10☆リトライ
「ダメ、待って主之さ――」
葉々下さんの静止の声を振り切って、僕は助けを求める声へと駆け出した。
追われている少女は倒れこむ寸前。
ゼロコンマ数秒が結末を選ぶ。
もっと脚を回せと全力で叫び、限界を超えて力を絞り出す。
息を吸いこむ時間はなく、全ての空気を一切残さず外へと吐き出し続けた。
前へ、速く。
「―――ッ!!」
そして最後の茂みを超えた僕の見た光景は――
「あああ危な!?やった、ギリギリセーフ!!あっはっは、私の気合いもまだまだ捨てたものじゃないですね!」
――青髪のクラスメイトである空導 記さんが、倒れ込む茶髪の少女をスライディングで飛び込み抱き抱え、蔦が巻き付いた熊みたいな化け物の一撃を華麗に回避する瞬間だった。
「一体何事……」
少し情報が多過ぎる。
まずあの化け物はなんだ。端的に言って気色が悪い。熊?植物?ホラー映画に出てきても違和感のない風貌である。
それに記さんのあのテンションはなんなのか。普段あんな叫ぶタイプではなかった筈だが、何があってこんなことに。これが異世界の影響なのか。
そしてまさに今、記さんが抱えた少女。その少女はえらくボロボロな上に顔が見えないため判然とはしないが、僕らと同じ制服を着ている以上間違いなく知り合い。
後ろ姿から判断するなら、おそらく調城 査戯さんだろう。
「あ、公斗くん!良かった、まだ無事そうですね。ほらぼうっとしてないで早く逃げますよ!こんなところで気を抜いたら秒で死にますよ、秒で!」
「う、うん。おっけー」
よく分からないが、彼女の言う通り気を抜いている場合ではないのは確かである。
「あと公斗くん、調城さん運ぶの代わって貰えませんか?こう見えて実は結構限界なんです私」
「ま、任せて」
どうにも流されっぱなし感が否めないが、今回ばかりは致し方なし。危機的状況であることは明白である。
僕は記さんから調城さんを受け取り、そのまま二人で並んで走り出した。
後ろを見ると蔦を全身に巻き付けた化け物は、地面に突き刺さった自身の爪を抜き取り、改めて此方を追い掛けようという姿勢である。
「し、記さんあれ何?敵?」
「味方に見えますか?」
「いや見えないけども!!」
むしろ、所謂「仲間になりたそうにこっちを見ている」とかのイベントが発生してもお断りしたいレベル。見た目がエグい。
「一応言っておきますけど、倒そうとか思わないでくださいね。メッチャ強いですからあれ」
「見れば分かるよさっき爪が地面にぶっ刺さってたもん超深くまで」
あんなのに触れたら、僕の身体なんて豆腐みたいに解される。
倒す?攻撃どころか防ぐのだって無理に決まっている。
「因みに公斗くん、誰かと合流は出来てますか?」
「出来てる!もう少し進んだところに葉々下さんが」
「……なるほど、あの子ですか」
記さんは意味深げに頷く。
そしてぼそぼそと何かを呟いたようにも見えたが、僕にその内容は聞こえなかった。
「では公斗くん、葉々下さんのもとへ案内していただ――。いえ、その必要はなさそうですね」
何を言ってるんだ、と考えるのも束の間、前方から足音が聞こえてきた。
そうしてすぐ、こちらへ走り寄ってくる葉々下さんの姿が視界に入った。
「葉々下さん!」
「主之さん!私てっきり見失ったかと……っ!気持ちは分かりますが、もう少し考えてか、ら――?え、横にいる貴女は確か……」
葉々下さんは僕に話し掛ける途中、僕の隣を走る記さんに気付く。
葉々下さんは転校初日で異世界に飛ばされたため、記さんを含め、何人かの名前を覚え切れていなかったのだろう。
「記です。話は走りながら」
「申し訳ありません、記さん。一日では全員の名前を把握しきれず……。……それにしても走りながらですか?何故――」
『グオォアアアア!!!!!』
僕らの背後に迫る化け物熊が、一本の木をメキメキと音を立ててへし折った。
葉々下さんの表情が凍りつく。
「――足の速さには自信があります!!!」
「頼もしいです」
そして僕たちは葉々下さんを加えた三人で、全力で逃げ続けた。
僕らは木という障害物を利用して、どうにか差を拡げて撒こうと立ち回るが、奴の方が根本的な速度で上を行かれているらしく、なかなか距離は拡がらない。
このままではジリ貧。
いつか体力切れで捕まってしまうだろう。
「な、なにか打開策を思い付かないと死ぬ…!!」
「……打開策、ですか」
記さんは、走りながら何か考え込むような表情をする。そして少し悩ましそうに眉を歪めた。
「一つ可能性はありますが……、果たして信じていただけるかどうか」
「信じるから早く話して、記さん!!」
「そ、そうです。なんだって信じますよ私たち!」
僕と葉々下さんは一抹の望みに掛けて、記さんの策とやらを問うた。
どうせ他に手段もないのだから、それに賭けるしかあるまい。
記さんが口を開く。
「まずお伝えしたいのですが、今から話すことについては、先程偶然気付いただけであり決して初めから知っていたとかではなく、そして私が怪しい存在であるとかそんな事も一切なく、本当にまぐれが重なっただけでして、皆さんをこの世界に送った神様みたいな女性とも私は特に関係はない訳でして、端に運が良かったというのが――」
「「前置きが長い!!!」」
「ご、ごめんなさい」
はよ本題話せ僕ら死ぬから。
「早速説明に入りますが、私たちにはそれぞれ『スキル』と呼ばれる不思議な力が宿っています。皆、全く別物ではありますがどれも強力な力です」
不思議な力、とは。抽象的過ぎて想像もつかない。
「例えば私は『創造』。色々と制限はありますけれど、簡単なものならその場に生み出せる能力です」
そう言うと、記さんは掌の上にライターを生み出して見せた。
何もない空間から、光と共に唐突に物体が現れる様子はマジックでは説明出来そうにない。
「凄い…。全く原理が分かりません」
「いえ、原理なんてこの際どうでもいいんですよ。それより大切なのは、貴方たちにも同じような力が備わっていることです」
「僕らにも…?」
「ええ」
確かにそんな力が存在するのであれば、この危機的を脱する術も見つかるかもしれない。
「でもどうやってその力を使うの?流石にノーヒントじゃ厳しそうだけど」
「明確な手段がある訳ではないのですが、とりあえず身体の中心を探してみて下さい。文字通りに身体の真ん中ってことではなく、貴方たち自身それぞれが感じる一番大切な部分です。どこかしっくりくる場所はありませんか?心臓、肺、鳩尾、へその緒。もしくは股間という可能性もあります」
身体の中心を意識する、とは簡単に言うがイマイチ要領を掴めない。
身体の中心など考えたこともないのだから。
僕は走りながら少し目を閉じて、身体全体に神経を張り巡らせる。
――集中。
「どうです?やはり股間ですか?股間が貴方の中心ですか?」
「少し黙ってて貰える?」
「じょ、冗談ですって」
改めて集中。
僕は少しづつ部位を絞っていくことにした。
まず下半身にそれっぽい箇所は見つからない。当然股間ではない。
首から上も反応無し。
次に指先から腕に掛けてを探るが、やはり分からない。
「むむむ…」
全身を覆う球状の意識を、中心を目指して圧縮していくようなイメージ。
そしてその球が拳大に至ったところで、僕は熱を感じる部分を見つけた。
「……心臓だ」
「私は首、ですね」
僕と丁度同じタイミングで、葉々下さんもまた中心とやらに気付けたようだった。
「流石二人とも優秀ですね。走りながら、器用なものです」
「で、次は!」
「見つけたその中心だけに、強く意識を傾けてください。強く、とにかく強くです。心臓や首を、脳と接続するくらいイメージで、強く。何か頭に浮かんできませんか?それが貴方たちの能力です」
心臓の位置を、大きさを、鼓動のリズムを、流れ込む血液を。
僕は出来る限り細部まで、心臓の在り方を感じ取る。
すると脳の奥で、何かがほんの少しだけ刺激されるのが分かった。これが記さんの言う、スキルなのだろう。
しかしまだ届かない。そこにあるのは分かるのだが、指を掠めるだけで掴みきれないのだ。
「もっと、もっと強く…っ!!」
あと、少し。
そのとき、僕の背中――丁度心臓の部分を、誰かが軽く小突いた。
瞬間、僅かに遠く感じていたスキルに手が届いた。
「あっ……。『防壁』。僕のスキルは『防壁』だ」
壁を作り出し、仲間を守護する能力。
「…凄い。なんとなく使い方が分かる。変な感じだ」
「わ、私も出来ました。正直上手くいく気がしなかったのですが、誰かに首元に触れられた瞬間にパッと。記さんですか?」
「いいえ、気のせいです。私は何もしてませんよ」
僕の背中と、葉々下さんの首元に手の届く人間は記さんしかいないのだけれども。
今のハッキリとした触れられた感覚を、勘違いだとは考え辛い。
「それより葉々下さんのスキルは何でしたか?」
記さんは誤魔化すように話を進める。気になる内容ではあるが、問いただす余裕のある状況でもないため、僕はその違和感を一旦忘れることにした。
「えーと……『潜伏』というスキルのようです。味方含む周囲の気配を隠すことができる、気がします」
逃げ一択のこの状況で、そのスキルは大当たりだ。
「それ使おう!もしかしたら奴を撒けるかもしれない!」
「私も同感です。葉々下さん、行けますか?」
「大丈夫です、使えます」
「では次にあの化け物熊の視界から外れた瞬間に」
「任せてください…っ」
僕らは最後の力を振り絞るように、一気に速度を上げて駆け抜ける。
すると遠くに、一際太く大きな樹木が見えた。僕ら四人の姿を纏めて隠せるくらいはありそうだ。
「あ、あの木!あの木の裏で使います!」
葉々下さんもその樹木に気付いたようで、指を向けて潜伏場所を共有した。
全速力の僕らはあっという間に目的の木の根元へと近づいていく。
「行きますよ……っ。…『潜伏』」
葉々下さんがスキルを用いた瞬間、僕らの周囲から音が消えた。
足音どころか、呼吸、心音まで余すことなく鎮まり止んで、まるで真空に飲まれたかのように耳鳴りがする程の静寂に満ちた。
世界から取り残されて忘れられたと錯覚するくらいに、全てが僕らに気付かない。
熊みたいな化け物は木の陰に隠れた僕らを見失ったようで、そのまま真っ直ぐに走っていった。
やがて化け物の足音も聞こえなくなった。
「――っ。あっぶなぁ……。葉々下さん、本当ナイス過ぎる。葉々下さんのスキルが無かったら絶対に死んでたよ僕ら」
「いえ……。運が良かっただけです。こんなのは、私の力ではありません」
緊張感から解放されて、僕は大きく息を吐く。
「葉々下さん、お疲れ様です。おかげで今回は助かりました。ですが皆さん、気を抜き過ぎないようにしてくださいね。この森にあのくらいの化け物がうじゃうじゃ歩き回ってますから」
「うじゃうじゃ居るのかぁ…」
異世界って恐ろしい。
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