19・エリザベル・スコラッティ
つまらない。つまらない。つまらない。
第一王子の妻、エリザベルは傾国美女と謳われた美貌を曇らせ嘆息を吐いた。
エリザベル・スコラッティは公爵家に生まれた。父は宰相で母は社交界の重鎮だった。その娘は類い希なる美貌と才能を持ち、国の宝と持て囃された。
かしずかれるのは当たり前で公爵令嬢として父の悲願である『王家にスコラッティ家の血を入れる』というのも容易に受け入れた。
すべては順調だった。完璧な自分。愛し認めてくれる王と王妃。間違いなく未来は王妃だと信じて疑わなかった。
手違いがあったとすれば婚約者の第一王子が魅力的ではなかったことだ。完璧な自分に対してすべてが平凡。顔はまあまあ品があるがそこまでだ。
そんなうだつのあがらない男と仲良くしていくのもうんざりだったし、王子でなかったら早々に見切りをつけていた。
王家に入るためにも仕方なく慕っているフリをして、わたくし好みの男に近づけるべく色々と教えてやった。
それを気に食わない人間がいて何度か窘められたがエリザベルは王子の婚約者で未来の王妃だ。
わたくしの伴侶に相応しい、王としても恥ずかしくない男にしてやろうというのになぜ足を引っ張るのか理解できない。
わたくしの偉業を理解できない凡人や低俗な人間は一定数いるのは知っていた。だからわたくしは美しい花を守るために必要ない雑草を抜くように悉くクビにしてやった。
すっきりしたのと同時期くらいに第一王子がやっとわたくしの有り難さを理解したらしく、よく尽くすようになった。
ああ、これで大丈夫、そう思った。
しかし学院生活でまた王子がくだらない情けをかけた。下々の者を理解してこそ真なる王だなんて誰がいったのか。そんな世迷い言を抜かした人間など首を刎ねてしまえばいいのに。
後でお仕置きという名の指導をするとして、表面は黙認していた。
説明係に子爵令嬢を指名したらしい。教師がいうには成績も生活態度も良い生徒なのだとか。そんな情報に興味はなかったが王子は違って見えたらしい。
自分にも見せたことのない笑みを浮かべてその子爵令嬢の話を聞いていた。
それを見たエリザベルは感情をマグマの如く煮えたぎらせ怒りに震えた。
第一王子に裏切られた気持ちになった。ここまでちゃんとした人間にしてやったのはわたくしなのに、そのわたくしが知らない顔をするなどあってはならなかった。
そしてその顔を見た、向けられた子爵令嬢も許せなかった。
その怒りは次の日には具現化し、人を使ってあらゆる苛めをした。最終的に自作自演にさせるために死にはしない、小さな怪我をする程度から、精神的に追い詰め、家にも圧力をかけ、絶対逆らえないと思わせるまでいたぶらせた。
そして卒業パーティーで、裏でこそこそ動いていた王子がわたくしに婚約破棄を突きつけてきたのでお返しに子爵令嬢と不貞をしていたと周りを思いこませた。
証人は公爵家派閥傘下の者から金と圧力で従わせた下位貴族達。誰も味方がいない四面楚歌の子爵令嬢は元より、ろくな根回しもせず啖呵を切った王子は呆気なくわたくしに跪いた。
愉快だったのはわたくしが垂らした糸に縋りつき、あっさり子爵令嬢を見放した王子だ。恋愛関係など最初からなかったし、なんなら話したのもあの説明会が最初で最後だった。
捨てられた小汚ない野良犬のような子爵令嬢を扇子の下で嗤いながら愉悦に浸った。
これで静かになるわ。
「けれど、ここでの生活がこんなにもつまらないとは思わなかったわ」
はあ、とまた溜め息をつく。
結婚はしたものの、留学から帰ってきた王子は執務が忙しいといって一切手を触れてこない。一人目は産んだものの女児で後継者には心許ない。
王子妃の仕事も地味で退屈なものばかり。なまじ能力が有る故に簡単にこなしてしまい、とても暇で退屈な日常だった。
残ってる仕事といえば子作りくらいだが、肝心の王子の渡りがない。平凡な王子は仕事の出来も平凡らしく追い回されているようだ。
そのため、エリザベルと寝るための体力が残っていないという。どこまでも役立たずな王子である。
前回は薬を盛って既成事実を作ったが今回も同じ手で上手くいくかはわからない。
婚約時代に致してしまったことを気にしているのか―――そのせいで罰として留学させられたのだが―――妙に警戒されてしまっている。
王妃に訴えてみたが子作りはもう少しゆっくりでもいいなどと返された。
早く後継者を産んで第一王子を王太子にし、王妃の座を確実にしたいのに!
それだけではない。マカオン商会と更に懇意になってラヴィエルと甘い夜を過ごそうと計画しているのだ。これではラヴィエルを囲う予定が遅れるじゃない!
隣国では侯爵だというラヴィエルはそれはそれはわたくし好みの人間だった。
銀色の髪とスカイブルーの瞳は高位貴族そのもので、スラリとしているが実は逞しい体躯と冷たい雰囲気が益々高貴さを醸し出していて。
聞けば異世界からやって来た勇者の末裔というではないか。
才能にあふれ、血筋にも申し分ない。
わたくしが王家に入らなければ婿にしたいと思っていたくらいだ。
わたくしと彼の子供はさぞや世を賑わす美男美女になることだろう。
欲情したあの瞳に見つめられ、耳元で愛を囁かれたらと思うと息苦しさで胸がはち切れそうだ。
後継者を産んで今の王と王妃がいなくなったら彼の子供を作ってやってもいいと思うくらいには惚れ込んでいた。
早くわたくしのものになればいいのに、あの人は仕事があるからとのらりくらりと躱してわたくしを焦らす。そんな顔も好きだといってくれたから少し加虐的な面があるのだろう。堪らない。
我慢できずお父様に相談したが、結婚前ならともかく、王家に入った今隠れて逢瀬をするにはリスクが高すぎると止められてしまった。
「ああ、本当につれない人」
わたくしを見る目は居抜かんばかりに強く劣情に満ちていて、囁く言葉は愛に満ち溢れているのに。なのにわたくしのものにならない。
ままならないことが増えれば日常は簡単につまらなくなる。
ここ最近での一番の朗報はサルベラ・ピイエリドの死亡くらいだ。
しかも縁があるらしくまた伯爵家に嫁ぎ、夫の手垢がつく前に下男に犯され、しかもその最中をその家の祖父に見られたという。あげく家族中に不貞の罪で責められ、数々の拷問をされて死んだそうだ。
噂どおり色欲にまみれた女の末路に相応しい最期だと内輪で集まった者達と嗤いあった。
あまりの滑稽さに面白おかしく伝聞したが、あの釣書を用意したのはエリザベルだ。
いつの間にかバミヤンと離縁していたので、浅ましくさもしい傷持ちに相応しい物件を数件与えてやった。
どれも嗤えるネタになると思ったが想像以上の無惨な結末に現実は小説より奇なり、としみじみ思った。
ああ、そういえばバミヤンはどうしただろう?実の妹と懇ろになっている気持ち悪い奴だったが中々に高値の装飾品や宝石を気軽にプレゼントしてくれた。
あれは多分マカオン商会から買ったものだと思うが、あの金の出所はどこだったのだろう?まあ、今更会う気もないし、欲しければラヴィエルに貢がせればいいのでどうでもいいのだが。
今持っている扇子がバミヤンからのプレゼントだったので思い出したまでだ。
質が良く細工が細かいこの扇子をとても気に入っていた。普通に買えばドレス一着分にはなるだろう。いい金蔓だったのに残念だわ、と溜め息を吐いた。
「また、あの女くらいの余興がないかしらね」
そんなことを呟いたが、余興は思ったよりも早くやって来た。
◇◇◇
心地よい天気の中、エリザベルは公爵家傘下で学生時代から付き合いのある友人達と王子妃宮にあるサロンで茶会を開いた。これだけ多く揃ったのは結婚して初めてのことだった。
しかしながら皆エリザベルの嗜好を知っている者ばかりなので気軽に楽しんでいる。給仕を済ませたメイド達を全員下がらせ、控えていた従者を呼び寄せる。
騎士は部屋の外の見張りとして追いやった。
「あら、異国の方ですか?」
「なんてお美しいの」
美しいかんばせと豪華なお仕着せに友人達がどよめき頬を染めた。それはそうだ。エリザベル自ら選んだ美男子達だ。
中でも隣に座らせた従者が一番美しく、そしてラヴィエルによく似ていた。
慣れた手つきで腰に手を回し引き寄せる従者になされるがまましなだれる。それを友人達は生唾を飲み込みながらじっとわたくし達を凝視した。
それに気をよくしたエリザベルは掠めるように指を従者の胸から顎に滑らせこちらに顔を向かせた。
ああ、なんて美しいの。スカイブルーの瞳もラヴィエルそのものだわ。硝子のような瞳に映る自分にうっとりして口を薄く開ければ心得たとばかりに従者が顔を近づけエリザベルの唇を貪った。
サロンに卑猥な音が響く。従者の巧みな技は唇だけでも心地よいのだ。
耳も感触も満足して唇を離すと、凝視していた令嬢達がもじもじと目を他の従者らに向けたので好きな者を侍らせばいいと許可した。
「でしたらあの方がいいわ!」
「わたくしはあの方で!」
一斉に取り合う雌達に内心嗤いながらワインを口に含むとラヴィエル似の従者に口移しで飲ませてやった。
「それにしてもエリザベル様。今日はまた変わった趣向ですのね」
とろんとした目で従者に甘える友人にクスリと笑ったエリザベルは、
「だって皆様は日頃殿下に仕える旦那様方や家を守るために心を砕いていてお疲れでしょう?
殿方も趣味や嗜好品で己を癒し楽しんでいるのですもの。わたくし達だってたまには休息をとってリフレッシュするのも必要なことですわ」
といかにもな言葉を並べれば皆こぞって「そうですわね!」、「わたくし達にも褒美は必要ですわ!」と従者達に淑女としてはあり得ない距離感で、夫がいる身でははしたないことを楽しんだ。
「そういえばエリザベル様。あの方、マカオン商会のセバージュ様がこの国にいらっしゃってましたが、もうお会いになりました?」
果物を口移しで食べているとそんなことをいわれ、目を瞪った。
そんな話は聞いていない。会いに来るようにと定期的に使いを出しているがかれこれ数ヵ月は顔を見ていなかった。
あまりにも寂しくてラヴィエル似の異国人を買ったくらいだ。
そのお陰で間が持ったが数ヵ月も王子妃である自分を放って置いたラヴィエルに憤った。
質のいい品々を献上していたから許してやっていたがもう我慢ならない。
茶会が終わったらすぐにでも呼び寄せ別宅に監禁してやる。そしてわたくしに逆らえないように薬漬けにして、虐め抜いて服従させるのだ。
「わたくし、変な噂を聞いたのですがそのセバージュ様がご結婚されていたとか。式の二人の絵姿が隣国で売られていたそうですよ」
「………別人の話ではなくて?ラヴィエルがそんな俗物のようなことをするとは思えないわ」
寝耳に水なことをいわれ、不機嫌に返すとその友人は「そうですわね。聞き間違いでしたわ」と慌てて訂正した。
あの男はわたくし以外には氷のように冷たく、わたくしのように高貴な者にしか興味を示さない。
今ラヴィエルの心にいるのはわたくしエリザベルただ一人。
そのわたくしを差し置いてどこの馬の骨ともつかない女との絵姿など描かせるわけがない。
結婚して絵姿をばら蒔くなんてまるで女に浮かれたそこら辺のバカな男みたいではないか。あのラヴィエルがそんなことをするはずない。
伴侶の女がどこぞの王女でもない限りなんの弊害にもならないけれど、腹が立つのは確かだ。
わたくしのものに手をつけるなどあってはならない。そんな女は不敬罪で死よりも辛い罰を与えなくては気が収まらない。
あとで確認しなくては、周りを見たところで友人達が沈んでいるのに気がつき口許を吊り上げた。
「そうそう。この者達は他にも仕込んだことがありますの。わたくし達は夫以外の者と交わって子を宿してはいけない身でしょう?……けれども女とて欲はある」
誰かがごくりと喉を鳴らした。
「ですから、この者達に欲を解消してもらいますの」
「そ、それは、どうやって?」
期待を滲ませた目がエリザベルを映す。その視線にフフッと笑ってから従者を見やった。彼はソファから腰を上げるとエリザベルの足元に跪きスカートの中に潜り込んだ。
「きゃあ!!」という悲鳴を目で黙らせると、スカートの中にある頭がエリザベルの脚を割って近づいた。股下にある頭をスカート越しに撫でながら吐息を漏らす。
「この者達は舌使いがとても上手なの。初めての方は数分ももたずに昇天してしまうかもしれませんわね」
「す、数分で……」
「昇天するほど……」
「で、でもそんなことをしてしまったら旦那様に申し訳が立たないわ……」
赤い顔で興奮する夫人達は互いと従者を交互に見ていたが、さすがに気が引けた友人が臆したことを宣った。
「無理強いはいたしませんわ。孕むことはなくとも夫に捧げた身ですもの。操を立てたい気持ちもわかります」
「「「「「「………………」」」」」」
「………でもね。彼らの技にかかれば、唯一砦にしている貴族としての矜持や女としての理性なんてあっさり手放してしまうでしょうね。
だって、わたくしですら我を忘れてしまうほど気持ちいいんですもの。
それはもう心も体もトロトロになって、天にも昇るような、格別で甘美な快感が全身を満たしてくれますのよ?」
「「「「「「………………」」」」」」
「ほら、殿方の中には淡白な方や自分本意の方もいらっしゃるでしょう?
でもこの者達はわたくし達が心地好く満足するまで何度でも奉仕してくれますの。
あの真っ白になる、恍惚とした感覚は衝撃でしてよ。あの感覚を知ってしまったらもう相手本意の粗雑な閨など出来ませんわ」
女も享楽に耽る愉しみを知るべきだわ。
互いに高みに昇れればそれこそ至福ではないか。男性側ばかり気持ちよくなるなんて不公平だろう。
身に覚えのある友人達が顔を見合せ従者を見やる。その従者に許可をやるとそれぞれ近くにいた友人達のスカートの中に潜り込んだ。
その光景は異様で嗤えるものだが、余った友人らは物欲しそうな羨ましい顔を隠しもせず快楽に喘ぐ友人達を見つめた。
エリザベルも従者に合図し悦楽に身を任せる。うっとりした気分で天井を仰ぐと突然ドアが蹴破るように開かれた。
「な、何事です!この宮が王子妃の管轄であり、第一王子妃であるエリザベルがいるとわかっての狼藉ですか!」
そんなことがいえるような状態ではなかったが素早く気持ちを切り替え侵入者を叱責した。
しかし、入ってきた騎士達は無表情にエリザベル達を見下ろしている。その隊服が国王直属の配下だとわかり冷や汗を流した。
友人達は快楽に堕ちた、ふしだらではしたない姿を見知らぬ男達に見られ半狂乱になっていて役に立たない。
エリザベルは従者をスカートの中に入れたまま立ち上がり、毅然とした態度で見返した。
「男狂いめ」
騎士達の誰かが呟き目を鋭くさせるが堪えている者は誰もいない。国王直属のせいか誰もエリザベルを恐れていない態度に苛立ちと焦りを感じる。
「王子妃宮に許可なく侵入した件はわたくしが国王陛下へ直々に報告いたします。これ以上不敬罪に問われたくなければ即刻立ち去りなさい!」
どんなに言葉尻を強めても威圧しても通じない。むしろ軽蔑した目に晒されエリザベルは形のいい唇を噛んだ。
「……エリザベル王子妃。他の方々も大人しくついてきてもらおうか」
剣は抜いていないものの、それ同等の冷たい声色と視線にエリザベル達は言い知れぬ不安と恐怖を抱いた。
読んでいただきありがとうございます。
次回から胃もたれする内容になると思われるので1日1話更新になります。




