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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

痴呆の晩餐

作者: 金玉斎

「オヤジは二足歩行の犬のようなものでして、年のせいで耳と目と腰は悪くなる一方ですが、なぜか鼻だけは若い時にも増して利くみたいなのです。先日、久しぶりに実家に帰ると、いつもの通り父はイスに座り、パソコンの前でインターネットのニュースを見ながら何時間もぼんやりとしていました。耳は遠いので大声で話しかけないと反応しませんが、臭いには敏感で急に『何か臭う!』と言い出したかと思うと、部屋をあちこち歩き回り、臭いの元を捜し始めました」

 カフェには「仕事を辞めた」と告白してきた腐れ縁の古い友人の村上が仕事をやるのが嫌になった経緯と会社を辞めることがいかに正当であるかについて、小一時間も永遠と語り続けた後、それを聞き続けた友人の吉田はこの他愛もない父の痴呆の話を語り、さらに続けて

「オレ、ちょっと前に君のような中学校以来の腐れ縁の知人からこんな話を聞きました。その彼、まあ山田君とでも言っておきましょう。その山田君のお父さんは私立の病院の院長を長年勤められて定年退職された時に、病院の経営権を一人息子の山田君に譲りました。まあ、山田君が院長になったわけです。山田君は父親譲りの聡明な男で、医療技術も確かですし経営のセンスも十分にあります。よく医療経営は難しいと言われますが、患者さんから慕われるこの『山田病院』には全く皆無の問題のように思えたのです。経営は順調そのものでした。ある時までは・・・」

 会社を辞めた正当性についての大演説を終えて、少し疲れた表情の村上は「さては、この山田という男も自分と同じようなひもじい境遇だな」と内心微笑んで、

「それでその山田さん、どうなったの?」と聞くと

「うん。まあ、病院の経営は順調でしたが、山田君のお父さんが病院を去ってから五年ぐらい経った頃でしょうか、ある時からお父さんがまた病院に戻って来ました」

「なんだ、お父さんが病気になったって話か。僕は君が同情票を用意してくれたとばかり思ったよ。相変わらず、山田さんの仕事は順調、病院の経営も順調じゃないか。きっとお父さんも息子さんのピカイチのメスで病気が完治してめでたしめでたしってオチなんだろう?」

「それが違うのです。山田君のお父さん、定年退職で仕事を辞めた時から他にすることが全くなくて生きがいをなくしてしまったらしく、それから一年も経たないうちに痴呆、まあボケですね。そのボケが始まって五年ぐらいした頃に、いよいよ痴呆がひどくなって病院に来るようになったのです」

「痴呆の看病か。で、お父さん、病院で徘徊でもしてるの?」

「いいえ、それも違います。山田さんのお父さん、ボケた五年間の記憶が微塵もないようでして、『私は現役だ。院長だ』と息子の山田さんや元同僚、元部下たちに言って回り、病院にいる患者さんの診察を始めてしまったのです。まあ、隠居した痴呆の老人とは言え立派な医者であることには変わりありませんし、息子の山田さんやお父さんの元同僚や元部下たちも医者や看護師などの医療の専門家ですから、痴呆老人がどのようなものなのか、よく心得ています。また彼らは、元気な頃のお父さんへの恩義もあったでしょう。しかし、お父さんの診療の様子を見た息子の山田さんや元同僚たちは辟易してしまったそうです。というのも、お父さんの手が痴呆の影響でガタガタと震えて止まらず、挙句の果てには患者さんの胸に聴診器を当てるつもりが、どういうわけか聴診器を使わずに、患者さんのお腹にお父さんが片耳を直に付けて、お腹から聞こえる鼓動なんかを確認した上で、『あなたのお腹の中から、神のお告げがありました。今夜は一緒にカレーライスを食べましょう、いや、そうしなさい』と診断というかむしろ忠告し、ガタガタ震える両手で患者さんと握手したそうです。そういう奇形な行動が続いたこともあって、この病院には病院長の息子の山田さんと共存する形で、患者さんのふりをした元同僚がお父さんからの診察を毎日受けて、お父さんの病院長としての、また医者としての尊厳と誇りを満たすための新たな病院経営が始まったのです」

 吉田の語り口調にもいよいよ熱が帯びてきたが、結局のところ、息子の山田という男の仕事は順調そのものであることに少し嫌気がさしたのか、村上はあえて

「で、君のお父さんの痴呆の容体はどうなんだい?」と切り返すと

「それがまあ、同じ痴呆なのにうちのオヤジと言えば恥ずかしい限りで、『何か臭う!』と辺りを警戒して部屋の隅々まで臭いの元を捜した挙句、結局、臭いの元を見つけることはできなかった。そしてとっくに疎くなってしまった頭でしばらくぼんやりと考えてみては『わかったぞ!』と叫んだかと思うと、いきなり服とズボンとパンツを脱ぎ棄てて、自分の右の金玉を握って見せるではありませんか。『臭いの元はこれだ!ハヤシライスの匂いだ!!!』と」

 あっけらかんとした表情で、また見てはいけないものを見てしまったかのような表情で語り続ける吉田に対して、ここぞとばかりに村上は切り出した。

「今日は仕事の話をしようと思って、君に会いに来たのだが、話がとんでもない方向に行ってしまった。でもよかったよ。久しぶりに会えて。話ができて胸のうちがスッとした。君が今、どんな仕事をしているのか知らないが、仕事と働きかたの未来図はやっぱり、今ここ、いやこの瞬間の生き方と働き方の縮図の延長線上にしかないんだよな。僕は会社を辞めた理由に正当性があると今でも信じているが、自分に全く問題がなかったのかと言えば、正直なところ断言することができない。会社と反省、いや、内省。内省のうちに成長と次の仕事があるんだよな。僕は有り金の全てをはたいてでも、過ぎ去った過去の時間を買い戻したいのだが、自分が心から楽しんで働ける仕事の見取り図ってものがあれば、それも大金をはたいてでも買いたいよ」

 吉田と村上はひどく合点したようで、互いに相槌を打ってはとっくに冷めきってしまったホットコーヒーを一気に飲み干すのだった。

 そして二人は席を立つと、吉田は村上の耳元でボソッとつぶやいた。

「さて村上君、今日はお仕舞にしようじゃないか。家に帰ったら、オヤジの金玉に消臭スプレーでも噴射してみるか」

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