ジュリの精霊
シグナは不思議な男の子だった。村でいじめられていたジュリは大概の事を我慢していたが、どうしても耐えられない時もあった。
村のお祭りで参加者に配られる果実の飴をジュリの分だけないと断られた時、家族に今日は知り合いが尋ねてくるからジュリだけ家に居ないで欲しいと言われた時、自分は本当にこの村に存在しているのか、存在してていいのか、まだ7歳ながらに考えたこともあった。
そんな時、どうしても会いたいときになぜか傍にいてくれる男の子がシグナだった。
彼はどんな時でもジュリを受け入れてくれた、自分を必要としてくれる証明のひとつだった。
「シグナ…?本当にシグナなの?」
後髪をなびかせながら、少しだけジュリの方をシグナが複雑そうな顔で見る。
「ジュリ、危ないから下がってて」
シグナは師長と対峙してジュリを守るように進み出た。師長はやっと会えましたねと嬉しそうにシグナに話しかけている。師長が右手のひらを掲げて、青色の陣が浮かび上がり、以前見た女性とは違う女性が出てきた。
「ニンフ、あの者の姿が見えますか?」
「…わかりません、私よりも高位の精霊のようです。蒼龍を呼ばれては?」
「そうですか…。ん~あの人、気難しいんですよね~後が面倒だしやだなぁ」
師長はまるで友達と話すかのように和やかな会話を続けているが、シグナは特に興味もないような表情で目の前の標的に攻撃を定めた。
シグナの周りに細かな水滴のようなものが現れたと思ったら、瞬時に針のような鋭さになり全てが師長に降り注いだ。
「土塊よ」
土の壁が地面から生えるように伸びて、師長の周りを覆い水の針を防いだ。
「属性には相性がありますよ、産土」
今度は左手の甲を掲げて、黄色の陣からもふもふした動物のような物が出てきた。
「ちょっと蒼龍さん呼ぶまで時間稼ぎしてください」
動物は理解したのか師長の前に出て、シグナが繰り出す攻撃を受け止め出した。ジュリはもう何が何だかわからずにその場にへたり込んだ。
なんでシグナがいるの?なんで師長と戦ってるの?
教室の皆は流石にただ事ではないと何人かは避難し、また何人かは別の教師を呼びに行ったようだった。師長が何かしら長い言葉を呟いでいると思ったら、きゃうっと声がしてもふもふが吹っ飛ばされた。
「おやまあ」
「ジュリの前から消えてよ」
「無理でーす。僕、先生ですから」
師長がまさに煽るように笑顔で言うと、シグナは水を無数の蛇のような姿に変えてさらに師長に嗾けた。しかし師長は動かず、その手前に出てきたもうひとり別の人物によって弾かれた。
誰…?
その人物は異国の甲冑を着て、逞しい青年の姿をしていた。唐突に現れたのを見ても、師長の精霊だろうか?
「こんにちは、蒼龍さん。久しぶりですね、さっそくですがあの精霊について聞きたいのです。同じ属性として何かわかります?」
蒼龍と呼ばれた青年はじっとシグナを見つめて、少し首を傾げた。
「あれは…蛟だな。人間に従す魔物ではないだろう。なんでこんな所にいる?」
「ほう…!珍しいものなのですね。それは是非調べ…お話を聞いてみたいですね!」
げんなりした様子で爛々と目を輝かせた師長をみた蒼龍は、シグナに向き合い挑発するかのように笑った。
「まあ同属性なら私に敵う事はない」
「そうですね、貴方は精霊というより神獣に近い。あっ出来れば、友好的に終わらせてくださいよ?色々聞きたいので」
「無理に決まっている!お前はなんでいつも無茶な注文が多いんだ!」
シグナがさらに水の槍のようなものを作り出したが、蒼龍は三匹の小さな竜のような物を水で作り出した。一匹が攻撃を跳ね除け、もう一匹がシグナに襲い掛かる。そしてもう一匹は師長に巻き付いて安全を確保した。
力の差は歴然で、一気にシグナが押される形となった。ジュリはたまらず、シグナに近づいて止めようとしたが、攻撃を跳ね除けた竜がジュリの近くに舞い降りた。
「きゃっ…!」
ジュリは水しぶきと一緒に弾き飛ばされ、壁に激突しそうになった。そしてそれを受け止めてくれたのは、カイルだった。
「大丈夫?」
「あっぶな~!あの精霊大戦争してる人たち周りに生徒いるってわかってんのかな」
水の衝撃を和らげ、師長に似たような土の壁を作り出したアルスが文句を言う。
「ある程度は避難したが、物見遊山で残っている者は自己責任だろう」
ディアスはアルスの隣にたって、戦闘を繰り返している精霊たちを見上げる。
「カイル様達は逃げなかったのですか?」
「戦闘中に婦女子を置いて逃げ出す騎士はいないよ」
カイルの笑顔に少しほっとして、シグナの様子を見ていたら、半壊になった教室にミハエル先生が飛び込んできた。
「何!?これは…??ちょっとレヴィンちゃん何をやってるの!?」
ミハエルの怒声に師長はげっという顔をして、今気づいたというように教室の惨状を見ながら焦りだした。学院内は年功序列ではないだろうが、師長より年上のミハエルは人間的な力関係は上のようだ。
あれはすごく言い訳を考えている顔な気がする…
なぜなら普段ジュリは、よくカルロに怒られて同じ事をしているからだ。
「生徒の精霊が暴走しまして…」
「嬉々として高位精霊まで召喚して何言ってるの!学院を破壊するつもりなの?」
被害を広げているのは師長だと瞬時に見破られた。流石。
ミハエル先生強い
シグナと蒼龍は未だ互いに牽制し合っていて、止まる所を知らない。
「わかった、わかりました!」
そういうと師長は自分に巻き付いている竜をジュリに向けて放つ。シグナも気づいて守ろうと駆け寄るが、それは蒼龍に阻まれてしまった。
ジュリを守っていた騎士たちはなぎ倒されて、ジュリは水の竜に捕らえられて師長の元に連れていかれる。
「え…!?」
「大丈夫、危害を加えるような事はしません」
師長と向き合うジュリはこの状況と、授業が始まってからの会話を思い出すと、どうしてもそれは信用に足るものではないと思い恐怖を感じた。
「すこーし眠るだけですよ。大丈夫大丈夫」
「う!?」
ジュリの首に手をかけてゆっくりとひっぱるような動作をする。竜に巻き付かれているジュリは抵抗はできなかった。
特に首を絞められているというわけでもないのに、変な息苦しさと脱力感、なんだか寒気までしてきた。
「おや、その年齢で意外と魔力量が多いですね。あの女性は何を言ってたんでしょう?」
魔力…?
「おやすみなさい、貴方はやはり面白いものを持っている方でした」
笑顔でそんな事をいう師長の顔を見ながら、だんだん視界が暗くなってくる。最初に表情が見えなくて、怖いと思ったのは間違ってなかったかもしれないとジュリは途切れ行く意識の中で思った。
そしてシグナはどうなるのか、わからない事だらけだがジュリを守ろうとしてくれたのはわかる。
シグナと話がしたいのに
聞きたいことも、謝りたいことも、ここにきてすごく楽しいこともあったのだと話したいことはいくらでもあった。けれど頭と体は別物のように、深い闇の中に沈むようにジュリの意識は途切れた。