第003話:ギルド登録
【小解説】アヴァロン・システム
米国マサチューセッツ工科大学の研究チームの一員であったチャールズ・アヴァロンは、脳細胞が発する微弱な電気信号を読み取ることで、被験者の意志を検知する装置を研究していた。当初は、AIを組み込んだ人工的な眼球、義足などを開発することを目指していたが、やがてヴァーチャル・リアリティ技術の確立そのものが目標となる。それまでにも「自分の意志で義手を動かす」など、意思を読み取って機械を操作する技術は存在していたが、チャールズ・アヴァロンたちの目指していたのは、意識と機械との「完全な結合」であった。2020年代後半には、猿などを利用して「脳と機械との直結」などの実験が行われ一部では成功もしていたが、頭蓋を開ける必要があるため、とても実用性が無かった。
2037年、チャールズ・アヴァロンはナノロボットを体内に注入することで、外科的措置の必要なく人間の意識と機械とのリンクに成功した。被験者の見ている光景がリアルタイムでモニターに映し出された時、彼はこう叫んだという。
「我々は、新たなフロンティアを手に入れた!」
その後、チャールズ・アヴァロンは自身の研究成果に基づいて、ヴァーチャル・リアリティ技術の専門企業「アヴァロン」を立ち上げる。幾度かの失敗と成功を繰り返し、完全なヴァーチャル・リアリティ技術を確立したアヴァロンは、たちまち世界最大のVRT(Virtual Reality Technology)企業となった。
現在、アヴァロン・システムは全世界で導入されている。当初の目標であった障害者向けの眼球や義足は無論だが、企業によってはオフィスそのものを必要としなくなった。旅行はVRで擬似的な体験ができるし、ネットショップで試食や試着もできる。アヴァロン・システムの登場により、人類は急速に「怠け者」になったと言われている。
「お、おい見ろよ、あの冒険者…… 凄ぇ装備してるぞ」
「あぁ、あんな豪華な鎧は見たこと無いぜ。余程の冒険者なんだろうな」
ヴァイスは夕暮れ前に、なんとか街に入ることができた。城門には全く読めない文字が書かれていたが、門の守備兵と思われる武装した男が二人立っていたので、街の名前を聞く。するとあからさまに訝しげな表情を浮かべ、ヴァイスをジロジロと眺めた。遠くから来たので名前を忘れたと言うと、どこか納得したように
「ここはリーデンシュタイン公国の都リューンベルクだ。見たところ冒険者のようだが、どこから来た? 公国に来た目的は?」
「あぁ、えーと…自分はヴァイスハイト・シュヴァイツァーと言います。冒険の旅をしているのですが、途中で地図を落としまして、どっちに行ったら良いのか方向が解らなくなったので、取りあえずは道なりに……」
(ふむ、文字は読めないが日本語は通じるのか。となると、あの文字は何かしらのイベントかアイテムによって、いずれ読めるようになるのかな? ここはチュートリアルの流れに任せよう)
「怪しいやつだな。だが見たところ、冒険者としての腕はそれなりなのだろう。氏名を登録して入れ。だがもし騒ぎを起こしたら、すぐに叩き出すぞ」
ヴァイスは城門を抜け、守衛室と思われる場所で氏名を登録した。だが文字が全く違うため、日本語で書いても読めないようである。仕方なく、口頭で名前を名乗り、書いてもらった。ついでに紙切れを貰い、そこに自分の名を書いてもらう。
「……おいおい、これ本当にゲームかよ。リアル過ぎだろ」
普通、ああした守衛や警備兵は、全てNPCである。娼館のような場所は最初から課金のためにAIがプログラムされているが、守衛に話しかけたところで反応しないか定形の返事が帰ってくるだけである。だが先ほどのNPCとは自然なコミュニケーションが取れた。表情も自然で、まるで生きているかのようであった。ヴァイスはだんだん、不安になってきた。
「実は転生しているってことは……」
自分が転生しているという確信は、すぐにやって来た。アヴァロン・システムは頭蓋骨から頚椎を通る神経系統の電気信号を読み取ることで、副腎皮質ホルモンの分泌等の生命維持は機能させつつも、実際の手足は動かないようにしている。だがそれでも現実の感覚というものがある。それが「尿意と便意」である。これはアヴァロン・システムによって感じなくすることが可能であり、その機能を搭載させたVRMMOも存在した。だがその結果は悲惨なものであった。画面に表示された「トイレマーク」を無視するプレイヤーが続出した結果、ベッドが大変なことになるのである。中にはオムツをしてプレイを続けるというツワモノも存在したが、現在のVRMMOの殆どが、尿意、便意を感じた場合は警告ウィンドウが表示され、無視すれば強制ログアウトされる。DODにおいてもそれは例外ではなく、ゲーム中は尿意、便意は感じないが警告が表示され次第、安全エリアに戻ってログアウトをするのが普通だ。
「なぜ、小便をしたくなる? どういうことだ?」
ヴァイスは若干の焦りの中にいた。尿意に襲われているからだ。これが現実世界であれば、コンビニなどに駆け込むのだが、この街にはそのようなものは無い。仕方なく飲食店らしき店に駆け込み、厠を借りる。汲み取り式の厠から発する強いアンモニア臭に顔を顰めながらも、ようやくの開放感に浸る。そして確信した。
「……これは、現実だ」
厠から出たヴァイスは、給仕の女性に丁寧に礼を述べる。本来なら何か食べていった方が良いが、この世界のカネを持っていない。いずれ食べに来ると詫び、ついでに貴金属を買い取る場所を聞く。
「それでしたら、冒険者ギルドはどうでしょう? 見たところ冒険者のようですし、商店よりもギルドのほうが良いと思いますよ?」
「ギルドですか。解りました。教えて頂き、感謝します」
教えられた場所に向かいながら、頭では別のことを考える。これが現実世界、つまり自分が転生したと仮定した場合はどうなるだろうか。まず考えるべきは、この世界における自分の強さだ。ステータスウィンドウが表示されない以上、自分の強さに不安が残る。次に他のプレイヤーの存在だ。直前まで一緒だった「水無月綾瀬」はこの世界に来ていないのだろうか? そして、もしこの世界に自分以外のプレイヤーがいなかったとして、どうやって元の世界に戻れば良いのか。そして戻るべきなのだろうか。両親は健在だが、最近はあまり電話もしていない。知り合いも会社の同僚ばかりだ。恋人もなく、携帯電話の着信メールは迷惑メールばかり…… そんな現実に、どんな価値があるというのだろうか?
「戻る方法だけは探してみるか。戻る戻らないは、その時に決めればいい」
気がついたらギルドらしき建物が見えてきた。看板が掲げられているが、相変わらず読めない。文字を学ぶ必要性を感じながら、ヴァイスは建物の中に入った。
冒険者ギルドの建物に入ると、ちょうど四人組の冒険者パーティーが出てくるところであった。ガタイの良い男たちであった。全員が戦士職か格闘家職のようである。
「おっと、失礼……」
ヴァイスが道を開けると男たちは値踏みするようにヴァイスを一瞥し、何も言わずに出ていった。そのまま建物に入る。受付と思われるカウンターが三つ並び、左手の壁にはクエストと思われる紙が幾つか貼られている。
(DODのギルドとは違うな。正直言って、貧相だ……)
そう思いながら、ヴァイスはカウンターの前に立った。紺色の髪をした可愛らしい女性が座っている。
「失礼、買い取りをお願いしたのだが?」
「お買い取りですね? 何を買い取りましょうか?」
ヴァイスは低レベルの剣を机に置いた。普段自分が使っている剣から比べればゴミ装備である。ゲームスタート時に配布される剣だから、記念に取っておいたようなものである。
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装備名:祝福の剣
種類:片手剣
装備Lv:なし
装備ランク:青
攻撃力:+7
効果:力上昇(小)
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(まぁ飯代くらいにはなるかな?)
その程度の期待でヴァイスは剣を置いた。だが受付嬢は手に取るなり顔色が変わった。
「し、少々お待ち下さい」
立ち上がって奥の上司らしき人物に歩み寄る。なにかヒソヒソと話をしている。ヴァイスは不安になった。変なものを出したつもりはないが、冷やかしかあるいは犯罪者と思われたのかもしれない。やがて丸眼鏡を掛けて頭が禿げた中年男がやってきた。
「申し訳ありません。私が代わりに、鑑定させていただきます」
男はそう言うと剣を置いて手を翳した。淡い光が手から出る。どうやら鑑定スキルのようだ。基本職である商人のスキルである。男は手に取り、しげしげと眺め、ヴァイスに質問をしてきた。
「失礼ですが、これはどちらで手に入れたのですか?」
「私は遠い地からの旅人でして、この武器はとあるダンジョンで手に入れました。この地では、私が使っていた貨幣は使えないのではと思い、この剣を売ろうと思ったのです」
「遠い地、ですか。いや失礼。こうした素晴らしい武器は往々にして盗難品の可能性が高いのです」
「はぁ? 素晴らしい…… ですか?」
ヴァイスは思わず、素っ頓狂な声をあげてしまった。だが目の前の男は短剣に夢中で、気にしていない様子である。
「素材は鋼鉄で造りも良い。何より、力を高める付与が施されています。使われた形跡も殆どありません。こうした武器は滅多に出ないのです」
「なるほど。これは盗難品ではありません。とあるダンジョン内で手に入れたものです。ですがもし買い取れないのであれば、諦めます」
「いやいや!失礼しました。冒険者の中には、過去をあまり語らない人も多いものです。これ以上の詮索は致しません。当ギルドで買い取らせていただきます。そうですな。鋼鉄の片手剣は、普通は金貨二枚で買い取りをしていますが、しっかりとした造りですし、効果付与もありますので、金貨四枚で如何でしょう?」
「構いません。それとお聞きしたいのですが、この金貨ならどの程度で買い取りをしていただけますか?」
ヴァイスはDODの金貨を一枚、取り出した。男はそれを手に取り、しげしげと眺める。秤を持ってきて、金貨の重さを計測する。
「ほう…… かなり質の良い金貨ですな。金の含有量が帝国金貨よりも多い。ですが残念ですが、この金貨はこのままでは使えません。ただの金塊としての価値で鑑定をすることになります。そうですな。金の含有量から考えますと、この金塊で帝国金貨一枚と銀貨二枚、計千二百帝国マルクでいかがでしょう?」
「では、手持ちの五枚を全て替えていただけますか?六千帝国マルクになると思いますが」
「構いませんよ。では、短剣の買い取り額と合わせて金貨十枚でお返しいたしましょう。それとも、銀貨を交えたほうがよろしいですか?」
「できれば銀貨以下の貨幣も交えてほしいのですが…」
「それでは、銅貨五十枚、鉄貨五枚、銀貨九枚、金貨九枚ではいかがでしょう?」
「銅貨十枚で鉄貨一枚、鉄貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚、ということですね?結構です。助かります。銅貨の下というのは、無いのですか?」
「石貨というものがありますが、あまり使われていませんね。大抵の店では銅貨以上で取引がされています」
銅貨一枚が一帝国マルク、銀貨一枚で百帝国マルク、金貨一枚は一千帝国マルクということになる。石貨は呼び方がついておらず「石貨何枚」と呼んで使うらしい。
(物価水準が解らないが、銅貨一枚、一帝国マルクで十円位と考えておくか。手持ちは金貨十枚、一万帝国マルクだから、十万円か。DOD金貨なら九千万枚以上ある。暫くは大丈夫だろう)
「なるほど、良く解りました。教えて頂き、感謝します」
男は頷くと、確認するように受付の机に貨幣を置いていった。仕切りなどで隠されいないため、他の視線が集まっている。金貨十枚など、DODでは殆ど価値がないが、この世界では違うようだ。出された貨幣を確認して頷くと、革の小袋に入れてくれた。
「これは差し上げます。大金ですので、気をつけてお持ちください。それと、宜しければ当ギルドに登録されませんか? 遠方からの冒険者となれば、身分を示すものなども必要でしょう。当ギルドに加入されれば、帝国全体で仕事を受けることができます。審査の手続きも簡単ですよ?」
(まるでクレジットカードの勧誘だな。だが身分証明書を持つことができるのは助かる)
「では、ギルドへの登録をお願いします。ですが、私は読み書きができないのですが、大丈夫でしょうか?」
「そうした冒険者の方も多いですから、代筆者や仕事斡旋担当なども常駐しています。お気になさらず。では、先ほどの受付の者に交代させていただきます。本日はありがとうございました」
男は立ち上がって一礼すると、先ほどの女性を呼んだ。ミリアという女性らしい。ミリアは受付に何か立て札を置くと、別室に案内してくれた。