苦手な事 1 話す事
話す事が苦手になった事の経緯などについて。
幼稚園児の頃は話すのは好きだったけれど、父は少しずつ私を避けていた。好きなアイドルの曲を聞いているから、番組を真剣に見ているから、パチンコ雑誌を読みたいから。私は健気に終わるのを待って話しかけたが、彼はパチンコ店に行ってしまう。勝敗の結果に依存して、機嫌が左右された。勝った時は私の話を聞いてくれたし、負けた時は煩い、静かにしろと怒られた。
先生から怒ってもらおうと子供ながらに対策を練ったけど、外面がいいから周囲からは素敵なお父さんと言われ、私の意見は聞かれないし先生歴が短い人は私が妄想癖を持っていると叱ったり彼に告げ口されたりしてどうにもならない事があると幼いながらに悟った。
小学校に上がってから2年、私の話が遠ざけられる所以を知った。
どうやら私の日本語の発音が怪しいらしい。日本人なのに。
新任の担任は宇宙人だと糾弾し近づかないでと言い放ったし、それを見ていた級友がいじめを始めた。家庭でも父が母に向かって、私が話す言葉が意味不明のは母の教育が悪いからそうなったのだ、気味が悪い、俺に話しかける時は必ず母が監視したり通訳をしろと目の前で言われた。
その頃、自分を否定するしか馬鹿な私に手段はなくて。発音は出来るものと出来ないものがあったり、いじめられたり、おまけに算数も苦手だし生きている意味あるのかな。せめて他の級友のお父さんみたいに授業参観で子供の事で相談しあったり本当に自慢の子だって言ってくれないのかなと寝る前に何度も思った。
実際は他人の子ばかりを褒めていたし、私は何も出来ない子だと他のお父さんが唖然とする中で発言して顔色を窺ってから訂正したりしていた。なおかつ通っていた公立小学校が父の会社の上司や同僚、後輩のご子息、ご令嬢が在籍していたらしくその方たちと比較されて何も出来ないとひたすら言われる日々だった。
彼から否定されて泣き出しても、煩いと舌打ちされ何もできない事がいけないとひたすら叱られた。
頭がよく、仕事では周囲から慕われて素敵な家庭だと褒められているのに。
実際は娘が出来損ないで、母は父より低学歴で、2人とも描く理想像の家族ではないからと叱り続けている、現在もずっと。
日本語の発音があやしいと、ある意味教師主導のいじめが問題化されても父は母の教育が悪いと信じていた。私が発音を克服する特別支援学級に通う事が決まった時、かかりつけ医に障がいを持っているかどうか診断して欲しいと吐露した。看護婦さんから聞いた母は気にしないでいいと言ったけど、個性がなかったら理想の子になれるだろうかと考えた。
県内でいくつかの教育的に偉い立場だった教諭と対面して表面では許容した父であったが、目撃するのが母だけになる家庭に帰れば話しかけるな、気色悪いと一貫した態度を取った。
その頃には、個性を押し殺すのに慣れてきて欠点はあるものの感情のない行動であればすぐに取れるようになった4年生で、担任から意思を持つように言われていた。
どうして意思を持つ必要があるのだろう、考える頭がないと父は私を叱責しない。自分の個性がなければ母が悲しい顔をして、他の会社の人より先に子供が生まれてどうすればいいのか分からないから大人な気持ちになる事を選択させてごめんねと言わざるを得ない状況にしないのに。だって、父は私の事が嫌いなのだから叱るのだし、自由帳片手に話せば嫌な顔をするが会話を成立させてくれる。これほどしあわせな事はたぶんない。
頑固な考えを変えるきっかけは教諭で、授業中に感情を出さない行動をおかしいと否定され、私は暴走した。
出来がいいとは何を示すのか、遠い理想の子供になる為にマイペースを捨てて苦手な人から揶揄われても耐えて、苦手科目も克服する為にドリルで反復学習して、言いつけ通りに話しかけてないのに、外で会社の人に会った時だけ礼儀正しい子供になっているのに、何がおかしい。どうせ嫌われているから自動ドアにも判別できないくらい影を薄く存在を薄くしたのに何を求める。
本心を吐き出した事で、母と教諭は私があまりいい考えを持っていない事や自己否定を続けていた事など理解してしまった。
母は私が出来るだけ褒められるように料理の手伝いや学習面で唯一引き継いだ歴史の得意を伸ばすために人物史の雑誌を購入したり彼が私に関心を持つようにし、教諭は発音の宿題を他人にも見てもらうカードを作成し、級友や小学校の教員5人に声をかけ練習成果を見て貰いスタンプか名前を記入してもらいながら、最終目標は父に見て貰ってハンコをもらうと勝手に目標を作った。
彼からハンコをもらった場合、5人分のスタンプと同等にすると言われたけれど、私から父に近づく事が本能的にこわかった。
それを変えたのは奇しくも勤め先の会社と関係を持つステークホルダー先の企業の人だった。同じクラスで私のカードと協力体制を敷いている事を保護者会で頼まれた、何も出来ないと遠慮をして下級生や揶揄われている別の子を守る優しさを持っている子なのに、自身が持てなくて声が出にくくなるって朗らかなお母さんを持つのにどうしてと保護者会に参加した奥さんから言われ、直接聞いてしまったとその方は言ったらしい。
続けて、子供が何度も協力している事、1日でクラス全員から名前を貰っている事があるのに父に挑戦するのが怖いと言って踏み出せない、完璧じゃないから上手く出来なかった時にどうすればいいか分からない、出来損ないだから無理と怯えていて宥めるのにすごい時間がかかったと子供から聞いた、子供は失敗を恐れずに挑戦する事が大事だから最初から完璧を求めないであげて下さい、ようやく自由帳に頼らず話しかけてくれるようになって嬉しいと私に伝えてほしい。
その方は父の上司がいなくなった後に話し、勤務先へ帰っていったらしい。
父は完全な面目丸つぶれとはいかなかったものの子供の事を他人から聞くという恥ずかしい思いをした、クラスにそう思う人がいるのであれば偽装工作するしかない。何か別の事と割り切って娘の練習に嬉々として付き合った。
正直、吐きそうなほど苦しかったとしか覚えていない。全身から自慢の子とオーラを飛ばしながら一つ一つ出来た事を褒める目が笑っていなくて、ハンコも仕事用の物は忘れたとして宅急便の受け取り時の印鑑。
また周囲から素晴らしいお父さんと言われ、勝手に傷ついたプライドが完治した小学校卒業1週間前に卒業テストに満点合格した時、彼はもう2度と発音で恥をかかせないよなと私に圧力をかけた。
現在、就活でオンライン面接をしているが、緊張する。
人見知りである事も、ちゃんと発言を理解しているか面接官の顔を伺いながら自分なりの答えを返しても不明瞭な顔をされる事もようやく慣れてきた。
しかし、父と同じくらいの年ごろの男性と面接する時は他の面接よりも緊張する、何を話しているか理解できないのでもう一度別の話をしてもらえませんかと言う確率の高い女性も相性がいいとは言えないが。
十中八九、発音矯正中の宇宙人扱いや理解できないから近づくなと言われた事が響いているのだと思う。
実際、自由帳片手で話していた約1年半は声を出す事さえ恐怖し父にどうしても話しかけなければならない時には声が小さい、ぼそぼそ話すなんて俺の子じゃないと言われていた。
トラウマを消すためにはどうしたらいいのだろう、電話であればどもらないから、話しさえまともに出来ないから必要ないと選考から落ちる事が減少するとは言うけれど、選考に落ち続けている事で父から言われるパワハラじみた発破に耐える方法までも忘れてしまいそうで恐ろしくなるし、きっと彼の理想にはもう、なれないから私なりにトラウマに類似するような欠点を書きながら自己否定以外の分析をし続けようと思う。
自己否定は何も生まないと最近気づいて、自分なりの長所を探してみようと思ったりする。