第012話:迷い
人類最古の商売は「売買春」であると言われている。帝都は無論、公国の首都リューンベルクにおいても「春を売る店=娼館」は複数、存在している。その中でも最高級の娼館「黄金の鐙屋」で、ヴァイスは寛いでいた。安い売春宿では銀貨三枚、三百帝国マルク程度が相場であるが、黄金の鐙屋は青天井だ。様々な事情によって娼婦となった女性たちの中でも特に美しく、それでいて幼すぎない女性を取り揃えている。その「黄金の鐙屋」の中でも最高級の娼婦「ミリアーヌ」との一夜を終え、ヴァイスは清々しい気分で館を出た。金貨十枚という最高級の娼婦だが、その価値は十分にあった。身請けをして自分専用にしたいとすら思ったほどである。
「よくよく考えてみたら、俺なら相当な金持ちになれるな。DOD金貨は四千万枚以上あるし、素材回収のメドがつけば、ダンジョンでも普通に稼げるしな」
DODではPlayerKillerという明確な敵が存在していた。「PKやるのは自由だろ」という台詞に対し「ならば俺もやろう。お前をPKしてやる」と言い放ち、数え切れないほどのPvPをやってきた。だがこの世界にはプレイヤーはいない。山賊などは存在するが、彼らだって、最初から山賊をやりたかった訳ではない。討伐することに躊躇いはないが、できれば明確な目的が欲しかった。今後のことを考えるためにギルドを訪れる。冒険者の進路相談なども受け付けているからだ。
「冒険者の仕事は街道に出没する魔物や山賊の討伐、迷宮での素材収集ならびに迷宮討伐と言われているが、その本質は『まだ知られていない世界を拓くこと』だと私は思う」
窓口にミリアがいたので、進路相談を持ち掛ける。すると顔を青くして上司に報告した。その結果、本来休みのはずのギルドマスターがわざわざやってきて、ヴァイスの相談に乗るということになったのである。アウグストは苦笑いをしながら事情を説明した。
「進路相談というのは、簡単に言えば『冒険者を辞める』か『活動拠点を移す』かのどちらかなんだ。この一月ちょっとで目覚ましい活躍をしている冒険者から進路相談なんて言われたら、そりゃ慌てるだろ」
「そこまで深刻では無いんだがな。これから冒険者として何を目標としようかと、ちょっと思った程度なんだが……」
ヴァイスのふとした相談への回答が「未知を既知にすること」というものであった。アウグストは机の上に地図を広げた。
「例えばこのリューンベルクから北東に行くとアガスティア大山脈がある。一部は鉱山開発などもされているが、山脈全体を見れば全くの未踏の地と言えるだろう。強力な魔物が数多く出現することから、複数のダンジョンが存在しているはずだ。帝国の南は海だが、その向こう側は広大な大陸が広がっている。船を使って一週間ほどで、港町「ワーガスト」に到着するが、そこから先は荒涼とした砂漠地帯で、古代遺跡などがあるそうだ。これも殆ど調査されていない。帝国の南東は聖ファミリア教国領、西はルストハンザ王国がある。北方にはエルフ族の森「ルーン=メイル」があるが、更に北は所謂「蛮族地帯」と言われており、良く解っていない。帝国から交易路を東に進むと、香辛料栽培で栄える「カルマハーン王国」がある。だがその更に東には何がある? 幾つかの国々があるそうだが、これも不明だ。ゴールドシュタイン帝国が建国されてから八百年、生活圏を徐々に広げては来たが、それでも知らない世界に溢れている。強力な魔物や厳しい自然環境が、行く手を阻んでいるのだ。そうした世界に足を踏み入れる先駆者が、冒険者じゃないのか?」
ヴァイスは顎を撫でた。確かに「冒険者」という仕事を考えればそうだろう。だが自分はそもそも冒険者のつもりでDODをやっていたわけではない。自分は勇者や英雄という言葉に憧れ、最強を目指していた。襲われている無課金者を助けながら、ゲーム内でやりたい放題をやっていたPK者たちと数え切れないほどに戦った。幾つものダンジョンを攻略して経験値を積み、素材を集めて武器やアイテムを作り、更に課金ガチャの強化素材によって強力な装備を生み出した。総合戦闘力第一位「Grand Brave」、PKK回数一万回というのは、この世界に来る直前まで破られたことはない。全ては自分の「英雄願望」を満たすためにやったことだ。
「冒険か…… 俺は冒険がしたいのかな?」
悩むヴァイスに、アウグストが一つの提案を出した。
「ヴァイス。実はちょっと気になることがあるんだ。トマスから聞いているかもしれないが、ダンジョンに出現する魔物が強くなっている。何か理由があるはずなんだ。それを調べるというのはどうだ?」
「あぁ、確かに強くなっているようだな。そうだな。別のダンジョンを調べてみるのも良いか。アウグストには、原因について何か心当たりはあるのか?」
「想像もできん。ダンジョンは別名『大地の胃袋』と呼ばれている。手頃な魔物を出現させることで人を呼び込み、それを殺すことで糧を得ていると考えられている。あまりに強い魔物を出現させれば、誰も入らなくなってしまうだろう。現在、帝都のギルド本部に調査を依頼しているところだが、俺の知る限り、こんな事態は起きたことがない」
「魔物を出現させる仕組みが良くわからん。魔物は魔石によって出現する。強力な魔物を出現させたければ、それだけ大きな魔石が必要になる。何らかの原因で、魔石が出来やすくなっているのか……」
「いずれにしても、現時点では憶測の域を出ない。もし調べるのであれば、最近出現した北西のダンジョンを探ってくれないか?あそこはウィンターデンとの中間地点で公国の領外だが、街道にも近いため両都市で共同討伐隊を結成するという話が持ち上がっている。その先見を兼ねて調べてくれるのなら、ありがたい」
その後、ヴァイスとアウグストは世間話をし、それで別れた。この時点では、事態の深刻さについて理解をしていた者は、誰もいなかった。
ゴールドシュタイン帝国帝都レオグラードは、八十万人以上の人口を持つ大都市である。アガスティア大山脈から流れるテオ河の豊富な水源と豊かな土壌は、古来より農牧業を栄えさせていた。南の港町ラクールまで伸びる道路は南方物産と塩を運ぶ交易路であり、東方からはリューンベルクを経由して多種多様なスパイスが運ばれてくる。この巨大都市に拠点を構えるのが、冒険者パーティー「紅の騎士団」である。六色聖剣と同じ「オリハルコンクラス」の冒険者パーティーだが、その成り立ちは全く異なる。六色聖剣が多様な個性が集まった少数精鋭の「集団」であるならば、紅の騎士団は、皇立騎士学校を卒業した貴族の三男以下で構成された「組織」という色合いが強い。構成員も多く、資金力も豊富である。その組織を束ねるリーダーこそ、帝国内で最大の派閥を持つ「リヒテンラーデ公爵家」を出自とするアルフレッド・シュナイダーである。他のメンバーたちが皆「フォン(F)」が付く貴族なのに対し、アルフレッドは身分としては平民である。だがその父親は帝国最大の大貴族リヒテンラーデ家の現当主オットー・F・リヒテンラーデ公爵である。愛人との間に生まれた非嫡出子ではあるが、騎士学校を首席で卒業したこともあり、紅の騎士団のリーダーに抜擢された。まだ二十五歳の若き冒険者である。
「お久しぶりです。父上…… 一年ぶりですね」
リヒテンラーデ公爵家の別邸で、アルフレッドは父親と対面していた。父親であるリヒテンラーデ公爵は、白髪交じりの厳つい顔をした男ではあるが、決して情に薄い男ではない。何人かの愛人を囲い、婚外子もそれなりにいるが、生活に困らない程度の支援はしている。アルフレッドのように優秀な才能を取り立てる度量もあった。十年前に流行り病で母親を失ってから、年に一度の命日にこうして対面をしている。
「ヨハンナが死んでから、もう十年か。早いものだ。騎士団長の椅子の座り心地はどうだ?」
父親に促され、アルフレッドは対面して腰掛けた。別邸での非公式の面会である。父親譲りの灰色の髪を掻き上げ、アルフレッドは頷いた。
「騎士団といっても帝国騎士団ではなく、あくまでも冒険者集団ですよ。ですが座り心地は悪くありません。父上をはじめとして貴族の方々が支援をしてくださっているので、助かっています」
「お前が三代目の団長となってから、既に三ヶ所のダンジョンを討伐したそうだな。さすがは騎士学校を首席で卒業しただけはある。活躍を聞いたのか『紅の騎士団』に息子を入れてくれという要望が、儂のところに幾つか来ている」
「迷宮攻略は命賭けです。お引き受けする以上は、それなりの装備を整える必要があります」
「そうだろうな。取りあえず、入団にあたっては支度金を準備させよう。金貨千枚で良いか?」
「感謝致します。それだけあれば、高い効果付与が付いた装備も揃えられるでしょう」
「ウィンターデンの六色聖剣も、それなりに活躍しているそうだ。いずれどちらかが、ルドルフ大公以来の地位『神鋼鉄級』になるだろう。名も知れぬ平民と亜人の集団に負けるなど、許さんぞ?」
「彼らのやり方は無駄が多すぎます。迷宮攻略に重要なことは徹底した情報収集と事前準備、そして組織的な戦い方です。数と資金力で勝る我が騎士団が、負けるはずがありません」
紅の騎士団はその豊富な資金力を活かし、他の冒険者たちに先にダンジョンに潜らせ、出没する魔物の情報などを収集していた。生活のために冒険者になったのではなく、名誉・名声のために冒険者となったのが紅の騎士団たちである。圧倒的な資金力によって高価な装備を取り揃え、領民を駆り出して補給路を確立し、必要ならダンジョン近隣から物資徴収までしていた。
シュナイダーには野心があった。アダマンタインクラスとなれば、いずれ貴族にもなれるだろう。母親の性である「シュナイダー」の前にフォンを付けることが望みであった。いずれはリヒテンラーデ派閥の中核となり、帝国内で確固とした地位を築くつもりであった。
「帝都から東に数日のところに、新しいダンジョンが形成されたという情報が入っています。我が騎士団の名声を高めるための肥しとなってもらいましょう」
才能と、それに見合う野心に溢れる息子に、オットーは眼を細くした。
迷宮調査は、本来はシルバーからゴールドランクあたりの冒険者が引き受ける仕事である。素材採取や討伐が目的ではなく、出現する魔物や休憩ポイントの下調べの仕事だからだ。だが六色聖剣のリーダー、レイナ・ブレーヘンは調査依頼を引き受けた。その理由は「共同討伐隊」という話が持ち上がったからである。リューンベルクの真純銀級冒険パーティー「夜明けの団」とは一度だけ顔を合わせたことがある。優秀なのであろうが、粗野な部分が気に入らなかった。六色聖剣は女性だけのパーティーだ。男どもと一緒にダンジョンに潜り、あまつさえ一晩のキャンプを過ごすなど冗談ではなかった。調査依頼ではあるが、レイナとしては討伐するつもりであった。
「そうよねぇ。『お花摘み』にも気を使わなきゃいけないし。まぁ私としては見られても気にしないけどねぇ」
アリシア・ワイズバーンが妖艶な笑みを浮かべながら冗談を言う。六色聖剣はこれまで、男と一緒にダンジョンに潜ったことはない。そんな必要も無かった。リーダーと副リーダー以外は白金級の冒険者だが、それは「全員が真純銀級」となれば余りにも目立ち過ぎるためである。男性優位の傾向がある帝国内で生きるための、政治的な配慮に過ぎないのだ。アリシアとて魔導士としては帝国内でも最高レベルの実力を持ち、真純銀になっても何の遜色もない。
下調べはしていないが、全員が複数回以上の迷宮討伐経験者である。それなりの準備は出来ていた。だが階層を下がるにつれ、全員の顔が険しくなった。副リーダーのグラディスがレイナに問い掛けた。
「レイナ。気づいていると思うが、何か様子がおかしいぞ? 魔物が異常に強い」
「えぇ。妙だわ。さっき出たインプだって悪魔の中では最弱のはずなのに、私に斬り返してきた。一旦止まって、情報共有をしましょう」
地下五層でキャンプを張る。ミレーユが精霊魔法を使って警戒線を張っているため、魔物に急襲される恐れはない。ランタンを囲んで全員が情報を出し合う。最初に口を開いたのはルナ=エクレアであった。
「迷宮の魔素が濃くなっています。これ程の濃度は、見たことがありません。恐らく下層に何らかの原因があると思われます」
斥候役であるミレーユも頷く。
「精霊たちの様子も可怪しい。魔素が濃くなれば、それだけ魔物が活動的になる。きっと、そのせい」
全員の情報を共有し、レイナが決断した。
「戻りましょう。魔素が濃くなる原因が下層にあるのだとしたら、これ以上降りるのは危険だわ。ギルドに報告して、対策を練りましょう」
立ち上がろうとした時、ミレーユが震えた。
「何かが下から来る。危険、ものすごく危険……」
「……冗談、では無さそうだな」
グラディスが顔を引き締めた。ミレーユが真っ青になって身震いをしている。それは全員もすぐに察した。凄まじい気配が第五層に出現した。殺気と邪気が入り混じったような、これまでにない気配であった。
「な、何なのコレ……」
アリシアがガクガクと震える。レイナが怒鳴った。
「撤収っ! 急いで上がるのよ! 早く!」
全力でダンジョン内を駆ける。だが階段前の広い空間に出た時に、ソレと鉢合わせをすることになった。真紅の光が二つ、宙に浮いていた。やがてそれは形を現した。太く巨大な剣を持ち、二本の角を生やし、前身が体毛に覆われた牛のような顔をした魔獣が、そこに立っていた。グラディスが呟いた。
「オーク? ミノタウロスか? いや、違う! コイツは未知の魔獣だ。全員構えろ! コイツは、とんでもなく強いぞ!」
「オォォォォォンッ!」
魔獣の咆哮が六名の美女を震え上がらせた。




