1話【アリスとの出逢い】
「…………ん…………ん……」
「……ちゃん…………お兄ちゃん!!」
「うわぁあ!!」
突然の大声に勢いよくベッドから起き上がってしまった。
「あ、あぁ。なんだ彩夏か、脅かさないでくれよ」
隣にいたのは、二歳下の妹、峰彩夏だ。白いセーラー服に真っ赤なリボンを身に着けて、じっと俺の顔を凝視していた。
「なんだとはなんだ、折角起こしてあげたのに!」
妹は俺の言動にかなりご立腹である。
「あ、あぁ悪い……」
「それより、お兄ちゃん大丈夫? かなりうなされてたみたいだったけど?」
身体に悲鳴をあげるほど何か嫌な夢でも見ていたような気もする。全く知らない人たちがいて何処か分からない不気味な感覚。ただの夢にしては朝から嫌な気分だな。
「平気だよ、ありがとうな起こしてくれて」
「お兄ちゃんは私がいないと起きれないもんね」
完全に勝ち誇った顔をしていた。
「あ、あぁ、いつも感謝しているよ。俺も支度しないと学校に遅れるな」
「まず、そのクシャクシャになった髪の毛、直さないと外に出られないねっ」
「本当、ストレートの人が羨ましい限りだよ」
昔からこの癖毛には悩み続けていた。小中では、よくからかわれてたな――。
「私は朝練があるから先に行くね」
彩夏は吹奏楽部の朝練があるから、俺よりも学校へ行くのが早い。それに甘えて、結構な頻度で朝を起こしてもらっていた。ほぼ毎日と言っても過言ではないかもしれない。朝型ではないから、どうしても起きるのが辛いのだ……。
「気を付けて行けよ」
大丈夫よっ! と元気に発して部屋を出て行った。
――俺も支度しよう。まだ五月だからブレザーだよな?
少し早いけど、学校に向かうことにした。
マンションのエレベーターを降りてエントランスを出る。いつも思うが朝の眠い体には太陽の日差しはスッキリとさせてくれるよな。むしろ眩しいぐらいだ。
いつもの通学路である駅前のタクシーロータリーを通り、長めの商店街を抜け、彩夏が通う中学校の前を通った。この角を曲がればもう少しで俺の通う高校に着く――通学の達成感を味わおうとした。そのとき「工事中」という看板を目にした。
数秒間その場で立ち止まり思考が停止していただろう。
「はぁ……」と、声に出して強いため息をし、全身の力が抜け肩が落ちるほどに呆然とした。仕方ないから回り道をして行くか。
今日はついてないなぁ……と、ため息を吐きながら歩いていると、公園の中央に一人の少女を目にした。そよ風になびくふわふわな髪、白色をベースに薄く黄色が混じった艶々な髪色。太陽の光に当たってより一層輝きを放ち、日本では見かけることがないほど綺麗な髪をしていた。
俺は見惚れてしまい、つい立ち止まって見続けてしまった。
彼女は俺の視線に気づいたようで、にこっと笑って近づいてくるようだ。もしかして変な人だと思われたかも……そうだよ、ずっと見てたら気持ち悪いわな。
歩くたびに揺れ動く長い髪の毛。珍しかったので髪ばかり目が行ったが、よく見たらうちの高校の制服を着ていた。紺色のブレザーに純白のシャツ、真っ赤に染まった少し大きめのリボンにチェック柄の短いスカートはまさしく都立千寿高校指定の制服であった。
「こんな子うちの学校にいたかなぁ」と、つい心の声がこぼれてしまうほど見たことのない少女であった。これだけの容姿であるなら、絶対学校中で有名になっているはずだからな。それに、細い髪と髪の間をすり抜けるように付けられた大きめのカチューシャを着けているなら尚更知らないわけがない。
「あの~」
容姿端麗で柔らかい声、両手を後ろに回し気持ち前のめりになって話かけてきた。じっと目を見つめるその瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「あ、はい! どうかされましたか?」
緊張して少し声が裏返ってしまった。
「ふふっ、すみません。この学校を探しているのですが、道に迷ってしまって――ご存知でしょうか?」
面白かったのだろうか? 軽く握った片手で口元を隠し、少し笑みを浮かべながら手に持っていた小さな白い紙を見せてくれた。そこには都立千寿高校付近の地図が書かれている。
「あぁ、ここなら。今から俺も行くので一緒に行きますか?」
そう言うと、彼女は満面の笑顔をした。
「ありがとうございます! 今日からこの学校に通うのですが、この辺に来たばかりで……」
「それはよかった」
工事中でよかったとは絶対に言えない。
学校までの道で特にこれといった話はしていない。むしろ俺にそんなことはできなかった。短い時間だが一緒に登校ができたことは一生の思い出になりそうだ。
楽しいひとときに終わりを告げ、職員玄関に着いてしまった。彼女は赤いカチューシャを外そうとしている。まあ流石に校内では着けないよな――――えっ、ピアス?
真っ赤に染められた小さな石。見れば見るほど胸が熱くなり惹かれてしまう。公園で見た時は髪で隠れて気づかなかったけど、右耳だけにしているようだ。でも、こんな清楚で可憐な子がピアス?
彼女は耳元を髪の毛で隠すように垂らしていた。
「同じクラスになれるといいですね」
「えっ、ああ。そう、だね」
完全にピアスのことが気になり上の空だった。それでも俺は、たった数分程度一緒にいただけで本当にそうなることを願ってしまうほどに心を奪われていたのかもしれない。
彼女はお辞儀をして、職員玄関から職員室へと一人で向かった。廊下を歩く名前も知らない彼女の姿をただただ見つめていた。名前だけでも聞いておけば良かったな。
「あ、やべっ! 遅刻する!」
まわり道をしていたことをすっかり忘れていた。早く家を出たが、時間があっという間に過ぎていたようだ。俺は急いで教室へ向かった。
なぜか、教室はクラスメイトの声でざわついていた。
「なぁ春来――! 知ってるか?」
俺には何のことを言っているのかまるで分らなかった。だから低いトーンで「何をだ?」と返してしまった。自分で思うのも嫌だけど唯一の友達なんだよなぁこいつ、山本大河は……。
「転校生の話だよ! もう朝から学校中で噂になっててみんな騒いでるんだ!」
「もしかして金髪美少女のことか?」
大河は、そう! と、力強く答え話を続けた。
「なんだ知ってたのか――でも! これは知らないだろ? その子うちのクラスらしいぜ!」
願いは本当に叶うものなんだな。ここで運を使ったらいつか罰でもあたりそうだ。
「おーい静かにしろよー、ホームルームを始めるぞー」
担任の先生が教室に入り教壇に立った。先生の声に反応して騒いでいた連中も渋々自席に着く。
「出席を取る前に、今日はこれから転入生を紹介するぞ」
周りの生徒がざわつき始めた。中には「待ってました!」という声も聞こえてくる。こういった環境の変化に関わる話はクラス中が興味深々だ。
みんながざわつく中、俺は一人で激しく心臓の鼓動がし始めるのを感じた。
…………ガラッとドアを開けた瞬間、生唾を飲んだ。
白いワイシャツに緩く結んだ赤いリボン、短めになった学校指定のチェック柄のスカート。そして、絶対忘れることはない金色に輝きを放つ髪色。
そんな彼女が先生の隣、黒板の前に立ってクラスメイトを見回していた。
「初めまして――三神アリスと言います。親の仕事の関係上、海外に何年か住んでいて、最近こちらに引っ越して来ました。よろしくお願いしますっ」
少し恥ずかしそうに自己紹介をしていた。大勢の前で話すのは俺も苦手だから緊張してしまうのはよく分かる。寧ろ彼女のようにまともな自己紹介などできないだろう。
男女ともに拍手喝采。誰からも好かれる美少女とはこの子のことを言うんだろうな。
「えぇと、三神の席は――窓際の一番後ろの席な」
思いもしない先生の一言に胸が踊る。俺の後ろの席に彼女が来るなんて。さっきより更に鼓動が早くなっただろう。だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
可憐な彼女がどんどん近付いて来る。俺の緊張はピークを越えようとしていた。
「また会えたね」
俺の席を通り過ぎるとき一言だけ呟いた。その言葉はしっかりと耳に入り、頭の中を駆け巡った。その何気無い一言でより彼女に対して好意が寄ってしまったかもしれない。通りすがる時、一瞬だけど彼女の顔は数十分前よりも喜んでいるように見えた。
誰も居なかった後ろの空席が埋まり、今までなかった視線をひしひしと感じる。
「では出席を取るぞー」
俺の心は動揺し続けている。色めき立っているから、きっと返事をした時に変な声を出したに違いない。恥ずかしいにもほどがある。
ホームルームが終わると早々に、クラスの女の子らが転入生の周りを囲んでいた。海外のこと、親の仕事のこと、髪の色のこと、手当たり次第聞いている。凄い人気ぶりだ。周りの男らも様子を見計らって声をかけようとしているのが丸わかりだった。大河もその内の一人である。
今日一日中、三神さんの周囲には誰かしらがいた。一限、二限、三限……と質問者は代わる代わるだ。でも、嫌な顔一つせず誰にでも優しく笑顔で振舞っていた。そんな振る舞いができる三神さんが心から羨ましかった。
放課後になり、部活も入っていない俺は一人で帰る準備をしていた。思いもしなかった。まさか「一緒に帰りませんか?」と、三神さんの方から声をかけてくるなんて――。
俺は突然の出来事に驚きを隠せず、自分だけ時間が止まったかのように、ただただ呆然としていた。
「ダメ――ですか?」
少し前かがみになって顔を覗き込んできた。彼女の純粋な瞳とその仕草に、自分の顔が熱くなったのが分かる。恥ずかしくて彼女の目を見られず、目線を外して話してしまった。
「ダ、ダメなんかじゃないよ! 俺なんかで良ければ……」
「わたしは、峰くんと帰りたいなー」
一言一言が心に刺さってくる。
彼女は恥ずかしそうに俺の返事を待っているようだった。
「じゃ、じゃあ、帰ろうか?」
彼女の嬉しそうな笑顔はまるで天使かと思ってしまうほど見惚れてしまった。
俺たちは教室を後にした。すれ違う人全員が俺たちの方を見ている。もうデキてるの? という声もちらほら聞こえた。三神さんが不快な気持ちにならなければいいけどな……。
校門を出てから彼女に尋ねてみた。
「三神さん、初日はどうだった?」
「うーん、みんないい人で優しくてとても楽しかったわ。でも今日は疲れちゃったかな」
「凄い人数が押し寄せてきてたからな、三神さん人気で羨ましいよっ」
「峰くんは、わたしのことをあまり聞かないのね」
「えっ――まぁ聞きたいけど、三神さんが疲れてるから俺はいつでもいいかな」
「峰くんって優しいね」
またしても俺の心が揺らいだ。三神さん本当に八方美人だな。
「そんなことないさ。他の人みたいにガツガツとはいけないだけだよ」
「わたしは、そういう他人に優しくできる人が好きだなぁ」
三神さんは、そう言葉にしながら前のめりになって、俺の顔を覗き込むように見てきた。華やかな仕草に耐えられず、つい目を逸らしてしまった。
「か、からかわないでよ!」
「全然からかってなんかないよ?」
彼女の微笑む表情から嘘か真か探ろうとしたけど……俺の未熟な心には分からなかった。なんと返せばいいのか、少し考えたけど言葉が見つからない。少し無言が続いたまま歩いた。
「峰くん今日はありがとう、わたしの家こっちだから――また明日ね」
「あ、うん。また明日学校で」
彼女は片手を振ってから、道を曲がってしまった。歩く度に揺れ動く彼女の髪を追いかけるように、後姿を無意識にずっと見ていただろうか。男という生き物は揺れるものに弱いとは本当のことらしい。
遠く離れていく彼女の姿がなんだか切なく感じる。会ったばかりなのに、遠く離れて行って永遠に会えなくなってしまうかのようにも思えた。
帰宅後早々に妹の彩夏が仁王立ちで構えていた。
「あ、お兄ちゃん。朝ちゃんと起きて行けた?」
「心配しなくても大丈夫さ、遅刻してないしなー」
俺はリビングに着くなり、テレビを何気なく付けた。
「昨夜、総勢十八名に及ぶ老若男女が一夜にして消えたとの情報が入りました。被害が起きた場所は東京都…………。この事件に関しての真相を現在調査中とのことです。続いてのニュースは――」
えっ…………一夜にして消えた?
……そんな魔法みたいなことが――どういうことなんだ。しかも事件現場がこの近くじゃないか。三神さんが心配だな。
「彩夏、事件に巻き込まれないように気を付けろよー」
「大丈夫よ、お兄ちゃんこそ注意してね。いつも頼りないんだから」
「余計なお世話だ!」
自室のベッドで横になり、目を閉じると一日の出来事が脳裏に浮かび上がってきた。三神さんのことで頭から離れない。一目惚れというやつなのかな。
そう言えば、今朝の変な夢の中で三神さんに似た人がいたような気がしたけど、まぁ夢だしそんなこともあるか。三神さんと出会うっていう予知夢だったりするのかな。
いつまでもこんな平穏な日々が続けばいいのになと切実に思う。
なんだか、眠気に襲われて意識が遠のいていくのがうっすらと分かった。