プロローグ
「はぁっはぁ……くそっ!!」
剣を地面に刺し、疲れ切った体を支えた。
辺り一面を赤く照らす炎を霞む目で眺める。刃に映りこむ自分の顔はひどく疲れていて、癖っ毛の強い黒髪はより一層乱れていた。
何度斬っても斬っても湧いて出てくるのは、自動識別型泥人形『ゴーレム』だ。このゴーレム、俺がこの世界に来る前から街の中で突如として現れては人を襲うらしい。
今の俺には「らしい」という表現が一番適切だった。
ゴーレムは泥でできているから、本来なら柔らかいはずだが、心臓に埋め込まれた深紅色に輝きを放つ石のせいで、表面が固く覆われてしまっている。ちょっとやそっとの力じゃ斬れない。それに、知能が高いゴーレムさえもいるから中々厄介だ。
……どうやら休む時間は与えてくれないらしい。
「はあぁぁぁぁあっ!!」
ゴーレムがゆっくりと後ろから迫って来た。渾身の一振りがゴーレムを斬り裂いて、泥の塊がたちまち原形をなくし地面に溶けて消えた。
「はぁっはぁっ……流石に数が多過ぎるな」
体力を消耗する理由が剣を振ってるからだけじゃない。この剣の柄に埋められた球体『スフィア』のせいだ。普通なら緑色に輝くのだが、俺のは何故か血液のようにドロドロとしていて真っ赤に染まっていた。
スフィアのお陰で身体能力を飛躍的に上昇させてくれる。でも、自分の血と記憶が球体を通して自然と放出してしまうのが問題だ。
空を見上げると赤い血液のような物が浮遊している。血が無くなることによって疲れがどっと押し寄せてくるようだ。それに、湯気のように気体となった塊が空気中に漂い始める。白く糸のように細く、互いに絡み合っている気体を凝視していると、不安や憎悪などの多種多様な感情が入り雑じってくる感覚がある。
「うわぁぁあああああああああ!!」
頭が割れそうになるほど激しい頭痛が押し寄せてきた。頭を強く抑えて、しゃがみこんだ。
痛みに耐えろっ。
数秒、たった数秒我慢すればいいだけ。
「…………今回もか」
予想通りだった。痛みはほんの数秒――。何故かすぐに治まってしまう。痛みだけならよかったんだ……。
いつものように代償は大きかった。
「また……か…………また失ったのか」
体の中に巡る赤い血液と一緒に記憶もどんどん出ていく。血が放出して疲労が溜まり、記憶を失って頭痛が起きる流れはいつも変わらなかった。
不思議なのは空気中に漂った後、一体何処へ向かっているだろうか。いつも同じ方向へ勢いよく飛んでいく。まるで一箇所に集められているかのようだ。
だいぶ抜かれたようだな……。
体に巡る血が足りなくて意識が薄れてきた。
「春来もうダメよ! それ以上戦ったら死んでしまうわ!」
急いで駆け寄り、膝をつきながら心配そうに声をかけるのはミラだった。俺と同じ十六歳なのに大人びている。漆黒に染まる長い髪の彼女は、一言でいうならば美少女。その可憐な少女を守るためにも俺はゴーレムと戦っていると言っても過言では無い。ミラがいなければ俺はすでに死んでいたのかもしれない程、何度も助けてもらっている。
「平気――ちょっと疲れただけだから」
不思議と言えば、ミラもゴーレムと戦う内の一人だが、血やら記憶がなくなるなんてことはなかった。
どういう仕掛けになっているか分からないが、断言して言えることはただ一つ。この世界で生きていくために必要不可欠なのが、この剣とスフィアなんだ。
「一旦戻って休みましょう」
「そうだな――あらかたゴーレムを片付けたし、あとは他の人が何とかしてくれるだろう」
一面火の海だったが、街の人々によって消化されつつあり、一足先にミラと救護室へ戻ることとなった。流石にここ最近続いていたバタつきが影響し、体への負担が大きく疲労困憊だ。
火の海を背にしてミラと歩き始めた。幸い救護室は少し歩いた所にある。しかし、疲れ果てた体には長く感じてしまう道のりだ。
街中を赤く染めていた夕日はいつの間にか沈み、今度は黒色に染め、影を蝕み始めた。
「着いた……か」
「えぇ、早く手当てしましょう」
近づくと救護室入り口の自動ドアが開いた。一歩足を踏み入れると薬品の充満した匂いが鼻に突き刺さる。
救護室へ着くなり空いている席に倒れ込むように座った。薄いオレンジ色が混ざった茶色で出来た机は木目がしっかりと見える。全身力が抜けきっていたから、その机に顔をそっと近づけて耳を当てながら大きく息を吸った。これだ、この香り。ヒノキのすぅとした清涼感漂う香りが疲れた体を落ち着かせてくれた。
ぐったりと机で寝ているとミラが視界に入る。どうやらご立腹のようで、表情が曇り始めていた。
「もう! あれだけ来ないでって言ったのに!」
「市民を守らないといけないのに、じっとなんてしていられないよ!」
ミラは一瞬だけ整った表情へ戻してキョトンとしていた。すぐさま少し首を振りながら呆れた顔で「はぁ」とため息をついていた。
ここには俺の他にもスフィアが使える者が手当てに来る。話したことは無いが、顔を見たことがある奴も何人かいた。俺はミラとペアでゴーレムの殲滅をしているから、何人かを除いて他の人とは関わったことが無い。
「早くそれ飲んでおきなさい」
俺は、赤く染まった血を凝縮したような小さい球体を持って自分の体に流し込んだ。
その球体は口の熱で溶け出しドロドロになった。喉が焼けるような熱さだ。時間をかけて不足した血は補えるのだが、失ってしまった記憶だけはどうにもならないらしい。
覚えているのは、目の前にいるミラのこと、剣やスフィアの使い方など、この世界で学んだことだけだ。
突然、高音が街中から聞こえてきた。とても嫌な気分になる不快な音だ。
「市民の方は――直ちに――シェルターの中に――移動してください。アサルトエシュロン――所属の方は――第三南地区まで――招集願います…………繰り返します――市民の方は――」
街中を赤く照らしながら緊急警報が鳴り響いた。
「また出たのね――ゴーレム」
「あいつら、夜活発になるからな」
重たい体を起こそうとしたときだった。
「春来! 今日はもうダメよ!」
綺麗な顔をしながら怒る姿も格別だった。
「俺が行かないと、犠牲になるやつもいるんだ!」
パシッ!
一瞬何が起こったか分からなかった。
「いい加減にしなさい! 自分の体を一番に考えなさいよ!」
頬を強く平手打ちされていた。痛みと突然平手打ちされた驚きから、立ち上がった腰を下ろして椅子に座るしかなかった。
「分かったよ――今日はやめておく。でも、もしミラの身に何かあったら俺は助けに行くからな」
「わ、分かったわ。でも無茶だけはしないで」
恥ずかしいのか、そっぽを向かれてしまった。
自動ドアの開く音が聞こえ、なんだか周りがざわつき始めていた。誰か救護室に来たようだ。そいつは辺りをキョロキョロと見回して部屋の片隅まで聞こえる声で叫んだ。
「ここに峰春来はいるか?」
えっ……俺?
図体がデカく筋肉質な男は俺のことを探しているようだった。その風貌から俺よりも歳がだいぶ離れたように見える。
「お! なんだいるじゃねーかよ」
こんな奴とは関わらない方がいいと思い身をすくめていた。それなのに向こうから声をかけてきやがった。その無神経な態度に俺は怒りの感情がふと芽生えていた。
でも……。
どうして俺のこと知ってるんだ――。
「なぜ知ってるかって思ってるんだろ? お前はこの世界じゃ有名人だからな」
「どういうことだ?」
「そのままの意味さ。君をこんな所で死なせるわけにはいかない。この世界を救ってもらわないと困るんだ」
「俺がこの世界を救うだって? 笑っちゃうね、そんなの無理に決まってる」
「無理じゃない、君は他の人より特別な力を持っている。ただ今の記憶のままじゃ駄目だ」
男は何か考え込むように、短い髪をクシャクシャと片手でかいていた。
座っていたから尚更図体のデカさが際立っていた。見下すように俺の記憶を否定された。
「駄目とかいわれてもなあ。俺にどうしろって言うんだよ」
俺の言葉じゃ、このおじさんは微動だにしなかった。
「手荒な真似はしたくないが許してくれよ」
「やめて!!」
ミラの声と共に、この男は急に俺との間合いを詰め、一瞬だけ微かに見えた赤くブヨブヨとした塊を口の中に無理やり押し込んできた。俺は何も抵抗出来ずに、謎の物体を飲み込んでしまった。
ドクンッ……ドクンッ……。
心臓の鳴り響く音が全身に伝わり、身体の異変をすぐに感じた。
頭の中にぽっかりと消えたはずの記憶が物凄い勢いで流れ込んできた。膨大な量で意識が吹っ飛びそうだ。俺は椅子に座ることすらままならず地面に跪いた。流れ出る汗が止まらず、息もまともにできない。
「はぁはぁ……な、なにを飲ませ……たんだ……」
塊が流れ通った場所が熱い。燃えるような熱さが体の底から込みあがってくる。胃がムカムカと焼けるようだ。やばい、ミラが二人に見える……。
「おじさん! 春来になにしたの!」
「大丈夫さ、死にはしない。少し記憶を戻してもらわないと困るんでな。君がスフィアを使ったときに抜けた血液と記憶が混ざった塊を流し込んだ。時間がかかるが元の彼に戻るさ」
もうろうとして男が何を言ってるのか理解できなかった。それどころか声すら出なくなって、このまま死ぬんだと思った。
「春来! しっかりして!!」
頭を鈍器で殴られたらきっとこんな痛みなんだ。眩暈、吐き気、全てが同時に押し寄せてくる。俺の人生はこんな形で終わってしまうのか。
じわじわと視界が暗くなり、まるで海に突き落とされて深く沈んでいくみたいだ。
全身の力が抜け、身体中が揺らめき、何もかも分からなくなってきた。
あぁ――――もうダメ……だ…………。