絶望の果てで
正直、聖女の事を聞いた時は恐ろしいとは思わなかった。それどころか、彼女に同情すら抱いたような気がする。
けれど大切な人を奪われて、それが仕方ないなんて言えない。そんな聖人みたいな事は、きっと一生思えない
駆け寄ろうとしたジュリをミカが抑えていたが、それを振りほどいてカルロに近寄った。近くまでくるとカルロの顔がよく見えて、それがどうしようもなく悲しかった。
「カルロ、起きてよ…ローザ様も目を開けて…こんな所にいちゃダメだよ…」
二人は応えない、目を開けてくれることもなかった。
「うっ…」
「ジュリ!」
たまらず泣き出すジュリを、ミカが無理やり校舎に戻す様に手を引いた。
「悲しむのは後だよ」
そんな事はジュリもわかっていた。周りを見れば、嘆いているのは自分だけじゃない。けれど溢れ出てくる涙は止めようがなかった。
「校舎内の人達は無事みたいだけど、一応シグナを出せる?」
ペンダントに魔力を注ぐとすぐにシグナが現れてくれたが、泣いてるジュリに驚いた後、すぐさま外の気配に気づいたようだった。
「この魔力は…」
「やあシグナ、君には聖女を警戒してて欲しいんだ。ジュリが危険だから」
話しかけたミカには一瞥もくれずに、シグナはジュリの頬を撫でた。
「大丈夫?ジュリ」
人前でジュリが涙を見せるのは只事ではないとシグナも知っている。それが外にいる巨大な気配と、倒れている人々が関係してるのは見て取れた。
「脱出が不可能となると、教師に会いたいね。避難経路くらい知ってるだろうし…。シグナは師長の精霊の気配を辿れない?」
「命令するな。僕を使っていいのはジュリだけだ」
ミカの問いに徹底的に無視するシグナだったが、黙っていたジュリがシグナの袖を弱々しく引っぱり、小さな声でお願いと呟くと渋々と答えだした。
「…覚えのある気配はない。あいつは精霊を出してないんじゃないかな?けど…もうひとつ不思議な気配がある。光属性じゃないけど、四属性でもないような」
「へえ?」
ミカがどこだと聞くと、シグナは中庭の外れの小さな温室を指さした。
「気になるけど、外か…。僕がひとりで見てこようか?」
「だ…だめ!それなら私も行く」
ミカの言葉をジュリはすぐさま否定した。置いて行かれるのが怖かったのではない、またジュリの知らない所で友達がいなくなるのが怖かったのだ。
ジュリ達は出来るだけ建物から離れないように、中庭の方へ移動していく。いつもいる中庭だが、人が倒れているだけで全く別の場所に思える。
「ミカはどうして温室に行きたいの?」
「永遠と校舎にはいられないからね。四属性でないなら聖女ではないはずだし、脱出の手がかりになるかもしれないだろ?あと、単純に気になる」
温室に着くまで何事もなかったが、外が異様に静かなのが逆に不気味だった。
戦闘してたようだけど、どうなったんだろ…
ゆっくり扉を開くと草花の香りが鼻をついた。ミカとジュリが入り、そしてシグナが入ろうとした時、入り口がバシッと音を立てて侵入者を弾いた。
「え…!?」
「何だこれ、結界?なんで僕だけ?」
結界はなぜかシグナにだけ反応し、ミカは入口にひっそり書かれている陣を見つめた。
「人為的なものだね。多分人間以外を排除してるんじゃないかな」
「ええ、そうですね。簡易的な複合魔術ですから精霊に限定してのものですが。それでも聖女にどこまで通用するのかわかりませんけどね」
ばっとジュリとミカが振り返ると、精霊は一度戻してから、再度中に入って召喚するといいですよと、いつも通りで話す声の主がそこにいた。
師長とカレン、そしてアルスと数人の生徒が温室に避難していた。
「みんな…!」
カレンの無事を確かめると、ジュリはまた泣きそうに顔を歪めた。
「カレン…!カルロが…」
最後まで言わなかったが、ジュリの様子から察してくれたらしく、悲し気に目を伏せた。
「ああ、私も兄が亡くなった」
「カイルとディアスも戻ってきてない」
カレンとアルスの言葉に絶望を感じながら、ジュリは師長をみあげた。
「どうしてこんな事に?」
聖女は国が監視していたんじゃなかったんですかという言葉を飲み込み、ジュリは詰め寄った。
「僕も何が起ったのかはまだわかりません。けれど今は原因の追究ではなく、この事態の対処が先です。それを今皆で話あっていました」
対処…?
「生徒は出来るだけ避難させたかったですが時間がありません。まず聖女を街に移動させない事が第一です。その為学院に結界を張って閉じ込めようかと思っています」
「閉じ込める…?僕たちはともかく、負傷した奴らは…?」
それはこの学院の生徒達を犠牲にする意味も含まれる気がした。まだ学院内にはたくさんの動けない生徒が残っているのだ。
「街や村の平民にまで及ぶと膨大な人数になります。僕たちが平民より恵まれた地位や暮らしをしているのは魔術師だからです。魔術師は国の有事に相応の働きをしなくてはいけません」
だから命をかけるのも仕方ないと…?
「倒れている人たちの中にはまだ生きている人もいますよ…?」
「今は…負傷した者より、どれだけ無事な人間を守れるかが最優先事項です」
合理的だとは思う。国の存亡がかかった時、護るのは魔術師ではなく、この国の国民なのは違いない。生徒の多くがいなくなっても、まだこの国には魔術師は沢山いるのだから。
「隣国に助けに来てくれた時みたいに、生徒だけを魔術で移動させたり出来ないのですか?」
「僕らが使う魔術のほとんどは四属性が原理です。属性を統括する光属性相手に使うと必ず察知、吸収されるでしょう。同じく精霊も呼ばない方がいいかもしれません、彼らは四属性の魔力の塊ですから餌にされます」
「餌…?」
そういえば翼の片方は魔力を奪うって言ってたっけ
なら魔術師としては打つ手なしではないだろうか。何も通じない相手に、過去の先人はどうやって打ち勝ったのだろう。
「この陣を学院の四か所に設置してください」
「…?何の陣だこれ」
協力する数人の生徒やカレンやアルスには見覚えのない陣のようだが、ジュリはこれに覚えがあった。
闇属性の陣
ぱっと師長をみあげると、ふっと笑って君にはまだ教えたいことがありましたと微笑まれた。
ジュリも闇属性を持っているはずなのに、何の役にも立たない事が悲しかった。
「僕は中央で陣を起動させるので、貴方達は設置したらそのまま学院から逃げなさい」
師長はどうするんですかという顔で見ると、それには気付かない振りをされた。魔術師として教師としてこの場にいるのだから、きっと大きな責任を担っている。それを実行するつもりなのだと思った。
「僕はジュリと行くからね」
ジュリの横で陣を見つめながらミカが話しかけてくる。生徒が何人かのグループに分かれると、カレンやアルスともここで一旦お別れだ。
「後でな」
「またすぐ会うよ」
「きっとね」
三人は何かしら声をかけあって、そのままなるべく校舎を通りながら指定の場所に向かう。温室を出た途端に呼んでもないのにシグナが現れる。
「シグナ、出てきたら危ないよ」
「ジュリをひとりにできるわけないだろ」
「僕もいるんだけど」
ミカはシグナの中で数に入っていないようだ。
「僕らの目的の場所はそう遠くはないね」
程なく到着すると、問題なく陣を設置できた。あまりに何もなかったのでほっと安心した時、シグナの声が響いた。
「ジュリ!」
え?
シグナが咄嗟に右手で庇ってくれたと思ったら、その腕が弾け飛んだ。精霊なので痛みも血も出ないが、その光景に目を丸くする。
「シェリア様…」
すぐ後ろの廊下に翼の少女が立っていた。足音すらしない間近でみる彼女は、白く儚げに、そしてとても美しかった。残酷に片手をあげたシェリアを見て、ジュリは咄嗟にシグナを庇おうとした。
しかしそれよりも早く、ミカがジュリの腕を掴んでシグナから離す様に引っ張った。
なっ…!
ジュリの目の前に映る光景はなぜだかゆっくりと映った。
白い翼の矢がシグナの身体を貫いて、人の形がはじけ飛んだと思ったらコツンと音を立てて、ジュリの足元に石が転がった。
“精霊が死ぬ時に綺麗な宝石になるのは知っている?”
過ぎし日の隣国での会話が唐突に頭の中で反響する。そんなのは知らない、知りたくなかった。
「シグナ…?」
薄い水色の綺麗な石だった、それを手に持った時頭が割れる様に痛んだ。
「…!?」
目の前に聖女がいるのに、激しい頭痛に目を開けていられず崩れ落ちそうになると、ミカが慌てた様子でジュリを支えてくれた。
きっと聖女は今度はこちらを標的にするのだろう。それならそれで、もう仕方ないと思った。それよりもジュリはシグナの事で頭がいっぱいだった。
「シグナ…」
視界は虚ろだが、音だけは鮮明に聞こえた。教室の一室が開いたような音と、ふわりと自分達を支える様な浮遊感。
「お久しぶりです、ジュリさん」
それはもういない懐かしい友達の声。意識が途切れる寸前、涙でぼやける視界に綺麗な銀髪がなびいたのを見た気がした。