15・共にあること
「ククッまるで私は二人を邪魔する道化のような言われようだ。不愉快な想いをさせてしまったのでしたらご容赦を。……ですが、私が聞いていた噂とは少々違うようだ」
「噂……?」
「私の耳には『第一王子殿下に色目を使い誑かした悪役令嬢を、真実の愛で結ばれた王子妃殿下と共に完膚なきまでに断罪した』と聞き及んでおりますが?」
「……っ?!」
「おや。殿下の耳には届いてませんか?あちらの社交界では誰もが知る話ですが……留学している殿下の耳に入らないくらいの些事、でしたか。
あなた方が断罪したこの彼女はそれはそれは恐ろしい悪女に仕立て上げられ、社交界も、家も、国にすら居場所をなくした憐れな御方なのですよ」
肩を引き寄せ抱き締める力を強める。視界の端で王子の顔が強ばるのが見えた。
「ぼ、僕はそんなつもりでは!」
「いえいえ。あなた様の選択は正しいですよ。王太子になるには公爵家の力添えは必要不可欠。子爵令嬢ごときに現を抜かすなどあってはならない失態だ」
「違う!!サルベラ嬢とはそんな関係ではなかった!!」
「でしたらなぜ、『ピイエリド子爵令嬢』と呼ばないのですか?
あなたは上下関係なく親しみを込めているかもしれないが、ご自分の立場を踏まえた上での行動でしたか?
それでサリーがどんな目に遭うかも想像してのことでしたかな?」
ラヴィの声に冷気が纏う。その温度は体に入ればたちまち凍って破壊されてしまうくらいの衝撃があり、第一王子がビクッと肩を揺らし口を閉じた。
昼間なら顔色が悪いのもよく見えたかもしれない。
そんな愚かにも動揺している王子を少し視界に入れると、弾かれたようにこちらを見て王子が声をあげた。
「さっ…サルベラ嬢!何か困ったことがあれば言ってほしい!今度こそ、あなたの助けになりたいんだ!!」
「いいえ、第一王子殿下。そっとしていただけることがわたくしにとっての平穏。それ以上に望むものなどございません。わたくしはもう、国に帰るつもりもありませんから。
その殿下の目は国を見るもの。それが殿下のためであり臣下のためにもなりましょう」
拒絶を示せば王子は悲しそうに顔を歪めた。
今度こそ、ということはあれは嘘だとやっと認めたということか。
嘘で誤魔化され、担がれて、いいように操られていたからまた気づかないフリでもするのかと思っていた。……手遅れにもほどがあるけど。
「第一王子殿下。助けは不要ですよ。サリーには私がいる。マカオン商会も助けになりましょう。
なにせあなたはこれで二回目だ。実現できない言葉など口にしない方がいい」
肩に回った手に誘導され王子に背を向けると、ラヴィが不思議なことを口にした。その言葉に王子が過剰に反応し、声が少し震えてるように思えた。
「?!っなぜ、それを!……あ、あなたはもしや!……まさか、彼女の行方を知っているのか……!?」
「さあ。ですが、このサリーの行く先の障害になるようならあなたの一抹の願いは叶わないといっておきましょう」
彼女?と、思ったが、ラヴィはそれ以上話す気はなく、動揺する王子を捨て置いたままサルベラを連れてホール内へと入っていった。
◇◇◇
「知っていたのですね」
王子の姿が見えなくなり、人混みがはけた場所で一息ついたサルベラは窓ガラスに映る自分を見ながら独り言のように呟いた。
わかってもいたし、覚悟もしていたつもりだが噂を改めて聞かされてやはり傷ついた。
当たり前だ。ベグリンデール家でも聞かされた。学院だけでもあれだけ辛かったのだ。社交界にだって面白おかしく広まってるのだろう。
わかっていても自分の悪い噂は気分が悪い。指先が震えるほど冷たくなり、呼吸が浅く息苦しくなる。
でもここが隣国のパーティーだと思い出して深く深呼吸をした。
泣かないけれど苦しさで眉を顰めるとすまない、と謝られた。
「サリーを傷つけてしまった」
「いいえ。知ってくださっているからこそラヴィ様が親身になってくださっているのだと知れて嬉しかったです」
お礼をこめて笑みを作ったのにラヴィは困った顔をして、またダンスに誘ってくれた。
でも、二回は婚約者かそれに等しい関係としか踊らないはず。ラヴィがそれを忘れて誘うはずはない。
戸惑うサルベラにラヴィはにこやかに、でも断ることはできない雰囲気で、熱気に包まれるダンスホールへと誘った。
「あの、怒ってはいませんよ?むしろ感謝していますし」
「だろうけど、不用意にサリーを傷つけたのは確かだ」
ステップを踏む。さっきより踊りやすいのは音楽が緩やかなお陰だろうか。
「私も浮かれていたんだな。私の色をサリーが纏い、念願のダンスを踊れたから」
「ね、念願だなんて」
「しかも、二回目も踊ってしまった」
あまりにも真剣な顔で言うものだから呆気にとられてしまった。
「気づいていたわけではなかったのですか?」
「いや、てっきりサリーが断るかと思って」
「そんな!……ラヴィ様に誘われたら断れませんよ」
困った顔でぼやけば、ニヤリと返された。あ、やっぱり確信犯だわ。
「他の方々に勘違いされてしまいますよ」
「構わないさ。そのつもりでサリーを俺色に染めたわけだし」
んもう!もう!なんでそんなキザなことを平気で言えるの?!顔が熱いわ!!まっすぐ見据える瞳にぐっと眉が寄って視線を逸らすと視界の端でラヴィが笑った。
わかってる。その言葉だってきっと私を元気づけるためのものなのだ。知れば知るほど惹かれてしまう自分に戸惑いが隠せない。学生の頃以上に醜悪な噂が蒔かれているはずだ。
それを聞いてもこうやってダンスをしてくれる人に、傷つけたと謝ってくれるラヴィにどうやったら惹かれずにいられるだろう。
「わたくしを、いつまで助けていただけるのですか?」
大切だと言葉にしてくれるけれどずっと考えないようにしてきた彼の気持ち。
自意識過剰かもしれない。勘違いと思いながらもまるで私を商会や家族以上に大切に想ってくれているように感じてしまう時がある。
もし間違いならこれ以上恥をかく前に手を離して去ってしまいたいとさえ考えてしまう。実際にそんなことをしたらその場で泣き崩れてしまうだろうに。
ラヴィの気持ちが知りたい。怖いくせに。逃げたいくせに。この関係が壊れてしまうくらいならこのままだっていいじゃないか、と思ってたくせに。
素直に『好きです』といえばいいのに恥ずかしさが過ぎて可愛げない言葉で聞いてしまった。
言った後にしまったと思うがもう遅い。商会の上司に対しても、上位の貴族に対しても間違った態度に顔を青くさせた。
「いつまでも。これからもずっと。許してくれるならサリーの隣で守らせてほしい」
きゅっと目を閉じたが聞こえた言葉は予想に反したものだった。恐る恐る前を見れば変わらず優しく細められたスカイブルーがサルベラを見つめていた。
「で、でも、わたくしは嘲笑されるほどの傷物で、ラヴィ様には見合いませんわ。そんなわたくしが守ってもらう価値など、きゃ!!」
ぐるん、と回ったせいで体が浮いた。転ばずに済んだのはラヴィが片腕で受け止めてくれたからだがヒールが脱げてしまうのではないかと思った。
「私はね。マカオン商会に携わりたいというご令嬢がいると聞いた時、お遊びか物見遊山程度だと思ったんだ」
腰に回った腕に引き寄せられ更に体が密着する。これ以上は下品で観客に顔をしかめられてしまう。
だけど目はラヴィしか映せなくて、逸らせなくて、世界が二人しかいないものと錯覚してしまう。
「けれど実際にサリーと会って違うと知った。
行ったことのないユーザニイアを眩いほど目を輝かせ、茶器や織物、食べ物に至るまでそれらを屈託のない笑みを浮かべ語る君に私は一目惚れをしたんだ。
君となら私が仕事を嫌になっても支えてくれ、マカオン商会を共に大切に、盛り立ててくれるだろう。
商会で取り扱っている品々以外でこんなにも心が揺さぶられ、惹かれたのは初めてなんだ。
だから、少し、いや年甲斐もなく、若いサリーには見苦しいところもあるかもしれないが、私は至って真面目に君を愛しているんだ。私が言った言葉はすべてが本気なんだよ」
音楽が終わり、互いにお辞儀をするところでラヴィは膝を突き見上げた。
「サルベラ・ピイエリド嬢。どうか私と結婚してほしい。そして私にあなたと共にある権利を与えてほしい」
見つめる瞳は真剣そのものですぐには言葉が出てこなかった。
ずるいわ。こんな場所で請われたら断れないじゃない。
ここは隣国だけれど王家が主催するパーティーで、王や王妃、それに連なる王族も多数見ている。こんなところで、子爵令嬢が断れるはずもない。
だけど緊張で思考は定まってないのに視界が滲んで、口がさっきから緩んで仕方がない。
恋愛なんてわからないと思っていた。今だってこれがそうなのか、これでいいのかわからない。惹かれているはずなのにまったく自信がない。
怖じ気づく私が延々と出口のない不毛な問答を繰り返している。
そんな自問自答を繰り返しながらふとラヴィの言葉が浮かぶ。
何もかもフラットに考えられるなら。しがらみもない立場ならば。
私はどうするか。何を選ぶのか。
「はい。喜んで」
それは決まっている。
私は、ラヴィと共にいたいと思ってる。
まだ覚束ないふわふわとした気持ちしかないけれど、あなたの側にいたいと思っているのは確かだから。
いつかあなたを愛していると伝えるために。あなたの隣にいさせてほしい。
差し出された手をとれば、どっという音と共に拍手喝采が起こった。周りを見れば王や王妃達までもが微笑ましい顔で手を打っている。
まさか事前に話を通してたの?と驚きラヴィを見れば、手を繋いだまま隣に寄り添い嬉しそうに微笑んでいた。してやったり、な顔だ。
その顔を見たサルベラは熟れた林檎よりも赤く染まり、なけなしの貴族としての矜持で辛うじて笑みを作ったが、内心は嬉し恥ずかしで泣きそうだったのは言うまでもない。
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