3 智朗、怪物を探しに行く。そしてイノシシと戦う。
それから暫く説得を続けたが、悠の意思はかたくなであった。
心細いだろうから暫く一緒にいると言ったらそれも拒否された。変な声が出た。
悠の説得を諦め、医者に費用とか保険の話を聞いて入院の手続きをした。
そして、悠の通う学校に暫く入院するということを連絡した。
悠は学友に今の姿を見られたくはあるまい。見舞いには来ないように周知して欲しいとも伝えた。
悠に次回のお見舞いで持ってきて欲しいものを聞き、メモに書き留めた後、医者と一緒に部屋を出た。
「粘大さん、本当に泊っていかなくて大丈夫ですか? あなたも怪物に襲われたりしたら……」
外は真っ暗なので医者の心配はもっともである。
だがそんなことはどうでもいい。
医者の気遣いを無視して、今一番気にかかっていることを聞いてみる。
「あのう」
「なんでしょう」
「悠は治りますか」
「……申し訳ありません。
妹さんに希望を与えるようなことを言いましたが現状では絶望的です。
ここには妹さんの他にも怪物に襲われて体に異常が出たという方がいると話しましたね。
その方の調査の結果では、もはや人とは違う生き物に変化させられているようで、治せるとはとても……」
「そうですよね。人が怪物化するなんて、前例なんか無いでしょうし。 ああ良かった」
「粘大さん気をしっかり……。え?」
「いえ、何でもありません」
今の所、悠を元に戻すのは無理そうだとわかり、安心が思わず口に出てしまった。
「粘大さん、妹さんの症状を世間に公表しても構いませんか?」
「駄目です」
「そうですか」
医者に『悠の積極的な治療は希望しない。安全で確実な治療方法が見つかったら報せて欲しい』みたいなことを伝え、そのまま夜の探索に繰り出すことにした。
何を探索するのかって、怪物の探索である。
怪物を探し出して捕獲する。そうすればこの先、運悪く悠が元の姿に戻ってしまった場合、再び”可愛い”に戻すことが出来る。
今、これ以上に重要なことがあろうか。
怪物の正体はアライグマでは無かったようだが、何が相手だろうが危険だろうが関係ない。
俺は悠を元の姿に戻さないためならなんだってする。
スコップと懐中電灯を手に、夜の闇の中へと向かった。
***
水の流れていないコンクリート製の大きな排水路を進む。
「失敗したなあ」
悠に怪物とどこで遭遇したのかを聞いておくべきだった。
もう深夜なので電話もできない。
排水路に入る前、怪物が潜んでいそうな場所を探してみたのだが、それらしい影は見当たらなかった。
怪物がどんな姿をしているのかわからないので、それっぽい奴を探すしかないのだ。場所の情報は重要である。
「ここもハズレかな」
歩けるところまで歩いたら帰ろう。
そんなことを考えながら進んでいくと、進行方向の先に怪しい影を見つけた。
悠を襲った影だろうかと、期待を込めて近づき、懐中電灯で照らした。
しかし、それは背中が俺の胸くらいの高さの、大きなイノシシであった。
「げぇっ、イノシシ!」
この大きさのイノシシはまずい。
これまでに襲ってきた野生動物と比較して危険度が段違いだ。
イノシシに成人男性が噛み殺されたというニュースを見たことがある。
噛みつきも怖いが、あの大きな体に突進されたらひとたまりもない。
いや待て、イノシシは夜行性動物と思われているが、本来は昼行性だったはずだ。
懐中電灯で照らされても怒らないかもしれない。様子を見てみよう。
だがそんな淡い期待はすぐに打ち砕かれた。
「ブシュ! ブシュウウウ!」
大きなイノシシはこっちを見るやいなや突進してきた。
「ぎゃー」
***
「ぜはー、ぜはー……」
イノシシは本当に強かった。
慣れというのは凄いもので、スコップにはもはや重さが無く、俺の手のように動かすことが出来ていた。
しかし、何度スコップで殴っても、イノシシの弾力のある体には効いていないようだった。
スコップの先を突き刺すのは効いていたようなので、突進を避けつつ突き刺すのを繰り返していたら、やがてイノシシは動かなくなった。
イノシシが動かなくなった瞬間、かなり強い爽快感を味わった。
このまま続けたら動物を殺すのが主目的になってしまうのではないかと不安になった。
だが怪物探索を止めるつもりはない。
何せ俺は悠を元の姿に戻さないために生まれてきたのだから。
排水路の中ではイノシシの死体を埋めることが出来なかったので、一旦排水路から出た。
スコップで穴を掘りながら、イノシシの死体を眺める。
この辺では極まれにイノシシが出るという話を聞いたことはあったが、生で見たのは初めてだ。
頭に角、背中に黒くて鋭い棘がびっしりと生えているが、豚のような顔をしているし、二つに分かれた蹄の形からしてこいつは間違いなくイノシシである。
「人里に下りて来なければ死なずに済んだろうに」
こいつが山から下りてきた理由は、あの地震で土砂崩れでもあって餌場が無くなったとかであろうか。
だとしたら人里に下りているイノシシはこいつ一匹では無いかもしれない。
イノシシを埋め終え探索を続けた所、予想通り数匹のイノシシに襲われた。
「ぎゃー」
全てスコップで殴り倒して埋めた。
結局、その日は怪物を見つけることはできなかった。
***
あくる日、メモの買い物を済ませて悠を見舞いに行った。
悠は”可愛い”のままであった。
「ああ、良かった」
胸をなでおろす俺の様子を見て悠が言った。
「兄さん。私、大丈夫だよ」
悠は何やら勘違いしたようだが、これは勘違いされたままで問題ないであろう。
悠に食事で困ったことは無かったかと聞いた所、人間と同じ食べ物で問題なさそうだが、もう少し様子を見る必要があるとのことであった。
デリケートなことを聞いてみたかったが、悠が口を聞いてくれなくなったら嫌なのでやめておいた。
”可愛い”を見る。
くりくりした大きな目がこちらを見ている。殺人的可愛さである。
「兄さん、どうかしたの?」
”可愛い”が話しかけてきた。可愛い。
「ひや、何でもない」
極めて平静を装ったが、動揺が声に出てしまったかもしれない。
”可愛い”は今、子供用の小さな患者衣を着ている。可愛い。
患者衣の袖から出た黒く細い腕は、フサフサの毛に覆われていた。可愛い。
「手を握りたい」という衝動を必死で抑える。
見た目からして、”可愛い”の手の平には肉球があるのではないかと思う。
是非見てみたいのだが、それを積極的に見に行くのは不可能である。
悠の体に興味があることを気取られてしまったら、悠は一生口を聞いてくれなくなるであろう。
今は怪物の情報を聞くのが先決なので、素数を数えることで欲求を抑え込む。
「悠、聞いてもいいか?」
「何?」
「どこで怪物に襲われたんだ?」
”可愛い”が怪訝な表情をした。可愛い。
「何する気?」
「はう」
ちょっとだけ睨んできた”可愛い”があまりに可愛すぎて思わずうなってしまった。
「いや、危ない場所は周知する必要があるかと思って」
「笹橋の上だよ」
笹橋は悠の通う学校と家の中間にある橋である。
「あそこか、学校に伝えておくよ」
「もう伝えてあるよ」
「ああそう……」
悠はこれから歩く練習があるとのことだった。
練習の見学を希望したが、拒否された。
「オフッ」
見舞いを終えた後、外が暗くなるのを待ち、笹橋へと向かった。