6話【百年後の東京】
「うわぁぁぁあ!! そ、空!?」
突然暗闇の世界から投げ出された先が天高くだとは誰も思わないだろう。勢いよく投げ出されてしまった。物凄い勢いで落下する中で、この世界の景色を一望した。東京スカイツリーほどの高さを持つビル群が幾つも建ち並んでいる。きっと夕方だろうか、一望した世界は茜色に染めた空の下で照らされた巨大な建物全体にも影響し、世界の終末を迎えたような雰囲気であった。
綺麗だ――。
危機的状況にも関わらず、ついそう思ってしまった。
どんどん落下は加速していく。正直この状況下で生きようなんて毛頭なかった。時々薄っすらと目を開けては閉じてを繰り返す。徐々に地上へと近づいているのが分かった。
段々と気が遠くなってきて、もうダメだと思った……。
その時、突然体がふわっと軽くなったのを感じた。恐る恐る目を開けると目にもとまらぬ速さで落下していた体が嘘のようにゆっくりになっている。気が付いたら地上まで迫っていて、痛みなど感じず仰向けでゆっくりと着地していた。
起き上がろうとしたが全く力が入らない。意識が遠のく中、誰か近づいてくる音が微かに聞こえてきた。
「良かった、何とか間に合ったわね」
確か、そう言っていたはず。意識がはっきりしていなかったからあやふやだ。最後の力を振り絞って僅かに目を開けると、近くに黒い長髪の女性が立っていた。
一瞬だけ彼女を見てから目を閉じると、意識が次第に薄らいでいった…………。
なんだろう、いい香りがしてきた。香ばしい匂いが空気と一緒に鼻へ運んでくれる。時折、少し焦げたような匂いも混ざっていた。これは――――パンか。パンの香りだ。俺、好きなんだよね。ん、今度は苦そうな香りがしてきたな。その独特な香りは神経を落ち着かせ、体全体を力強く包むような感じがして居心地は悪くなかった。
太陽の光が眩しくて、目が中々開けられない。ようやく完全に目が開き、見慣れない部屋の天井を目にした。あぁベッドで寝てるのか――ここはどこだ?
ベッドから起き上がり辺りを見回すと、ベッド横に小さめの机、カーテンのない小窓の近くには大きな観葉植物が置いてあった。緑たっぷりの観葉植物が機械的な部屋の空間を落ち着かせているのだろう。この部屋は無機質な空間というべきだろうか。
窓の外を見てみれば何か分かるかもしれないと思い近づいてみた。自分でもこの景色を見て驚愕しているが、たぶん誰もがこの景色を見たら全員同じことを思うだろう。
「なんだ? ここは――」
「ここは未来の世界よ、空から舞い降りし少年」
突然後ろから女性の声が聞こえて、一瞬体がビクついてしまった。この声、聞いたことがあると思ったが助けてくれた女性の声と同じだ。
振り返り声の主を確認してみると、そこには腰ぐらいまで伸びた漆黒の髪をした少女の姿があった。艶のある髪は天使の輪が付いている。細身の体型だけど気は強そうだ。
「ええぇとー、あなたが俺を助けてくれた人?」
「そう、急に空から降ってきたから驚いたわよ」
「あんな高い所から落ちたのにどうやって助けたんだ? それに――さっきの未来の世界ってどういう意味?」
「そんなに慌てないで。まずは未来の世界だけど、そのままの意味よ。この世界はあなたたちが住んでいた世界とは違う未来の世界。私たちにとっては、この世界が普通なんだけどね」
完全に話を置いてかれている気がする。こんなにも透き通った顔なのに、よく平気な顔で嘘が付けるもんだ。
「つまり俺は、元いた世界からこの未来の世界に迷い込んでしまったというわけ?」
「そう、偶然にもね」
本当にこれは偶然起きたことなのか。あの鏡店の鏡や『黒い手』と関係があるのか。それを彼女に聞くのは、今はやめておいたほうが良さそうか。
「元の世界に戻る方法は知ってる?」
「さぁ? 今まで私たちの世界に来た人はいるけども、戻ったという報告は聞かないわね」
「他にも俺と同じ境遇の人がいるのか!?」
「えぇ、いるけど――」
「会いたいから居場所を教えてくれないか!」
そう言うと、少女は近づいてきた。スッキリとした顔立ちでよく見なくても綺麗だと誰もが思うだろう。そんな容姿で迫ってきたら、誰だって緊張してしまい顔を赤く染める。そうに決まっている。俺はそうだ。
「こっち見て。あそこよ」
無意識のうちに彼女の顔から背けていたので、窓の外を見るように指摘され、さっき見ていた窓の外を彼女は指さしていた。その方角へと目をやると、ビルの谷間から禍々しい物体が見えた。
「もしかして、あの赤い物体の所じゃないよね?」
「そこよ」
「……あれは一体何なんだ?」
「深紅の秘石と呼ばれてるわ。私も全て把握しているわけじゃないけど、あそこから自動識別型泥人形が出てくるのよ」
「ゴーレム?」
「一通りこの世界のことを説明したほうがよさそうね。あなた、この世界と何か関わりがありそうだし」
そう言われて案内されたのは、隣の部屋のリビングだった。そこには俺の食欲をそそる、いい香りがするパンが置かれていた。
「焼き立てのパンと飲み物をどうぞ」
四人がけのダイニングテーブルに腰掛け、大好きな食べ物を前に気分が高揚していた。
「いただきます」
そっと合掌をしてから香ばしく香るパンを一口かじる。二口、三口と続きあっという間に一個食べきってしまった。この世界に来てから何も口にしていなかったから、お腹が空いていたようだ。渇いた喉を潤すためにコーヒーを一口注いだが、やはりそれは苦くてまだ俺の口には合わなかった……。
「じゃあ、まず自己紹介からよね。私はアサルトエシュロン所属のミラよ。あなたの名前は?」
「俺は峰春来。十六歳だ」
「あら私も十六よ、同い年だったのね」
意外そうな顔をしていた。きっと俺が子供っぽく見えたのだろう。ミラは容姿や行動、話し方など高校生には見えないほど大人びていた。俺はそんな彼女を二十歳ぐらいだと思っていたぐらいだ。
「まずはゴーレムのことを話すわね。正式名称は自動識別型泥人形、通称『ゴーレム』と呼ばれる存在。こいつらは人を活発的に襲うから街の人々を守るためにも、私たちゴーレム殲滅隊の組織『アサルトエシュロン』が日々市民を守り、ゴーレムを駆除しているわ」
「ふーん、そのゴーレムって強いの?」
「強いわよ。小さいものから大きなものまで多種多様だけど、小さくても力が強いから殴られて打ち所が悪ければ確実に死ぬわね」
俺の問いかけに少し不満を感じたのか、鼻に付く言い方をされた。
「だけど、そんな相手をどうやって倒すんだ?」
「これよ、あなたを助けたときに使ったのと同じ電子剣と呼んでる武器を使って倒すの」
そう言ってミラがジャケットの内側から取り出したのは、少し手から上下にはみ出てしまう機械の棒だった。
「えぇと、この金属の塊が武器なの?」
ミラはそれを手に取り、俺の目の前で力を込めるように握った。すると、その小さな金属の塊は発光とともに細く伸び日本刀の刃へと変貌していった。
刀身は本物の鉄で作られているように見えるがどうなっているんだ……。
「これが電子剣よ。対ゴーレム用に開発された化け物が斬れる剣。持ち手の機械を加圧することによって起動して、本人がイメージする剣が生成されるわ。そして作り出された電子剣は本人専用となり他の人が触っても起動しなくなる。一度イメージが伝わり生成してしまうと、形状が固定されて変更不可なのが難点かもしれないわね」
「電子剣を開発したってことは、普通の剣や銃だとゴーレムに効かないということだよね?」
「えぇ、堅すぎて傷すら付かないわね」
イメージで作られる剣……か。
電子剣の柄をよく見てみると何か球体のようなものが埋まっているように見えた。
「その電子剣の柄の部分に埋め込まれている緑色の球体は何?」
「これは『スフィア』と呼ばれる身体能力を上昇させる、まあアクセサリーみたいなものね」
「その電子剣とスフィアを使って俺を助けてくれたというわけ?」
「えぇ。これを使えば、スフィアによってあらゆる能力が得られるわ。あなたを助けた時に使ったのは落下を遅くする能力。ゴーレム以外のあらゆる物の速度を遅くできるのよ」
机の上に置き、手から離れると伸びた刀身が引っ込んでいった。ミラの言う通り、加圧することによって起動となるようだ。
スフィア、それは宝石のように綺麗な輝きを放っていた。見ていると吸い込まれてしまいそうなほどに。球体の中で星々が輝き動いているようにも見える。
「その電子剣やスフィアって誰でも使えるのか?」
「適正があって電子剣が起動すること、アサルトエシュロンの所属試験に合格した人に電子剣が支給されるわ。電子剣が使えない人は街でゴーレムから隠れて暮らしているのよ」
この世界で生き抜くためには電子剣は使えたほうが自分の身を守れそうだけど――俺にその適正があるのか不安だ。
「さっき言ってた深紅の秘石って?」
「深紅の秘石、これは私が生まれた頃からこの街の真ん中に存在していているらしいわ。調査の話によると、あれは人の血と記憶でできているということが最近になって分かったのよ。」
「人の血と記憶だって? そんな非現実的なことがあるなんて信じられないな」
「信じられないだろうけど、本当のことよ。私も信じたくないけどね、ゴーレムは人の血と記憶を原料として動いているわ。だから血と記憶を欲していて、人を襲い吸収するのよ」
なんだか突拍子もない話だ。記憶を奪い取るとか血を奪うとか、正直この子のことをまだ信用できないでいた。情報を得るためにも一旦話は合わせておいた方がいいのかもしれないけど、信じて大丈夫なのだろうかと不安だ。
「そのゴーレムが吸収した血と記憶を持ち帰って、深紅の秘石の養分になっていると?」
「察しがいいわね。ゴーレムを駆除しないと街や市民を守れない。深紅の秘石がある限り、またゴーレムが生み出されてしまう。これは終わりのない戦いなのよ」
「その深紅の秘石を壊せば終わりじゃないのか?」
ミラは困惑したような顔をしていた。
「そう簡単にはいかないものよ。深紅の秘石がある塔の周辺には数え切れないほどの門番がいるのよ。そいつらを何とかしないと中にすら入れないわ」
「じゃあ赤く光り輝く深紅の秘石がある塔に入った奴は誰もいないということか?」
「そういうことになるわね」
元の世界に戻る手段の鍵は、その塔というわけか。
この世界に迷い込んで空高くから落とされただけでも驚愕だったのに、一体どうなっているんだ。ここって建物や技術からして本当に未来に来たということでいいのか。それとも夢なのか。
そうだ、今は西暦何年なんだろうか――。
「大体この世界のことが分かってくれたかしら?」
「あぁ、本当に俺のいた世界と違うんだということがハッキリしたよ。一つ確認したいことがあるんだが」
「何?」
「今、西暦何年なんだ?」
「西暦二一一九年よ、あなたの世界は?」
体中が震えあがった。百年後の世界だって? 鏡の中に引きずり込まれたら百年後の世界でしたなんて夢物語過ぎるだろ。
「俺は、二〇一九年だ……」
小声で呟き、覇気がないのを自分でも感じた。
夢なら早く覚めてほしい。悪夢のような世界だ。俺の両親や妹、通っていた学校や友達、アリスのことだって忘れられるわけがない。
孤独な世界。アリスがいない世界なんて考えたくなかった。
「百年前――そう、気の毒ね。でも、ここの生活に慣れてもらうしかないわね」
彼女は百年前から来た俺のことを同情しているのだろう。数分前まで、コーヒーを美味しそうに飲んでいたのに、しかめっ面で少しばかり苦そうに飲んでいた。
窓の外の景色を見ながら温かいコーヒーをまた一口すする。なんだか、どこか悲しげな雰囲気だ。
「そうだな、生活する場所とか色々決めないといけないことがあるだろうけど、まず電子剣が使えるかどうかを確認したい」
「じゃあ、そこに立ってこっちの電子剣を力一杯に握ってみて」
ミラが取り出したのは別の電子剣だった。
「分かった」
俺は立ち上がり、言われるがままに電子剣を握った。この子が持てるなら余裕だろうと高を括っていたが、思いのほかずっしりと手に負担がかかり重かった。見た目に反して意外と密度が詰まっているようだ。こんな物を同い年の子が常に持ち歩いて振り回しているのか。
「そう、そのまま限界まで力を込めて」
「んっ! ……………………何も……起きない?」
「あら、起動しないようね。君はまだイメージ不足で適正者として判断されていないことになるわね」
彼女は嘲笑っていた。
「笑わないでよ……ミラはすぐ使えたの?」
「えぇ、勿論。すぐ適正と判断されて使えたわよ」
彼女は俺の問いかけに対して腕を組みながら意気揚々と答えた。俺はその答えに落胆した。
「そんな、スフィアが使えないんじゃ一体これからどうしろって――」と言いかけたら、突然街灯の至る所で赤く変色し、街中を血の色で照らしながらアラート音が鳴り響いた。同時に女性の声が街中を響かせる。
「第二南地区付近の――市民の方は――直ちにシェルターの中へ――移動してください。アサルトエシュロン所属の方は――第二南地区本部まで――招集願います…………繰り返します――第二南地区付近の――」
「な、今のはなんだ!?」
「緊急速報よ! ゴーレムが街の中で発生したってこと!」
ゆっくりと生唾を飲む。こんな緊迫した雰囲気は生まれて初めてだ。
「私は第二南地区本部に行くから、あなたはみんなが走ってるシェルターの方角へ逃げなさい」
「いや! 俺も行く!」
「これから何十体もいるゴーレムの大群と戦うのよ! 危ないわ!!」
そう言いながら、彼女は机を平手で叩き、俺を説得しようとした。一瞬、気迫に動揺したけども、ここで逃げたら何も始まらない気がした。だから、どうしても電子剣を使いこなしてアリスのいる世界へ帰るんだと強く決心する。
「俺は元の世界に帰る手段を探す! だから逃げちゃダメなんだ!」
ミラの青みがかかった瞳を見続けた。ここで引いたら負けだ。
「しょうがないわね。分かったわ、なら着いてきて」
アリス待っててくれ。
必ず帰るからな――。