友
仮面舞踏会を抜けて、カイルと一緒に救護室に向かう。
「私はわからなかったんだけど、ディアスもアルスの様子を気にしてたんだよね」
「アイツは僕たちの中で一番嘘が上手いんだよ。けど長年の付き合いで何となくおかしいのはわかるよ」
聞いても教えてくれないけどねと、少しだけ寂しそうにカイルが笑う。素直なカイルとは反対に、アルスは自身で溜め込んでしまうタイプに思えた。
具合悪くても平気なふりをしちゃいそうだよね、特にカイルには…
アルスがカイルの事をとても気にかけているのを知っているから、そう思うのかもしれない。ジュリは龍の湿地帯で、アルスと二人で話したことを今も覚えている。
ぎゅっと手を握りしめて、救護室に急いだ。
室内に入ると、使用している寝台はひとつだけのようだった。そこにアルスが頭を抱えて蹲っていた。
「アルス…?大丈夫?」
アルスは問いかけにゆっくり顔をあげて、なぜ君がここにいるんだという目でジュリを見上げた。
「ジュリちゃん…、カイル…!」
カイルを見た瞬間に頭を痛そうに抱えるアルスに、眉根を寄せる。
「頭痛いの?」
「何…でもないから!出て行ってくれっ」
普段冷静を取り繕っているアルスの叫び声を初めて聞いて驚いた。これは確かに尋常じゃない、けれど何が起っているのか見当がつかない。
「何でもないわけないだろう?一体…」
カイルも不思議な様子で辛そうな彼の身体を支えようとしたが、その手を跳ね除けられた。ジュリはカイルを引き寄せて、なるべく落ち着いて語り掛けた。
「わ、わかった。近寄らないから、症状くらいは教えてくれる?心配だから…」
「本当に何でもないんだ…。病気とかじゃないと思う」
言いたくないのかな?
「じゃあ、いつからそんな状態なの?結構前からだよね?」
「さあ…術技大会…の前くらいから?」
術技大会の前…?そんな前から?
三年生が始まってすぐに何かあっただろうかと、ジュリは記憶を巡らせる。
授業?魔闘?多分違う…私の精霊探し?
龍の湿地帯でアルスと話した時におかしいと思うような所はなかった。でも術技大会の直前だとするとやはりあの場所が関係しているように思えた。土の属性の強い土地で、何かあったのではないだろうか。
土か…
ジュリはペンダントの土の陣に魔力を込めて、カズラを呼びだした。何となく同じ属性の彼女なら、原因がわかるかもと思ったのだ。
突然現れた土の精霊に、カイルもアルスも一瞬呆気にとられた。カズラはまた会えて嬉しいというように、ジュリを見て微笑んだ。
「カズラ姉さん呼び出してごめんね。アルスに何が起っているかわかる?」
カズラはアルスをじっと見て、少し同情するかのような顔をした。
「まあ、そんなに押し止め続けては辛いでしょうね」
「どういう事?」
ジュリの問いかけに、カズラはゆっくりと答えてくれた。
「憑依されている。ごくごく弱い魔物でも、中には精神に強く作用する場合があるの。彼の場合は心の奥底の欲望を増幅させられて、それを必死に抑え込もうとしているようね」
「欲望って…?」
「妬み嫉みなど、人間なら当たり前に持っているでしょう?普段は理性で保てても、そのたがが外れてしまうと、相手を傷つけたり心無い言葉を放ってしまうものじゃないかしら」
じゃあアルスはそんな事をしたくなくてずっと一人で耐えてたの?
しかし憑依なんていつされたのだろうか?龍の湿地帯ではほぼ一緒に行動していたはずだ。魔物に取りつかれた場面などは見ていないはずだが…。
“どうしたの?擦り傷だらけだけど、転んだの?”
“何か気づいたら、気を失ってたんだよね。魔獣にでも突進されたのかな”
そういえばアルスが周囲の警戒をしてくれて、帰って来た時変な事を言っていたのを思い出した。
もしかしてあの時…?
何かに耐える様に目を閉じているアルスを見ながら、ジュリは彼の欲望とは何なのだろうと思った。
「どうすればいいの?憑依を外す事は出来る?」
「そうね…欲望を昇華させるか、強制的に解くかでしょうね。後者は荒療治になるけれど出来ると思うわ」
じゃあと言いかけたジュリを止めたのは、黙って話を聞いていたカイルだった。
「待って。それじゃ根本的に何も解決しないじゃないか、だってこれはアルスの本音なんだろ?」
「そうだけど…」
人は些細な事から深刻なものまで、誰でも知られたくない感情は抱えていると思う。それを暴くのは乱暴じゃないだろうかと思った。
「僕は向き合いたい。それがどんなものでも」
カイルがそう言った途端、アルスが暗い瞳で相手を見定めた。
「お前の…そういう所が我慢ならないんだよ!」
手には小さな短剣を持っていて、それをカイルに突き付けた。思わず叫ぶジュリを、カイルは手だけで抑える。
「僕は本当はお前の事が嫌いなんだ。恵まれている事に気づきもしない、それが当たり前だと思ってるだろ。生まれだけで全てが決まって…兄だってそうだ。兄は僕よりも優秀な騎士なのに、カイルと同期で仲が良いという理由だけで、僕が未来の副団長候補に選ばれた。侯爵家の生涯の付き人という意味でしか僕は必要とされない」
そういえば騎士は純粋な実力だけでなく、爵位も必要なものなんだっけ。上に立つ者がどんなに強くても下位の貴族だと従わない者も出てくるからかな?
「…昔、僕はカイルよりも弓は強かったよな。先生にも褒められてさ、嬉しくて両親に報告したんだけど喜んではくれなかった。けれど剣術はカイルの方が強くて僕はずっと二番手だった、それはものすごく喜んでくれたんだ。わかる?カイルよりも上位の評価を貰う事を良しとしなかったんだ。それから僕は努力する事を辞めた、正当に評価される事なんてないのだと知ったから」
カイルは黙って聞いていた、けれどアルスから目線を逸らさなかった。
「お前のせいじゃないのはわかってるよ、けど嫌うのは仕方ないだろ?お前も僕を嫌いになっただろ?ずっとそう思いながら側にいたんだよ?」
黙っていたカイルが、ふっと一息入れた後に言葉を紡いだ。
「お前がどう思うかは自由だ。けどそれで僕がアルスを嫌いになる理由にはならないだろ?嫌われたら同じく嫌い返さなきゃいけないのか?」
驚いて目を見開いた後に、アルスは短剣を持っていた手をおろした。暗いものをまとっていたアルスの雰囲気が霧散したかのように思えた。
「…実直なお前を妬ましいと思った事があるのは事実だよ。けどそれ以上に、友達で良かったと思っているのも本当だ。わかってる、わかっているんだ、こんなのただの八つ当たりだ。結局自分の地位に甘んじて、何もして来なかったのは自分なんだ。努力する事も、捨てて逃げ出す事も、本心を言葉に出す事さえしなかった」
「アルス…」
「ごめん、カイルごめん…」
カイルはゆっくりとアルスを抱きしめた。ジュリの立っている所からは、カイルの後姿だけでアルスの顔は見えなかった。
「僕も自分の生き方を疑問に思った事はあるんだ。それを享受して利用している部分がある事もわかってる。お前ほど処世術に長けてないから、甘い考えもあるんだろうけどそういうのは指摘してくれたら助かる、友達としてさ。きっと認めてもらえるように努力するから」
「カイルがいつも努力してきたのは知ってるよ。それだけ長い時間を一緒に過ごしてきたんだから…」
カズラがふふっと笑ったのを見て、ジュリははっとして自身の精霊を仰ぎ見た。
「ねえ、もしかして憑依解けた?」
「そうね、魔物はもういないわ。彼が相手と向き合ったからでしょうね。いいわね~人間の友愛もとても素敵だわ」
そういえばカズラはそういう性格だったなとジュリは顔を引きつらせて思い出し、続いてほっとしながらカイル達を見た。
アルスもだけど、きっとカイルも頑張ったよね
向き合うためには必ず受け止めてくれる相手がいる。信頼する人間に剣を向けられても尚、自分の心を疑わずにいられるだろうか。それはきっと簡単な事ではないと思うから、貫けたカイルを素直に尊敬した。
友達か
ジュリの友達はシグナしかいなかったから、そんな激しい感情をぶつけられた記憶はない。けれど二人を見ていたら、何故か後悔に似たような気持ちが湧いてくる。
どうして?
カイルとアルスが仲直り出来て嬉しいはずなのに、どこか悲しい気持ちになるのが不思議だった。