5 智朗、導く者と会話する。そしてアライグマと戦う。
「あの、夜遅くにこんなところにいたら危ないですよ」
俺の言葉を聞いた女性はハッとした表情をし、咳ばらいをすると落ち着きを取り戻した。
「よ、よくここまでたどり着きましたね。私はプルフェ、導く者」
女性は台詞の練習を続ける気のようだ。
そんなことしてないで早く帰った方が良いなどと言ったら彼女は怒ってしまうだろう。
考えてみればスポットライトまで用意しているここは彼女の空間なのだ。部外者は俺だ。
ならば。
「私は粘大智朗と申します」
「智朗よ、私の言葉に従いなさい」
片膝をついて頭を垂れる。
「仰せのままに」
こうして女性の練習に少しだけ付き合って、それとなく帰宅を促すのだ。
「あなたに叡智を授けましょう。頭の中で「ステイタ コントロロ」と念じるのです」
「はい」
応えるが、念じない。
「見えてきましたが? それはあなたの現在の状態です。
あなたの現在のレベルは……、に、26!? いくらなんでも高すぎでしょう!」
女性は目を見開いて騒ぎ立てた。
「……」
黙っていると女性はまたハッとした表情になった。
「……コホン。
と、ところで智朗、仲間の姿が見えませんが、はぐれたのですか?」
「仲間はおりません。一人です」
「一人でここまで来たのですか!?」
女性はまた驚いている。忙しい人だ。
「プルフェさん、あなたは一体何者なのですか?」
「わ、私は創造主スポティスン様からの使いです。
人々を守るために行動を起こせる尊い者達。
そう、あなたのような方の道標となるのが私の使命」
創造主スポティスン。その名前もう少しどうにかならなかったのか。
「道標?」
「ええ」
そこから女性は世界設定らしきものを長々と語り始めた。
女性の話では、この世界は徐々に異界から浸食されているのだという。
そして、人々を襲っている怪物の正体は浸食の影響でこの世界に顕現した異界の生物、魔物だという。
これはひょっとして、今のこの町の状況に合わせた設定なのだろうか。
「これからあなたに、異界の浸食からこの世界を守るためには何をすれば良いのかを伝えます。
ですがその前に、浸食の影響についてもう少し話しましょう。
異界からの浸食はあなたたち人間にも及んでいます。その影響は様々です。
状態確認が行えることやレベルアップに加え――」
飽きたので聞き流すことにした。
女性の話が終わったところで片膝をついたまま右手を前に出し、左手を胸に当てて女性の顔を見る。
「プルフェさん、どうか私を導いてください」
「……そうですね、とりあえず私を安全かつ人の多い所に連れていって貰えますか?
私の知る情報を多くの人に伝えたいのです」
これはもう帰りますという意味であろう。
「承知しました。ところでここにはどうやって来たんですか?」
「スポティスン様に送って頂きました」
誰かに車で送ってもらったということか。
「スポティスン様はどちらに?」
「それは言えません」
ここにはいないのか。電話か何かで連絡して来てもらうのだろう。
「ではスポティスン様が来られるまで待ちますよ」
「え? あ、いえ、スポティスン様はこの世界には来られません」
「あ、はい」
迎えは来ない。帰りは徒歩ということだろうか。豪胆な女性である。
「智朗、私を連れていって貰えますか?」
送っていけということだろうか。
「わかりました送っていきます。準備が出来たら出発しましょう」
「大丈夫です。すぐに出発できます」
「あれは放っておくんですか?」
上空のスポットライトの光源を指差す。恐らくあそこにはドローンが飛んでいるであろう。
「ああ、あれですか」
女性が額に指をあてると光は消え去った。
「!?」
最近のドローンは脳波で操作できるようだ。
いやいや、もう片方の手にスマホを持っていてそれで操っているのだろう。
しかし、ドローンの回収はどうするのだろうと思ったが、女性は気にしていないようだった。
最近のドローンは自動的にドックに帰還するのだろうか?
「これでよし。さあ智朗、出発しましょう」
「はあ」
女性と一緒に広場から出た。
***
女性と共に町に向かって山道を歩いている。
俺達の後ろをついてくる者は居ない。女性は一人だったようだ。
「それにしても智朗、今の段階で一体どうやってそこまでレベルを上げたのですか?」
女性が話しかけてきた。レベルがどうとか、帰り道でも台詞の練習をするつもりらしい。
「さあ?」
適当に答えつつ、暫く歩いていると動物の気配を感じたので足を止めた。
「むむ」
誤って野生動物を懐中電灯で照らしてしまったら襲い掛かられてしまう。
俺一人であったなら、何が出てこようと殴り倒して埋めれば良かった。
だがこの女性が一緒となるとそうはいかない。
気配をやり過ごすことに決め、懐中電灯を消す。
「プルフェさん、しゃがんで」
「え、なんですか? 敵ですか? 倒さないんですか?」
人差し指を口に当て「シー」とやって女性を黙らせ、草むらに入って身を低くし、気配が去るのを待つ。
「……」
やがて気配は去っていった。
「行ったか」
「智朗、そうやって隠れながら私の所まで来たんですね。納得です」
何か納得された。
一体何に納得したのか聞こうか迷ったその時である。
「きゃあああ!」
女性の悲鳴に振り返ると、女性は人間大の何かに襲い掛かられていた。
野生動物の気配が去った安心から、俺は気を緩めていた。
そいつは俺達二人の後ろに、いつの間にか這い寄っていたのだ。
何かは女性の肩の肉を噛み千切った。
「あ……」
肩から血を流し、倒れる女性。
女性の横を懐中電灯で照らす。
女性を襲った何か。それは人間大のアライグマであった。
「ガアアアアッ!」
アライグマは牙を剥き出しにして襲いかかって来た。
女性の傷の程度は分からない。状況から見て重症であることは確実であろう。
すぐに救急車なり、助けをを呼ぶべきだが、このままでは二人ともアライグマに食い殺されてしまう。
「うおおおっ!!」
スコップを振りかぶり、アライグマの横っ面を殴りつけた。
***
「ぜはあ、ぜはあ」
アライグマはこれまでの野生動物とは比べ物にならない強さであった。
倒した時の爽快感もこれまでとは全然違ったが、今はそんなものに酔いしれている場合ではない。
倒れている女性に駆け寄り、容体を診る。
「大丈夫ですか!?」
女性はぐったりとしていて目を開けない。
女性の肩部分の服が切り裂かれている。
出血は治まっているようだが、中はえぐいことになっていた。
なんということだ。
救急車だ。スマホを見る。圏外だ。
「くそっ!」
すぐに病院に連れて行かなくては。
抱きかかえようと背中に手を回したところで女性が目を開けた。
「う、痛た……」
女性は肩を押さえて痛がっている。
「目が覚めて良かった。すぐ病院へ運ぶからつかまって」
「あ、大丈夫です」
「え?」
「この程度、問題ありません。ほら」
女性が肩を見せてくる。
「あれ?」
さっきまでえぐい状態だった女性の肩には傷一つなかった。
「智朗、ちゃんと私を守ってくれないと困ります」
女性は俺に抗議の目を向けつつ、肩に手を当てる。
すると切り裂かれていた服も元に戻り始めた。
「傷が……、服まで……」
「この程度、なんということはありません。
でも痛いのは嫌ですから、次からはお願いしますよ、智朗」
「出血は……」
「この量なら大丈夫です」
地面に流れた女性の血を懐中電灯で照らす。
血の色は青かった。
「青い血……」
女性は人間では無かった。
それを認識した途端、最初に彼女に対して感じた恐怖が蘇ってきた。