味な王子に言い知れぬ不安が過り、無意識に息を呑んだ。
「卒業パーティーは覚えている者も多いだろう。第一王子殿下が無謀にも婚約破棄を突きつけたが王子妃殿下に返り討ちにあった。
それ自体はまあシームレス殿下の暴走としかいいようがないが、王子妃殿下はこんな時までサルベラを貶めた。
王子妃殿下はわざわざサルベラを名指しし、知らなかった者にまで王子殿下をたらしこんだという汚名を着せた。
しかも巧妙だったのはサルベラと王子殿下はあたかも火遊びの関係だと思わせ、王子殿下が王子妃殿下の手をとったことで真実の愛はこちらにあるのだと錯覚させたことだ」
「………ああ、その日のことは覚えてますわ。殿下に恥をかかせてはいけないと咄嗟に思いついたのです。
ピイエリドさんには申し訳なかったと思ってますわ」
このくらいは謝罪してあげてもいいだろう。早くここから出るためだ。
「だったらなぜ事前の根回しも、そのあとのフォローもなかったのですか?
それこそあなたの仲のいいご友人に頼むべきだ。サルベラは本当に驚いていたと思いますよ。
殿下とはあの一回以降ただの一度も会うことがなく、互いに想い合う仲でもなかったのだから」
「それは……わたくしも噂に踊らされてしまったのでしょう。てっきり定期的にお会いしているのかと思っておりましたわ」
根回しもフォローもわたくしに有用ならそうしたわ。けれどあの女は使い捨て程度しかない不要な人間だもの。
想い合う仲じゃなかったのはさっきも聞いたし知っていたわ。はいはい。価値のない女ってわたくしと違って可哀想よね。
「恥、ね。ならピイエリド子爵令嬢に恥をかかせるのはいいと思ったのか。
スコラッティ公爵家傘下でもなく、親しい友人でもなく、一度もまともに話したこともない令嬢に皆がいる前で散々嫌がらせをされたと詰られたと声高に叫んだのか」
「そ、それは!あの時は動転したのですわ!!殿下があのような場所で婚約破棄をいうものですから」
「ああ。それについては私に非がある。無謀で浅はかだったよ。だがそんな私でも臣下を守りたい気持ちはあった。
あの時私は名前を伏せ複数人数を苛めているといった。よくない噂が出てからだが影をつけ、そしてそういう報告を受けたからだ。
しかしあなたはピイエリド子爵令嬢と断定した。なぜだ?」
「なぜって、それは噂で」
「モルディ伯爵夫人もあなたの仲の良い友人達も皆ピイエリド子爵令嬢を虐げていたそうだが?
認めたのはモルディ伯爵夫人だけだが、そんな近しい間柄で何も知らず噂に踊らされていたと?聡明なあなたが気づかないなどありえるのかな?」
「ですから、それはわたくしの勘違いだと殿下もお認めになったではありませんか!」
「私が認めたのは噂に翻弄され、ピイエリド子爵令嬢に嫉妬してあの場で彼女を傷つけたといったことだ。あの後噂は噂だと、そんな事実はなかったとあなたが認めたはずだ。
そして私はあなたとピイエリド子爵令嬢が困らないよう互いにフォローをしていこうと約束をした」
「は、あ?わたくしが、……に嫉妬?!」
割って入ってきた上に余計なことをいう王子に舌打ちをしそうになった。しかも何をいうかと思えば嫉妬ですって?あの女に嫉妬?!
わたくしよりすべてが劣る王子と、ただ話していた子爵令嬢に嫉妬!みくびらないでほしいわ!
王家の血筋があるからわたくしが見初めてやっただけで、平凡なあなたにはなんの価値もない!わたくしの心を揺さぶるものなんて何もないわ!
小物のくせにわたくしを無視するから目を覚まさせてやっただけじゃない!!
わたくしが必要なくせに一度もわたくしを満足させられるようなこともできず、くみしやすい子爵令嬢に現をぬかすボンクラのくせに今更何をいうわけ?!
怒りに震えるエリザベルを無視し、少しとぼけた声が「そういえば、」と割って入ってきた。
「一度もまともに話したこともない。それについて私も気になることがあったのでここで聞いてもらうか。
サルベラもその事実無根の噂を警戒せざるえなくてシームレス殿下には近づかないようにしていたそうだが、代わりに王子妃殿下、あなたに会おうと何度か打診したそうですよ」
「え、そ、そうなのですか?知りませんでしたわ……」
心底驚いた顔で見返した。そんなの知るはずもない。知りたくもない話だわ。何そのどうでもいい情報は、と思ったが内心仕方なく返した。
興味なさげに返したのがわかったのか、それとも興味がなかったのかラヴィエルはそのまま話を続けた。
「ええそうでしょうね。勇気を振り絞りあなたに直訴しに行けば、あそこにいる王子妃殿下と仲の良いご友人や噂を鵜呑みにした輩が爵位がどうの、マナーがどうのと己を棚上げして追い払っていたようですから。
その時作られた噂も、
『わざわざ高位貴族が多くいるカフェエリアにやって来た不敬な子爵令嬢は許可もなく勝手に公爵令嬢と同じテーブルに同席した』
『許可されていないのにいきなり話しだし、王子は自分のものだと叫び、流布するがごとく大声で王子がいった愛の言葉やキスのテクニックを音付きで自慢して公爵令嬢を嘲笑っていた』
といった妄想ばかり。会えなかった事実があるというのにどこからこんな嘘が出てきたんでしょうか?こんな下品な噂を思いついた人物はご自分も下品な方なのでしょう。
ああ、あそこにいる者かな。フェリペルブ侯爵だ。家督を継いだそうだからよく覚えておくといい。
彼にかかれば事実は曲解され、とんでもない誇大妄想で嘘を拡散され、たちまち社交界での居場所がなくなるでしょう。
……なので、サルベラは手紙を書き王子妃殿下と話し合いの場を幾度となく求めたが、その返信は一度もなかった。
手紙はピイエリド子爵もスコラッティ公爵家に送っていたがそちらも音沙汰がないまま黙殺されたそうですよ。
おや。そうなると才女と謳われた王子妃殿下はサルベラと話せる機会があったにもかかわらずこれを無視し、すぐ近くでサルベラと王子が懇ろになったという嘘の噂を王子妃殿下のご友人達が広めていることにも気づかず、卒業パーティーで王子が婚約破棄を言い渡そうとしていた理由もわからないまま安穏と学院生活を満喫していた、愚かで間抜けな令嬢だったということになるな」
「はぁ?!なんですって?!」
ケラケラと嘲笑うラヴィエルに烈火のごとく怒ったが周りの冷たい視線に気がつき唇を噛んだ。
わたくしが間抜けですって?!意図して放置していただけよ!無意味なものはすべて消したわ!
スコラッティ家の対抗勢力がなにやらやってたけどそれも捩じ伏せた!これのどこが間抜けよ!!
訂正しなさい!!と叫びたかったが、ラヴィエルの無言の圧力とこちらに向かない視線に口を開けなかった。
「聡明な方々はもう気づいていると思うが、これはシームレス殿下に対しての、ひいては王家への冒涜行為でもある。
当時皆学生だったが、一部は成人していた。学生身分だとしても王家に連なる、いずれはこの国の王になる人間に対して嘘の醜聞を撒き散らすことは臣下として許されることではない。
たとえ殿下自身が温情をもって許したとしても、だ。臣下は王家に仕えるもの。称えても貶めてはならない。
臣下が王族を軽視しすれば国が乱れ、争いが増えることは学院で学んだ者なら誰もが知っている話だ。
窮地に立たされた時に一目散に逃げ出したり、無謀にも簒奪を目論む者が現れるようなことがあってはならない。……考えていなかった、そんなつもりではなかった、ではすまされないことだ!」
一気にざわめいた者達が発した言葉を拾って、ラヴィエルが雑音を黙らせた。
読んでいただきありがとうございます。




