終わりの始まり
上空でゆらゆらと揺れる白い翼の少女は、暗闇の中に仄かに光っている。ジュリと同じく空を見上げている生徒や、講堂から何事だと飛び出してくる生徒がいた。
「ミカ…あれ、人?」
「もう人じゃない」
異様な光景なのに、どこか恍惚とした美しさに皆目を奪われていた。無意識に近づこうと足を動かすと、ミカが腕を掴んだ。
「ダメだ、危ないよ」
「なんで?ミカはあれが何か知っているの?」
きっとジュリもわかっている、けれどそうでなければいいとも思っていた。翼の少女が両手を広げると、同じく背中の翼が大きく開いた。
そしてその輝く羽は何十もの矢のように放たれ、地上にいる生徒達を貫いていった。
「ジュリ!」
ミカに木の陰に引っ張られて身を隠すと、矢はこちらまで来なかった。あの少女は目に見える生徒を認識して、攻撃しているのかもしれない。
ジュリの目に映る現状は悲惨だとしか言いようがなかった。
周囲の生徒達は皆倒れ、全く外傷のない者もいれば血だらけで転がっている者もいる。
泣きそうになるのを我慢して、ミカに手をかけて何とか踏みとどまりながら、上空の少女を見守った。
少女はふわりと翼を小さくすると、そのまま裸足で地上に足をつけた。ジュリ達は隠れているが、少女が近くを通り過ぎるのが見える位置にいる。
何でこんな事に…
今日は皆が楽しみにしていた学院祭だった。数刻前までジュリもとても楽しんでいたのに。
少女が近寄って来ると、その顔をはっきりと認識できた為、ジュリは声が出そうになるのをミカが口に手を当てて留めた。
なぜならそれはジュリの知っている人物だったから。
少女は白く発光していたので、最初髪から肌まで全て真っ白のように見えていた。けれど違った、近くまでくるとよくわかる。豊かな金髪に寝間着のような白い装い、口元は何か口ずさんでいるかのように微笑んでいた。
シェリア様!?
彼女が通り過ぎた場所に、光が落ちているように見えた。それは絶え間なく手からふわふわと落ちているようだった。
何…?あれ
じっと目を凝らすと、それは光でなく白い花のようで、シェリアが好きだと言っていた白月花だ。しかしおかしな事に気づいた。
白月花は魔術師の魔力によって、その色を変える。シェリアの得意属性は火属性なので、花の色は赤に変化するはずだ。
なんで、白いの?
シェリアが持っている花は真っ白で、四属性ではありえない事だった。
もしかして…
白い森でジュリが目覚めた時、師長はあの花を差し出した。あれが憑依されている属性の確認の為だったのなら…?
四属性を除けば、あとは闇属性と光属性だ。どちらかと言うなら、あの白い翼が連想させるものは光属性でしかありえない。
シェリア様が…聖女になった…?
この国を滅ぼすために。
シェリアがこの場所から去った後に、呆けていたジュリの肩をミカが揺さぶり、ジュリの焦点がミカを捉えた。
「ミカ、どうしよう。あれ聖女なの、聖女は…」
「うん、知ってる。だから、もうこの国は出た方がいい」
ジュリは何を言ってるの?という顔でミカを見返したが、至極当たり前のようにミカが続けた。
「この国の最後のひとりになるまで、聖女の暴走は止まらない。逃げるしかないでしょ?」
「そう、じゃなくて!みんなに知らせなきゃ…。みんな何が起ってるかきっとわからないはずだもの」
「僕はジュリの安全が一番の優先事項だから。この惨状を見れば、おのずと逃げると思うけどね」
シグナに通じる冷たさを感じて怪訝に思ったが、それ以上に問いただしたい違和感があった。
「ミカは知ってたの?聖女の事も、今日何が起るかも」
今思えば、今日のミカはどこかおかしかった。
それには答えてくれなかったが、知っていないと説明できない事をミカはしていたような気がする。
「今は問答よりもする事があるでしょ。逃げるの?それとも誰かを探す?ジュリはどうしたいの?」
誤魔化されたような気もするがそれは正論で、聖女が徘徊しているなら一刻も早く行動しなければいけない。
まず倒れている人を介抱しようとしたが、それは却下された。自分たちは医療魔術師ではないし、その知識もない。何よりどう見ても手遅れの状態で、ミカに遠回しに無駄だと言われているようだった。
「じゃあせめて、カレンやカルロを探して避難するように言わなきゃ…あと、出来れば師長と会いたい」
師長なら自分よりも聖女の事に詳しい。何かしら対策や指示をもらえるはずだ。
ジュリ達はシェリアが進んでいた真逆の方へ走って行った。
講堂近くはパニックになった生徒達で溢れかえっていた。泣き叫ぶ者、放心してる者、逃げまどう者様々で、進むにつれて人にぶつかりまくった。
「いた、いたたっ」
「想像以上に酷いな」
それでもミカはジュリの手を放さずに、前へと進んでいく。
先生や一部の生徒が率先して避難を指示しているが、騒ぎが酷くて声がかき消されつつあった。
訳も分からず生徒が殺されたら誰でも恐慌状態になる。聖女の事を一部の人間しか知らされないと言うのは、本当に正しいのか疑問に思った。
今まで国は聖女候補の監視を徹底してたから、こんな事態になり得なかったのかもしれない。けれど今回の例外はどうして起きてしまったんだろう?
シェリア様が聖女の審判を受けるには、高位精霊が足りなかったはずだ。精霊と契約した?いつ?
考えていると、目の前に見知った人物を見つけた。
「カルロ!」
「ジュリか!?」
人混みをかき分けてカルロと再会すると、無事でよかったと抱き着いた。
「何が起きたんだよ!?外が光ったと思ったらみんな倒れてるし」
「それは、えっと後で説明する。とりあえず翼がある女性には近づかないで。カレンを知らない?」
きょろきょろと見回したが、カレンの姿は見当たらない。
「会ってねえ。俺はローザとはぐれてさ、アイツ探さなきゃいけない」
少し離れた場所でまだ悲鳴のような声と、爆発のような音が聞こえた。多分シェリアが消えて行った方角だ。
もしかして先生たちが応戦してる…?
シェリアがどうなるのかは今はまだ考えないようにした。とりあえず知り合いの身の安全の確保が最優先だ。
カルロに絶対に鉢合わせしないよう、逃げる様にだけ念押しして別れた。
走りながら息が上がる中、ミカが話しかけてきた。
「…シグナを呼んでいた方がいいんじゃない?精霊は聖女の居場所がわかるかもしれない」
「えっ?そうなの?」
そしてペンダントに魔力を込めようとした時、騎士が先導しているのが見えた。
「ぐずぐずすんな!早く行け!」
ジェイク先輩?
兵士ですら戸惑っている中で、騎士は見習いも一緒に救助にあたっていた。自身の生死がかかっている中でも、弱いものを助ける信念は揺るがないようだ。
ジェイクがこちらに気づいて、ジュリ達の方へやってきた。
「何かよくわからんが、お前らもさっさと逃げろ!正門の方は今は戦闘してて出られんから、裏に行けよ」
「友達を探しているの。カレンを知らない?」
「流石に逃げてるだろ。避難しないでうろうろしてる方が余程迷惑なんだが」
う
ミカが正論だねと答えると、ジュリは何も言えなかった。
逃げた方がいい…?
聖女の真実を知っているだけでは、ジュリは結局何も出来ない。
「…わかった」
そう言うと、ミカと一緒に裏門へ向かったが、予想通り人が溢れかえっていた。今日は学院祭もあって、生徒だけではなく来賓客も多かった為、尋常じゃない人が集まっていた。
「これは無理だね。こんな所に集まって狙い撃ちでもされたら対処しようがない」
ミカの言う通り、門の周りは見晴らしがよく隠れる場所がなかった。
「じゃあどうするの?」
「隠れる場所を考えたら、校舎内に居た方がいいかもしれない。聖女は人を狙っていたけど、建物に興味はなさそうだったから」
確かにこれだけ人が倒れているのに、校舎の被害はないようだった。ミカは続けて人がいるなら結局校舎にも来るだろうけどねと怖い事を言う。
「ジュリだけは絶対助けるから」
自分だけじゃなくてみんなも助けてとは言えなかった。そんな事ミカに言っても不可能なのはわかっていたし、自分たちが逃げるだけで精一杯なのは明白だ。
「…私だけ助かっても嬉しくないよ」
その言葉にミカは何も返してくれなかったが、手を握る力が強まったように感じた。校舎に行く途中でも沢山の人が倒れている。
今は何も出来ない自分を不甲斐なく思い、心中で謝りながらあまり見ないように進んだ。
「なんで血だらけの人とそうじゃない人がいるんだろう?」
「聖女の翼は右が魔力を左が身体の自由を奪う。貫かれたのは目に見えて重傷だけど、外傷がない方も危ないよ。枯渇状態だから、放っておけば死ぬ」
死ぬと言われて、ジュリは青ざめた。助けたい、けれど助けられない、そんな状況に遭遇するなんて、昨日まで夢にも思わなかった。
途中中庭を通りかけた時、男女が折り重なるように倒れているのが見えた。腹部が赤くなっていて、一緒に聖女の翼に貫かれたのかもしれない。
通り過ぎようとして、ジュリは瞬きをした後にふいに足を止めた。
「カルロ…?」
倒れているのはカルロとローザだった。彼らは倒れたまま、全く動かない。
嘘でしょ…?
目の前に映るものが信じられずに、側に駆け寄ろうとしてミカが止めた。
「屋根のない場所に出るのは危ない」
「でも、あれは…」
さっきまで、進路の事を語ってくれてたはずだ。魔術道具を売って、将来立派な店を構えるだろう。彼は商人の息子なのだから、その才能はお墨付きだ。
そんな彼の人生がこんな所で終わるはずなんてない。
「どうして…?」
明日もいつもどおりの日常が来るのは当たり前ではない。そんな事を身を持って実感しながら、ふらりとミカに体重を預けた。