風の試練
ジュリが魔物に近寄って行こうとすると、シグナに後ろから羽交い絞めされた。
「僕の話聞いてた?」
「あ、うん…。でもこの森の中で逃げないでくれる獣ってなかなかいないし」
こちらをじっと見ているが、襲う気ならすでに襲っているはずだ。その視線に何の意図があるのか話してみたいなと思ったのだ。
渋るシグナとギリギリ声の届く範囲まで近づいて話しかけてみた。
「こんにちは。貴方の傷手当したいんだけど、どうかな?」
じっと見ていた白い魔物は興味無さそうに顔を逸らして尻尾をぺしっと岩に叩きつけた。
ん?どういう気持ち?
動物に詳しくないので、人間以外の喜怒哀楽はわかりにくい。ジュリがだめかなともう一度話しかけると、今度は言葉が返ってきた。
「話しかけるな」
あう
にべもなく低い声で拒絶されて、やや悲しみに暮れながらシグナを見ると、ほらねという顔で見下ろされた。
「基本的に魔物は人間には懐かないよ。まだ温厚なだけマシな方だね」
なんでそんなにそいつが気になるのと言われて、うーんと考えた。
「そいつと契約したいの?」
「えっ?いや、そういうわけじゃないけど」
そんな事をシグナと話していたら、いつの間にか白い獣がこちらを見ていた。何かを伺うように首を傾げている。
「お前、精霊を探しに来た魔術師か」
「ふえっ!?」
いきなり話しかけられて、変な声が出てしまった。話しかけるなと言われたが、相手から話しかけるのはいいのだろうか。
「うん、契約してくれそうな風属性の魔物を探しに来たの。誰か知ってる?」
まさか契約してくれるの?という目で獣を見ると、いきなり怪我をした手をずいと見せてきた。
「薬草を取ってこれたら教えてやってもいい。魔術は使うなよ、人間の力だけで取って来い」
何かいきなり条件をつけられた。なんで?
横で静かにシグナが切れそうな気配を感じながら、ジュリは急いでわかったと返事をする。場所は教えてもらったので、シグナと一緒に薬草を取りに行くことになった。
「ちょっと!何で言う事聞くんだよ」
「有益な情報くれそうだったし…それにやっぱり怪我は治してあげたかったから」
お人よし過ぎるとシグナにぶつぶつ言われながら、教えてもらった薬草の種類と作り方を書き留めた紙を確認する。
うーん、やっぱりこれは…
考え込んでいるとそこまで距離はなかったようで、一面に色とりどりの草が生えた薬草畑のような場所に着いた。カレンがいたら歓喜しそうなほど立派な草木が風に靡いていた。
「すごいねえ、薬草って森にもあるんだね」
「そりゃ草なんだから自然に生えているものでしょ」
それはそうだ
シグナに興味なさげに言われて、ジュリは授業で既に用意されている薬草しか見たことはなかった事に気づいた。
「シグナ機嫌なおしてよ~ほら見て!赤くて綺麗な花もあるよ」
ジュリはカレン程薬草に詳しくないので、ここにあるものの殆どがわからなかった。けれど草以外にも、所々小さな花があるのを見つけて和んだ。
花も薬になったり毒になったりするんだったよね
あれもそうなのかなと思いながら、頼まれた薬草をつんでいく。知らないものは特徴を教えてもらったので、とてもわかりやすかった。
「ここで作るの?」
シグナの問いに、失敗したらまた取りに戻らなくちゃいけないからねと、ジュリは少し開けた場所で器具を取り出して薬を作る準備をした。
「回復薬はもうできるようになったから大丈夫だよ…多分」
完ぺきとは言わないが手順はわかっているので、黙々と作業しているとシグナが口を挟んでくる。
「どうして通りすがりの魔物なんかにそこまで構うの?」
「そうだなあ…最初目があった時、全然怯えたりしてなかったでしょ?それで気になったの」
意味がわからないとシグナが怪訝そうに聞いてくるので、さらに会話を続けた。
「ランでさえ私と会った時かなり警戒してたと思うんだよね。ジェイク先輩がいたからかもしれないけど。それにこの傷薬の作り方は授業で習ったものとよく似てる。きっとあの白い獣はずっと魔術師といたんじゃないかな?」
「…それで?」
「魔物って主を好きじゃなきゃ契約しないんでしょ?だからどんな人と一緒だったのか話してみたいなあって思ったの…それだけ」
シグナが目を細めてジュリはちょっと馬鹿だよねと言われた。
酷い
「幼い頃にあんな目にあわされても、ジュリは人間が好きだよね」
「シグナや家族がいたからね」
多分シグナは村に居た頃の事を言ってるのだと思った。結果的に人間ではなかったが、あの頃はシグナの事を人間だと思っていた。酷いことをするのも人だが、優しく救い出してくれるのもまた人だと知っている。だからきっと全ての人間に絶望しなくて済んだのだ。
話している間に、薄い水色の液体が完成した。成功しているかはわからないが、爆発など起きなかったので大丈夫だろう。
「できたよ!早く届けてあげよ」
はいはいとジュリの手を握って森を歩き出すと、シグナが異変に気付いた。
「ジュリ体温高くない?」
「そう?ちょっとクラクラするかなと思ってたけど」
何で言わないのとお叱りを受けると、ジュリはそのままシグナに横抱きにされた。持ってきた回復薬を飲まされたがあまり改善せずに、白い獣のいる場所にそのままの状態で戻ってきた。
ジュリの様子を見ても、獣は特に態度を変えずに涼し気な視線で見つめてきた。それを見たシグナが獣に威圧するような目線で問いかける。
「…お前知ってたのか?ジュリがこうなるって」
「嘘は言っていない、人間には強い副作用がある草花があるのは言わなかったが」
シグナが殺気だったのをジュリが掴んで止める。
「待って、師長に…」
「つれていけばいいの?」
多分師長に話せば何か教えてくれる気がする。正直満足に動けないと精霊探しは出来ないので、これでリタイアになっても仕方ないかなとも思った。ジュリには何が何でも精霊と契約したい意思はないのだから。
鈴の存在を思い出して、鞄から取り出して魔力を込めようとした。しかしそれは突風に寄って阻まれた。
「まだ帰ってもらっては困る、少し聞きたいことがあるのでな」
「あっ」
強い風にシグナと鞄やローブまでそのまま宙に舞うように飛ばされる。しかしジュリ自身はなぜか風の影響を受けずにその場に取り残される。
ええ!?こんな事ある!?
身ぐるみはがされた草食動物のように青ざめて白い獣を振り返ると、岩場からすっとジュリの近くに降り立っていた。
「貴方、もしかして風の魔物?」
「質問するのはこちらだ」
ゆっくり近づいてくるのを見ながら、ジュリは近くの木に寄りかかった。そしてふうと瞬きをすると、次に見た視界の中に獣の姿はなかった。
え?
白くて長い髪に赤目の青年が立っていた。シグナやランはどちらかというと少年っぽい見た目をしているが、目の前の人物は立派な青年だった。思わず後ずさりすると、青年がふっと笑った。
「お前は獣の姿には物怖じしないのに、人間の姿の方が怖いのか」
「ちょっとびっくりして…」
人間には咄嗟に襲い掛かれるような爪や牙はない。話をしたいだけというのを暗に示す様に、人間の姿になってくれたのかもしれない。
「お前が死ぬまでの間、質問したい。今すぐ死にたいなら答えなくてもよい」
あれ?私どっちみち死ぬの?
右手の感覚がなくなり、動かしにくいのを感じながら、ジュリはゆっくり頷いた。




