12・憧れの隣国にて
曇りなく晴れた青空の下、日当たりのいい東屋でサルベラはお茶を飲んでいた。
ポカポカと暖かくのんびりした空気が心地良い。
隣国のユーザニイアでは多種類のお茶がある。今飲んでいるものは体の中を綺麗にしてくれるものらしい。
夏は果物や花茶が多く見た目も華やかで美しいお茶もあり、火照った体を冷やしてくれる成分もあるとか。
今後サルベラがお茶会を開いたりして振る舞う時のための勉強だが自分も楽しめるなんて素敵だなぁ、としみじみ思った。
「わひゃ!」
「ただいま、サリー」
そよ風に目蓋を閉じ木々の声を聞いていると音が聞こえなくなったと同時に包み込まれた温かさに目を開いた。
視線を動かせばすぐ横にさらりと銀髪を揺らした美麗な顔があり動転する。
ここに来てから彼はずっとこんな感じだ。
ベグリンデール家を出たサルベラは、マカオン商会が所有している邸に移り住んでいた。
そこで離縁の手続きが完了するまでの間の仮住まいをしていたのだが、カインの祖母で大伯母とも再会することができた。
大伯母はサルベラの両親と折り合いが悪く、頻繁には会えなかったが大切な時には必ず手紙なりなんなりと世話を焼いてくれた。
そのお陰でカインと出会い、マカオン商会とも繋がりを持てたのだが……彼とこんな風に密着するような関係になる予定はまったくなかった。
「セバージュ様!………っラヴィエル様!!…………もう!ラヴィ様放してください!!」
「んー……なんで様つけちゃうかなぁ」
「旦那様が馴れ馴れしいからじゃないですか?」
身を捩り、固い胸を押してみたがビクともしない。
困って控えていた女装ではなく従者の格好のカインに助けを求めれば、ラヴィがつまらなそうに口を尖らせた。
「えええ~?サリーは俺に触られるの嫌?」
「いや、というか、私、一応貴族、なので、こういうのは慣れてないんです!」
一度結婚したとはいえバミヤンと親しい触れ合いをしてこなかった。そして商会を切り盛りしているラヴィのことをとても尊敬している。
そんな人に一定以の距離以上縮められると心臓がギクシャクとして落ち着かないのだ。
呼吸困難になりそうなので!と懇願すれば、それはよくないと離れてくれたが彼の顔はニコニコと緩んでいて視線が彷徨ってしまう。
嬉しそうなラヴィを見ると耳がじわじわと熱くなるからとても困る。
「そ、それで本日のお仕事はもうよろしいのですか?」
「ああ。今日はおしまい。残りの時間はサリーとすごそうと思って急いで戻ってきたんだ」
椅子をサルベラの横につけ座り込むラヴィは少年のように笑ってお帰りのキスは?と顔を近づけてくる。
嬉しくないわけではないが、そういう関係でもないのに、と熱が集まった顔で眉尻が下がる。
憧れの人にそんな気軽にキスをしていいのだろうか?喜んだら自意識過剰だと思われないだろうか。そんなことが過ってしまい動くことができない。
「旦那様。お嬢が困惑してるんでもう少し離れてください。あと急ぎすぎです。あんまり強引だと嫌われますよ」
「なぬ?!えっサリー嫌だった?俺キモい?」
「キモくはないですが、その、………頬でいいですか?」
「あんな屑でも夫だったんですよ。男性不信になってもおかしくなかったんですから。距離感を保ってくださ……て、お嬢?そんなご褒美はしなくていいんですよ?」
「カインは黙れ!ほ、頬で大丈夫!」
くるくると回る表情に私が見てきた憧れのラヴィは誰だったのだろう……と遠い目をしたが、目の前に白磁のような頬を差し出され思わず吹き出しそうになった。
照れ臭いし恥ずかしいけど、こういう子供っぽいラヴィは可愛い気がする。
年上の人を可愛いと思うなんておかしいかしら?と彼の頬にスタンプして「お帰りなさい」とはにかむと、満足そうに口を緩ませたラヴィが「ただいま」とお返しのキスをされ咆哮した。
だって、今、く、唇のすぐ横!固まるサルベラに「あ、間違った」といって頬にキスをしたラヴィは悪戯っ子のように笑っていて恥ずかしさのあまり手で顔を覆った。
それを目撃してしまったカインは「そういうの、俺がいないとこでしてくれませんかね?」と苦々しくいっている声が聞こえる。それだけはしたなかったのだろう。
申し訳なくて謝ったら「お嬢がそういう反応すると旦那様は調子に乗るんで今度からはひっぱたいてください」と叱られてしまった。
「ベグリンデール伯爵とやっと離縁が成立したよ」
ラヴィと一緒にお茶をしていると何の気なしに報告された。
「そうですか」
「あんまり嬉しそうじゃないね」
顔をあげると青空よりも薄い透き通った瞳が此方を見ている。
「離縁できたことは嬉しいですし、協力してくださったラヴィ様にも感謝しているんですが……」
「義理の両親を思うと心が痛むかい?」
「……はい」
そう思うのは今更なのだが、やはり気になってしまうのは確かで。
確かにバミヤンは酷い人間でナリアも好きにはなれそうになかったが、義両親はそこまで嫌いになれなかった。
思っていたよりも良識があったし何よりサルベラに同情的だった。ベグリンデール家を出ていく際も心配してくれたし、離縁が成立してもいつでも顔を見せてほしいとまでいってくれた。
それくらいで、とも思うが、子供を二人同時に手放した彼らにとっては義娘でも情を感じ寄り添いたいと思ったのだろう。
手を伸ばされたら無闇に振り払えない、そう思った。
「ベグリンデール家はこの後どうなるのですか?」
「あの屑男から爵位も貴族籍も引っこ抜いたことで一旦父親に戻ったと思うよ。
でも後継者は必要だから親戚から選抜するか養子をもらうかするだろうね」
「ナリア様の子供は本当に後継者になれないんでしょうか?」
「隠れて両親が引き取るかもって?それはないんじゃないかな。
ベグリンデール卿は真面目で信心深い人だ。これ以上家の存続を揺るがすようなことはしないだろうね。
俺がその立場ならそんないわくつきな子供を引き取るくらいならサリーを養女にして婿をとった方がよっぽど健全的だと考えると思うよ」
「生まれた子供も育てることなくどこかの孤児院に入れられて、貴族どころか両親の名前も知ることなく育てられると思いますし。
あのお嬢様も出産と同時に戒律の厳しい修道院に放り込まれるから、再会を目論んでも難しいでしょうね」
屑男……と二人にいわしめたバミヤンは、その後本当に貴族籍を抜かれ平民落ちをした。
なぜこうもあっさり落ちたかをいえば、貴族界隈でも肉親同士の強固すぎる繋がりを敬遠しているせいだろう。
実際不幸を呼ぶかは不明だが、裁判や歴史を紐解くと過去の人達はすべて不幸な出来事に見舞われているので断言してもいいのかもしれない。
そして不幸を補強するかのごとくバミヤンはただの平民、鉱山夫として強制労働させられている。
主に『追加料金』の支払いだが、カイン曰く生涯あそこから出られないだろう、とのことだ。
実際高額商品を買い込み、ベグリンデール家を無意識に没落にまで追い込もうとしていたナリアは、嫌々ながらも支払いが済んでないものを返品することで強制労働を免れている。
妊娠していることと中絶を拒否した(不可能だった)義母のお陰もあり、現在は学院を退学してベグリンデールが所有する領の小さな別宅に押し込められていた。
こちらは一見優遇されているように見えるが、家はそこそこなものの近所は数十キロ先で小さな村しかない。
生活用品を売りに来る業者はまちまちで、最低限の質素なものしかなく、嗜好品等の娯楽は一切ない。
現在は買った宝石類やドレスを売っては生活費にあてているが、我慢することなく好き勝手に過ごしてきたナリアにはかなりのストレスになっているだろう。
毎日ヒステリーを起こしては周りに当たっているという話だ。
そのナリアの見張り役として抜擢されたのはクビにされた使用人達だった。全員無給で食事等の生活費はナリアが賄わなくてはならない。
出産まで無事見届けられれば自由となり、それなりの給料を出すとラヴィが約束したので、彼女らは躍起になってナリアを見張っている。
もし逃げ出しても斡旋所ではケチがついてるのでろくな仕事を回してもらえない。
使用人の仕事はもうできないかもしれないが、当分生活できる給料が貰えるならそっちに賭けたい、そう思ったのだろう。
そんなこんなでサルベラを貶めた人達とお別れできたのだが、思っていたよりも離縁する方が時間がかかった。
瑕疵が付き平民落ちしたとあって、バミヤンともあっさり解消できるかと思いきや『王命による婚姻』というのが中々に手強く裏付けや審議に手間取った。
結局は婚約前から不貞の関係を持ち、妹を妊娠させたことが決め手となって許可が降りたのだけど、最後まで誰かさんがごねてごねて先延ばしにしていたらしい。
その誰かさんも兄妹のただならぬ関係が社交界に広まったところで手に負えないと判断して手を引いたみたいだがそうでなければ離縁は難航していただろう。
「そういえば、離縁の審議期間中にサリーの実家が襲われた事件があっただろう?あの犯人が捕まったそうだよ」
「金で雇われたハンター崩れでしたっけ?両親どちらも生き残ったって聞きましたけど、お嬢が実家に帰っていたら被害に遭っていたかもしれないんですよねぇ」
「………」
ベグリンデール家を出たサルベラはまだ一度も実家に帰っていないが、その間に両親が襲撃されていた。
一度目は商会帰りの父を襲い、二度目は両親が揃って馬車に乗り、祭りに出掛けた途中で襲われた。
どちらも助けてくれる人がいて事なきを得たが、父は骨折したし母も体を強く打って何週間かベッド生活をせざるを得なかった。
タイミング的にバミヤンと離縁しようとするサルベラに制裁を与えようとしたものに見えなくもなく、事態を重く見たラヴィは早急にサルベラを隣国へと移らせた。
両親を傷つけられたことや、立て続けの移動で疲れはしたものの、隣国に移ってからは比較的平和で、あれ以降は両親にも危害が加えられておらずサルベラもホッとしている。
「まあ、今は無事なんだ。こっちにいればあちらさんの影響も少なくすむと思うよ。何より俺が守るから、安心して」
「え、う、はい……」
にこやかにウインクするラヴィにさっきまでの真剣で重い空気が離散する。
いいのだろうか。もう少し真面目に話しておいた方がいいのでは?と難しい顔をするとカインがお茶を注ぎ足してくれた。
「心配は心配ですが旦那様がいれば一応大丈夫だと思うので。あと、俺も微力ながらお嬢を守りますから」
「うん。ありがとうカイン。頼りにしてるわ」
「え、待って待って待って。俺は?俺も頼りにしていいんだからね?」
「はい。ラヴィ様もよろしくお願いします」
果たして商会のトップに守ってもらう価値が私にあるのだろうか。
とても疑問に思ったが深くは考えず寂しそうに眉尻を下げるラヴィににっこり微笑んでお願いした。
大丈夫。だよね?
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