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笑わない魔女は光の聖女に憧れる  作者: 悠里愁
終章 いつか帰るところ
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水の回想・後編

ジュリはあれから、たまに一人で少年に会いに行っていた。魔力の譲渡が目的だが、会話を振ると少しずつ返ってくるようになる。


「貴方は名前がないって本当なの?」

「…まあ」


孤児ですら呼びやすい名前を自分で付けたりするのに、流石に今まで名無しで生きてきたとは思えなかった。


言いたくないのかな?


人に言いたくない事は確かにある。行きずりの子供にわざわざ言う必要性もないだろうと思い、執拗に聞き返す事はやめた。


「私はジュリだよ」

「…ジュリ」


名前を呼んでくれたのは嬉しかったが、笑顔で答える事は出来なかった。長年の虐めからジュリはうまく感情を顔に出す事ができない。


表情豊かな姉なら、きっとこういう時は全身で喜びを表現するのだろうけど。




「ジュリもあの人に会いに行ってるの?」

「え?」


家でご飯を食べていると、姉から唐突な質問されてジュリは持っていた匙を落とした。


「あの人…って?」

「名無しの彼よ」


そこで横に座っていた兄が反応して、男だと!?と驚いて詳細を聞いてきたが、姉もジュリもスルーした。


「そんなんじゃないよ?」


姉は少年の事が好きなのだ。なので普段人に懐かないジュリが、どんな思惑で近づいているのか気になるのだろう。別にジュリの自由だからねと言ってくれたが、内心複雑そうだった。


魔力の事がなかったら特別会いたいわけでもないのだが、姉に誤解されるのは嫌だなとも思った。


姉ちゃんなら…言ってもいいかな


けれど魔力の事は、ちゃんと本人に許可をとって言わなければいけない。本人がいないのに、ジュリが勝手に秘密にしているかもしれない事を他人に言うのは思いやりに欠ける。


今度会った時に聞いてみよう



そして数日後、いつものように魔力の循環をしてもらった後に、姉に誤解を受けないように事情を話してもいいか聞いてみた。


「…?ジュリの好きにすれば」


うん、何となくそんな気はしたけど


少年は本当に物事に無頓着で、ちゃんと感情があるのかすら疑わしい。


「はあ、なんで魔力なんてあるんだろうね」

「僕にとって魔力は必要なものだから、なくては困る」

「そうなの?私はいらないかな」


そう呟いた時、すっと少年の目が何かを見据えたように見えた。ジュリも気づいて見返すと、ゆっくりと少年が口を開いた。


「なら、ちょうだい」

「え?」


魔力なら今もあげてるではないかと思ったが、彼が何かを求める様に近づいてきた。


「本当はこの湖の近くで村人を行方不明にするのは避けてたんだけど、ひとりくらいならいいかな?いらないなら僕に全部ちょうだい」


前半は何を言ってるかわからなかったが、多分魔力を全部くれと言っているだと理解した。


「全部あげると…どうなるの?」

「わからないけど死ぬかも…」


死ぬ…?


怖いかと聞かれたが、特にそうは思わなかった。ジュリにとって死は未知のものだが、そこまで受け入れ難いものでもない。貧しい村では食い扶持を減らすために、間引く事も多々ある。ジュリのように村で嫌悪されてる存在なら尚更だった。


けれど何故、平然とそんな事を言えるのか不思議だった。ジュリが死んでもいいと悪気無く言っている。


悪意もなく、他意すら感じられず、ただ魔力が欲しいと言っているのだ。


「もちろんジュリにも得になる事もあるよ。君の望みをひとつだけ叶えてあげる」

「望み?」

「うん、これは契約。魔力を全部貰うには合意がいるんだ」


彼が冗談を言ってるわけではないと思ったので、ジュリは少年の目を見上げながら答えた。


「…いいよ」

「本当?じゃあ君の望みは何?」


表情はあまり変わらないが、少年は今まで会った中で一番嬉しそうに感じた。


「姉ちゃんを好きになってあげて」


少年は一瞬黙った後に、首を傾げてどういう意味?と聞き返してきた。


「姉ちゃんは貴方の事好きなの。人の気持ちを指示するのはおかしいけど、好きになる努力をしてあげて。ちゃんと姉ちゃんを見てあげて」

「好き?発情って事?生殖行為は僕には意味がないんだけど…」


ジュリは少年の返答にぽかんと口を開けてしまった。まさか好きの意味が通じないなんて思わなかった。


「もしかして恋心とかわからない?」

「そういう振りを彼女の前でする事は出来ると思うけど?」

「そんなの意味ないよ。ちゃんと人を好きになる気持ちを知るまでは駄目だよ」


少年は一転絶望的な顔をしたが、そんなに難しい事かなとジュリは不思議に思った。


「好きってどういう気持ち…?」

「うーん、その人が一番大事で、姿を見れたら嬉しくて、側にいたい気持ちだって姉ちゃんは言ってたよ」

「全部わからない」

「ええ?」


普通に暮らしてたら当たり前に芽生える感情だと思っていたが、ジュリも恋心は知らないのであまり偉そうには言えない。


「人を好きになるのってとても幸せなんだよ。こうやって手を握るだけで心臓が飛び出しそうになるんだって」

「心臓が飛び出したら死ぬだろう。契約成立前に死なれたら困る」


そんな事を真顔で言われても、こっちだって困る。例えすら通じない少年がおかしくて、ジュリは口元を隠した。



ある日家にはジュリと姉の二人だけだったので、魔力の事をさっさと言ってしまおうと思い話しかけた。


「私もジュリに話があるの。また湖まで散歩にしながら話さない?」


昨日はずっと雨で、今日の朝方まで降っていた。少年のいる日は実は決まっていて、晴れの日だけだった。雨の日はいなくて、雨の翌日も見かけない。


「今日は彼もいないだろうし、二人で話しましょ」

「う、うん」


何だか不穏なものを感じながらも、ジュリは姉と一緒に散歩に行った。今回は手を繋がなかった。目的の場所に着くと青い湖を覗き込みながら、姉が話し出した。


「ねえ、彼はジュリの事好きなのかな?」

「え?そんなわけないよ。彼は恋心がわからないみたいで、誰の事も好きじゃないと思うよ」

「ジュリには随分心を許してるのね。私にはそんな事話してもくれないもの」

「姉ちゃん…?」


流石にいつもと様子が違い過ぎて、ジュリは訝しがった。感情的な部分もあるが、人のいう事はいつもちゃんと聞いてくれるのに。どうしたの…?


「私と彼は魔力って共通点があったの。だからそれを教えてもらってて…」

「じゃあ何で彼はジュリの事を名前で呼ぶの!?もうそんな言い訳なんかしなくていいから」


そして大声を出した瞬間、まだ濡れた地面に足をとられて姉の身体が湖に投げ出された。


時間が止まったように、姉の驚く顔と目が合った。彼女が伸ばした手を咄嗟に取る事ができなかったのは、自分の言う事を信じてくれず、姉を少年に取られた失望からかもしれない。


けれど見捨てようなんて心にも思わなかった。ただ悲しさと驚きで頭が真っ白になった結果だった。


姉が落ちた後、数秒呆けたジュリだったが我にかえった。


「あ、ああ…姉ちゃん!」


結果的に何もしなかった自分自身に絶望して、浮かんでこない湖面を見つめ途方にくれた。そしてほぼ無意識にジュリも湖に身を投げた。




次に目を開けると、また雨が降っている中で濡れそぼった少年がこちらを覗き込んでいた。


「不可解な…、僕たちは自分が生きるために他者を殺すのに、お前たちは他人の為に命を捨てるのか」


霞む視界の中で、水色の髪が滴っている。


「姉ちゃん…は?」

「僕たちは人間の生死に関与しない。自然の摂理はそのままであるべきだから。ジュリは僕と契約中だから勝手に死なれても困るから助けた」


それを聞いて、ジュリは手で顔を覆った。あんな口喧嘩をしたままお別れしてしまった。少年が助けなかったわけじゃない、ジュリが手を伸ばさなかったのだ。それがどうしようもない後悔を生んだ。


「僕の近くにいたせいかな…、あの少女は弱い水の魔物に憑依されてたみたい。人の弱さや悲しみは魔物につけこまれるから」

「何…?悲しみ…?」


気丈な姉がちょっと変だとは思った。口には出さなかったが、姉は怒っていたのではなく悲しんでいたのかもしれない。信用してた妹に嘘をつかれて、自分と同じように妹を少年にとられてしまったように感じていたのかもしれない。


そして本当にジュリが彼を好きだと言ったなら、姉は笑って身を引いてくれただろう。ジュリが姉を好きになって欲しいと彼に頼んだように。


「うう…」


堪らず泣き出したジュリを見て、少年は困惑した。


「ジュリは助かったのに、どうして泣くの?」

「貴方のせいじゃないけど、今は貴方の顔を見たくない。貴方なんて嫌い。姉を返して、助けてよ。私も死にたい」


めちゃくちゃな事を言ってる自覚はあるが止まらない。そして少年を振り切って再び湖に飛び込んだ。


「あっ」


姉は死んでいい人間じゃなかった。普段は優しくて人を想えるとてもいい子だった。


私が死ねばよかったのに


「ジュリはそう思うんだね。じゃあ君が失ったものに僕がなろう、君が生き続けられるように。同じくらい大切なものを見つけるまでは」


暗い湖で白い蛇のようなものを見た気がした。


そして目覚めた後、姉に関する記憶はなくなっていた。湖での事故は村内ではそう珍しい事ではなく、家族は姉の死を悼んだが、忘れているならと、仲の良かったジュリに教えないように兄が配慮してくれた。





シグナは私の姉の名だった

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