4話【世界中の誰よりも優しい声】
またこの感覚。
もう何十回と見ているからすぐに分かる。
俺の中で起きる不思議な夢だ。
「春来、早く準備しなさい」
頼もしく勇ましさはあるけど透き通る綺麗な声。一体誰なんだ、この子は――。
「早くしないと、みんな殺されてしまうわよ!」
初めて暗いながらも薄っすらと見えた。それはアリスでも大河でもない。俺の全く知りえない少女だった。本当に夢なのか――。
「……ル…………ル……ハル!!」
「うわぁあ!!」
突然の大きな音に飛び上がって起きた。
いつの間に寝てしまったんだろうか。全然記憶にない。
「文化祭の準備がまだ終わってないでしょ?」
「あ、あぁ。ごめん今やるよ」
もうすぐ文化祭が近くて、土曜の放課後に準備を進めてたんだっけか。
九月の残暑の中、俺たちはクラスメイトと一丸になって出し物の制作に取りかかっていた。誰が候補を上げたのか忘れたけど、教室でやるプチ演劇だ。それの舞台制作を行っていた。
「ハル、最近寝てること多くないか?」と、大河が言った。
「別に眠くはないんだ。でも身体が勝手に寝ちゃってて……昔はそんなことなかったんだけどなあ」
「ちょっと心配ね」
「まぁ大丈夫さ、今日の分さっさと終わらせようぜ」
「お前がそれ言うか?」
三人楽しく笑いあった。いつもどんな時でも一緒。アリスや大河には他の友達がいるけど、俺にとっては高校に入って唯一の友人だ。アリス、大河と出会ってから数か月が経ち、楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていくのを実感した。
眠ってしまうのも、きっと疲れが溜まってるだけだろ。開いた窓のサッシに両手をつき、時折吹く冷たい風を浴びながら物思いにふけていた。
教室の窓から見える中庭は、大きな木の他にイチョウの木々が沢山植えられている。毎年、紅葉の季節になると緑色から黄色へと移り変わり、校舎とその美しい葉が混ざり合った景色が見れると学校中の評判になっている。俺はその景色を待ちわびて密かに胸が躍っていた。
「やっと終わったなあ、これからカフェでも行くか?」
「いいね、ハルも行こうー」
「え――あ、うん」
あれっ……なんだか急に頭痛がしてきたし、辺りの物が霞んで見える。
「ハル、顔色悪いけど大丈夫?」
「あ、あぁ――少し頭が痛いだけだから平気だよ」
駄目だアリスたちに迷惑をかけちゃ。でも身体が言うこと効かなくなってきた。風邪とかの痛みなんてものじゃない。外部から鈍器で殴られたり、中からえぐって脳みそをかき回されているかのようだ。生きてきた中で感じたことのない痛み。段々痛みが増して気を失ってしまいそうだ。
アリスや大河の顔が歪んでいく。
全身の力が抜けて、意識が保てない。
「ハル! しっかりして……ル…………」
また息苦しい夢の中にいた。手足を動かしても何もぶつからない。重い空気に触れるだけ。この夢に終末はあるのだろうか。暗黒世界に漂い続けてる気分だ。
夢を見始めてどのぐらい時間が経ったのかな。確かなのはいつもより長く感じる。
突然、この暗黒世界に変化が起きた。豆粒ぐらいの光がゆっくり、ゆっくりと拡大し、占い師が使う水晶玉ぐらい大きくぼやけた光が現れた。
その光を見ると心が落ち着いた。今までの不安を取り除いてくれた気分だ。
光に近づいて触れようとしたとき女性の声が聞こえた。
「どうかお願い。鏡店にもう一度行って、未来を……自分の手で切り拓いて…………」
球体の光の正体は、声の持ち主であろう女性の光輝く手だった。俺は、その差し出された手をそっと手に取った瞬間、意識が現実へと戻ったのを明確に実感した。
咄嗟に目を開き夢から覚めた俺は、知らない部屋で仰向けになっていた。
今まで見た夢と違った。世界中の誰よりも優しく神秘的な声。手に取ったとき心が温かくなって、勇気と希望を与えてくれた気がした。
「ハル大丈夫?」
声のする方に目をやると、そこには椅子に座って心配そうにしているアリスの姿があった。
「あ、アリス――――いてて」
身体を動かそうとしたら少し頭痛がした。
「無理しないで、ここは病院よ」
「えっ? 病院?」
「覚えてないかな? 文化祭の準備が終わった後、急に顔色が悪くなって倒れちゃったの。お医者さんが言うには一日だけ入院して様子を見ればすぐ退院できるらしいわ」
「そっか、ごめんな迷惑かけて……」
「ううん、気にしないで」
優しく受け入れてくれる彼女が夢の中で出会った女性に、どこか雰囲気が似ていると思った。思い返せば声も似ていたような気もする。まさか大人になったアリス――そんなわけ……ないか。
俺は少し辺りを見回して彼女に聞いた。
「あれ、大河は?」
「一緒に来たけど、用事があるからさっき先に帰ったよ」
「アリスは平気なの?」
「うん、わたしはいつまでも大丈夫。不思議ね、こうして二人で話すのも久しぶりかしら?」
「いつも三人一緒だからな」
「わたしは二人で話すのも好きよ」
両肘を掛け布団につき、両手で顔を支えながら見つめてくる彼女の視線に堪えられそうになかった。頭痛を忘れてしまうほど、鼓動の動きが早くなるのを感じる。顔も熱いけど胸の奥はもっと熱い。胸が締め付けられるようだ。
やっぱり俺はアリスのことが…………。
「そ、そういえば――アリスっていつも赤いピアスしてるよね?」
俺はどうにかして心を落ち着かせようと別の話を振って、気持ちを変えるために必死だった。気をそらしたいのは本当だが、でも実はずっと気になっていた。
いつもは長い髪で隠れてしまって分からないけど、耳に髪をかけたときやカチューシャを付けているとき、煌めく深紅色がとても綺麗で神秘的だった。高校生でピアスをする人は少ないと思うが、彼女のように転校初日からするのには訳があるのかと思って中々聞けずにいた。
「気になる?」
「まあ珍しいなと思ってね。いつ頃からなの?」
「物心ついた時には既に付いていたのよね。両親に聞いても分からないって言うし。それに、これ外せないのよ」
「外せないだって?」
うん、と彼女は頷いた。
取り外せないピアスなんて初めて聞いたな。今ふと頭に浮かんだのは、神隠し事件の始まりと俺の変な夢を見るようになったこと、それとアリスの転入した時期。全てが無関係とは到底思えないほどに同じ時期じゃないか。
「でも、気に入ってるからいいかな」
アリスはいつだって優しくて温かい笑顔を浮かべる。そんな彼女の姿が見たくて、俺はいつも過ごしているのかもしれない。
それから他愛のない話や文化祭のことなど話してたら、病室を茜色で浸食し始めていた。俺は窓から見える沈んでいく朱色の物体の方に視線を向けて一呼吸した。
「夕日ってどこか切ないな」と、俺はふと言葉にしていた。
「家が恋しくなったとか?」
アリスは俺をからかうように棘のある言い方をしていた。
「そ、そんなことないさ。ただ――夕日って見れる時間が短いだろ? この夕日があとどれだけ見れるのかと思うと、心が空っぽになるんだ」
「きっと、何年も何十年もこの先ずっと見れるから大丈夫よ」
なんだかこの先の未来を知っているかのように誇らしげに彼女は言った。
「そう――だといいな」
「わたしそろそろ帰るね」
「うん、今日はありがとう。また学校で」
アリスは手を振った。入り口に向かう後ろ姿や金色の髪をも茜色に染められている。歩くたびに揺れ動く綺麗な髪を見ながら、脳裏に焼き付いている彼女の笑顔を思い出していた。一歩、また一歩遠ざかって行くその姿が何処か遠くへ行ってしまって二度と会えなくなる、そんな気がした。
そして、病室から去ってしまった。
アリスが帰った後、さっき見た夢のことが頭から離れないでいた。あの女性が言っていた言葉がどうにも引っかかる。それに外せないピアスのことも。
退院後、数日が過ぎた頃に行われた文化祭のプチ演劇は思っていた以上の反響を得られた。
席替えを何度しても必ず窓際の同じ場所になる運を持っている俺に、大河からはインチキ呼ばわりされる。アリスと席は離れてしまったが、彼女は何故かふてくされていた。窓際から眺める中庭の景色と入ってくる風が心地良くて好きだったから、俺にとっては願ってもいない出来事だった。
どんな時でも俺たち三人はいつも一緒だった。平穏な学校生活が送れて、俺はそれだけで幸せを感じ満足だと思っている。この先、二年間も無事何事もなく過ごせればそれでいい。でも、そんな幸せとは裏腹に、俺の胸の内には不安が常にまとわりついていた。
あの日、夢で聞いた言葉のせいで……。