休養
ジュリが次に目を開けると、そこは元居た白い森の中だった。
草の上にそのまま寝かされていたようだが、自分の周りに何か陣のような物が書かれているのに気付いた。
なにこれ?
解読しようとしてもそれなりに高度なもののようで、防護の役割をしている文字しかわからなかった。師長の仕業かなと思っていると、その師長がジュリの前に現れた。
「師長?ええっと、おはようございます?」
珍しく笑っていない様子だったが、ジュリが寝ぼけた挨拶をすると、幾ばくか和らいだ表情をしてくれた。
「存外早くに目覚めましたね。もう少しかかるかと思ってましたが」
どのくらい眠ってたのかと聞くと、二日ほどだと返って来た。
いや、寝すぎでしょ!?
ジュリが困惑していると、横のレオはまだ何か警戒しているように師長に話しかけた。
「どうする?精霊でも召喚してもらうか?」
「いいえ…扉を開いたなら精霊と言えど、かなりの魔力を消耗したはずです。一時的とはいえしばらくは召喚にも応じれないでしょうね」
何の話してるの?
不思議そうに見てるジュリの前に、師長は片手に手袋を嵌めて一輪の花を差し出した。
「これ…白月花?」
学院のイベントで見たばかりだから間違えるはずない。自分の魔力に反応して色を変える白い花だ。師長が持っても色を変えないのは、嵌めた手袋が魔術道具か何かなのだろう。
よくわからないが手渡されたので受け取ると、それはジュリの得意属性である水属性の色に染まった。
やっぱり綺麗だね
青色の花を見つめて、やっと師長とレオは肩の力を抜いてくれた気がする。師長はいつもの笑顔でおかえりなさいと言ってくれた。
「あの…?」
「とりあえず学院に戻りましょう。貴方を動かす事が出来なかったので目覚めるのを待っていました」
動かす事が出来なかった…?
どういう意味だろうと目覚めた時に書かれていた陣を思い出したが、よくわからなかった。
行きと同じく天馬に乗せてもらって空の旅を楽しんでいると、レオが話しかけてきた。
「とりあえず何もなくて良かった。覚悟はしていたが、やはり寝覚めが悪いことはしたくないからな」
「覚悟…?」
「貴方には学院に戻った後に全てをお話しますよ。もう隠す必要はないですからね」
ジュリが不思議がっていると、師長が代わりに応えてくれた。それを見ていたレオが渋い顔で、まず休んでからだと念を押された。
「お前はここ二日ほとんど寝ていないだろう」
「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ」
えっ!?師長たち寝ていないの?
ジュリはたっぷり寝ていた間に、二人は不眠を強いられていたらしい。自分のせいなのは明白で、おどおどしながら謝罪したが、僕らはその為に来たのでと笑顔で返された。
学院に戻ってすぐにでも理由を聞きたかったが、まず身体を休める事を第一に考えて、一晩休んで次の日に師長と話をする事にした。
帰ってくると友達に心配された後に、一応救護室で過ごす事になった。ひとり夜の室内で、寝台に横になりながら天井を見上げる。
夢の中の事はとぎれとぎれにしか覚えていないが、同じような暗い空間で誰かと話をしていた気がする。
あれ、誰だったのかな?シグナ…も出てきた気がするけど
思い出そうとすると出来るような気もするが、すごく良い夢だったというわけでもない事も同時に思い出す。眠れなくなりそうで、ジュリは考えるのをやめた。
どうせ明日になれば師長と話すんだし、その時でいいかな
ころんと横向きになると、近くに置いてあるローブに何か淡く光っているものが見えて目をとめた。
ん?
それはローブにつけているジュリのバッジなのに気付いた。
そういえば新しい精霊と契約できたから、また変化したのかな?
三年生までひっそりと変化し続けていたのを見て嬉しかった。それはジュリの努力や成長を表してくれていたように感じていたからだ。
そして確かに変化していた。けれど何か違和感を感じてジュリは眉根を寄せた。
黒い…蕾?
変化の段階としては間違ってはいない。蕾であるテーセラは四番目の成長過程だ。けれどミハエルのバッジを見せてもらった花の色は、淡い得意属性の色をしていた。
私だったら水属性だから青のはずだよね?何で黒?
“魔女”
夢の中で聞いた単語が頭の中で反響する。女の子が自分を罵倒しているような気がする、聖女を拒んだ魔女めと。
精霊召喚はもう終わったんだから。悪いことは起きなかった、シグナ達だって大丈夫なはず。
気のせいだと思って目を閉じるが、その日は色々考えてすぐには寝られなかった。
次の日は休日だったが、師長はわざわざ約束を守って会ってくれるらしい。そしてなぜか師長の部屋ではなく、重要物展示室を指定された。ここは別名宝物庫ともよばれ、歴代の生徒が手に入れた戦利品や貴重な美術品や魔術道具が置かれているらしい。薬剤貯蔵庫と同じく、普段は気軽に生徒が出入りできないようになっている。
いつもは通らない廊下を歩いていくと、それらしい部屋が見えてくる。ここかなと扉に手をかけると、鍵は開けてくれているのか普通に開いた。
「失礼します…」
中は思ったより広くて、よくわからないものが点在していた。その中に翼のある白い像、真向かいに同じような黒い像、そしてそれらの真ん中に一枚の絵が飾られていた。
白い翼を持った女性と男性が手を取っている綺麗な絵画だった。
これ…以前見た建国神話の挿絵に似てる
随分古い物のようだが、色合いも綺麗に残っていて目が釘付けになっていた。だから近づかれるまで誰かの気配に気づかなかったのかもしれない。
ふと横を見ると、年配の男性が立っていた。高い地位にあると思われる男性の佇まいで、執事のようなきっちりした服装をしている。顔立ちは綺麗で若い時はそれはモテただろうなと思われる、紳士っぽいおじ様だ。
「すみません、いるのに気が付かなくて…。先生ですか?」
ジュリは慌てて挨拶したが、四年もいるのに見たことはない先生だなと思った。彼は何も答えずただ黙ってジュリを見ている。
「…?」
「ふふ、すみません。お待たせしましたか?」
ひょいっと師長が出てくると、紳士は綺麗な姿勢で道を譲った。いやだから貴方誰?
「いえ、そんなに…」
横の紳士が気になるのか、目をチラチラさせるジュリに面白そうに師長が目を細める。
「彼の名はダンタリオン、貴方は以前会った事がありますよ」
こんなイケおじ様は忘れないと思うんだけどな
いつ会ったのだろうと不思議そうに首を傾げていると、じゃあヒントと師長が言葉を続けた。
「一年生の術技大会で僕と一緒にいましたよ」
一年生の術技大会は、確か暗殺者に襲われて途中棄権したはずだ。そして師長と会ったのは、ほぼ最後だけだった。
あの時…はミハエル先生しかいなかったよね?
何かあっただろうかと数年前の記憶を遡っていくと、暗殺者の嫌な断末魔を思い出す。そして師長と一緒に居たかもしれない何かの存在に気づいた。
黒い靄だ、あれをジュリを見る事はできなかったが、シグナは精霊かもしれないと言っていた。
じっと紳士を見上げると、ちゃんと実態があるように見える。もしかして…
「精霊なんですか?」
「そうですよ」
あっさりと師長は答えてくれたが、ジュリはさらに困惑した。精霊はその属性を持った者にしか見る事は出来ない事もある。特に師長の精霊はそうしているようで、あの時見えなかったものが、なぜ今はみえるのか。
四属性を集めたから?ううん、多分違う…
私がその属性を新たに持ったから。けれどそれはいつ?
声に出さずに考えているジュリに、師長はふふっと笑った。
「考える事は大事ですね。人は考える事をやめれば、歩みを止めてしまう生き物ですから。成長が止まれば後は死んでいくだけ。そんな人間に天使の言葉は甘い誘惑に聞こえるでしょう」
「…え?」
天使と言われてはっとした。そう、あの時みた夢の中の少女を、自分は天使のようだと思ったのだ。
「貴方を殺さずに今日を迎えられて本当に嬉しいです。さあ、長い話をしましょうか」
師長の言葉に少し夢うつつだった気持ちが、急激に冷えていくようだった。けれどそれは、何の誤魔化しもない真実を話してくれると言う意思表示にも思えて、ジュリは目を逸らさずに師長を見上げた。