2・噂話
始まりは一通の手紙だった。
幼少の頃、隣国の色鮮やかな商品に魅入られたサルベラは両親にあれが欲しいこれが見たいとねだったが、叶えてもらえたことはなかった。
暫くは落胆の日々を過ごしたが大伯母が隣国の商人に伝手があると乳母から聞き手紙を出した。
その頃には子爵家や自分に望むだけのものを買えるだけの予算も、輸入商品を仕入れる能力もないとわかったのでどうにかして仕事として関われないか相談していた。
いつかは子爵家を継ぎどこかの貴族と結婚しなさいといわれていたがサルベラは魅力を感じなかった。
ただ、商売で大成したいとか、隣国に移住したいとも考えていなかった。
知識を高めるだけなら迷惑をかけないし問題ないよね、とサルベラは考え、大伯母との手紙のやり取りを止めなかった。
そのやり取りは数年に渡り続いた。
◇◇◇
結婚式から一ヶ月程が経った。
あの後、サルベラは心も体も疲れ果て、二日程眠り続け、一週間程で体は復活した。
心労でまだ不安定な部分もあるが概ね良好といえる。
気軽に出歩けないが、カインと過ごす生活は子爵家に戻ったみたいで療養するには丁度良かった。
メイドの格好をしているカインだが、顔は美人な女性に見えなくもないが立派な男性である。
成人前なので華奢だが、メイドの服を着ていると体格がしっかりしているのがよくわかる。
大伯母の孫で、ピイエリド子爵家に行儀見習いで入っていたが、いつの間にかベグリンデール伯爵家の新人メイドとして働いていた。
恐らくサルベラを心配して来てくれたんだろうけどまさか女装して潜入するとは思ってもみなかった。
鏡に映る己の顔を確認してホッと息をつく。大分見れるようになったがまだ化粧の力を借りないといけないだろう。
ぶたれた頬は予想通り腫れに腫れてひどい顔になっていた。
一ヶ月も経てば腫れもひいて落ち着いたが、内出血して赤黒くなった皮膚は痣のようになりその名残がまだ残っている。
嫁いだベグリンデール伯爵家だが、扱いは最低ではないが良くはなかった。
初日からわかっていたがバミヤンに宣言された通りサルベラは結婚し、伯爵夫人の名を貰った(借りた?)が、それだけだった。
食事は部屋で一人。
庭に出てもいいがバミヤン達がいたら道を譲ること。
買い物がしたい場合は手が空いてる使用人に頼みサルベラは部屋に残ること。断られても文句はいわない。
頼んだ際給金が発生すること。勿論その給金と買いたいものはサルベラの所持金から出すこと。持参金は含まれない。というか、持参金は気づいたら手元から消えていた。
部屋は主寝室からも玄関諸々からも一番遠い陽当たりの悪い場所。
ベッドは固く寝具はカビ臭い。置いてある調度品も最低限で実家の子爵家よりも質が悪そうだ。
現に目利きが利くカインが『趣味の悪い部屋だな』と扱き下ろしていた。
確認するまでもなく夫人の部屋ではないだろう。
わざわざサルベラのためにこんな部屋を用意してくれたのはこの家の女主人だそうだ。
嫌がらせでわざとダサいものを用意したのだろうがその思考回路と労力そのものがお察しである。
借金はしてないみたいだけど、くだらないお遊びの為に余計なお金を回せるほどはなかったはずだ。
主人が揃いも揃ってそんなものだからその下についてる者達の感覚も麻痺させていく。
「ねぇ聞いた?この前から始まったお芝居。とても面白かったそうよ。
旦那様がナリア様を誘ってお揃いのコーディネートで観に行かれたそうよ」
「見た見た!お二人ともとっても素敵だったわ!」
「絵になるってああいう方達をいうのねぇ。
あ、これは知ってる?旦那様がナリア様を溺愛し過ぎて自分の色のものを必ず身に着けさせてるんだけど、とうとうマカオン商会のものを買ったんですって!」
「キャー!本当?!マカオン商会といったら高位貴族御用達の商会でしょう?
品質もさることながらとても高価でなかなか買えないっていうあそこなの?!」
「それだけナリア様のことを愛しているってことよ~本当に羨ましいわ!!」
二人のメイドが嬉々として話していたがそこで言葉を切るとこちらに振り返り、ぷっと吹き出した。
「お可哀想に。クスクス。
ナリア様は毎日のように旦那様から愛もプレゼントも貰っているのに、サル……ふふっ名ばかりの方はネックレスひとつも贈ってもらえないなんて」
「不憫よね。ふふふ、いたたまれないわ」
私だったらさっさと修道院に入っているわ!と嘲るように嗤った。
「でもそうよね。あの方って学生時代、体を使って高位貴族や王子を誑かして貢がせていたんでしょう?それで痛い目を見たとか。
旦那様はその傲慢な金銭感覚を正すためになにも与えないようにしているらしいわ」
「だったらなにも伯爵家で引き取らずに修道院にでも押し込めてしまえばいいのに……旦那様も物好きね」
「仕方ないわ。王家からの圧力があったみたいだもの。ああ、ナリア様がお可哀想」
「ええ。ええ。真実の愛で結ばれていたお二人を引き裂くように伯爵家に居座るなんて!
いったいどういう教育を受けてきたらあんな厚顔無恥な人間に育つのかしら?貴族として恥ずかしくないのかしらねぇ?」
見当違いも甚だしいことをベラベラと喋っていたメイド達は「早く出ていけ泥棒猫」、「邪魔者はさっさといなくなれ」とこっちを見ながらブツブツ文句をいって出て行った。
ちなみに彼女達は突然サルベラの部屋にやってきて、了解もなく掃除を始め、伯爵家のメイドとは思えない雑な手付きで掃除よりもサルベラの悪口を多めに吐いて去っていく。
週一しか来ないのだが、これだけ適当なら自分でやった方が早いし、無駄に埃がたつだけなので役立たずもいいところだ。
「ちょっとカイン。笑わないでちょうだい」
隠れていたカインがそっと部屋に入ってきたのだが、女性にしてはしっかりした骨格の、女顔のカインが肩を震わせ笑っていた。
人の不幸が余程可笑しいらしい。
ムッとした顔で睨めばニヤニヤとした顔でカインが謝ってきた。まったくもって謝られている気がしない。
「いやぁ、あそこまで清々しいと心置きなく懲らしめられるなぁって思ってさ」
「まあ、そうね」
出ていったメイドらはサルベラよりは年上だが初日に出迎えた者達よりは若い。
だから学院での噂も耳に入りやすいのかもしれないが。
「わたくし、いつの間に高位貴族も誑かしたのかしらね」
「しかも貢がせてたんでしょう?何か貰った?」
「名ばかりの旦那様だけよ。その貰ったものも手紙と花束くらいかしら。どちらも代理だったけど」
「今日ほどお嬢が可哀想って思ったことなかったわ」
「同情なんかより情報が欲しいわ」
定期見回りの監視もいなくなったのでサルベラは萎縮し顔を強張らせていたフリをやめ、ソファにだらしなく座った。
カインがいうにはバミヤンの命令で執事達が監視をしているらしい。
監視といっても伯爵家の仕事は忙しいので手が空いた者が手が空いてる時にサルベラの様子を見に来るくらいだ。
指示通り気弱そうに振る舞っていたらメイド達が先程のように、好き勝手に喋り尽くして出ていくので情報源としては割と役に立っている。私のストレスは半端ないが。
だが聞き捨てならないことも聞こえた。
複数人数誑かすのもどうかと思うが、体を使ってってどういうこと?
卒業してからずっと領に引きこもっていたから誹謗中傷に気づかなかったけれどそれ本当に私のことなのかしら?事実無根が過ぎて最早誰の話だかわからないわ。
婚約していた頃は気を遣って―――と、当時思い込んでいた―――バミヤンが出なくていいといっていたから社交界に出ていない。
ああ、結局一着もドレスは贈られなかったわね。
だというのに未だに噂が出回り続けている。誰かが意図的にばら蒔いているのだろうか?
「やっぱりここにベグリンデール元伯爵夫妻はいないよ。領地に引っ込んだみたいだ」
「本当に家督を譲ってしまったのね。あの人が仕事をする姿なんてまったく想像できないけど」
式をあげてすぐに義両親は王都にある伯爵邸を出ていたようだ。
名目は気兼ねなく新婚生活を満喫できるように、だそうだが、肝心の妹を置いていった。
その妹は式の参列を欠席している。
婚約中も定期的に伯爵家に行っていたが学院や宿題、気分が優れないから風邪だからと会えない理由をつけては避けられている。
ちなみに両家の顔合わせも欠席しているので未だにちゃんとした挨拶も自己紹介もできていない。
そんなことがまかり通るのか?と驚いたが、義両親もバミヤンもそんな妹をか弱く愛しいベグリンデールの宝石姫と溺愛していた。
なにせ新婚の二人の家に妹が居残るのは、彼女が寂しがり屋だから。
学院には寮もあるというのに妹のおねだりひとつで許される始末。
義理の妹なのだから大事にしてほしい、兄妹が仲が良くてもあまり嫉妬しないでほしい、といわれたくらいだ。盲目にも程がある。
「それじゃ計画のために戻ってきてもらわないとね」
「あちらの予定も大丈夫かしら?」
「そっちも問題なし。ここんちの妹の誕生パーティーをするために来るって話聞いたよ。その後はすぐシーズン入るから優雅に楽しむんじゃない?お陰で全員揃うけど」
「あーもうそんな時期なのね。招待状のやり取りもドレスの話もしてなかったからうっかりしていたわ。
本当にわたくしをいない者として扱うつもりなのね」
気楽だけれど。
「部屋もどうするんだろうな?夫人部屋は無人だろ?バレるかもしれないっていう考えはないのかね?」
この部屋に私物は持ってきたもの以外ないからとても身軽だが、部屋の移動は今のところ聞いていない。
あったとして当日いきなり、ということはありそうだが。
しかし、監視にしてもサルベラのことにしても杜撰すぎやしないだろうか。
油断するように仕向けているのは私達だがこうも隙だらけだと逆に誘われているんじゃないかと疑心暗鬼になる。
カインが見る限りそれはないというのだから溜め息しか出ない。
私が義両親に告発するという考えはないのだろうか。それとも、ある意味それだけ信頼されてるのだろうか?
この一ヶ月、有耶無耶にしてきたバミヤンという男を徹底的に調べてもらった。
表向きは家族想いで紳士的、見た目も良く男女共に友人も多い。その口のうまさと交遊関係などを買われ王子の側近候補になっている。
しかし実際は選民思想で短慮。家督を継いだが領地経営は親任せ。
伯爵として諸々勉強しているはずだが執事に丸投げしていて、バミヤンは王子側近候補としてまだ在学中の王子より先に文官の仕事を手伝っているそうだ。
ちなみにその文官の仕事内容は執事も誰も知らないらしい。王子側近という大役を、バミヤンなら自慢気に話すだろうに。
そして王子の側近候補だが現状を鑑みるにバミヤンは要領もあまり良くない気がする。
というか、もっといい成績の者が王子の同世代にもいたはずだけど何でバミヤンが選出されたんだろうか。
「バミヤンは第一王子派だけどお義父様は確か中立よね?」
「特にこれといった強みはなかったな。奥方は社交界にそこそこ強い影響力を持ってるけど動かすほどじゃないし」
「野心は人並みだろうけど、よく考えると不気味ね」
思い出したくはないし、まともに話したことも一度しかないが、この国の第一王子はひとつ下で優柔不断、そして真面目な方だった。
卒業パーティーのことを思い出すといいように扱われているのかなと考えてしまい、この先の未来が不安になる。
懐に忍ばせてある揚羽蝶の封蝋がある封筒がある場所を押さえ、目を閉じた。
自分よりも高位貴族にたてつくのは恐ろしい。けれど私は決めたのだ。ここを出て行くって。
鮮やかで魅力的な隣国の商品のように私も自由に生きたい。
あの時感じたときめきを失いたくないのだ。
「では、義両親がタウンハウスに泊まるように仕向けたら計画の実行よ」
離縁することも、自由になることも難しいかもしれない。もしかしたら両親からも絶縁されるかもしれない。
けれど私は、私が生きることを諦めたくない。
そのためなら貴族だって辞められる。そう、思った。




