薬学の試験
古い記憶だ。けれど決して忘れはしない、僕らは忘れるという事をしない。
僕とジュリの懐かしい始まりの時間。
ミカと言う人間が何者だろうと本当はどうでも良かった。何を知っていようとその気があれば、とっくにジュリに話しているだろう。
話さないのは奴にも何か目的があるのだと思うが、そこら辺は特に興味はない。
僕が大切なのはジュリだけだから。
ただあれは、あの言葉と時間は僕だけのものだ。
ジュリと二人だけの秘密を他人に知られているのはやはりいい気はしない。
…いや、もうひとりいた。ジュリにとって大切な人間が。
人間の気持ちはちっとも思い通りにならないのにとても脆いから、今度は間違えてはいけない。
ジュリにとって何より大事なものが見つかるまでは。
その日ジュリは薬学の授業に出ていた。最終試験はそれぞれの学科の教師が個別に考えて出題するらしく、その試験の題材と向き合っていた。
か、かわいい…!
魔獣と呼ばれる小さな生き物を各自一匹ずつ配られた。くりっとした目に小さな尻尾がぴるぴると動いている。
「モルって言うどこにでもいる魔獣よ。花の蜜が大好物で、課題はその子達が満足するものを作る事」
ミルゲイが相変わらずのおねえ言葉で説明してくれる。目の前には何種類かの花が置かれているので、これを使えと言う事だろう。
え?材料もあるうえに、好物も教えてくれるの?簡単じゃない?
とりあえず花の蜜をあげればいいのだろうと、皆思ったに違いない。それぞれが準備をする中で、ジュリは小さな生物に釘付けでじっと見ていた。
平民にとって家畜は食べるもので、飼うなどはしない。試験まで飼って慣れさせるというのも初体験で、ジュリはそっとモルを撫でようとしたが、噛みつかれた。
「あいたっ」
「ははっ魔獣は基本人に懐かねえよ。だから餌で慣れさせるんだ」
カルロに笑われて、それを先に教えてほしかったと口を尖らせた。
とりあえずひとつ花を選んで手に持ったが、それからどうするのかわからない。蜜ってどうやってとるんだろうか?
横のカレンは黙々と作業をしているので聞くのを少し躊躇ったが、話しかけると普通に答えてくれた。
「花の蜜は特定の虫の器官入れて運ばれ、唾液と混ざる事で糖となる。それでも水分量が多い為…」
「…へあ??」
いきなり始まったカレンの説明の半分もわからない。ジュリの困惑を見て取ると、ふっと黙って透明な容器をくれた。
「つまり人間には蜜を採取するのは難しい。この魔法道具が採取に役立つ」
ああ、うん。それならわかる、ありがと
透明な容器には何か陣のようなものが書いてあり、その中に花を入れるとじわじわ溶けて液体だけが残った。
あ すごい
別の容器に移すとそれはとろりとしていい匂いがした。思わず舐めてみると、とても甘くておいしい。
はっいけない!これはモルにあげないとね
全部舐めてしまいそうになる衝動を押しとどめてモルの前に差し出すと、少し嗅いでぷいっと顔を背けられた。
あれ?蜜が好物なんじゃないの?
カレンや周りと見ると、同じようにモルが蜜を舐めてくれなくて困っている様だった。別の花が好みなのかなと、同じように作ってもう一度差し出しても今度は見向きもしない。
んん?
たまらず誰かが先生に質問すると、その生徒は盛大なデコピンを受けていた。あれ痛いよね…。
「馬鹿ね、ただ生物に餌やるだけの試験なわけないでしょ。思考と技術、そして創造のとても美しい課題なのよ。考えなさい」
生徒達が途方に暮れたため息が聞こえだすと、じゃあヒントねと言葉を続けた。
「モルってとてもグルメなのよ、そしてこの子達が魔獣という事を忘れないように。あとはそうね…自分の精霊達に相談でもしたら?」
それだけ?
全くわからずにその日の薬学の授業は終わった。創作魔術と同じくこれも最終試験で成功させなければいけないらしい。
試験までは飼わなければいけないので、餌の蜜が配られる。それを研究すれば何かわかるかもと思ったが、見ても舐めても普通の蜜と変わらない。しかしモルの前に持っていくと、ぺろぺろと必死に舐め出したので何かが違うのだろう。
「そんなにそれ美味しいの?味が違うの?」
「何話しかけてんの。魔獣に言葉が通じるわけないでしょ」
後ろからミルゲイがアホの子を見るような目で見下ろしていた。
「だって自分で舐めてもわからないんです」
「人間の味覚は鈍感だからね。でもアンタは四属性でしょ?それなら少しは有利なんじゃないの」
「え?」
属性が関係あるの?
余計な事を言ったという顔をしたミルゲイは、そのままジュリ達を教室から追い出した。
教室移動中の廊下で、ジュリは横のカレンやカルロに話しかける。
「ねえねえ、課題のヒントの意味わかった?」
「わかるわけないだろ」
「そうだな、とりあえず精霊が必要な事はわかったな」
カレンの言葉に、そういえば精霊に相談してみろとか言ってた事を思い出した。さっそく放課後ジュリはモルと花を中庭に持っていき、自身の精霊たちを呼び出した。
「でね?この花の蜜とこっちが私が作った蜜なんだけど、何が違うかわからないの。なぜか精霊に相談すればいいって言われたんだけど、みんなわかる?」
シグナ達は不思議そうにモルを見てから、蜜を見比べていたがよくわからないようだった。やっぱそうだよね…
カズラは花を掲げて綺麗ねと笑っている。
「魔獣についてはわかりませんが、こっちの蜜は属性が混ざっているようですね」
ランの言葉に振り向いて覗き込むと、指摘されたのは餌用に配られた方の蜜だった。
「属性が混じる?蜜に属性なんてあるの?」
「あるわよぉ。こっちの花は水属性、こっちは土属性が少し」
「花に!?そんなの全然わからないんだけど」
「人間にはわからないでしょうね。属性があるという事は少なからず魔力があるという事。私達は特に魔力に敏感だからね」
今度はカズラが答えてくれて、驚きながらもジュリはさらに質問した。
「じゃあモル…この魔獣は色んな属性が入った蜜が好きって事?魔力が欲しいの?」
「魔のつく生物で、魔力を求めないモノはいないだろうね。僕たちだって必要なものだもの」
そっか、シグナ達は魔物なんだよね
しかし全部の属性を混ぜたらいいのだろうか?カズラに教えてもらって、全部の属性の花の蜜を採取して混ぜてモルの前に置いてみた。しかしふんふんと匂いを嗅いでいるが口をつけてくれない。
「何がダメなの?」
困ってジュリが話しかけると、シグナに魔獣は言葉が通じないよと突っ込まれた。うん、それもう聞いたから!
「比率…じゃないでしょうか?こちらの蜜はかなり均等に混ざっている気がします。けれど花によっては魔力の度合いが薄かったり濃かったりしますから」
採取した蜜を見ると、属性の色が出てるのでわかりやすいが、確かに色合いが濃かったり薄かったりする。
どれかに濃さを合わせるにしても難しくない?
唸っていると、シグナが足りない分はジュリの魔力に染めてみたらと言われた。
「そんな事できるの?」
「ジュリは僕に水晶の花をくれたじゃないか。出来るんじゃない?」
なるほど
あの授業がここで生かせるのかと感心しながら、薄い色の蜜に自分の魔力を流した。しかしこの調整がまた難しい。やりすぎると一気に濃くなってしまう。
けれど四属性のジュリはまだ選べるの花の選択肢が多いし修正も可能だ。属性が少ないと花の属性に依存するので、さらに繊細さが要求されるだろう。
一番マシに出来た蜜をモルにあげてみたが、まだまだ要練習というようにそっぽを向かれたのが悔しかった。