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1・ 傷物令嬢

はじめまして。





「晴れてベグリンデール伯爵家のものになったお前にいっておきたいことがある。

 行き場のない傷物のお前を引き取ってやったがこの家ではベグリンデール伯爵夫人、妻としての仕事は一切しなくていい」


 伯爵家で結婚式がしめやかに行われたその夜、夫がいる書斎に行けば立たされたまま投げやりに告げられた。


「この伯爵家には既にベグリンデール家に最も相応しい、私が愛する唯一がいる。その彼女にベグリンデール家の女主人として活躍してもらうつもりだ。

 私の色のドレスを纏うのも、社交するのも、寝室を共にするのも、私を愛し愛されるのもすべて彼女であり、お前ではない」


 夕食を一人で食べた時に覚悟していたが、こんなことになろうとは。


 初夜の準備をするでもなく、いきなり侍女が一人呼びにやってきた。嫌な予感がしていたが書斎に連れてこられたと思ったらこれだ。

 ショックとあまりのバカらしさに返す言葉が出てこない。



「お前には肩書きだけベグリンデール伯爵夫人の名前を与えてやろう。いや、貸してやる、が正しいか?まあ使う機会があるかはわからんが」

「……」


「ああそうだ。私を愛することも特別に許してやろう。一応夫婦だからな。それくらいは許容してやる。

 伯爵夫人になれて、子爵家よりも贅沢ができる伯爵家で、お前が愛してやまない私をこんな近くで拝めるんだ!嬉しくて涙が出るだろう?」


 ようは、ここに住まわせてやるが本当の夫婦じゃないし妻の顔もさせない。部外者だが外に出すつもりもない。

 与えてくれるのは夫人の名前だけ。それ以外はすべてその唯一とやらが奪ったらしい。そして一人寂しくバミヤンを想い焦がれて幸せに浸っていろ、ということらしい。


 夫人の称号すら本物の伯爵夫人とやらが欲したら、あっさり奪われそうな扱いの低さに閉口する。

 結婚式も酷い酷いと思ったが、これで初夜もなくなった。


 初夜は夫婦が同じ部屋で一夜を過ごすものと聞いている。

 その日に体を許し、身も心もひとつになる。なんならこの日に子供を授かれば尚良しということだ。


 それらすべて拒否された。

 逆らえない結婚だというのに。愛も、子を授かるという女性にとって最重要である仕事もいらないというのだ。

 これでは女である価値もないといわれているようなものだ。



 下位貴族にはこれくらいのことをしてもいいだろうという軽んじた嘲りが滲み出ているのがよくわかる。

 もしくは醜聞がある()()()()バカにしているのか。



 本日結婚し、ベグリンデール伯爵家に嫁いだのは、私、サルベラ・アパージ子爵令嬢だ。学院を卒業したばかりで勿論初婚。

 そんな大人初心者に瑕疵が二個も三個もついてるかのような目で嗤っているのはひとつ年上のバミヤン・ベグリンデール。伯爵家の長男だ。


 つい一週間前までは結婚式に夢を抱き、目の前の男との結婚生活にも淡い期待を抱いていた。しかし当日、突然壊れた。

 今日一日でいろんな情報が入ってきて、しかも頭をずっと揺さぶられてるかのような不快感に寝込みたい気分になる。


 政略だが私なりに彼を愛していたというのに。

 婚約者だった頃はあんなにも優しかったのに。これは何かの間違いじゃないか?とバミヤンを信じたい幼気な部分の私が考える。



 彼はもう私の知らない別人の顔になっているというのに。




「もう愛人を囲われたんですか?」


 自分でも驚くくらい冷めた声が口から出た。頭の中では『なぜ?』、『どうして?』とグルグル言葉が回っている?


 うまく思考できなくてそんな恨みがましい言葉が出たが、取り消さなかった。


 だって、今日は結婚式があったのだ。

 数時間前は教会にいて、互いに誓い合ったのに。なのに結婚した私が夫人じゃないだんておかしいじゃない。

 バミヤンと夫婦になれると、愛されていると思っていたのに。


 そしたらソファから立ち上がったバミヤンが私の前まで来た途端手を振り上げ、サルベラの頬を思いきり叩き転ばせた。


「口を慎め無礼者!女主人が()()()で貴様は偽者だ!下位の者が生意気な口をきくな!!」


 呆然と見上げれば、ねめつけるような目で見下ろすバミヤンと目が合った。

 初めて見る怒りの形相に恐怖で体が萎縮した。


 どんどん体が冷えていく中、平手打ちされた場所が熱く、かなり痛い。

 じんじんとする頬に熱が集まっていく。口の中は少し鉄の味がした。



 じわりと視界が歪む。

 いや、今じゃない。泣くな。泣くな。



 相手は伯爵家だ。逆らいようがない。


 こんなの前にもあったじゃないか。


 それが目の前の夫……だった男も、そんな貴族達と同じだっただけの話だ。


 嘆いてもしょうがない。


 見抜けず嫁いだのは私だ。




「申し訳ございません。伯爵家に嫁ぐために色々勉強していたので……好きな人がいらっしゃるならその方と結婚されればよかったのではっ」


 乾いた音が部屋に響く。悔し紛れに余計なことをいってバミヤンを怒らせた。


「口ごたえをするなといったはずだ。

 この結婚はいわば王命。逆らえばただではすまないから従ったまでだ。……その方が私にも都合がよかったしな。

 だが真実の愛の前では、たとえ王命でも塵芥に等しい!

 結ばれた私達を引き裂くことは何人たりとも許されないのだ。よく覚えておけ!」


 王命を塵屑と称する男に驚愕したが、同じ場所を打たれたサルベラは言葉を呑み込むしかなかった。

 じわじわと広がる熱と痛みに唇を噛み締める。

 二回も打たれたせいで腫れたような気さえする。


 なんで。なんでこんなことに。

 どうしてこんな目に遭うのだろう。



 俯き黙り込むサルベラにバミヤンは声をかけずに書斎を出ていく。外では女性が待っていて楽しげな話し声がドアを隔てても聞こえてきた。


「バミヤン!話し合いは終わった?」

「ああ。よくいい聞かせておいたから私達の邪魔はしないだろう。だがお前を困らすようなことをしたら迷わず私にいうんだぞ。

 あの勘違い女をさっきよりももっと強くお仕置きをしてやる」

「本当?!わたし逆恨みされそうで怖かったの~!」

「心配するな。私達の間に入り込める人間なんていない。それよりも私達はこれからすることがあるだろう?」


「クスクス。ここではダーメ!フフ、ダメよぉ……クスクス。でも嬉しい!これでやっと本当の夫婦になれたのね!」


 わたし、今とっても幸せよ!と子供のような言葉使いの喜色の声がサルベラを更に惨めにさせる。

 声が聞こえなくなっても動けないまま、サルベラは口に手をあて声を殺して泣いた。






 ◇◇◇






「男運がないのね。私」


 伯爵夫人の部屋とは思えないほど質素で主寝室からもかなり遠い部屋に戻り、固く小さなベッドに腰かけた。


 執事に無理矢理追い出されたサルベラは暗く冷えた廊下をとぼとぼと歩いて帰った。

 部屋まで送り届ける従者はなく、手燭もないまま手探りで戻ったのはいうまでもない。



 今日から住む部屋も暖炉に火が点されることなく寒いままだ。

 冬に結婚するから参列者を減らそうといわれてそうしたが、そもそも冬に式をあげる夫婦は少ない。


 貴族は特に伝手と見栄を大事にする。

 魅せるドレスだったり参列者数だったり。

 お願いする司祭様も金にものをいわせることだってある。


 それが最小限低コストで行われたのだ。

 稼いでいる商人や新興貴族の方がよっぽど派手な式をしているかもしれない。



「あぁ……泣いてもしょうがないのに」


 ぽろりとまたこぼれ落ちる涙を無表情に拭った。

 夢を抱いたところで高望みはできないと思っていたが、それでも平々凡々の幸せくらいは得られるのだと思っていた。それすらも高望みだったなんて思いたくなかった。



 サイドテーブルや机の引き出しを開けてみる。すべてが空で何もなかった。まだ荷解きしていない自分の荷物を漁れば糸切り鋏が出てきた。


 誕生日祝いに親戚の大伯母がこっそり送ってくれたのだ。

 とても切れ味が良く愛用していたが今のサルベラには現実逃避をさせてくれる道具にも見えた。



 これを喉に刺せば楽になれるだろうか。



 持ち方を変え、刃先を自分に向ける。


 手が震え、呼吸が浅くなる。


 やるならひと思いに。手に力を込めた。





 ――コンコンコンコン。


 ビクッとあからさまに肩が跳ねる。

 あまりにも驚いて鋏を落とした。

 床に突き刺さる鋏を見てヒュッと頭が現実に戻った。



「失礼いたします。サルベラ様、お着替えの手伝いに参りました」



 返事も待たずに入ってきたメイドは、ささっと床に刺さった鋏を抜き荷物の奥底にしまった。


 代わりに出してきたのはシュミーズで、着古した感のある、だが肌触りのいいそれにカッと顔が熱くなった。慌ててそれを奪い隠すように抱き締める。



 一人寝だからこれでも間違ってないが初夜用に新しく用意していたのだ。

 初夜がないことを知られていたことと、使い込んでいるシュミーズを触れられ動揺したサルベラはまた泣きそうになる。


 恥ずかしい。恥ずかしい。

 こんなことならさっき死んでしまえばよかった。


 そう思うくらいには追い詰められていた。



 そもそも、メイドは今日はもう来ないはずだった。

 ここに荷物を置いていく際、メイドが来るのは風呂と食事の用意だけ。それ以外は自分でするようにといわれた。


 荷物を置いていったのは皆年嵩の者達で、つけ入る隙もなく、バミヤンの妻として頑張ろうとしていたサルベラの出鼻を挫く出だしになった。

 誰も名乗らなかったし、仲良くする気などないと目と空気でわからせられた。


 だからこんな時間にメイドが来るはずがないのだ。

 困惑した顔でメイドを窺っていれば、彼女が持ってきた手燭の光が顔を照らす。

 濃い陰影の中で見えた見覚えのある顔にサルベラの目がだんだんと見開かれた。


「え?カイン??どうして………?」


 子爵家の者はすべて帰されたはずなのに。

 嬉しさよりも驚きの方が大きくて呆けた顔で見つめていれば、カインは人懐こい笑みを浮かべながら一通の手紙を取り出した。



「助けに来たよ。お嬢」



 封蝋には揚羽蝶が刻印されている。

 そこでも驚きを露にしたが、すぐにくしゃりと顔を歪め受け取った封筒を抱き締めた。








気軽に読むには重めかもですがよろしくお願いします。

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