11・ごきげんよう、さようなら
「お父様!!お父様からもいってください!!愛しの妻の我が儘を叶えるくらい許容できなくて何が伯爵家当主かって!!」
「父上からもいってください!!ベグリンデール家の妻なら常識を持った金の使い方をしろって!」
「お兄様!わたくしのことを愛してないの?!」
「今はそんなことよりもお前の支払いの金額の多さが問題なんだ!!」
「酷いわ!!わたくしはずっとバミヤンを愛してきたのに!!身も心も捧げたのに!!」
「今はそんな話をしてる場合じゃないだろう?!」
「煩い!!!もう黙れ!!」
義父の一喝で兄妹は驚きで体を跳ねさせ、見合っていた顔を義父に向けた。
手で顔を覆ったまま、義父は大きく深呼吸をして伏せていた怒りで真っ赤に染まった目を子供達に向けた。
「お前達は……この結婚は最初からサルベラ婦人を隠れ蓑に使って自分達だけが幸せになろうと、計画したものだったのだな。私達を騙してまで」
「だ、だって、私達が愛し合っていても許してはくれなかったじゃないですか!だから私達は自分達で幸せになろうと」
「サルベラ婦人の人生を台無しにしてまでか?」
ギロリと義父に睨まれたが、バミヤンは逃げるようにこっちを見て、それから鼻で笑った。
「ははっ……サルベラなら心配いりませんよ。
だってコイツは学生時代王子を誑し込みエリザの怒りを買った傷物ですし、そのせいで社交界でもこれ以上落ちようがないくらい酷い噂ばかりだ。
こんな女を引き取りたい奴なんていやしない!いたとしても最悪な条件の家か愛人、後妻くらいですかねぇ。
だから仕方なく、私が有効活用してやったんですよ。むしろ感謝してほしいくらいだ!私が娶ってやったことでこの女の家を救ってやったのだから!!
感謝こそすれ、離縁などすれば今度こそコイツの子爵家は終わるでしょうね!!まったく、これだから」
「もういい。お前達には失望した。貴族籍を抜いてやるからどこにでも行くがいい」
「………え?……は、ぁ?」
バミヤンの演説を切り捨てた義父は長い溜め息後、サルベラとラヴィに向かって深々と頭を下げた。
見えた義父の表情は一気に老けたような顔になっていた。
「サルベラ婦人。セバージュ殿。本当に申し訳なかった。息子と娘は煮るなり焼くなり好きにしてくれていい。必要なら私達も生涯をかけて償おう」
「や、ま、待ってください!!父上!」
「え?!わたくしもなの?何で?わたくしが何をしたというの?!お母様、どういうことですか?!」
義父が頭を下げたことでバミヤン達は父が本気だと悟り身の危険を感じたようだ。
心のどこかでは伯爵家である自分達なら大丈夫とたかをくくっていたのだろう。
相手は下位貴族だったサルベラと、自己紹介を簡略したためフルネームを知らないラヴィだ。
ファミリーネームしか知らないバミヤンはラヴィを王家と繋がりがあるがただの平民だと考えていた。
平民ならいくら伝手があっても伯爵には敵わない。サルベラ共々容易に潰せるとでも思ったのだろう。
なんなら買ったものさえ踏み倒せるとでも思っていたかもしれない。
そんな嘲りが顔に出ていて、いくらいっても反省しないと理解した義父はとうとう自分の子供達を見捨てたのだ。
そしてそれを理解できないナリアは金切り声をあげ、義母に泣き縋ろうとしたがその手を叩き落とされた。
「本当に、バカな娘」
「……お母様?」
「バミヤンを寝盗ったのはナリア、あなたじゃない」
いつも優しかった母はもうそこにいなかった。冷ややかに見下ろす義母にナリアは呆然とした顔で叩かれた手を握りしめた。
「ちが、違うわ!!わたくしは」
「ナリア。わたくし達はあなたに結婚もできない、関係を公言することもできない後ろ暗い生活をさせるために育ててきたわけではないのですよ。
だというのに未婚の娘が、よりにもよって実の兄相手に喜んで体を開くなんて……っ
嫁いできて居場所もなく、妻として跡取りを産めないことがどんなに辛く大変なことか、知りもしないくせに。子供ができたからと、サルベラさんよりも偉いなどと勘違いまでして……」
「…お母さ」
「あなたがしたことは貴族にも、ベグリンデール家にも泥を塗る、見下げ果てた行為なのですよ。旦那様があなた達の縁を切るのは当然の選択です。恥を知りなさい」
冷たく突き放した義母はそのまま義父の隣に来て彼の肩を労るように擦った。どこまで通じたかはわからないが、ナリアは義母が居た場所を呆然と見上げている。
今までずっと甘やかされていたナリアにはキツい言葉になったようだ。表情が抜け落ち宙を見つめるナリアを見ていたがガタン、とテーブルが動き、視線を戻した。
立ち上がったバミヤンがテーブルに足をぶつけたらしい。そのバミヤンは痛みで涙目になりながらも身を乗り出すとテーブルにバン!と手をついた。
「そ、そうだ!サルベラ!!お前は私の妻だろう?そこにいる親戚にいってくれ!!愛する旦那様にそんな無体なことはさせないでくれと!!
こんな金額支払えるわけがないんだ!!できるだけ減らしてくれ!お前がいれば安くできるんだろう?
私とお前の仲じゃないか!!上手くいったら離縁したいなどという戯言は忘れてやる!!なんだったら子作りだってしてやろうじゃないか!!
ああそうだ、部屋も今よりマシな場所に移してやろう!子作りは雰囲気が肝心だからな!
だからな!な!いいだろう?お前には私が必要だろう?!愛してやまない私を助けてくれ!!」
「おとといきやがれクソヤロウ」
どうだ!私は寛容で優しいだろう?みたいな顔で迫ってくるバミヤンに手を振りあげ思いきり頬を打った。さすがに床に転ばせるほどの威力はなかったが真っ赤な頬と呆然とした顔のバミヤンを見て少しすっきりした。
「残念ですがバミヤン様。離縁は義両親から許可を得ております。勿論あなたの瑕疵で、慰謝料の話も済んでいますのでご心配なく」
離縁は滞りなく済むでしょう。
震える手を擦りながらなるべく距離をとるためにソファに背を押しつけていると、正気に戻ったバミヤンが顔を赤くしサルベラに掴みかかろうとした。
しかし、サルベラを捉える前にバミヤンの手はラヴィに捕らわれた。そして手を捻ったと同時にバミヤンの体か浮き、そのまま床へと叩きつけられた。
「ぐへぇあっ」
サルベラから離れ、ゆっくりと長いコンパスを使ってバミヤンの前まで立ち止まる。腰を屈めたラヴィはにこやかに微笑むと、ぐいっとバミヤンの胸倉を掴み無理矢理引き起こした。
「子爵令嬢だからとバカにして、何も知るはずないとたかをくくっていたみたいだけど、君よりもサルベラの方が知っているんだよ?
君がそこの妹と楽しく暮らすためにピイエリド家の使用人を残さず帰したことも、あれだけ安価にしてやったのにまだ使い込む君の妹の頼みでそこの執事が代筆でピイエリド家に金を無心したことも、持参金を持ってきたのに食事代をわざわざサリーに支払わせていたことも、全部知っている。
妹につけている専属侍女は五人だがサルベラについているのは一人の新人メイドだけ。その新人が立候補しなければ、誰も宛てがわなかったつもりだったそうじゃないか。
付き人が誰一人いない伯爵夫人などどこにいる?まさか、監禁してそのまま飢え死にでもさせるつもりだったのか?」
腰を痛そうに涙を溜めたバミヤンだが胸倉を掴まれ中途半端に持ち上げられ苦しそうにもがいた。
笑みを浮かべているがラヴィの目は暗く、彼の纏う空気がぐんぐん温度が下がっている。
「中でも許せないのは式の夜にサルベラを呼び出して痣ができる程殴ったことだ。しかも顔にだよ?
痛い思いをすれば自分に屈服する、だなんて野蛮な発想はどこで得たのかな?紳士は女性に対して敬意をはらうものと習わなかったのか?
その痣も綺麗になくなるまで一ヶ月以上かかったそうだ。どれだけ殴ればそんなことになるんだろうな?」
顔を殴られたと聞き、義母が痛ましい顔でこっちを見るのでなんともいえない顔をしたが、次の瞬間ラヴィがバミヤンを思いきり殴っていてぎょっとした。
確か二発だったよな?といわれても。そうだけどなにも今殴らなくても……あーあーあー。本当に二発殴った。
「ごばはぁ!!」
「おや。歯が抜けたか。少しやりすぎたかな」
のたうち回るバミヤンが口から血を出し折れた歯を吐き出していた。
さすがにそこまでされてないので顔を青くすると、
「グッジョブです!でも腫れてないからもっと殴った方がいいです!」
って、カイン!!煽っちゃダメ!!
「ひいいぃっこ、殺される!!殺されるぅ!!ち、父上っ何とかしてください!」
「………」
「情けないな。下位の者やサリーには居丈高に威圧してきただろうに。敵わない相手には親に頼るのか。
いいか。何も考えずに手を出したのは君だ。人を見ず、言葉の裏も見ず、己の身の丈も弁えず、婚約者であり正式な妻だったサリーに向き合わず、目の前のことにかまけて散財したのは君自身だ。
使った分は君自身に働いて返してもらう。サリーではなく妹を本当の妻だといったのだから、妹の分の責任も君がとるんだ。
財産をすべて引き払っても足りないくらい、一生分以上の豪遊をしたんだ。さぞや心地よかっただろう?
ここからは心を入れ換え、身を粉にして働く大変さを、お金の有り難さを身を以て知るがいい」
貴族籍を外された者が働かされるということは強制労働しかない。恐らく鉱山で働かされるだろう。それに気づいたバミヤンが焦った顔で近くにいる両親に縋った。
目も合わせず無視をする義両親にバミヤンはショックを受けていたが、これは事前に決めていたことだ。義両親も納得している。
彼らは育て方を間違えたと嘆いていたが、良い環境で学ぶ機会はいくらでもあったのに疎かにしたのはバミヤン達だ。その責任を本人にとらせるのが回り回ってバミヤン達のためになるだろう。そういって義両親を納得させた。
周りを見ても誰も助けてくれない状態にバミヤンはやっと現実が頭に入ってきたのか声を、体を震わせた。
「そんな、そんな……私は、王子側近で、明るい未来が待っていたのに」
「そんなものがあったのか?コネで王宮に入り、毎日ウロウロしては聞いた噂話を取り立ててくれたご主人様に報告していただけだろう?
王子の他の側近候補には煙たがられ、いつも私の方が凄いのにと愚痴っていたそうじゃないか。そんな彼らも君が貴族籍を抜かれたと知れば拍手喝采だろうな。
家を潰す程の負債を抱えた上に実の妹に自分の子供を産ませるんだ。社交界は面白可笑しく拡散し、王家も巷を騒がす自分達の醜聞逸らしに勤しんで利用してくるだろう。
ああ、何も役に立たなかったお前も最後に役に立つじゃないか。良かったな」
王家の役職に平民はなれないから解雇は免れない。納得はできないにしてもそれはまだわかっていたようだが、社交界と王家が参加してくることまでは予想してなかったようだ。
「ま、待ってくれ!私は伯爵なんだ!これから、これから始まるはずだったんだ!!仕事でも、パーティーでも、注目され華々しく取り立たされるのは……っ。
だからそんな噂話なんて広まるはずがないんだ!……っなあ!お前はマカオン商会の代表なんだろう?だったら噂を止めることだってできるよな?な?
こんなこと広まったらナリアも、ベグリンデール家もお仕舞いだ!このことは全部黙っていてくれ!お願いだ!!」
捕まれた胸倉を離されたが、今度はバミヤンが縋りついた。鼻水と涙で汚れた顔で縋るバミヤンに呆れて溜め息を吐く。
噂を広める気があるかはわからないが口に戸を立てたところで、隠し通せるものではない。
現に箝口令を敷かれた王宮ですら王子がまだ婚約者である令嬢を孕ませたと良くも悪くも広まっている。比べるのは烏滸がましいが私だってそうだ。
人は自分に害が及ばない面白い話なら何でもいいのだ。だからきっとどんなにお願いしてもお金を積んでもどうにもできないことだろう。
シラケた気分になり顔を背ければ、振り払われたのか鈍い音と共にバミヤンが呻く。蔑んだ目で見ていたラヴィはサルベラをチラリと見て、バミヤンの首を掴むとそのまま床に押さえつけた。
カハッと息苦しそうに顔を歪ませるバミヤンの耳元に顔を近づけたラヴィは囁いた。
「噂を止める?サリーには何もしなかったくせにか?お前はサリーの事情を知っていた上で婚約を申し込んだよな?
お前との結婚式はサリーの名誉を回復する絶好の機会だったんだ。そのくらいの価値はあると思ったから俺も協力したんだ。
だが結果はどうだ?その機会すら奪ったお前を許すと思うか?俺が救うと思うか?むしろ地獄に落としてやると思わないか?」
「っカヒュ……」
「本当ならここで絞め殺したいところだ。だが、サリーにはそんな惨たらしいものを見せたくない。だからお前には死ぬまで働いて働いて働いて、サリーに罪滅ぼしをしてもらう」
逃げられると思うなよ?
耳元で話していたので聞こえなかったが、立ち上がったラヴィが此方に振り返り「さあ、引っ越しの準備をしようか」と微笑んだ。
それを頷き立ち上がったが、バミヤンは首を押さえむせたように咳をしては大きく呼吸を繰り返している。苦しそうだが同情もなければ助ける気もない。
「それでは皆様、ごきげんよう」
睨みつけてきたり、殴ったり、詰られることはなさそうだとわかってようやく安堵の息をついたサルベラは、意気消沈しているベグリンデール家の人達に淑女の礼をして、ラヴィとカインと共に胸を張ってその場を後にした。
読んでいただきありがとうございました。
ベグリンデール伯爵家(前菜)編はこれにて終了です。
ざっくり短く作りたかったんですができなかったのでもうしばらく続きます。よろしければお付き合いください。




