彗星の魔術師・前編
ある日、遠い血縁関係のあるミストレイア侯爵の養子になった。養子縁組に本人の了承は必要なく、ただ明日からお前はこの家の子供ではなくなると言われただけだった。
ミストレイアは古くから王族に使える優秀な魔術師を輩出してきた名門貴族の家系で、その直系の貴族がなぜ自分を引き取ろうと思ったのかとても不思議に思った。
なぜなら自分は四属性だった為、両親からも捨て置かれた存在だったからだ。
三属性までは優秀と言われてるが、四属性は貴族として認めてはもらえない。何故なのかわからないが、国がそう定めている。
四属性は、生まれた時から未来を絶たれた子供だった。
「ああ、着いたか。案内ご苦労カズラ、そしてようこそ四属性の少年」
親しみのある笑顔で迎えてくれたのは母よりも若い女性で、足が悪いのか杖をついていた。なぜか側には同じ歳くらいの少女もいた。
実子…じゃないよな?独身だって聞いたはず
「あんた…ぐぁっ」
口を開いた途端に、持っていた杖でごんっと叩かれた。
「何すんだよ!」
「まず目上の者には敬語を、初対面の人間に話しかけられたら挨拶をするのは常識だろう。なるほど、貴族としての教育は受けていないようだね」
「はあっ!?そんな礼儀知るかよ!」
少女は二人の気迫に怯えて縮こまっているが、侯爵らしき女性は面白そうに笑った。
「貴族が礼儀を重んじるのは別にそれが規則だからじゃない。表の顔を作り相手を見定め、付け入る隙を与えない為だ。それが貴族としての自身の価値にも繋がっていくからな。これを聞いてもお前が従う意味がないと判断するなら好きにしたらいい。強制はしない」
強制はしない…?
その言葉で一気に昇っていた熱が冷めていった。少なくても彼女は子供の喧嘩を買ったりはしていない。その様を見て、自分の幼稚さが少し恥ずかしくなった。
「なぜ…?」
そこは諭すべきだろ?
「意に沿わない事を強要しても時間の無駄だから。命令で従わせても意味はない。特にお前たちは…。実際、私も貴族の挨拶は面倒だから、やりたくない気持ちもわかる」
女性は特に気にした様子もなく、茶目っ気のある笑顔を浮かべた。
…こんな貴族もいるのか
高圧的な実母や無関心の実父、いつも見下すように笑う召使いとも違う。
「だが魔術師になっても身分は有効だからな。わざわざ持っている武器を捨てる事もあるまい」
「は?四属性は学院に通えないんだから、魔術師になれるわけないだろ」
不可解な顔をした自分と対照的に、女性はふっと笑って言った。
「いいや?お前たちが入学する歳までには何とかして見せるから、楽しみにしていて欲しい」
何だそれ!?
「それと、今まで名乗っていた名前は捨ててもらうよ。今後真名を教えるのは、信頼できる伴侶くらいにしなさい」
「真名って…今時そんな古い魔術師なんていないだろ?」
「ふふ、礼儀をしらないくせに知識は持っているんだな」
昔は弱みとなる名を隠す魔術師も多かったらしいと古い文献を読んだことがある。けれど現代では呪術そのものが研究され法でも細かく禁止されている為、名を隠す風習は廃れていった。
自分がそれを知っていたのは、ほぼ軟禁状態で祖父の残した書物を読むしかなかったからだ。あいにく礼儀に関するものはなかったが。
「魔術は古い物も新しい物も、等しく価値ある人間の歴史だ。先人が残したものには意味があり、それを受け継いでいくべきというのが持論なのでね」
そう言いながら一瞬、何かを思案するしぐさをしたような気がした。
「私はエルザ、と名乗っている。そうだな、母とは呼びにくいだろうから師匠とでも呼んでくれ。お前の名も考えてあるよ」
自分はレヴィンと名付けられた。エルザが名は親からの最初の贈り物だからと嬉しそうに笑ったのが印象的だった。
ここへ来て数年が経つ頃、エルザが魔術師の学院の入学願書を渡してきた。
「制度の見直しは前々から申請していたから入学に間に合いそうでよかった。メイサも一緒に入学してもらうからよろしく頼むよ。レヴィンはしっかりしているから」
メイサは自分と同じく養女として引き取られた少女だ。
それにしても制度の改正って…四属性を魔術師にする必要がそこまであるんだろうか?
エルザがそれを可能とする高い地位と身分を持っているのは理解していたが、それでも国の制度を変えるなど途方もない尽力したはずだ。
「エルザが教えてくれるから学院は必須ではないように思うのですが」
「そうだな。魔術を学ぶだけならそれでいいが、私が学んで欲しいのはそれだけじゃないよ。同い年の友に囲まれながらでしか得られないものもある」
よくわからなくて首を傾げていると、今日で魔術の授業は終わりだと言われ驚いてエルザを見上げた。
「…どうして?」
「元々学院入学前の子供には魔術は教えてはいけない。お前たちは四属性でその決まり事の外に居たが、入学資格を得たからこれ以上は学院の規約違反になる」
本などで知識を得る事は見逃されても、魔術を正規に学んでいない子供に使わせるのはリスクがある。それは理解できるが、せっかく使えるようなってきた魔術を扱えないのは残念だった。
それを感じ取ったエルザが笑って口を開いた。
「今日は私が変わりに魔術を見せようか。先日の課題だった自作の陣を見せてごらん」
メイサと二人で提出すると、それを見た後にエルザは両手を掲げて自分たちが作った魔術の陣を発動させてくれた。
料理や掃除などは不器用でほぼ何もできないエルザだが、魔術を使う時は別人かと思えるような英邁さを見せる。水や炎を操る手の先からは、精霊の力の粒子が見えるような美しさを伴っていた。
「師匠、綺麗…」
メイサの呟きに心の中でひっそり頷く。自分やメイサが使う魔術とは違う、速さもそして繊細さを伴う技術も、卓越した芸術のようだと思う。
「うん、メイサはもう少し命令系統の陣を追加した方がいいが、レヴィンは相変わらず完璧だな。二人ともよく出来た」
エルザは基本的にとても褒めてくれる。レヴィンは褒められても顔に出さないようにしている可愛げのない子供だったが、実は内心とても喜んでいた。
「でも僕らが学院に行くと、エルザは大丈夫なんですか?僕らがいないと料理もまともに出来ないのに」
「お前たちが来るまでずっと一人だったんだ、どうにでもなる。精霊もいるしな」
そうだ、それもずっと気になっていた
「エルザは…」
「レヴィンは敬語は身に着いたのに、いつまで経っても名前呼びだな。私は義母で師匠だぞ」
「ならエルザの本当の名前を教えてくださいよ」
母とは思えないが、師匠としてなら尊敬はしている。けれど養子縁組で自分たちの名は知っているだろうに、こちらはエルザの本名を知らないのは公平でない気がした。
家族だって言うなら僕たちにくらい教えてくれてもいいのに
これはレヴィンの幼いながらの伝わらない抗議だった。
「貴方の流儀に合わせるなら、名を教えるのは伴侶のみでしたね。結婚はされないんですか?」
「…私よりも強い魔術師がいればな」
それはしないと同義語では?
エルザは魔術師の最高位の宮廷魔術師長であり、この国で彼女より秀でた魔術師はいない。
魔術の研究に生涯を捧げそうな変わり者だしな
そう思ったレヴィンの横で、ふとエルザが憂いを帯びた表情をしたが子供たちは気付かなかった。
「じゃあ僕がエルザよりも強い魔術師になります。その時は名を教えてください」
「楽しみにしてるよ」
そして暖かく花が咲き乱れる季節が来ると、二人は学院に無事入学した。ローブの色が二人だけ黒で悪目立ちをしたが、子供たちは大人程四属性に忌避感を持っていないようだった。
レヴィン達本人もよく知らないのだ、同じ子供達も不思議に思うくらいなのだろう。ただし、教師たちの中にはあからさまに警戒したような目で見てくる者もいた。
なるほど、大人になれば何かしら知れる真実があるのだろうな
初の試みで、実験的に入学した四属性はそれでも奇異の目では見られていた。しかしレヴィンがやや孤立しているのは別の理由もあった。
「レヴィン」
そう声をかけてきたのは騎士コースのレオだった。
「何ですか」
「そう嫌そうな顔をするな。そして通り過ぎようとするな」
がしっとローブを掴まれて、嫌そうに振り向く。
「どうせまた苦情でしょう?魔闘でボコボコにした伯爵の次男ですか?昇級試験で噛みついてきたので丁寧に返答した子爵ですか?」
「後者だ。一体何を言ったんだ?」
「頭の弱い方は、無駄な雑談に時間がさけるなんて気楽でいいですねと」
レオが頭を抱えて呻いた。彼はクラスのまとめ役で、何かしら目立つ問題児のレヴィンのフォローに回っていた。
大体、エルザに教えられて何歩先も言ってる僕に敵うわけないのに
レヴィンは勉学、体術共にとても優秀な生徒だった。けれど性格は取っ付きにくく、妬みの的にもなっていた。普通なら侯爵家に表立って歯向かう生徒はいないが、彼が養子であるのが大きいのかもしれない。
「いちいち喧嘩を買うな。彗星の魔術師の異名で期待されているのに」
「それ誉め言葉じゃないですから」
誰が言い出したかわからないが、不本意なあだ名をつけられて顔を顰める。
彗星は誰もが目を引くような輝きを見せて、誰よりも早く過ぎ去っていく彼の優秀さを表していると同時に、一時的ですぐに消え去ってしまうものという皮肉も入っている。
「早く長期休暇になってエルザのところへ戻りたいですよ。同い年は歯ごたえが無さすぎます」
「ああ、侯爵家の…婚約者が亡くなってからは討伐には出なくなったらしいが、魔術の技量は健在なんだな」
「…は?」
レオの話によると、エルザには同じ魔術師の婚約者がいたが事故で亡くし、自身も巻き込まれて片足を失くしたが、その婚約者の意志を受け継いで師長までのぼり詰めたらしい。
どうしてそこまでするのか、気にはなっていたけど…じゃあ何?僕らを養子にしたのは婚約者との約束ってこと?
エルザは何も間違っていない、むしろその努力を讃えるべきだ。けれど仕方なく僕らを養子にしたんだろうかと思うと、彼女と過ごした時間が色あせてしまうように感じた。
行き場のない焦燥感が頭の中を駆け巡るのを、レヴィンは止められなかった。