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7☆ここが異世界

 最初に聞こえたのは風に揺れる葉の音だった。

 徐々に戻ってくる五感。まず耳。


 その次に匂いがした。土の匂いだ。

 都会育ちの僕には馴染みの薄い、自然そのものの匂いだった。


 さらに肌に触れる風の流れを感じる。

 湿り気の少ない、心地よい風。

 

 そして視覚も戻ってくる。白く眩い光に奪われた僕の目に、改めて情報が送られてきた。


 気付けば僕は森にいた。

 見慣れた教室は影も形なく、それどころか人工物の一つも見えない。


「ここが、あの女の言ってた異世界……」


 僕らの世界の森と何が違うのだろうかと疑問に思い、軽く辺りを見渡すが特段見慣れないものはない。

 植物に詳しければ何か分かるのかもしれないが、都合良く僕にそんな知識が備わっていたりはしなかった。


 空を隠す、木々に茂る葉の隙間から差し込む光が、不意に僕の瞼を強く照らした。


「眩しい…。こんな快晴久しぶりに見た」


 あまりの明るさに、思わず右手で顔を覆い隠す。

 心なしか、空に浮かぶ太陽は僕の知るそれよりも幾らか大きいような気がした。

 そもそもここが地球ではない以上、それを太陽と呼んでいいのかも定かではないのだが。


「――って、僕の右手治ってる!?自然すぎて気付かなかった……。確かに切られたのに」


 何とはなしに手を空に向けて、日の光を防ぐために使ってはいたが、僕は間違いなく右手とお別れを済ませた記憶がある。

 だが傷跡も違和感もなく、思い通りに動くその右手を見ていると、むしろ記憶の方が誤っているのではとすら思えてくる。


「むしろ切られる前よりも調子が良いような」


 異世界を移動したことによる恩恵だろうか。

 あのままでは失血死が目に見えていたこと考えると、僕は九死に一生を得たのかもしれない。


 とはいえ、こんな森の中に一人放り出されたのでは、どのみち近いうちに同じ道を辿るだけだ。


 まずは誰か協力出来る人間が欲しい。


 クラスメイト全員がこの世界に飛ばされたのだとしたら、一人や二人、すぐに出会える可能性もある。


『ここは……何処でしょうか…?』


 そんなことを考えていると、僕の右側にあたる木々の裏から女の子の声が聞こえてきた。

 不安そうな声色ではあったが、僕の知っている声だった。

 初めて聞いたときに清らかだと感じた、あの声。


 僕は安堵しながらも、急いで声のする方へと駆け寄りその姿を探した。

 誰に聞かせるつもりもない、一人零しただけの呟きが届くくらいの至近距離だ。

 一秒も掛からずにに見つかるだろうという自信を含みながら、僕は葉を掻き分け突き進んだ。


 そしてそこには案の定、元の世界で見たばかりの後ろ姿があった。 


「葉々下さん!!」


「ひっ!?……あ、主之さん?」

 

 最後に話した時の凍えるような雰囲気はどこにもなかったが、確かに葉々下さんその人だった。


「葉々下さん……、良かった、無事で」


「そ、それはこっちのセリフです。誰よりも死にそうだったのは貴方ではないですか。というか、その右手は一体……」


 葉々下さんは傷一つなく、疲労を溜め込んでいる様子もなかった。

 服すら綺麗なままで、まるで家から出た直後のような清潔さを残しているその恰好から推測するに、既に森を歩き回った後とは考えにくい。


 恐らく葉々下さんがこの場に着いたのも、僕とほとんど同時なのだろう。


「右手のことは僕にも分からないよ。気が付いたら治ってた。ラッキー、としか言えない」


「ラッキーって貴方……」


 葉々下さんは呆れたような表情を浮かべた。


「どうせ考えても、理由なんて分からないからさ」


 そんな葉々下さんに対して、僕はあっけらかんと返事を返した。


 どんなに考えたところで絶対に分からない出来事は存在する。

 そしてそれを無理やりにでも受け入れて、次にどうするかを考えた方が有益であることを、僕はこれまでの人生で学んできた。


 葉々下さんは「だとしても――」という反論の言葉を言いかけたが、それは最後まで続くことはなく――


「いえ……そう、ですね。確かに貴方の言う通りです。あの女、異世界とか言ってましたし、この場では何が起きても不思議ではありません。私たちの常識で理解を望む方が難しいでしょう。むしろ移動と同時に即死したっておかしくはなかった以上、私たちはラッキーなのかもしれません」


――代わりに、思いのほか素直な返事が返ってきた。


 予想外の言葉に驚かされ、僕はつい黙り込んでしまう。


「……」


「……」


 そして僅かに、二人とも何も言わない時間が生まれた。

 風の音だけが響く。


「…建設的な、話をしましょう」


 葉々下さんが沈黙を破る。

 一人から二人になったといっても状況が改善した訳ではない。

 葉々下さんの言う通り、少しでも対策を練る必要があるのは紛れもない事実だ。


「了解」


「主之さんは私よりも先に着いていたようなので、一応聞かせていただきたいのですが、この世界について何か分かったことはありますか?」


「申し訳ないけど、全然。先に着いたといってもほんの十数秒くらいの差なんだ。強いて言えば太陽が大きいような、ってくらい」


「太陽…ですか」


 そう言うと葉々下さんは目を細めながら空を見上げた。


「あぁ、確かに大きいですね。今が秋だとしても、ここまでのサイズにはなりませんよ。少なくとも、ここが地球でないことは断言できそうです」


「やっぱりかー」


 僕の気のせいだ、という線も残っていたが、二人とも大きいと感じるのなら間違いないのだろう。


「日の位置的に夜までの時間はまだありそうですが、のんびりしてる余裕はありません。何か使えそうな物は持っていますか?今後の方針を考えましょう」


「使えそうな物ね」


 葉々下さんの言葉を聞いて、僕は自分の衣服に意識を向ける。


 まず携帯と財布は間違いなく持っている。

 大体の人が普段から持ち歩く二点セットだ。因みに財布の中身は二千円と小銭が少し。


 他にも何かないかとズボンを探ってみるが、手に当たるのはクシャクシャになった紙の感触だけだった。

 見なくとも分かるが、間違いなくコンビニで受け取ったレシートだ。


 あと腕時計が一つと、胸ポケットに刺さった一本の黒ペンが見つかった。


「これだけかな。ごめん、大したものは無さそう。葉々下さんは?」


 せめて飴玉の一つでも入っていれば多少マシではあったのだけれど、と昨日の自分を恨めしく思う。


 葉々下さんの所持物に対してもあまり期待はしていなかったが、聞いてはみる。

 あんな唐突に攫われた以上、彼女も僕と大差ないのが当然だと考えていた。


 しかし。


「はい、私はクナイ三本と――」


 くないさんぼん?

 いきなりよく分からない単語が聞こえてきた。


「ロープが一本、まきびし一セットに非常食の兵糧丸が五つ。普段はもう少し色々身に着けているのですが、流石にタイミングが悪かったですね」


「いや何者ですか?」


 兵糧丸とかリアルで言う人初めて見た。


 兵糧丸などというワードは二次元にのみで生き残った、名称だけが歩いて回る知識だけの産物のように考えていた。

 まさかこのタイミングで現物を拝むことになるとは思わない。


 あとスカートの下から取り出すのは、色々と見えそうで危なかった。


「こんな状況なので普通にバラしますけど、くノ一です私。ポンコツの落ちこぼれでしたが」


「くノ一……って忍者の?」


「ええ」


 あまりにも唐突なカミングアウトに、僕の口は半開きになる。

 くノ一といえば女性である忍者の存在を示し、夜の闇に紛れて機密を盗み取ったり暗殺したりするような、主に江戸時代に活躍していた方々だということは僕の知り及ぶ範囲内である。


 忍者が実在していたか否かという点にまで疑問を挟むつもりはないが、それが現代にまで残っていて、まして自分の目の前に現れたとなると、僕の脳処理では追いつかない。

 言ってしまえば信じられない。


「冗談でしょ?」


「こんなときに冗談なんて言いません」


 普段からコスプレを嗜む変わり者か、厨二病を拗らせた痛い人と考えるのが自然である。


 世間一般的にはスカートの中からクナイを取り出すとか、どこのアニメの住人ですかと問いたくなるレベルの奇行。

 だから「くノ一です」なんて発言は、一笑に付して聞かなかったことにするのが、正しい判断だと僕は思う。


 でも僕は、葉々下さんの紫紺に光るその瞳から嘘の色を読み取ることは出来なかった。


 別に嘘だと思えないから事実、なんて話にはならない。

 本気で自分がくノ一だと信じているだけの精神異常者という可能性もあるし、彼女が稀代のペテン師だという線も消えるわけではない。


 ただ少なくとも、彼女が巫山戯ているだけではないと信じられた。


「……まぁどう見てもその刃物、本物だしね」


 クナイなんて特に刺さりそうな光り方をしている。


 そもそも異世界などというファンタジーの極致を見せつけられて、今更忍者程度に驚く方がアホらしい。


「ちなみにくノ一ってえっちな目によく合うって聞いたけどホント?」


「合いません、殺しますよ」


「ごめんてクナイこっちに向けないで」


 刃物は本能的に怖い。

 刺さったら痛そうだという、その想像だけで十分に背筋は凍るのだ。


 とはいえ葉々下さんの凍り付いた眼光に比べれば大した恐怖でもないが。


「なんにしても、だ」


 葉々下さんがくノ一とやらの技術を使えるのであれば、それは間違いなく僥倖。


 具体的に何を出来るのかは知らないが、普通の女子高生と生死を共にするよりも遥かに状況は良い。

 土埃も知らぬお嬢様みたいな容姿であるから少し心配にも思っていたが、思いのほか頼りになりそうだ。

 

 男として頼ってばかりという訳にもいかないが。


「葉々下さん。今は目的地もないし、取り合えず真っ直ぐ進みながら道中で水と食料を探すしかないと思うんだけど、くノ一的にはどうだろう?」

 

「その『くノ一的には』っていうの鬱陶しいので止めてください。こんな場所では立ち止まっていても助けはきませんから、進みながら食料をという点には賛成です。ただ森を真っ直ぐに進むというのは、中々に難しいと思いますよ。特にここは、異世界ですし」


「真っ直ぐ進む方法かー」


 何か良い策はないかと考える僕と葉々下さん。

 目印になる石や木の枝を真っ直ぐ並べれば――と思いつくも、こんなに木が生い茂っていてはあっという間に隠れてしまいそうだ。

 木々が邪魔で単純に直進することも難しい。


 だが二人でそんな相談していると、不意に全力で駆ける足音が聞こえてきた。


「――葉々下さん、この音」


「はい。二足歩行で駆ける音と、その後ろに四足歩行の音です。恐らく誰かが追われている状況だと思います」


「よ、よく分かるね。人なら助けたいけど――」


――『誰、か…っ!!!』


 息を切らして、今にも枯れそうな女の子の声が聞こえた。


 一方の足音のリズムだけが落ち込んでいく。

 考えずとも想像が出来る、まさに体力の限界を迎える直前だった。


 女の子が危機的な状況に置かれ、助けを求めている。

 それが分かった今、僕の行動に選択肢など必要ない。


 走れ。

 助けろ。


「ダメ、待って主之さ――」


 葉々下さんの声は風に流されて、僕に届くこともなく掻き消えた。


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