5話【巨大な鏡】
季節は移り替わって桜が舞うようになり、俺たちは進級して二年生となった。
おかしな夢を見るのは今でも変わらない。ふと眠気に襲われて暗黒世界へと誘われてしまう。
去年の文化祭準備で倒れた日、夢の中で出会った光り輝く女性の言葉を聞いてから、次第に見る頻度は多くなり、夢の時間は長くなっていた。声だけでなく薄っすらと見えることも多々ある。微かにだが暗い霧が晴れて顔はハッキリしないものの、シルエットぐらいは微かに分かる程度だ。この夢が何を意味するのか見当もつかないが身体にいい状態とは思えない。どうしても気になり専門家に相談をしたら、予知夢の可能性があるらしい。でも確証はない。
もしかしたら、これから夢の中で言っていたことが起きるとか考えたくないじゃないか。
桜の季節は儚く、桜の葉は新緑に変わっていた。
新たなクラスメイトとの生活は少しずつ打ち解けて……いなかった。高校に入学して大河とアリス以外全くと言っていいほど、打ち解けていないのだ。まぁ、たまに他の人たちがワイワイやってるのを見ると嫉妬心が芽生えてしまうけど、あの二人が居てくれれば俺は十分だった。
俺は珍しく妹に起こされることなく起き、リビングでまったりとテレビを観ていた。
また神隠し事件の報道をしている。これで被害者数が三千人を超えたらしいけど、誰一人として帰ってきた者はいない。そして、起きた場所も例の商店街で変わらなかった。
「本当、この街はどうしちゃったんだ?」と、つい一人言を吐いてしまった。
神隠しのニュースを観てたら急に頭がぼんやりしてきた。別に眠くないのに身体が言うことを聞かない。起きて早く学校に行かないと――――。
またなのか……。
これで何十回目、何百回目なんだろうか。
暗く閉ざされ、不安な感情で胸一杯になる世界。
「急いで……もう時間がないわ――」
前にも夢の中で見た人の声だ。真っ暗で声しか聞こえない。何度も聞いた声だが、今までの穏やかな声と違って焦りや不安を感じる。
遠くで俺のことを呼ぶ声が聞こえた。
「……ちゃん…………ちゃん………………お兄ちゃんってば!」
「……え、あ、あぁ彩夏か……」
「朝からこんな所で寝ちゃってもう!」
「ちょっと眩暈がしてな」
「大丈夫なの?」
何だかんだ心配してくれる彩夏は大事な妹で家族だ。妹を危険な目に遭わせないためにも神隠し事件を解決しなきゃいけないんだ。
「あぁ、横になったら治ったよ。二限目から行くさ」
「大丈夫かなー。私、先に行くからね。お兄ちゃんは無理しないで」
彩夏が行ってしまう。その前に一言だけ伝えなきゃ。
「彩夏」
「ん?」
「俺がいなくても母さんたちと元気でな」
「お兄ちゃん何言ってるの? 変なの~。行ってきまーす」
俺は体調不良で遅れることを連絡してから学校へ向かった。
休み時間中の教室の扉を開けると、いつもと変わらずクラスメイトの話し声でガヤガヤしていた。
「おう、ハル。重役出勤か?」
「……ああ」
「なんだよ、つれないなぁ」
「ハル、大丈夫?」
「アリス、ちょっと後で相談したいことがあるんだ。いいかな?」
「え、うん」
夢の言葉を信じて突き進もう。最近、神隠し事件も活発化している。住民からの不安の声も広がっていた。今日行くしかない。
昼休み。誰の目にも入らない校舎裏にアリスを連れ出した。
「アリス、俺……」
「鏡のお店に行くのよね?」
「ど、どうして分かったんだ?」
「一年一緒にいればハルのことぐらい何でもお見通しよ」
それだけ俺のことを見ていたということなのか。正直嬉しかった。今までずっと一人ぼっちだったから真剣に思ってくれる人が傍にいるのは安心する。
「アリスのピアスと俺の夢のこと、それに神隠し事件の鏡店が何か関係があると思うんだ。夢の中で聞いた女性の言葉『未来を……自分の手で切り拓いて…………』が夢で終わらせるには変だ。もしかしたら、俺たち自身も神隠しに合うかもしれない。でも真相を突き止めたいんだ。アリスを危険な目に合わせたくないけど――協力してくれるかな?」
「かしこまらなくても大丈夫よ。わたしも行く。外れないピアスのことも何か分かるかもしれないからね」
「じゃあ決まりだ。放課後に行こう」
「うん」
放課後、俺たちは改めて商店街に向かった。
よく見かける精肉店、本屋、美容室、ファストフード店が並んでいる。ランドセルを背負って元気にはしゃぐ子供たち。スーツを着たお兄さんは疲れているのか、覇気がないように見える。きっと仕事が大変なのだろう。いつも見かける杖を突いた仲の良さそうなご夫婦は今日も元気そうだった。みんないつも通り変わりのない生活を送っている。でも、相変わらずこのお店の嫌な感じは残っていた。そして、入る人を見かけたことが一度もない。
「アリス、準備いい?」
「大丈夫だよ」
俺は生唾を飲んでから一呼吸した。高ぶる緊張と若干の恐怖から手に汗を握っている。店のドアを強く握り手前に引くと、カランッコロンッとドアに付けられた鈴が鳴った。
天井につるされたオレンジ色の電球だけしか光源がなく、薄暗い店内に一歩入ると冷たく重々しい空気が漂っているのが分かる。独特なコーヒーの香りを漂わせる店内は、以前来た時と何も変化が無いように思えた。鏡の種類や大きさ、正確には覚えてないがほぼ同じだろう。机上に目をやると埃が被っていた。何年も掃除をしていないのか、部屋全体が埃っぽい空気に包まれている。それは故意的に掃除していないのか、それとも誰もいないからなのか。
部屋中を何度見回しても、カウンターを見ても店主どころか誰もいないようだ。奥にいるのかなと思い、呼んでみることにした。
「すいませーん、誰かいませんかー」
数秒待ってから俺らは顔を見合わせた。アリスも俺と同じ気持ちで、きっと不安なのだろう。顔が少しこわばっていた。
「誰も出てこない――ね……」
「カウンターの奥に行ってみないか?」
「うん」
アリスは小さな声で返事をした。
カウンターの中へと足を踏み入れる。奥へ続く入り口には、奥が見えないように上の方に垂れ幕が掛かっている。その隙間から中を覗いても、その先は電気が消えていて詳細にはよく分からなかった。
恐る恐る奥へ進むと部屋ではなく、三人ほど横に並べるぐらい幅のある通路になっていた。足元を見ると赤い絨毯が敷かれている。どこまでも続く絨毯と暗闇。
「暗いからゆっくり進もう」
彼女が頷いてから、俺は慎重に一歩を踏み出した。壁に手を当てて足元を確認しながら進む。アリスが俺の服の裾を掴んでいたので、しっかり後ろから付いてくるのが分かった。少しその仕草に高揚し意識がいってしまったが、今はそんなことを考える場合じゃないと邪念を振り払って、また一歩踏み出す。壁伝いに真っ直ぐ歩くと行き止まりになってしまった。手探りで壁を触り道を探す。どうやら通路は直角に曲がっていたようで、道が途切れた訳ではなかった。
道なりに曲がると、少しだけだが奥の方で光が漏れていた。
「アリス、光だ」
「誰かいるのかしら」
俺は生唾を飲んでから、一呼吸して気持ちを落ち着かせた。
「気を付けよう」
奥の扉の隙間から微かな光が漏れ、奥に進むほど冷気が増している。
光の前に着いてアリスに合図をし扉を開けた。
「どういうことなの」
――俺たちは、拍子抜けした。何があるのか誰かいるのかと構えていたのに、部屋の中央にあったのは大きな鏡。ただそれだけがずっしりと置かれていた。
天窓から射し込む太陽の光が、大人一人軽々入れてしまいそうなほど大きな鏡を照らしていた。まるでスポットライトのように。
「大きいね」
「でかいな」
近くに寄って鏡を調べてみた。二人が余裕で写り込むだけで至って普通の鏡だ。
――――――――ッッミッッケ……。
「なんか音がしないか?」
耳を澄ますと微かに聞こえる雑音。
「え、音なんてする?」
「微かにだけど、鈍い音が聞こえるんだ」
どこからだ。
耳を澄ましながら辺りを見回した。
――――ッッヤッッッ……ッッッミッッタ……。
「ほんとね、段々音が大きくなってるわ」
天窓からの光だけが唯一の光源であるために、部屋は薄暗く遠くの方まで見えない。
「この寒さといい音といい、悪寒がしてくる嫌な感じだな」
「あら、男の子なのに怖いの?」
アリスの顔を見るとクスッと笑っていた。俺はその笑顔に少し気持ちが落ち着いた。
だけど、心の奥まで響く音が強すぎて嫌な気持ちを全ては拭い切れなかった……。
「そんな怖い顔しないの、大丈夫だわ。きっと古いお店だから、時計か何かが動いてるのよ」
そうだといいな……と心の底で強く思う。
――ッヤッットッッ……ッッミツケッタ……。
「ヤトミツケタ? やっとみつけた?」
確かにそう聞こえた。中央の大きな鏡に目をやると、何ともなかった鏡が光輝きだした。
「えっ?」
「逃げよう!!」
俺らは鏡から少しだけ離れ、突然の出来事にお互い困惑していた。鏡をじっと見ていると、にゅるっと関節が無いみたいに柔らかい黒い手が伸びてきた。瞬く間に何本もの手が現れ、絡み合いながらも軽快に動き回る黒い手を見て、恐怖が絶頂に達する。
「な、なんだこいつは!? アリス逃げろ!」
「アリス? アリス!」
「――ゃ、いや、こっち来ないでっ」
アリスは自分の所に来ないように手で振り払っていた。でも、怖くて足が固まってしまってその場から動けないようだ。どうやらこいつらはアリスのことを探しているみたいだ。制服のブレザーを振り回しても俺の方には全く見向きもしない。
「危ない!」
手にしていたブレザーを黒い手に投げつけたと同時に走り出した。少しでも奴の動きを阻止できればいい。即刻、黒い手に弾かれたが、急いでアリスを安全そうな部屋の扉の方へと突き飛ばした。尻餅を付いてしまって痛そうだが許してくれ。
鏡から伸びてきた謎の黒い手に俺は捕まってしまった。物凄い力だ。全く振りほどけない。
「……うそ、いや。いやだよ。ねぇ、連れて行かないでよ」
アリスが急いで、俺の体を引っ張ろうと起き上がり、手を差し伸べていたが遅かった。
黒い手によって俺は鏡の中に体の八割方引っ張られてしまった。
「ハル――――!!」
鏡に飲み込まれ黒い手に締め付けられる中、最後の力を振り絞り目を開けて見えたものは、アリスの泣き崩れる姿だった。
ごめんなアリス。でも、これで良かったんだと心の底で思う。
アリスを守れて良かった。
本当に……。
どうやら鏡の中に引きずり込まれてしまったようだ。もう世界に光なんて無い。俺の知ってる世界が見えない。
痛い。
痛過ぎる。
まだこいつらの黒い手で全身を掴まれているらしい。
強く締め付けられている。
どんどん数が増えて体中をベタベタ触ってくる。
感触が気持ち悪い。
痛みが次第に強くなっていく。
冷たい。
寒い
息苦しい。
あぁ、俺の人生もここまでかなぁ。俺はずっとこのまま痛み続けながら暗闇の世界で彷徨うのだろうか。
それとも、もうすぐ死ぬのかな。
こんな最期だなんて嫌だな………………。
アリスともっと一緒にいたかったな。
大河がこの出来事を知ったらなんて思うかな。なんで俺に相談しなかったんだよって言いそうだな。
なんだ? 急に身体が温かく感じるのと同時に、痛みも段々薄らいで掴まれている感覚が無くなってきた。
解放されてまるで宙に浮いているようだ。
あれ?
微かに光が見える。
なんだろう、段々光が大きなっていく。
そこに現れたのは全身光り輝く髪の長い女性だった。
「自分の想いを決して忘れないで。大切な人のために」
そう言い残し、光の輝きは細かなガラスの破片のように散り散りになり、風に飛ばされるように消えてしまった。多分、夢の中で出会った女性なのだろう。凄く神秘的な人だ。でも、やっぱり何処かで会ったことあるような感じがするけど――気のせいだろうか。
目の前が徐々に白く明るくなってきた。