第七話 鎌を持たぬ死神
その銀色の銃口は、ヤツの後頭部に突き付けられていた。
メイは、身の丈ほどはありそうなマークスマンライフを片手で軽々と持ちあげている。
本来マークスマンライフルは、中距離用の銃だ。そのため、むやみに敵に近づく必要はない。
ましてやメイの腕ならきっと1km以上先からだって、寸分の狂いなくヤツのドタマをぶち抜くことはできたはずだ。
だが、彼女はそれをしなかった。
「ナナシを離して―――。」
冷たい声だった。首を切り落とされたと錯覚してしまうほど。
その様は静かに青い炎を燃やしているようにも見えるし、目の前の敵を事務的に排除する冷徹な機械のようにも見える。
前者だったら良いなと思うのは、都合の良い解釈だろうか。情けない後輩を痛めつけたヤツへの報復を考える、静かな怒りだったら。
僕は気を抜くと持っていかれそうな意識を、下唇を噛んだ痛みで繋ぎとめる。
生きているか死んでいるか分からない細胞が酸素を求める。
ヤツの黒い手は未だに力を緩めることなく、首に食い込んでいる。足が地面を離れていることがこんなにも不安なことだとは思わなかった。
黒いローブを着たヤツはメイの方を振り返った、と思う。フードの奥に顔はない。目はない。首だけがそちらに傾いたのだ。
だが、そんな些細なことを気にしないとばかりに、僕の方に首を戻した。
ベンチをぺしゃんこにするほどの力の持ち主だ。今更、銃を突き付けられたところで怖気づかないということか。
それにヤツに銀弾は効かなかった。それが意図する絶望をメイはまだ知らないはずだ。
僕はなんとか教えようと思ったが、塞がれた道に声が通る隙間はなかった。
意識は一度途切れ、そしてもう一度意識と繋がる。まるで接触の悪いテレビのようだ。
そろそろ限界だぞ、先輩。
『―――警告は、した。』
雨の音にかき消されるメイの声。
刹那の出来事だった。目の前にあったヤツの体。それがくの字に曲がり、視界から消えたのだ。
首が解放され僕は地面に転がる。
「かは―――っ!」
キャップを開けた炭酸飲料のように、頭に全身に酸素が巡る。
むせる呼吸を整えながら顔を上げて、僕は絶句した。
ヤツは公園のフェンスに叩きつけられていたのだ。フェンスは丸ごとそれを受け止め、その形を刻んでいた。
メイは片足を上げたまま静止している。
脳内で逆再生される記憶。
メイはその場で自転。半円の延長線上にはメイの足。回し蹴りがヤツの脇腹に突き刺さっていた。
目の前で起きたことなのに、その俊敏な動きに目は追い付いても脳が追い付かなかった。
只者ではないと思っていたが、まさか一撃でヤツを吹き飛ばすほどとは。
「大丈夫? ナナシ。」
メイは僕に問いかける。
先ほどまでの冷酷な視線ではない。すべてを包むような艶やかな微笑み。髪から滴る雨がさらにその妖艶さを引き立たせていた。
「……うん。助かったよ」
僕は命の恩人にそんな素っ気ない返事しかできなかった。
まだ頭の整理と呼吸が追い付いてない。
メイは返事の代わりに小さく頷く。
そして、再びその紅い瞳はヤツに視線を戻す。
ヤツはへこんだフェンスから体を起こすと、何事もなかったかのように佇む。
表情は分からない。でも雰囲気から少し苛ついているようにも見える。
その灰色の視線を受け止めると、メイは手の平を上にして、片手を突き出した。そして、指を手前に2回折り曲げてみせた。
「ちょっ、メイっ。なんでわざわざ挑発するの?」
「怒ってるから。」
「え、なんで」
「ワタシの後輩を傷つけたから。」
メイは、本気で怒っている。そう感じた。
口調は冷めていたが、肌を微量の電流が走っていく感覚がした。
普段なにを考えてるか分からない女だが、このときばかりはハッキリとそれが分かった。
僕は息をゆっくり吐く。
呼吸が落ち着くと、頭の中も冴えてくる。
体を起こす。
「ヤツには弾丸が効かないんだ。ここは逃げた方がいい」
「分かってる。でも逃げない。絶対にいわす。」
「い、いわす? どこで覚えたのそんな言葉。……ていうか、ヤツを知ってるの?」
返事はない。頭が小さく縦に揺れた気がした。
『――――――っ!!!』
それを聞くのは3回目だった。悲鳴のような雄たけびのような耳を塞ぎたくなる叫び。
「―――来る。」
彼女の声と同時に、ヤツの衝動に任せた突進。
捕まえるつもりなのか、両手を上げたまま突撃してくる。その矛先は、メイだ。
「メイっ!」
僕は彼女にそれを伝えるために叫ぶ。
彼女は目で語る。分かっている、心配するなと。
メイは黒い影にぶち当たる寸前で、斜め前に転がり避ける。
ヤツの振り下ろされた両手は空を切った。遅れてきた風圧が砂を撒き散らす。
それから銃声が3回。攻撃を交わしたメイは、膝をついてライフルを構えている。
しかし、ヤツはそんなことをものともしない。
振り向きざまに、黒い手を払うようにメイに伸ばす。
だが、その手で掴めるものは何もなかった。彼女の姿はすでにその場になかったのだ。
メイの体は宙を舞う。後方宙返り。そして、体を平衡にしながら相棒を構えた。空薬莢が5つ、地を跳ねる。
僕は息を呑む。すべてが早すぎて逆にスローモーションに見えた。
まるで人の動きではない。メイの体には重力が働いていないようだ。
蝶のように舞い、蜂のように刺すという戦い方は、彼女のためにあるのだと思った。
続けざまに銃弾を味わったヤツは、面を食らったようによろける。
その隙を、彼女が見逃すはずがない。
体が地面に付くと瞬時に駆け出す。ライフルを持ち替える。逆さまに。
それからヤツの横っ面めがけて銃床を振り抜いた。バットでバスケットボールを思い切り叩いたような鈍い音。鬼も泣き出しそうな豪快な追撃に僕は目を背ける。
『―――っ!!!!』
これはたまらないとばかりにヤツが叫んだ。ように聞こえた。
僕が次に目を開けた時には、メイは真上に高く飛んでいた。
空でくるりと一回転している姿は、きっと満月があったらお月見できるぐらい趣があるなと感じた。
こんな常人離れした戦闘を見せられては、夢を見ているんじゃないかと錯覚してしまう。
黒ローブは吹き飛ぶことなく殴られた勢いのまま、その場でくるくる回っていた。
ヤツはまだ知らない。すでにお前の首が断頭台にさらされているということを。裁きのギロチンがすでにロープを切って落とされているということを。
そして気配で察したのか、ヤツは天を見上げる。いや、見上げてしまった。
死神の鎌のように鋭く半月を描きながら、かかと落としがヤツの顔面に炸裂。
黒い影は地面に叩きつけられた。
メイは冷めた目をしたまま、銃口をフードの中に突っ込む。
乾いた音が二発。雨に乱反射して静かに響いた。
黒い影は砂のように霧散して消えていった。
僕は長く息を吐く。
一瞬で片が付いてしまった。結果はメイの圧勝。
目にも止まらぬ速さでヤツを始末して見せたのだ。
僕は彼女を怒らせることだけはやめようと、本気で思った。
「……倒したの?」
「逃げただけ。」
「逃げた?」
「そう。」
妙に寂しそうな表情に見えた。
逃がしてしまったということか。
「あれは、生き霊。」
彼女は僕の疑問を先回りして回答した。
生き霊? 聞きなれない言葉だ。
「生き霊は怨念の塊。そこに魂はない。想いだけで動く存在。だから銃弾は効かない。」
メイは淡々とそう言うと、ライフルを肩に担いだ。
憎しみや怒りで形になったということか?
そんなことありえるのか? あんな化け物が想いだけでできたとでも?
黒ローブに抱き着いた時の感覚を思い出す。確かに中身は空っぽだった。
でも、なんであんな化け物が突然現れたんだ。
それに僕たちが襲われる理由なんて―――。
「ナナシ、さん?」
声のした方を見た。
僕らと同じように全身をずぶ濡れにしたヒヨリちゃん。肩で息をしている。
「なんで、逃げたんじゃ……」
「公園の外で偶然会った。ナナシを助けてって。」
「そう、なんだ」
彼女がメイを呼んできてくれたのか。
「ありがとう、ヒヨリちゃん」
「……あの、良かったです。ほんとうに」
そう言うと彼女は、その場で腰が抜けたように座り込む。
それから顔を両手で覆うと、肩を揺らす。泣き始めてしまった。
彼女だってまだ16歳。目に見えない恐怖に必死に耐えながら、偶然かもしれないがメイを呼んできてくれた。
僕は彼女の横にしゃがむと、頭を撫でる。
セナちゃんとメイからの預かりものだけど。少しでも慰めになってくれたら良いと思った。
メイはヤツの形で歪んだフェンスを見ている。
もしかして何か勘違いしていたのかもしれない。
僕やメイを襲いにヤツが現れたのではない。ヤツが狙っていたのは。
となると、少し気にかかることが出てくるわけだが。
でも今は。早いところ雨が止んでくれることを、ただただ願うばかりだ。
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