親愛なる君へ
僕はフォンベール伯爵の末子として生きてきた。
ジュリにはミカと呼ばれている。
五年前に起こるはずだった惨劇からジュリを失わない為に、長い間彼女を見守っていた。
僕はジュリさえ守る事が出来れば、聖女が降臨しようが国が滅びようがどうでも良かった。だってその為に君の元に戻って来たんだから。
だから最初、ジュリがどんなに必死にあの女を助けようとしていても、協力はしないつもりだった。だってそれでもし、ジュリに危険が及ぶ事になったら?
僕にとってはその方が怖かった。またあの暗い夜にひとりで絶望しなければいけない、そして再び同じように過去に戻れることは出来ないと知っていたから、失敗は出来なかった。
けれど手紙が来た。
一通は白紙の紙で、指定場所や日時が書かれているもの、正直これだけなら無視をしただろう。
問題は一日遅れで届いたもう一通。
それは五年後の自分からの手紙だった。
そして僕が協力した所でジュリの安否は揺るがない事が先に書かれていた。
“ジュリを悲しませるのは本意ではないだろう?僕はいつだって彼女の望みを出来るだけ叶えたいのだから”
強制的に指示を促すのではなく、ただ後悔のないようにと、とても自分らしいと思わせるようなものだった。
そして最後の方に書かれていた文章から目を離せなかった。
“ジュリが求めてるシグナが―——”
ずっと思っていた事を文字に書き起こされた気分だった。
なぜ自分はそんな手紙を書いて送って来たのだろうかと思った。
それはきっと認めたくなかった自分自身を奮起させる為、未来に自分は何か決断をしたのだろう。
多分、ジュリの為に。
いつだって僕が考える事は僕が一番よく知っている。
この手紙を読んだ僕もまた、ジュリと共に大人になり、この言葉を思い出した。
そして一人でシグナの眠る湖にやってきた。ミカとして見るのは二度目だが、青々とした湖は嫌でも覚えている。
「シグナ…か。懐かしいな、五年も経てば実体を保てなくても自我はあるだろう。僕の声が聞こえる?」
本当はジュリにミカを選んで欲しかった。けれど僕の好きなジュリはきっと僕を選ばない。ジュリが求めるのはいつもシグナで、それをどこか喜んでもいた。
だから、捨てたはずの自分の名前がとても羨ましかったのかもしれない。
ミカになる前、僕は違う名で呼ばれていた。
以前の名はシグナ。
過去に戻る前まで、僕はジュリの水の精霊だった。
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シグナを思いっきり抱きしめていると、ジュリの頭の上からミカの声が聞こえた。
「ミカは、僕だったんだ」
「え…?」
ジュリは聞こえた言葉を理解する為に、一度顔をあげてミカの姿をしたシグナを見返す。
「どういう事?」
「順番に話すよ…。ミカは聖女降臨のあの日、ジュリを失ったシグナなんだ。君を失って絶望した僕は闇の精霊に契約を持ちかけた」
「闇の精霊って…アガレス?」
「そうだよ。アイツは僕が死ぬ運命の精霊だと言った。どこの時間軸でも既に僕はいないらしい。そんなものを庇って死ぬなんて憐れだねとジュリを見ながら言っていた」
シグナは俯いて、まるで自分の事のように辛そうに話す。
「自分の魔力全てを代償にして構わないから、ジュリを助けたいと。アガレスはそれじゃ過去に戻るどころか死んでしまうと言った」
ジュリも同じように頷く。精霊は魔力の塊だから、それは命を差し出すに等しい。
「けれどシグナとして戻るつもりはなかったから丁度良かった。死ぬ運命を背負ったまま、ジュリの側にいる事は難しいだろう?ならばシグナは今ここで死ぬから、生まれ変わる場所を過去にしてくれと言った」
アガレスはそんな事はやった事がないし、成功する保証もないと最初は断ったらしい。ジュリの印象ではかなり適当な精霊だが、契約に関しては妥協はしないんだなと思った。
「たとえ魂になっても絶対にジュリの側に行く…。そう言うと、アガレスは最後には面白そうに承諾してくれた。その後は…実際ミカの記憶も曖昧なんだ。時間も場所もジュリとは少しずれてしまったけれど、一緒の時間軸に存在するミカとして生を受けたらしい。シグナとしての記憶も成長していくにつれて戻ってきて、完璧に思い出したのは八歳くらいだったと思う」
人間の寿命としてなら一週間でも、精霊の魔力なら十数年分の時の対価にはなるだろう。
初対面で私の事を知っていたのは、そういう事だったの
「学院でジュリを見つけた時はとても嬉しかったな。本当にずっと会いたかったんだよ。あとは…ジュリの記憶通りだと思う。出来るだけ側にいて、ジュリを守るために先導していた」
まるでミカのように話すので、一瞬ミカなのかシグナなのかわからなくなった。けれどジュリは口を挟まずに、彼の話に耳を傾ける。
「そしてここからは僕の話。長く湖で眠っていたシグナに、語り掛ける声が聞こえた。そいつは自分に勝てれば身体をあげると言っていた。ひとつの身体に意識は二つは混在できないから、勝者はひとりだと」
“いつまで経ってもジュリを縛り続ける、君と言う存在が邪魔なんだよね。だから勝負をしようよ”
「意識が入り混じる感覚の後に、気が付いたらこの身体で湖に立っていた」
「ちょ、ちょっと待って。その身体がミカのものならミカはどうなったの!?」
「ミカの生きてきた記憶を僕は持っている。だから…死んだわけじゃないと思う。人格交代が近い表現かもしれない」
また出てくるかもしれないし、徐々に統合されて消える可能性もあるとシグナは言う。
「そんな…。どうしてミカはシグナだって言ってくれなかったの?」
「言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだよ。元々の世界ではミカはいなかったから、その時までとても慎重に動いていた。そしてシグナを失っても君は諦めなかった。ジュリの求めるシグナにはもうなれない、けれどミカとしてはジュリの一番にはなれない」
ミカはシグナと張り合うような言葉をよく言っていた。けれどいつもミカとシグナは別人だからと否定していた。
ミカはずっと私に選ばせようとしていたのではないだろうか?
「ミカはこれをもらってから、ずっと悩んでいた」
シグナは薄い紫色の封筒を取り出して、ジュリに手渡した。いつか見たような手紙を広げ、目に留まった文章に眉根を寄せる。
“ジュリが求めてるシグナが僕ではないように、僕が求めていたジュリももういない。僕のジュリはあの夜に死んだんだ”
まるで自分に言い聞かせているようだと思った。
「これは未来のミカからの手紙だよ。君が言ったんだろう?」
「え?…あ」
“でも私を庇ってくれたシグナが私にとってのシグナだと思う”
別のシグナがいたとしたらと言われ、ジュリはミカにそう答えたのを思い出す。
「ジュリのシグナは僕だけだ。勝負なんて言っていたけど殆ど抵抗もなかった。最初からこの身体を僕に渡す気だったんだと思う」
「…どうして?」
「ミカが僕なら、願うのはいつだってジュリの幸せだからだよ」
以前、奇跡を起こせるのは人間だけだとミカは言った。それは奇跡を起こせるのは自分だけだとわかっていたのではないだろうか。
愛される事は諦めても、最後まで愛し続けてくれた。そしてジュリにとって、一番幸せな未来を選んでくれた。
「私…もしかしてミカに残酷な事をしてた?」
「ジュリが僕を選んだように、ミカも自分が後悔しないように選んだだけだ。そこに負い目を感じて欲しくはないと思うよ」
それでも手放しで喜べずにいると、ふっと顎に手をかけられてキスされた。
「!?」
「僕とミカから、二人分の気持ちを込めて」
顔を赤くしながら後ずさるジュリを嬉しそうに見つめる。この潔さはどこかミカを思わせた。記憶の中のシグナはこんな人間らしい事を出来るはずがなかった。
ミカの記憶があるって言ってたから?それにしても…
シグナであるはずなのに、どこかミカを思わせる彼をとても不思議に思う。ジュリと目が合うとふっと笑ってシグナが口を開いた。
「僕はずっとジュリの側にいる存在になりたかった。だからこれからもずっと一緒に居たい」
ああ…
それは昔ミカから教えてもらった愛情の言葉だった。
“ミカにとって好きってどういう気持ち?”
“これからもずっと一緒に居たいと思う気持ちかな”
ミカも確かにシグナだったのだと改めて思う。
そして今度はジュリが想いを伝えるためにシグナの手を取ると、笑顔で覗き込まれた。
「シグナ、あのね…」
ジュリが笑うとシグナが嬉しそうに笑ってくれるのが昔から好きだった。そんな事を思い出しながら、ゆっくりと口を開く。
シグナだけに見せる笑顔をはにかむように向けながら。
最後までお読み頂きありがとうございました。
主人公の視点では師長の過去話を回収出来なかったので
いつかこっそり追加したいなと思います。