第九話 僕はいつもこうだ
あるところに一人の女がいた。
女は女優だった。
その歌唱力と演技力とカリスマ性でこの世の人間を虜にすると、あれよあれよとその道をのし上がった。
故に彼女がその道のほぼ頂点まで上り詰めるのに、そう時間はかからなかった。
しかし、華が散るのは一瞬。彼女はその世界から突然姿を消すことになる。
男と子供ができてしまったからだ。
世間に出るとは、テレビに出るとは、人の気を惹き寄せることに他ならない。つまり、人気商売であるということ。
男も子供もできてしまうというだけで、そのブランドには傷が付いてしまう。少なからず離れる人間がいることは事実だ。女性ならなおさら。
そうして、女優界を離れた女は1人の母親となった。
けれど、幸せな家族生活はすぐに崩れ去る。早々に夫婦仲はこじれ、3人は2人になってしまったのだ。
彼女は我が子を育てるために奮闘した。古いつてを頼り、劇団での仕事をこなしながら。
行く年か過ぎ、子供は大きく成長した。
それから、少ししてからの出来事。
半年前。交通事故だった。
母親は、この世を去ることになってしまう。
最愛の娘を一人残して。
片耳に入れたイヤホンからは、女性の歌声が流れている。
子守唄だと思う。とても綺麗な声だ。
生茂る稲穂を風が揺らしているような。そんな静かな声。
所々ノイズまじりだったり、途切れたりしている。テープが擦り切れるほど聞いたのだろうか。
同じ声を僕の横で、ヒヨリちゃんが聞いている。
もう片方のイヤホンを左耳にいれて。
膝を抱えた彼女のつま先は、微かにリズムを打っていた。
「わたしの母、交通事故で亡くなったんです」
ふと歌声が止まった時、彼女は口を開いた。
部屋にはテープが巻き戻る音だけがこだます。
静かなイヤホン越しに聞く雨の音。それはこんなにも大きな音だっただろうか。
しばらく考えて僕も口を開く。
「そうなんだ」
「ふふっ、ナナシさん、少しおかしいです」
なぜか急に笑い出した彼女。
特に面白いことは言っていない。
「他の人にこういう話ししたら大体、残念だったねとか、ごめんって謝ったりするものなんですよ? 別にそう言ってもらいたくて、話しているわけじゃないですけど……」
「いや、なんというか……言われ慣れているかなって」
彼女は笑う。やっぱりおかしいです、そう言って。
蔑みでも怒りでもない。ただ可笑しくて緩んだ頬。
誰だってこの部屋に入ればその事実は察することができる。それに僕はそのことをハジメさんから今日聞いたばかりだ。彼女の生い立ち。母親について。
あとはただ単に生前の記憶がないせいか、親とか兄弟とかそういったものに疎いだけなのかもしれない。
「わたしの母は有名な女優だったんです。でも、わたしが顔も覚えていない父と結ばれるために、女優をやめてしまいました。でもうまくいかなくて、結局わたしと二人になってしまいました」
彼女は言う。
別にそのことについて、父を恨むつもりもなければ、母が可哀そうと思ったこともないと。
「ただわたしは、母が舞台で輝いている姿が大好きでした。その姿に憧れました。わたしもあんな風に輝きたいと思ったんです」
「……だから、アイドルに?」
ヒヨリちゃんは足先を絡めながら、こくりと頷いた。
「幸い同じ想いを持つ仲間もいました。だから、5人でアイドルになることを決めました。母には最後まで反対されていましたけどね」
親の背中に憧れ、夢を志すのはどこの子供だって同じだと思う。現代では女優もアイドルも形式は違えど、人を惹きつけるという点において相違はない。
母親が反対した理由は明白だ。
時代は違えど、その先はきっと茨の道。輝かしいステージの先に待つものを母親は知っていた。自分の経験から。
ヒヨリちゃんは、どうしてこんな話を僕にしたのだろう。
こんな話を聞いたところで、なにか気の利いた言葉なんて出てこない。僕にはそんな気量も度胸もない。
だから、沈黙するしかなかった。この永遠にも等しく感じる長く短い沈黙に身を委ねるしかなかった。
聞こえるのは彼女の息遣いと、僕の膝の上に頭を乗せたメイの寝息。
「このカセットテープも子供の時、一人で眠れない時に母からもらったものです。公園で練習しているのだって、二人でよく行ってた場所だからです。わたし、いつまでも親離れできない甘えん坊なんです」
もう何度目になるだろうか。
助けを求めるような笑顔。彼女にその気はないのだろうけど。
泣き顔と笑顔を混ぜた物悲しい表情。とても卑怯な表情だ。
だから僕は言葉を探す。
彼女の悲しみを上書きできるものを。でもそんな都合の良いものは見つかるはずもない。
彼女にとっての母親は、唯一すがることのできるものだ。自分が目指すものの道しるべ。それと同時にたった1人の肉親。それは、もう生きていなくてもなに一つ変わらない。そう思いたい。
僕が彼女に言ってあげられること。それはその悲しみを少しでも先延ばしにしてあげることくらいだと思う。
「……甘えたっていいよ。たった二人の家族なんでしょ? 今でも」
はらりと落ちた言葉の影を見送った。
返事の代わりにカセットプレーヤーの再生ボタンが沈んだ。
再びイヤホンから唄が流れ出す。
僕は目を閉じた。
そして、次に開けた時にはヒヨリちゃんは眠りに落ちていた。
僕の右肩に頭を預けた状態で。
あんな答えで良かっただろうか。もう少し優しい言い方もあったかもしれない。僕はいつもこうだ。人に声を掛けようと考えて吐いて、それから後悔するのだ。
膝にメイ、肩にはヒヨリちゃん。
僕は自分の置かれた状況を理解し途方にくれるなか、やっと雨の止んだ窓を見た。
しばらくしてから、僕は彼女たちを起こさないようにベッドに運んだのは言うまでもない。
時間が過ぎ、丑三つ時。
ふと目を覚ます。
珍しくうたた寝していた。僕は普段あまり寝ないが今日はいろいろあったし、疲れてたんだろう。
壁にもたれかかって寝てたせいで、腰が痛い。
彼女ら2人が寝ているベッドを見やる。
やはり、そこには白い影。
白装束を着た髪の長い女性。ナキカゲ。
その手はヒヨリちゃんの頬を触っていた。
「……撃たないの? 可愛い黒猫さん」
「ほっといてください、まじで撃ちますよ」
咄嗟に構えていた銃を僕は下ろす。
弾倉は空だ。それに打つ気はすぐさま失せた。
泣きぼくろの上を伝う一粒の涙に、とても見覚えがあったから。
ヒヨリちゃんの泣きぼくろは、親譲りなんだなと思った。
もうそろそろ顔を出してくるとは、なんとなく思っていた。
「……ヒヨリちゃんのお母さんで、よかったですか?」
ベッドに腰掛けヒヨリちゃんに触れていた手を離すと、母親は僕に向き直る。
とても大人びた綺麗な人だ。女優だったことも頷ける。
「黒猫さんは、察しがいいのね」
「言っときますけど、このパジャマあなたの娘の趣味ですからね。着たくて着てるわけじゃないんですよ」
「シニガミさんは、黒猫お嫌い?」
「そう言うことを言ってるんじゃなくて……って、僕のこと知ってるんですか?」
頭に付けた白い三角の布が縦に揺れた。
「こっちでは割と有名よ。あなた」
「そう、なんですか?」
「ええ。無理やり成仏もさせられない新人へたれシニガミとして」
胸をえぐる母親の言葉。
僕ってそんな立ち位置だったの?
確かに3ヶ月経って、僕自身で成仏させた魂は最初の一度だけだけど。
それにしても。本人を目の前にして、顔色ひとつ変えずに陰口を言える彼女も相当なものだ。
「握手会の会場に居たのは、あなたですか?」
「ええ。私のこと見失って落ち込んでいる姿は可愛かったわ」
「ほっとけっ。一々僕のこと弄らないと気が済まないんですかっ」
「でも―――そんなあなただから。お願いしたいことがあるの」
お願いしたいこと?
空気が少し引き締まった。
「あなたたちが公園で戦っていた、黒い影を退治してほしい。もう私では、抑えられないの」
彼女は未だに表情をぴくりとも変えない。
でも、その瞳には熱が篭っていた。本当に親子だ。
「……半年前に死んでから私はヒヨリのそばに居たわ。でも、最近になって、ヤツが現れた。最初のうちは追い払えた。でも、日に日に力を増していって手がつけられない状態なの」
「……じゃあヒヨリちゃんを苦しめていたポルターガイストは、ヤツが?」
母親は頷く。
僕は大きく息を吐いた。
筋道が一つになった。僕たちがなすべき事の終着点。
それはシニガミ顔負けの成りをした、ヤツの駆逐。
でも、そのためには解決しなければいけない課題がいくつかあるわけで。
いけ好かないが、ここはあの人を頼るほかない。
「お母さん、会わせたい人がいます」
「あなたにお母さんと言われる筋合いはないわ」
「話ややこしくするのやめてくださいっ!」
こうして、この話は結末へ向けて、その足を速める。
その結末はあっけないものだった。
生者と死者が交わる物語に、ハッピーエンドなど存在しない。




