第四話 トラブル
アイドルグループにおけるセンターというポジションは、特別なものらしい。
野球でいうところの4番。サッカーでいうところのストライカー。相撲でいうところの横綱。
いわゆる花形。あらゆる業態に存在する、特別中の特別。とっておきだ。
故にアイドル界ではど真ん中。センターというらしい。
先ほど報告を挙げた際に、ハジメさんからそんなことを世間話程度にされた。恐らくセナちゃんからの押し売りだろう。
『ペンタグラムには、不動のエースにしてリーダーのアカリというアイドルがセンターに君臨してたんだってさ。それを押しのけてのセンターだ。アカリちゃんのファンは気持ち良くはないだろうね。ま、そういう考えを持つのは一部の人間だけだと思うけどね』
電話越しでハジメさんはそう言っていた。
会場で感じたファンたちの違和感。それも一応報告しておいたのだ。
じゃあ、会場で聞こえた声は、そのアカリというアイドルのファンということか。
同じアイドルグループだというのに、1番を決めるというのがまず酷な話じゃないかと思う。
1番を決めなければ無駄な妬み嫉みは生まれないのだから。
ただやはり、1番になることは大事なことなのだろう。
彼女たちのレッスン風景を見ていたら、そう思わざるを得ない。
「マナっ! ワンテンポ遅れてるっ!」
「ごめんっ! アカリちゃんっ!」
「アヤっ! もっとアクション大きくっ!」
「うんっ!」
「ヒヨリっ! 笑顔笑顔っ!」
「はいっ!」
どうやら3日後の週末にライブがあるらしい。
そこでセンターである、杠葉さんの曲を初お披露目流れのようだ。
ペンタグラムの事務所にあるレッスンスタジオ。
鏡張りのスタジオで彼女たちはダンスを合わせている。
やけにカリスマ性溢れる強気な女の子が指揮をとる。この娘がアカリというアイドルみたいだ。
僕はスタジオ外の影からそれを眺めていた。
レッスンを始めてかれこれ2時間くらい経つだろうか。
ほぼノンストップで動き続けている。
歌って踊れるアイドルなんて軽く言葉にしているが、そのためには並大抵の練習量では足らないのだろうか。
彼女たちの真剣な眼差しを見ていると、ファンが応援したくなるのも分からないでもない。
ただ、余計に気になってしまう。
この娘たちは何のためにこれだけ頑張っているのだろうと。
これだけ命を活力を燃やして取り組んだ結果、やることがファンの前で歌って踊るサービス。自分ではなく、他人を喜ばせることのそれだ。
握手会といい、僕にはやはり理解できない存在だ。
「ヒヨリっ! アンタ、やる気あんのっ!?」
突如響いたその声に僕はびっくりして、視線を向けた。
アカリというアイドルが杠葉さんをすごい剣幕で睨んでいる。
「あ、ありますっ」
「なら、もっと笑顔で踊りなさいよっ! アンタはセンターなんでしょっ!? センターは誰よりも輝かないといけないのっ! 分かってるのっ!?」
「は、はい……」
「……はぁ。もういいわ。今日はもうおしまいにしましょ」
それだけ言い終わると一人でスタスタとスタジオを出て行ってしまった。
杠葉さんは……言わずもがな落ち込んでいるように見える。
「あーあ、また悪い癖出てるよ。アカリちゃん」
「ヒヨリも気にしないで? アカリもライブ近づいててナーバスになってるんだよ」
「あ、いえ。すみません、わたしのせいで……」
「気にしない気にしない。さあ、片付けよ」
はい、杠葉さんは元気なくそう返事するとスタジオを片付け始める。
杠葉さんが少し不憫に見えてしまう。
なにもそこまで怒鳴ることじゃないだろうに。少なくとも僕には笑顔で踊っているように見えたけど。
アイドルは馴れ合いだけじゃないんだな。そう思った。
人間不安になればなるだけ、緊張は顔にも態度にも出てしまうものだろう。
スタジオに流れるピリピリとした緊張感。3日後のライブが大事なものだということがひしひしと伝わってきた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
レッスンが終わると、杠葉さんは人気のない公園で個人練習をしていた。
時刻は20時過ぎ。僕は尊敬を通り越して呆れていた。
年頃の女の子がこんな時間に人気のない公園でなにをやっているんだ。さすがに危なくないか?
近くの木の影に隠れながら、僕はそれを見ている。
ていうか、僕これ真面目にストーカーだよね? 他の人に見えないことだけが本当に救いだ。
彼女が僕に気付いている様子はない。
ただ、イヤホンをしながら黙々と足を動かしリズムを体に刻んでいるように見えた。
昼間起きたイベント会場での事故もあったし、さっきまであんなに練習していた。
体も心も疲れていて当然だろうに。どうしてそこまで頑張るのか。
気付いたら僕は、彼女のイヤホンを外して話かけていた。
「まだ、頑張るんですか?」
杠葉さんは、呆気にとられたように目と口を大きく開けていた。
その様子から察するに、恐らく僕の存在忘れてたのだろう。それだけ夢中だったってことかな。
それから彼女はそそくさと僕から距離をとる。
「いや、あの、もう少しだけ。あと、あまり近寄らないほうが……。汗かいてるので」
「僕は気にしませんけど」
「わたしが気にするんですっ」
公園内を照らすものは月明かりと街灯だけだが、彼女は耳を赤くして怒っているように見えた。
なんでそんなに怒ってるんだろ。
僕は気を取り直して、話しかける。
「毎日こんな時間まで? あんだけ練習してたのに?」
「わたし、下手っぴですから。あの、レッスン見られてたんですね」
彼女は照れ臭そうに頬を掻く。
「まあ一応、ボディーガードなんで。ていうか、下手じゃないと思いますよ? セナちゃんも踊りも歌も完璧だって言ってましたし」
「ああ、相談所にいた女の子ですか。そう言ってもらえるとすごく励みになります。でも、足りない気がして……」
公園には虫の音が響いていた。微かな夏の匂いを感じさせる。
彼女の声はどこまでも頼りない。
ぼろぼろじゃないか。どうしてそこまでできるんだ。
「そんな頑張る必要ないんじゃないですか?」
僕は口にした。ありのままに感じたことを。
「えっ?」
彼女は驚いた表情。
「ファンのためにそこまで自分を削る必要あります? 好きなアイドルを勝手に応援してる人たちですよ? また勝手に違うアイドルになびくに決まってますって。そんな人たち相手に本気でサービスしてなんの見返りがあるんですか?」
僕は言葉を作る。
彼女にこれ以上無理をさせまいと。
「あのアカリって娘も酷くないですか? 杠葉さんは一生懸命頑張っているのに、笑顔がどうとか輝きがどうとか。どうでもよくないですか? そんなことよりも自分たちの体を労った方が」
「ナナシさんーーーっ!」
杠葉 柊依は叫んだ。
乾いた音と微かなに僕の頬に残る痛み。
「ーーーわたし、怒ってます」
彼女の顔が目の前にあった。大粒の涙を瞳いっぱいに溜めた、とても綺麗な顔だった。
僕をぶった右手を押さえながら震えている。
それを見て僕は頬を叩かれたことを理解する。それぐらい突拍子もない出来事だった。
「わたしたちを応援してくれる人たちやアカリさんをそれ以上悪く言わないでくださいっ」
杠葉さんの目は一直線に僕を見ていた。
今にも決壊しそうな想いたちを含んだまま。
「あなたにとってはただのファンに見えるかもしれませんが、わたしたちにはとても大切な人たちなんですっ。アカリさんだって、わたしのために怒ってくれたんですっ。私たち5人は、5人でようやく一つの星になれるんです」
わたしは。わたしたちは輝きたくてアイドルをやってるんです。
泣きぼくろの上を大きな雫が一粒だけ流れた。
「なにも知らないのに、勝手なこと言わないでくださいっ―――」
赤く滲んだ瞳で僕にそう訴えると、彼女は走り去っていった。
僕は公園にぽつり残されてしまった。
夜空にちりばめられた星たちを仰ぎ見る。
彼女はなんで泣いていたのだろう。僕にはその感情が未だに理解できていない。
何も知らないくせに勝手なことを言うな、か。その通りだ。
魂を輪廻転生するためだけに存在するシニガミ風情が、人間に近寄りすぎたのかもしれない。
ぶたれた右頬を触る。
「痛いな……」
それは虫の音にかき消された小さな声。自分で発したことにも気付かないほど。
切れかけの街灯がやけに煩わしく思った。
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